10月13日 葉先の蛍火
「クロード様。お客様が見えておられます」
蔵人が自室で白い本を読んでいた昼下がり、ノックと共にレティシアが来客を告げる。
「ご多忙でしたら、日を改めて頂くよう伝えますが」
「構わない。通せ」
「かしこまりました」
本を閉じ、傍らに置いてあった懐中時計を見遣る蔵人。
一周二十五時間の文字盤を走る針先が示すのは、呼び出した時刻の五分前。
「(……意外と時間に正確だな)」
「なんの用だ、てめぇ」
一階の応接間に下りた蔵人を出迎えたのは、そんな剣呑を孕んだ声。
視線を向けた蔵人が、静かに眉根を寄せる。
「(相変わらず、破廉恥な上に行儀の悪い女だ)」
ソファに浅く腰掛け、瑕疵ひとつ無い脚をテーブルに投げ出す形で組み、だらりと頬杖をついた格好。
他人の、それも関係良好とは評しがたい相手の家宅でこうも堂々とくつろげるのは一種の才能だと感心すら抱きつつ、蔵人は彼女──蛍の対面に座った。
「……んだよ」
そのまま何も言葉を発さず、蛍を直視する蔵人。
やがて小さくかぶりを振り、ようやく口を開く。
「呼んではみたが、来るとは思っていなかった。羨ましいな、暇そうで」
「あぁん!? ケンカ売ってんのか、てめ──」
身を乗り出し、アックスピストルを掴んだ蛍。
しかし、その後ろで控えていたレティシアに、腕ごと捻り上げられてしまった。
「邸内での乱暴は、ご遠慮願います」
「いだだだだだだ!? わ、わかっ、分かったからやめ、放せっ!!」
「では、お帰りになるまで武器は預からせていただきます」
流れるようにアックスピストルを奪い取るレティシア。
解放された蛍はアザになっていないかと細い手首を検めながら、乱暴に座り直した。
「ちくしょうが……それで、なんの用だよ」
最初よりも、いささか気後れした風な口調。
表面的な立ち居振る舞いこそ伝法だが、その実、内面は打たれ弱いのだろう。
ともあれ、蔵人はレティシアに茶を淹れるよう命じた後、本題へと入った。
「三回戦が近い」
「あ? ……あー、そう言えばお前また勝ったんだっけか。あんなチンケな魔法で、よくもまあ生き残れたもんだぜ。すげーすげー」
「そうだな」
蛍は軽い皮肉のつもりだったが、蔵人は素直に頷いて返す。
実際問題、二回戦に上がっていたのが
もっとも、蔵人にとっては至極どうでもいい話だが。
「で? それがどーしたってんだよ」
「今度の相手が少しキナ臭い」
そう言って蔵人が放り投げた、一巻のスクロール。
それを受け取った蛍が面倒臭そうに封を開くと、ずらりと並んだ人名の羅列。
「候補者の名簿……いや、ケーショーセンの組み合わせ表か」
「一応、書き写しておいた」
各候補者の氏名と番号、所有する術式、過去二戦の対戦結果。
あまり活字を読む習慣が無い蛍は目を滑らせつつも、やがて三回戦で蔵人と隣り合う名を探し当て……訝しげに首を傾げる。
「コイツ、初戦も二回戦も不戦勝じゃねーか」
五十八番、
初戦では惺と合わせて二人。続く二回戦では唯一、戦わずして勝ち進んでいる候補者。
「つーことは、コイツも二回戦のポチャ野郎みてーなハナシアイ希望かよ。きめぇ」
「……あんな奴が何人も居てたまるか」
蛍の呟きを苦々しく否定する蔵人。
実際問題、惺と近い思想の持ち主が五十八番目時点で残っていた術式の中から『怖』などという物々しい字面を選ぶとは考えにくい。
すなわち対戦相手と何らかの取引を交わしたか、強引な手段を使ったかの二択。
真実がそのどちらであるにせよ、或いはどちらでもないにせよ、二度の不戦勝を作為的な結果と前提するのなら、今日か明日に向こうからの接触を受ける可能性が極めて高い。
ひとまずのところ、蔵人はそう見立てていた。
「(備えはしておくべきだ)」
継承戦の勝敗にも己の生死にも関心の無い蔵人だが、何もかも相手の思惑通りに盤面を進ませるのは面白くなかった。
故にこそ、蛍を呼びつけたのだ。
「三回戦当日まで俺の近くに居ろ」
「あ?」
タイミング良くティーセットを運んで来たレティシアが、茶菓子の横に小袋を添える。
「無論タダ働きしろなどとは言わん。前回付き合わせた分も含めて報酬は出す」
蔵人が有事に備え、花魔法で作った苺のジャムを商店に卸し、稼いでおいた軍資金。
現代日本よりも甘味が貴重とあってか、向こう一ヶ月は生活に困らない額。
「寝泊まりは適当な客間を使え。食事もレティシアに用意させる」
袋の口紐を開け、中に詰まった硬貨を確認した蛍が、驚いたように目を見開く。
そして──己の身を抱きながら、蔵人を軽く睨んだ。
「……最後までは絶対ヤらせねーからな」
言葉が足りず、金の意図を斜め上に勘違いしたものの、依頼を承諾する蛍。
引き受けるならなんでもいいとばかり、蔵人は肩をすくめ、ティーカップを傾けた。
「(これで差し当たり、俺の
蛍はシャワーを浴びに、レティシアは洗濯のために退室し、一人応接間に残った蔵人。
「(だが、出来ればもう少し情報を得ておきたい)」
思案する視線の先には、先程蛍に見せた、継承戦の経過を記したスクロール。
その中の二つの名に、指を這わせる。
「(櫻ルカとぶつかる予定だった二人)」
五十七番、
五十九番、
「(こいつらのどちらかとでも、コンタクトを取れれば)」
とは言え蔵人は、脱落した彼等の居場所どころか去就さえ知らない。
仮に未だ
「……マリアリィと連絡が取れれば、ラクに渡りをつけられるんだが──」
「呼んだ?」
唐突に正面から声をかけられ、顔を上げる蔵人。
「ちょうど近くに用事があったから様子を見に立ち寄ったけど、なんだかタイミングが良かったみたいだね」
一体いつから居たのか。一体いつの間に来ていたのか。
「何か困りごとかい? 私に出来ることなら、内容次第になるけど力を貸すよ?」
野暮ったいフードを目深に被ったマリアリィが、ひらひらと手を振っていた。
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