10月9日 空の皿






 蔵人が指定を受けた時刻ちょうどに、マリアリィは虚空を裂いて現れた。


「おっと。Z軸を高くし過ぎたかな」


 ビル三階ほどの高さから風船の如く緩やかに降り立つ、少女然とした超越者。


 外見よりも十倍は長く生きた歳月ゆえか、短めのスカート履きで平然と高所に座標指定する大雑把さや恥じらいの無さは置いておくとして──途轍もなく高度な魔法。

 一体どれだけ複雑な術式を組み、どれだけ膨大な情報を脳内で処理すれば、異なる二点の空間を跨いだ瞬間移動など行えるのか。

 マリアリィの姿を静かに見上げていた蔵人には、未だ理解の及ばない領域だった。


「こんにちわ、クロード。だいぶ傷の具合が良くなったみたいだね」

「そうか」

「うんうん。そろそろ雑談に花を咲かせるくらいの愛想は見せてくれてもいいと思うんだよ。花魔法の使い手だけに」


 上手いこと言ってやったとばかりに、したり顔で頷くマリアリィ。

 次いで蔵人の後ろに人影を見とめ、不思議そうに首を傾げた。


「おや? ホタルじゃないか。何故キミがここに?」

「こいつも連れて行く」


 仏頂面で舌打ちする蛍本人に代わって答える蔵人。

 そんな二人を交互に見比べたマリアリィは、やがて納得したように手を叩いた。


「もしや戦いを通じて芽生えた友情ってヤツ? いいね、青春だね!」

「んなワケねーだろバカが! アタシがそいつに何されたと思ってやがる!」

「怒られちゃった……」


 ぎゃんぎゃん怒鳴り散らされ、しょんぼり肩を落とすマリアリィ。

 そしてその後、何やら心配そうに眉根を寄せた。


「んー、ホタルを同行させること自体は構わないけど……大丈夫?」

「何がだ」


 蛍に聞こえぬよう蔵人の耳元へと顔を寄せ、マリアリィが囁く。


「向こうで暴れたりしないかなーって」


 一拍の空白を置き、至極どうでもよさそうに、蔵人は返答した。


「さあな」






 継承の儀の開催に伴い、今や楽土ラクドの大地は寸分の隙間も無く切り分けられ、いずれかの候補者のサークルとなっている。


 加えて、多少勘が鋭い者なら自身のサークル内に他の魔法使いが居るかどうか程度であれば察知が可能。延いては蔵人のように正確な所在を掴むための手段を持つ者も少なくない。

