10月10日 楽土継承戦・二回戦






 光で織られた術式言語の円陣に踏み入り、肉体をサークルに置いたまま精神だけが移動させられる奇妙な浮遊感を味わうことしばらく。


 瞼を閉じていても眼球に沁みるほどの眩しさが薄れた頃合、左目を開いた蔵人は視線のみ周囲へと巡らせ……小さく舌打ちした。


「(二連続でハズレくじ。むしろ初戦より引きが悪いな)」


 前後左右、見渡す限りで覆われた、深い森の中。


 二戦目となる今回のリンボが下院蔵人と七家惺の戦場として再現したのは、楽土ラクド西部──森林地帯の一角。

 蔵人にとっても少なからずプラスとなるが、それ以上に惺との相性が良過ぎる環境。


「(向こうの出足を潰すのは無理か)」


 先日の諸々で蔵人が見立てた木魔法の弱点は、樹木を操る際に必要な魔力量。


 そしてその推論は正しく、木魔法は花魔法同様、植物という生命の一系統を操る術式体系ゆえ、候補者達に与えられた六十四種の中でもトップクラスに魔力変換効率が悪い。


 加えて、木と花とでは基本的な尺度も強度も前者が勝る分、種子や苗木の状態から十分な成長を促すには多量の魔力を注がなければならず、最大出力が概ね等しい候補者同士での衝突が前提となる継承戦においては、場を整えるまでのが遅い。


 もし砂漠か岩場での速攻勝負に持ち込めていたなら、蔵人に分があった。


 ──しかし、ここは森林。周りは既に木々の坩堝。


 さながら武器庫。こうなってしまうと話は全く別物。

 術式対象が花よりも遥かに頑強な分、一定の成長さえ終えれば多少無茶な出力にも耐えられる木魔法こそが、速度の点でも圧倒的な有利を得る。


 取り分け厄介なのは、以前蔵人も使っていた、射程範囲内にある全ての術式対象へと微量の魔力を送り込むことで起こる共振を利用した魔力探知。

 サークルとは違い、土地の魔力まで掌握下に置いているワケではないため多少なり精度は落ちるものの、これだけ木が生い茂っていれば相当正確な索敵が可能。


「(飛車角桂香ろくまい落ちってとこだな)」


 魔力探知は術式本来の用途からは離れた小技。

 したがって惺がその使用法に思い至っているかは不明瞭だが、楽土ラクドを訪れて数日程度の自分でも考えついたものを先達が見落としているなどと楽観視するのは危険というのが蔵人の見解。


