10月13日 ヴシュケの寵姫






 現楽土ラクドの総人口は、概ね十万人である。


 西部と南部の境界線を跨いだ湖に沿って築かれた商業の街、ギルボアに四万。

 南部東側にそびえる鉱山を擁する石と金属の街、イベリスに三万。

 この世界の南端に位置し、海産資源を一手に担う漁港の街、ルーダンに二万。


 そして、南部一帯に点在する七つの村落に、述べ一万。


 ──マリアリィに連れられた蔵人と蛍は、その村落のひとつ、人口千五百人の農村ヴシュケを訪れていた。





「でっけー畑」


 黄金色の穂が海原の如く波打つ、収穫間近の麦畑を見渡しながら呟く蛍。

 それを聞いたマリアリィが、得意げに片目をつむった。


「そうだろうそうだろう。何せこのヴシュケでは、楽土ラクドで消費される全ての小麦を生産してるんだ。相応のものは用立ててあるさ」

「…… 楽土ラクド全て?」


 一方、マリアリィの説明に訝しげな表情を作る蔵人。

 伸ばした腕と立てた指で大雑把に距離を測った後、その懐疑は一層と濃くなった。


「だとすれば、相応どころか小さ過ぎる」


 麦畑の一辺は概ね一キロメートル。四辺合わせて百ヘクタールほど。

 この程度の作付面積では、楽土ラクド全域どころかギルボアの消費分すら到底賄いきれない。


「良い質問だねクロード。まあ、まずはこれを見たまえよ」


 そう言って近くの麦をむしり、蔵人へと差し出すマリアリィ。

 横から覗き込んだ蛍が、頭上に疑問符を浮かばせた。


「なんか、えらくギチギチに実ってねーか? 麦ってこんな感じだっけ?」

「一本あたりの収穫量は、キミ達の時代で主に育てられてる品種の三倍か四倍ってところかな。味や栄養価を落とさずに量だけ増やすのは、結構な難題だった」


 重い穂先を振り回しながらマリアリィが指を鳴らすと、麦が焼きたてのパンに変わる。


「作物や家畜の品種改良に限って言えば、楽土ラクドは今の地球より随分進んでると思うよ。クロードやシズクに渡した術式を使えば一日で百世代以上の交配も簡単だし、やろうと思えば遺伝子情報を直接組み替えることも出来る」


 まさしく、魔法使いの面目躍如。


「当然、成長速度も弄ってあるよ。種を蒔いて四週間で収穫が可能だ。土には地下水を使って常に程よく水気を含ませてあるから、刈り入れまであれこれ世話を焼く必要も無い。乾燥や脱穀なんかの細々した作業まで合わせて、きっかり一ヶ月でサイクルが一巡する」


 つまり実質的な年間生産量は、同じ畑で地球産の小麦を育てた場合の数十倍。

 しかも諸々の行程に必要な労働力は、むしろずっと少なく済む理屈。


「そして当然、土地そのものにも手が加えてある」


 この畑では麦以外の植物が芽を出さず、魔力の性質変化で土壌を回復させているため、連作障害も起こらない。

 作物を蝕む害虫も病気も、気象異常も天変地異も、そもそも楽土ラクドには存在しない。

 仮に畑が全滅するような事態に陥ったとしても、一ヶ月で取り返しが利く。


「ご覧の通りヴシュケは麦作が主だけど、他の村で育てている野菜だったり家畜だったりも概ね似たような改良を施してあるんだ。手間無く美味しく大量生産ってね」

「ハンバーガーかよ」

「最高の褒め言葉をありがとうホタル。大好きなんだ、ハンバーガー」


 自給自足以外の供給手段を持たない楽土ラクドにおいて、食糧生産は最優先事項であると同時に人足を奪う悩みの種。

 故にこそ、あらゆる方向から労力の削減を図るのは当然の成り行きだろう。


「あとは砂糖の供給率を上げたくて色々頑張ってるんだけど、サトウキビもテン菜も魔力との相性がイマイチでなかなか思い通り行ってくれなくてね。私が生きてる間に解決するのは無理かも」

「あぁん!? 言い訳こいてねーでどうにかしやがれ! こちとら菓子類が高過ぎて無理やり糖質カットの生活送る羽目になってんだぞ!」

「いやあ、面目ない」






「今更だが、俺達がここに居て問題は無いのか」


 マリアリィが村人と会う度、足を止めて挨拶を交わすもので、遅々と進まぬ歩み。

 その回数が二桁を回った頃合、蔵人が問う。


「え? あー、うん、平気平気。ここ、ルカのサークルだし」

「コイツの次の相手じゃねーか。何が平気だってんだよ」

「あの子、日中は基本的に寝てるもの。夜型なんだ。睡眠時間もすごく長いし」


 平気と言い切るには浅い理由だが、既に足を運んでしまった以上引き返すのも面倒だと思い、聞き流すことにした蔵人。


「それにルカが今、本拠地のルーダンに居ることは分かってるからね。もし私達に気付いて空間転移装置でこっちに飛んで来ても、その時は好きなタイミングでサークルまで送り返してあげるよ。まあ、たぶんあの子は、そういうことはしないと思うけど」

