10月10日 積怒






 リンボ全域の花を対象とした、微量ずつの魔法行使による魔力探知。

 既に惺が木で同じことをやっていたため、周囲一帯に彼の魔力が散乱していて手間取ったものの、が功を奏した。


「咲け」


 杖先で足元を突いた蔵人が矛先に定めたのは、約二百メートル先に生えた一本の大樹。

 その幹──うろの中へと潜んでいた惺を、出力された魔法が襲う。


「ッ、なんだ……!?」


 樹に絡み付いていた蔓草が伸び、うろに潜り込む。

 そして瞬く間、異常な量の花を咲き誇らせ、そう広くない空洞を埋め立てて行く。


「今度は横槍を入れようとしても無駄だ」


 惺は咄嗟に木魔法で応じるも、草花に対する影響力なら蔵人の術式の方が上。

 完全に花魔法の支配下となった蔓草に木魔法が割り込める隙は無く、注いだ魔力は弾かれて霧散し、強引に枯らすことすら不可能。


「名も知らん花に埋もれて死にたくなければ、早くそこを抜け出すんだな」


 この時点で既に蔵人の言葉は届かなくなっていたが、惺が脱出を図ったのは、奇しくも同じタイミングだった。


「くっ……!!」


 周囲の枝を操り、強引に己を引っ張り出させた惺。

 次いで全身に絡み付く蔓を引き剥がすも、次から次に伸び続けてキリが無い。


 程なく蔓草そのものが魔力の毒素と急激な成長の過負荷に耐えかねて枯れ落ち、あっさりと解放されるが、対処に手一杯だった惺は蔵人の位置を見失ってしまう。


 再び捕捉すべく、自身の杖である胸元のループタイを掴み──サークルから魔力を吸い上げる前に、四方を鎖された。


「〈花檻はなおり〉」


 惺の周囲に生い茂る草花が伸び、茎葉を絡ませ、壁を編み、ドームを作る。

 檻の中へと閉じ込められた惺は、またも数拍、思考と動きを止めてしまう。


「〈花絨毯はなじゅうたん〉〈花縛はなしばり〉」


 荒事慣れしていない、とことんまで戦闘に不向きな心身。

 晒した間隙を突かれ、今度は惺の足元を花が埋め尽くし、併せて下肢を戒める。


「──開けろ」


 更に。花檻はなおりの一部が解け、人一人通り抜けられるほどの隙間を作る。

 真っ直ぐ距離を詰めて来た蔵人が中へ踏み入ると同時、再び檻は閉じて行く。


「(……雑草を使った急拵えでは、こんな出来が精々か)」


 あちこち粗の目立つ壁面。

 眉をひそめた蔵人は再び杖先で足元を突き、ドームの表面に新たな花の波濤を這わせ、二層目を作ることで強度を水増しさせる。


 次いで、懐から何かの種を撒き散らす。

 しかし開花はさせず、そのまま惺の正面に立った。


 しばし双方の間に流れる沈黙。

 それを破ったのは、蔵人の嘆息。


「呆れた奴だ。みすみす好機を投げ捨てるとは」


 先手次第では戦局の流れを掌握できたにも拘らず、対話など選んだせいで棒に振った。

 その結果が、この有様。


「(とは言え、まだ俺が優勢とも言いがたい)」


 生物には魔力が浸透し辛い性質を利用した、花檻はなおり花絨毯はなじゅうたんの合わせ技。

 八方を覆う花々が魔力の流れを遮るため、内外を隔てた魔法行使は術式の精度を半減させるが、それでも地の利は未だ惺の手中。


 花縛はなしばりも長く保つ技ではない。

 惺が冷静さを取り戻せば、いとも容易く盤面は裏返せる。


「(……まあいい。どうせ勝ち敗けなど二の次だ)」


 腹の底で燻る澱みさえ吐き出せるのなら、その先に待つ結果など知ったことか。

 そんな投げやりめいた締め括りで思考を放り捨て、蔵人は惺を見下ろした。


「もう話し合いだの不戦だのと喚き散らせる状況ではないと、流石に理解しただろう?」


 出力調整が甘く、一部乾涸び始めた花檻はなおりの天井から、何枚も枯葉が落ちる。

 その一枚を掴み取った蔵人が、手の中で粉々になるまで握り潰す。


「そろそろ戦う気になったか? 今なら仕切り直しを待ってやっても構わないぞ」

「……僕は」


 少しずつ身体を這い上がる茎葉に体幹を崩され、膝をつく惺。

 声色に苦渋を滲ませ、手で顔を覆い、嗚咽にも似た呻きをこぼす。


 一拍、二拍、三拍、四拍、五拍。

 六拍の間が流れたのち、惺は蔵人を真っ直ぐ見返す。


 そして。強い眼差しと共に、意を告げた。


「僕は……戦わない……!!」






 蔵人には知る由も無い話だが、七家惺という青年は、ある種のトラウマを抱えている。


 子供の頃の軽率な暴力が引き起こした、取り返しのつかない事態。

 視界を覆う血の色、拳に残る肉と骨の感触、泣き叫ぶ誰かの声。


 未だ鮮明に脳髄へと刻み付いたその記憶が、惺に暴力というものを厭悪させている。


 故に。より精微なニュアンスで述べるなら、七家惺は戦わないのではない。


 のだ。


「そうか」


 事情こそ知らずとも、惺の返答は予想の範疇だったのか、点々と赤色が浮かんだ包帯に爪を立て、左目を伏せる蔵人。