「(取り敢えず、デコイを張っておくか)」


 魔力探知を撹乱するには、複数箇所に魔法の痕跡を残すのが手っ取り早い。

 蔵人は懐から夾竹桃の種を取り出し、適当にバラ撒き、杖先で足元を突く。


 魔法の矛先を向けられた種は瞬く間に成長し──けれど、術式へと注いだ魔力を使い切るよりも先、枝葉が軋むように震え、動かなくなった。


「何……?」


 開花途中の夾竹桃に割り込み、蔵人の魔法を引き剥がす、別の魔力。


 有り体に言うなら、を奪われた。


「(遅かった。先手を取られたか)」


 分類上、夾竹桃は樹木にあたる。

 木も草も根源的な構造は同じであるため、花魔法でも出力を高めれば干渉自体は可能だが、木魔法の方が樹木に対し特化した形へと魔力性質を変化させている分、影響力は上。


「(俺の居所は既に捕捉済み。こりゃ六枚どころか十枚落ちだな)」


 二種の術式から同時に干渉を受け、その過負荷に耐えかねた夾竹桃が枯れ落ちて行く光景を視界の端に捉えつつ、蔵人は立ち位置を移す。


 近隣の幹が出来るだけ遠く、地中に走る根も密度が薄い地点。

 細胞分裂が活発な生木なら、先日木材を盾とした時ほどの速度での操作は不可能。

 それを加味した上で、蔵人自身に思い浮かぶ限りのいかなる攻撃方法を選択されようとも、致命傷だけは避けられるポジショニング。


「〈花柱はなばしら〉」


 併せて四方にトリカブトの種を撒き、四本の花柱はなばしらを形成。

 通常よりも深く広く根を張り巡らせることで、地上と地中の双方に警戒網を敷く。


「(さあ、どう来る)」


 枝を伸ばしての刺突や薙ぎ払い。

 根を操って足元からの拘束。

 幹そのものを動かし、質量任せの強引な押し潰し。


 或いは、それら全てを一斉に行う飽和攻撃。


 開戦早々、痛烈な劣勢を強いられた蔵人の脳内を駆け巡る、数秒後の未来予測。

 僅かな前兆を見逃すだけでも命取り。神経を尖らせ、片方だけの視線を忙しなく走り回らせ、耳をすませ、呼吸音を消す。


 そのまま五秒、十秒、二十秒と過ぎて行く時間。

 森は沈黙を保ったまま、不気味なほど静まり返っている。


「(精神的な消耗戦に持ち込む気か? なかなか陰湿な手を使うじゃないか)」


 自身の心音でリズムを取りながら、胸の内で感心する蔵人。


 そして、一分が経過した頃。状況が動いた。


〔──もしもし。聞こえてる?〕

「ッ」


 唐突に鳴り渡る、奇妙なエコーを孕んだ声。

 鼓膜を引っ掻く合成音声じみた調子外れな高音に、蔵人は眉をひそめる。


〔あ、ああ、ごめんね。音が大きくなり過ぎた〕


 慌てた様子での謝罪を挟み、絞られる音量。

 周囲の木々を細かく震わせ、スピーカー代わりに声を送っているらしいと、いくらか間を置いてから勘付く蔵人。


 けれども、わざわざ惺がこんな真似をする意図については、全く分からなかった。


「(何が目的だ……?)」


 同系統の術式を扱う蔵人には、この行為に求められる繊細さが容易く理解出来る。

 声を送っている間、他の行動さえままならないほどの集中が必要な筈だ、と。


〔こんな形で申し訳ない。でもどうしても、君ともう一度話をしたかったんだ〕

「……話、だと?」


 惺の思惑を推し量れず、向こうの居場所も分からない現状。

 迂闊に動くのは危険。そう判断した蔵人は、等間隔に杖先で足元を叩きながら、ひとまず様子見を決める。


〔……君は〕


 やがて始まる、惺の『話』。


〔君は……何のために、戦っているんだ?〕






〔僕はね。初めて楽土ラクドに来た日、心の底から感動した〕


 ところどころで音を外しながら紡がれる言葉。


〔ここには病気も飢餓も差別も戦争も無い。まさしく理想郷だ〕


 全方位から声は響いており、音では発信源を絞り込めそうにない。


〔だからこそ、この世界をマリアリィさんから引き継ぐことは、とても重い意味を持つ〕


 かつん、かつん。

 惺の語りに紛れ込む、蔵人が杖先で足元を叩く音。


〔こんなにも穏やかで温かい世界の統治者を暴力で決めるなんて、絶対に間違ってる。きっとマリアリィさんだって望んでない〕


 かつん、かつん。

 少しずつ、音の間隔が短くなって行く。


〔たとえ継承の儀の結果がどうなろうと、僕は今後も楽土ラクドで暮らして行きたい。この世界の先行きは、僕にとって他人事なんかじゃないんだ〕


 かつん、かつん。


〔だから、話し合いで先に進むべき人間を決めたい。楽土ラクドが迎える次の百年に、今の平和が引き継がれるように〕


 かつんかつん。


〔まずは君が戦う理由を、宗主を志す理由を教えて欲しい〕


 かつんかつんかつんかつん。


〔そして、それは本当に戦って得るべきものなのか、得られるものなのか、もう一度よく考えて欲しいんだ〕


 かつんかつんかつんかつんかつんかつんかつんかつんかつんかつんかつんかつん。


〔話し合えば理解し合える。そうだろう?〕


 ぴたりと、足元を叩く音が止まる。

 人によって長いとも短いとも取れる間、再び静寂が森を覆う。


 やがて。深く俯きながら、蔵人が口を開いた。


「……俺の声は、そっちに聞こえているのか」

〔! ああ、勿論!〕

「そうか」


 淡々と言葉を返す蔵人の反応を色良く受け止めたのか、声に喜色が差す惺。


「まず、こっちから聞いておきたいんだが」


 一方の蔵人は、包帯に爪を立てながら、緩慢に顔を上げる。


 普段の鉄面皮とは少し違う、能面じみた無表情。


「お前は──本物の、馬鹿なのか?」


 ざらついた音が伴う深く静かな吐息と共に、蔵人は言葉を、問いを紡ぐ。


「……いや、答えなくていい。聞くまでもないことだった」


 惺が何かしらの反応を返すよりも先、蔵人が更に口舌を紡ぐ。


「まさか、昨日あれだけの目に遭わされておいて、まだそんな眠たい口を叩けるとはな」


 ワンドを強く握り締め、努めて語気を抑えながら、蔵人は心底思う。


「蛍には人を殺せるほどの度胸など無いが、微妙な加減が見極められるほど小器用でもない。アイツの火球を一発でも食らっていれば、全身火傷で数ヶ月は寝たきり生活を送る羽目になっただろう。そして、あの女をけしかけたのは他ならぬ俺だ」


 やはりコイツは、自分の両親と同類だ、と。


「そんな相手と話し合い? 顔でも洗ったらどうだ、寝ぼけるのも大概にしろ。それが罷り通る一線など、とっくに過ぎた」


 湧き立つ苛立ちで掻き回されそうになる感情を鎮め、抑揚無く喋る蔵人。

 ここ数日は具合が良かった顔の傷に強い疼きを覚え、包帯に血が滲むほど掻きむしる。


「そもそも、この場で俺が何か伝えたとして、その真贋をどうやって見定める?」


 ──耳触りの良い美辞麗句を並べ立てるだけなら、猿でも出来る。


「つい先日まで顔を合わせたことすら無かった俺が吐く言葉に欠片ばかりの嘘も含まれていないと、お前はどうやって判断する?」


 ──無理に決まっている。人の肚の中など、結局のところ誰にも分かるワケがない。


「嘘か本当かさえ分からん口八丁を聞いて、お前は満足するのか? その行為に一体何の意味がある?」


 ──もっとも、次にお前が返すだろう言葉に限れば、大方の見当はつくがな。


〔分かるさ! それが心からの言葉なら──〕

「いいや、分からない。分かった気になっているだけだ」


 ──そら、一字一句違わず予想通りの文言。聞くに耐えない。


「目を見れば人となりが分かるだの、本心が乗った言葉は違って聞こえるだの、全て単なる思い込みだ。そういうおめでたい思考の奴等が真っ先に馬鹿を見る」


 言葉を区切る度に深く呼吸を繰り返すことで頭を冷やし、再び神経を尖らせる蔵人。


「現にお前は──俺がこうして戯言に付き合ってやった理由すら、分かっていない」


 瞳孔の開ききった左目が、光の無い真っ黒な視線が、森の先の一点を捉える。


「見付けたぞ」





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