「そうか」


 この時点で櫻ルカと積極的に事を起こす気は無いが、結果的にそうなるのであればそれはそれで構わなかった蔵人は、どうでもよさそうに相槌を打つ。

 そして、いくらか間を置いてから、再び口を開いた。


「櫻ルカについて教えろ」

「んー。術式の詳細とかを省いた、あくまで人品に関する私見で良ければ」


 構わない、と返す蔵人。

 マリアリィは顎へと手を添え、しばし言葉を選ぶ。


「ルカは……なんて言うか、難しい子だよ。分かりやすいんだけど分かりにくい、ように見えてやっぱり分かりやすい、みたいな」

「ヤクでもキメてんのか、ソーシュ」

「キメてないよ。んー、うーん」


 的確な表現が思い浮かばないのか、もどかしげに唸るマリアリィ。

 以前にもあった光景。齢を重ね、常軌を逸した演算能力を持つに至った魔法使いではあるが、あまり弁が立つ方ではないらしい。


「あとは、そうだね。私は基本的に未成年のスカウトは避けていたんだけど、あの子は例外。まだ幼いのに、とてもしっかりした考え方の持ち主だった」


 マリアリィ曰く、まだ十五歳の少女だとか。

 それを聞いた蔵人は、しばらく黙り込んだまま、何の反応も示さなかった。






「到着。ここがキリエの家だよ」


 長々と村の案内を挟みつつ辿り着いた、ヴシュケの中心部。

 小綺麗な平屋の前で蔵人達を振り返ったマリアリィが、そのように告げる。


「あ、そうそう。キリエは私が渡した『愛を操る術式』で村の子達を手玉に取って生計を立ててる自由人な子だから、言動にはちょっと振り回されるかもね」

「最低だな」


 蔵人の口を突いて出る、ストレートかつ淡々とした罵倒。

 併せて眉間にシワを寄せ、思案顔。


「そんな奴に借りを作るとなると、面倒の方が勝ちそうだ」

「そうは言っても、二回戦の脱落者でこっちに残ってくれたのはシズク一人。当然ルカの相手だったユーダイも地球に帰っちゃったから、現状楽土ラクドの住人の中であの子と面識がある候補者はキリエだけだよ?」


 一定の公平性を期すため、マリアリィが継承戦に勝ち残っている他候補者の詳細な情報を流すことは無い。

 何より、ここまで来ておいて空手のまま踵を返すのも馬鹿らしい。


 そんな結論の末、小さく溜息と舌打ちをこぼす蔵人。

 ややあって億劫げに手を伸ばし、玄関先の呼び鈴を引いた。


「……なぁ。愛を操るなんて真似、魔法で出来んのか」

「正しくは脳下垂体に干渉してフェネチルアミンの分泌を促したり、大脳皮質や扁桃体を刺激することで愛情を錯覚させる術式だね。あくまで表面的なアプローチによって心を揺さぶるだけだから、長続きさせられるかは本人次第かな。そういう意味合いだとキリエは魔法の使い方……て言うか、がすごく上手なんだ」

「……ケッ。そーかよ」






「どうぞ、上がって」


 迎え入れられた家宅。

 蔵人のそれと比べれば手狭だったものの、楽土ラクドの文明レベルには不似合いな現代的設備をひと通り備えた、ちょうど単身者向けのマンションを思わせる住まい。


「ようこそ、お客様方。お茶が欲しかったらキッチン使っていいから自分で淹れてね。ついでにボクの分もお願い」


 応接間は無いため、リビングに通された三人。

 そして案内するや否や、早々にソファへと寝そべった家主。


「で? ボクに一体、なんのご用かな?」


 縁無し眼鏡の奥で緩んだ青い瞳。

 はちみつ色の癖毛を緩く三つ編みとしたルーズサイドテールに杖と思しきガラス細工のベルを結わえた、どことなく浮世離れを感じさせる女性。


「……あれ? もしかしてキミ達、ボクの魔法、効いてない?」


 ちりん、ちりん、とベルを鳴らしながら首を傾げる女性──恋ヶ窪希里江。

 ベルが音を奏でる度、加工された魔力が蔵人と蛍に絡み付くも、跳ね除けられていた。


「二人の刻印に蓄積された魔力は、リンボに行ったことの無いキリエが発する魔力よりも遥かに大きいからね」


 要するに出力不足だよ、と補足するマリアリィ。

 それを聞いた希里江は、面白そうに眼鏡の奥の碧眼を輝かせ、身を起こした。


「ふーん、へえ……いいね、ハラショー。正直、男も女も簡単に掌で転がせるイージーモードには飽きてたんだ。キミ達の名前を教えてよ。仲良くしよう?」

「……下院蔵人」


 愛想良く笑う希里江に苦い表情を返しつつ、渋々名乗る蔵人。


「蛍」


 そして何が気に入らないのか、吐き捨てるように短く名だけ告げる蛍。

 しかし希里江は二人のぶっきらぼうな態度にむしろ気を良くしたらしく、よろしくね、と朗らかに笑みを深めた。


「そーれーで? 、本日のご用件は?」

「……………………櫻ルカについてだ」


 唐突な甘ったるい渾名呼び。

 たっぷり数秒、思考を凍りつかせた後、スルーを決め込んだ蔵人が用向きを伝える。


「お前は何故、奴との継承戦を放棄した。事前に向こうからの接触があったんだろう」

「むぅ。成程。確かにルカちゃんとは初戦前日に顔を合わせたかな」


 けど、と一拍区切ってから、希里江の二の句が続く。


「クロたんが思ってるだろうコトは何もされてないよ? ボクはボク自身の意思で棄権したんだ。たぶん二回戦の相手もそうだったんじゃない?」


 背筋に伝う悪寒を努めて無視し、三の句を待つ蔵人。


「だって。ひと目見た瞬間、理解させられたんだもの」


 くすくすと笑い、お手上げを表現するように、希里江が諸手を挙げる。


「戦ったところで──絶対に勝てないって、さ」





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