 必然、魔法の出力が大きく制限される縄張りの外を歩き回る者はほとんどおらず、継承戦当日まで候補者同士が直接顔を合わせる機会すら、ほぼ無いと言っていい。


 ──だが、そこは周到なマリアリィ。

 のようなケースの対応策も、しっかり用意されていた。


「到着。ここが『からの皿』だ」


 空間を跨ぐ瞬間移動で蔵人と蛍が連れて来られたのは、直径僅か数十メートル前後の、海上に浮かぶ盆のような小島。

楽土ラクド南端から更に少し南に陣取る、候補者達がフラットに対面を行うための中立地帯。


「なんか揺れてっぞ、気持ち悪りぃ」

「雑草を土で固めて作った浮島だもの。継承の儀が終わったら、そのうち波に揉まれて崩れる一時の足場さ。四方をイカリで留めてあるから流されたりはしないよ」

「船酔いしそうだぜ……」


 三半規管が敏感らしく、足元から伝わる小さな揺れや傾きに渋面を作る蛍。

 一方、蔵人は踵を踏み締めて感触を確かめ、使だ、と物言わず品定めしていた。


「さ、こっちこっち。二人ともおいで」


 マリアリィが手招く先、平たい皿の中心に据えられていたのは、用意されたばかりと思しきティーセットが並ぶソファとテーブル。


 そして。先客の姿もあった。


「待たせたね、シズク。連れて来たよ」

「今日は無理を聞いてもらってありがとうございます、マリアリィさん」


 恰幅の良い、蔵人や蛍よりもいくつか歳上だろう柔和そうな青年。

 彼は深々とマリアリィにお辞儀した後、にこやかな笑みを見せ、蔵人と向かい合う。


「初めまして。来てくれて嬉しいよ」


 握手を求め、差し出される手。


「僕は七家ななかまどしずく。君と──」

「何の用だ」


 けれど、その所作には応じず、挨拶も前置きも挟まず、早速本題へと切り込む蔵人。

 蔵人とのファーストコンタクトを思い出したのか、マリアリィが苦笑する。


「えっと……まずは座ってお茶でもどうだい? マリアリィさんが良い茶葉を──」

「何の用だ」


 にべも無い、二度目の問い掛け。

 およそ有効的とは言い難い空気に、青年──惺は眉尻を落とし、目を伏せた。


「……突然、呼び付けてしまってすまない。お互いの立場を考えたら、警戒されて当然だよね。でも、どうしても君と話がしたかったんだ」

「何のために」

「決まってる! 争わないで済むようにさ!」


 身を乗り出すような主張。

 それを聞いた蔵人が、ピクリと表情を動かす。


「この継承戦は、必ずしも暴力で決着をつける必要は無い。ですよね、マリアリィさん」

「勿論。舌戦、弁論、説得、買収、全て立派な戦いだとも。どちらかと言えば私もそっちの方が好みだしね。ラブアンドピース」

「ハッ! いかにもって感じの台詞回しだぜ、クソが!」

「うら若い乙女が口汚い言葉を使うのはどうかと思うんだ、ホタル」


 テーブルの脚を蹴り付けた蛍をたしなめるマリアリィ。

 落ち着き払ったように見えて内心緊張していたのか、そこで初めて蛍に気付いた惺が、目を丸くさせた。


「彼女は……?」

「無視しろ。ただのオマケだ」

「あぁん!? てめぇで連れて来といて、なんだその──ひぃッ!?」


 雑な扱いに噛み付くも、蔵人が杖先で足元を突く音に条件反射で慄き、引き下がる。

 そんな蛍の行動を不審に思いつつ、肌面積の多さからか目のやり場に困って視線を逸らし、咳払いと共に佇まいを直す惺。


「……僕は、初戦の相手だったにのまえさんとも戦ってない。お互い話し合って、彼女は僕が先に進むべきだと認めてくれたんだ」

「ニノマエも楽土ラクド残留を選んでくれた子なんだよ。あの、あれ、日本の……そうそう、イチマツ人形みたいに可愛くてね。ホタルと仲良くなれるんじゃないかな?」

「市松人形は褒め言葉に入らねーだろ。あんなもんに似てたら、ほぼ妖怪じゃねーか」


 ガタッ、とソファが小さく揺れる。


「君だって僕と同じ考えの筈だ! 暴力なんか望んでない、だろう!?」

「……何故そう考える」


 太めの指が、蔵人のワンドを指し示す。


にのまえさんが『骨』を取ったから、六十三番の君に残っていた術式は『花』と『火』だった筈だ。なのに君は花を選んだ。好戦的な人間なら、そんな選択はしない!」

「成程」


 そこだけ切り取れば説得力を感じさせる推論だが、生憎と蔵人が花魔法を選んだ理由は単純にそうだと知らなかったからに過ぎない。

 もし知っていれば、確実に火を選んでいた。


「お前の意見は、だいたい分かった」


 そして。つい今し方に出会ったばかりの、未だ僅かな言葉を交わしただけの間柄に過ぎないが、蔵人は確信する。


「答えはノーだ。寝言は寝て言え」


 この男は、自分の両親と同類だ、と。


 ならば自分は、この男とは相容れない、と。


「蛍」

「ン」


 茶請けのスコーンを摘んでいた蛍が、アックスピストルの銃口を惺へと向ける。

 その動作と並行して引き金を絞り、火花を散らす。


「発破ァッ!!」


 火花を何百倍にも膨張させ、射出される火球。

 唐突極まる攻撃に一瞬理解が追い付かず、硬直する惺。


 けれどギリギリ、は間に合った。


「ほう」


 蛍と惺を隔てていたテーブル。

 その天板が粘土をこねるかの如く歪な盾へと変形し、射線を塞ぐ。


「(木材にまで干渉可能とは、やはり俺の魔法よりも使い勝手は良さそうだ)」

「っ……ま、待ってくれ! いきなり、こんな──」


 聞く耳持たず。

 惺の制止など気にも留めず、蔵人は杖先で足元を突く。


「〈花縛はなしばり〉」


 蔵人が操ったのは、浮島の建材に使われた花の根。

 その用途ゆえ既に半ば乾涸びており、術式によって成長を促したところで瞬く間に枯れ落ちるだろうが、ほんの数秒だけでも惺の脚を絡め取れれば十分だった。


「(動けず守れず。二発目はどう凌ぐ)」

「火傷でハゲちまえよォッ!」


 素早くハンマーを起こし、第二射。


 生木なら兎も角、徹底的に乾燥させた木材で何発も防げるほど蛍の火球は温くない。

 そして空の皿ここには、惺が術式の矛先を向けられる樹木すら無い。


 逃げ足も封じられ、絶体絶命の危機に陥った惺。

 再びテーブルを盾とするも、焦げて強度の下がった天板はクッキーのように砕け──






「──だから言ったのだわ。自衛の備えくらい、ちゃんとしなさいって」





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