「なら、ここで継承戦を放棄するか?」

「それも、しない……僕はまだ、君の戦う理由すら聞けていない……!!」


 だが、そこから先──惺が未だに蔵人との対話を諦めていなかったことは、想定外だったらしい。

 伏せていた左目を緩やかに見開かせ、まなじりを吊り上げて行く。


「貴様、いい加減に──」

「そこにどんな理由があったって、他人を傷付けていい理由にはならない! 何より君自身が、いつか必ず後悔する!」


 少しずつ拘束を引きちぎりながら、悲痛な音色で惺が叫ぶ。


「国とか格差とか色んな問題が複雑に混ざり合った元の世界じゃ、確かに綺麗事の理想論かもしれない! けど、この小さくて平和な世界だったら、きっとみんな分かり合える! 誰も争わず手を取り合える!」


 惺が一語を並べる度、蔵人の頭蓋に痛みが刺す。


「暴力に頼らなくていいんだ! 望みがあるなら僕もにのまえさんも協力する! だから──」


 限界、だった。


「だまれ」


 微かな、しかし地の底から響くような蔵人の呟きに、惺が言葉を詰まらせる。


「これ以上、俺の神経を逆撫でするな。むかつき過ぎて吐きそうだ」


 みしみしとワンドの軋む音が、花檻はなおりの中で鳴り渡る。


「平和な世界、だと?」


 七家惺が冠する候補者としての数字は、六十一番。

 つまり彼が楽土ラクドで送った時間は、蔵人と大差無い。


「たかだか一ヶ月足らず過ごしただけの土地を、何故そう言い切れる? マリアリィの奴が後ろ暗いことを何ひとつやっていないと、何故分かる?」


 にも拘らず、得体の知れなさが服を着て歩いてるも同然の女へと軽々しく信頼を置く。

 そんな惺の軽率さに、蔵人は血が煮えるほど苛立っていた。


は、いつもそうだ」


 ──二度と会えない人達との記憶を、否応無しに掘り起こされてしまうから。


「いとも容易く他人の善性を信じ、二択を迫られれば自分が損する道を迷わず選び、そのために不必要な苦労ばかり背負い込み、クズどもにいいように使われる」


 包帯の奥で開いた傷口が、じくじくと痛みを訴える。


「それを傍らで見ている奴がどう思うのか、は少しでも考えたことがあるのか?」


 言葉尻と合わせ、杖先が地面に刺さるほどの勢いで足元を突く蔵人。


 術式へと通わせた魔力が向かうのは、先程撒き散らした種の一粒。


「……そんなに俺が継承戦に臨む理由を知りたければ教えてやる。お前のような大間抜けを、好きなだけ痛めつけられるからだ」


 その正体は、薔薇。

 初戦時は出力不足で構想止まりだった、花化粧はなげしょうと同様に物理的な殺傷能力を備えた技。


「〈一輪斬刺いちりんざし〉」


「っぐぅ──あ、ああぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!?」


 矢の如き速度で一直線に伸び、惺の肩口を貫いた後、跡形も無く崩れる蔓薔薇。

 サークルの拡大によって大きく増した最大出力を種一粒へと集約させることで強引に成立させた、人体を穿つほど拙速な成長。


「イバラで刺される痛みは格別だろう。傷口がズタズタに抉られた筈だ」

「ふうぅ、ぐっ、ううぅぅッッ……!!」


 薔薇は植物の中でも特に魔力の毒素に弱く、トリカブトや夾竹桃を咲かせる時の三割程度にでも魔力を注ぎ込んだだけで枯れてしまう。


 が。それはつまり、群を抜いて魔力が浸透しやすいという裏返し。

 現に成長速度や操作性の高さは、蔵人が試したものの中でも間違い無くトップクラス。


 薔薇は夾竹桃と同じく樹木にあたる植物だが、ここまで出力を一点集中させれば惺が途中で木魔法を割り込ませることは至難。

 しかも花への負荷が大き過ぎるあまり、魔法行使から二秒足らずで塵と化すのだ。肩を抉られた今の惺が、そのような刹那へとピンポイントに干渉するだけの集中力を発揮させるのは不可能に等しい。


「お前が俺に反撃するまで、急所を避けた上で今と同じ攻撃を延々続ける。泣こうが喚こうが、決して手は止めない」


 焼けるような痛みにのたうつ惺へと、更なる責め苦を宣言する蔵人。


「教えてやる」


 冷血に。


「この世には良心など欠片も持たない、俺のような人間も居るのだと」


 無慈悲に。


「他人を騙し、利用し、傷付け、食い物とすることに一切の呵責を持たない、俺のような人間も居るのだと」


 見開かれた左目に、積怒を湛えて。


に、人間の醜悪を教えてやる──!!」


 両親を思い起こさせる愚か者へと、蔵人は、イバラの槍を突き立てた。






 楽土ラクド継承戦二回戦開始から、六十八分後。

 下院蔵人と七家惺の勝負は、決着した。






 けれど──惺は結局最後まで、一度たりとも蔵人に攻撃を仕掛けようとはしなかった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る