10月8日 燃え残った蛍火






 幾度も魔法行使の実験場としたことで、ほぼ全面が毒花で埋め尽くされた家宅の裏庭。

 レティシアの手入れによって一応の纏まりを保っている景観の只中に立ち、杖先で足元を突く蔵人。


「(変わったのは最大出力くらいか)」


 サークルが増え、刻印が拡がろうとも、術式の性質まで変容するワケではない。

 相変わらず花魔法の扱いは繊細で、出力上限が大きく増した分、むしろ細かい加減が難しくなってさえいた。


「(敗けた奴等の杖さえ手に入れば、話は早かったんだが)」


 組み合わせ表に記された一文字だけでは術式の詳細までは測りかねるが、少なくとも花魔法以上に扱い辛いものはそうそう無いだろう。

 取り分け『穿』や『断』などは字面から連想する限り、明らかに戦闘向きかつ効果もシンプルな分、魔力変換効率も高かった筈。

 

 だがしかし、楽土ラクドの外へと持ち出されてしまったのなら仕方ない。

 無いものねだりに費やせる暇があるほど、蔵人の状況は芳しくないのだから。


「(勝ち残るほど苦しくなる一方だ)」


 六十四番の蛍を降した今、残る候補者のが、楽土ラクドで過ごした時間も魔法という技術に触れてきた期間も大なり小なり六十三番くろうどを上回る先達。


 加えて、次の相手の術式は、捉え方次第では花魔法の上位互換とも考えられる『木』。


「(……出力が上がったなら……少々強引になるが、アレを使えるかもな)」


 とは言え、蔵人の胸中に悲壮感は無い。

 楽土ラクド宗主の座にも、己の無事にも、関心は無い。


「(何にせよ──勝率を稼ぐくらいは、仕込んでおくか)」


 下院蔵人は、ただただ腑の底で燻る憂さを晴らすために。

 その機会を一度でも多く勝ち獲るためだけに、この催しへと臨んでいるのだから。






「少し出る」


 花の香りを濃く纏わせ、裏庭から戻った蔵人が手短に告げる。

 レティシアは彼の額をタオルで拭いながら、かしこまりました、と慇懃に返した。


「同伴いたしますか?」

「……そうだな」


 しばし逡巡を挟んだ末、憮然と頷く蔵人。

 近所の散歩よりは遠出となるため、街の地理を網羅しているレティシアを連れ歩いた方が良いと判断したのだろう。


「財布を」

わたくしが持たせていただきますので、入り用の際に申し付け下さい」

「…………そうか」






 楽土ラクドを訪れた初日以降、一度も足を踏み入れることの無かったギルボア北区。

 数日前まで蛍のサークルとの境界線だった地点の先をレティシアと歩きながら、蔵人は視線だけ左右に巡らせ、納得した風に呟く。


「成程。確かに、こっちの方が栄えてる」

「南区は一般居住区や、他の街から来る物資の加工施設が集まっている区画ですので」


 実際に各種加工製品が並ぶ商店、貴人向けの住居などは北区が中心という分布。


「本日はどのような御用件でしょうか? 僭越ながらわたくしが道案内いたします」


 レティシアの問いに、蔵人は脳内の大まかな地図と、サークル内のを照らし合わせる。


「三番通りに出たい。恐らく、そこに

「かしこまりました」






 大通りの中間地点に設けられた噴水。

 その周りへと置かれたベンチのひとつに探し人の姿を見付け、歩み寄る蔵人。


「驚いたな。まだ楽土ラクドに居たのか」


 初戦決着後に目を覚ましてから、ずっとサークル内に存在らしきものは感じていたが、あえて心底意外そうな語調を使う。


 露出過多な格好で脚を組んで座り、人目を寄せていた二十歳前後の女性──司蛍が、声をかけられたことで顔を上げた。


「……ッ、てめぇ……!!」


 目の前に仇敵を見とめた蛍は忌々しげに表情を険しめ、脇に置いてあったアックスピストルを掴もうとする。


 ──しかし。蔵人が杖先で足元を突いた瞬間、肩を引きつらせ、身を抱いた。


「ひっ……!?」


 鼓膜に響く軽い音がスイッチとなって脳髄を駆け巡る、先日の継承戦で蔵人から受けたのフラッシュバック。

 蛍は青菜に塩でもふりかけたかの如く戦意をしおれさせるも、せめて弱みを晒すまいとしてか、血の気が引いた顔で蔵人を睨み返す。


「な、何しに来やがったんだよぉ……!」

「ここは既に俺のサークルだ。どこに居ようと勝手だろう」


 至極もっともな言い分。

 縄張りの巡回とでも考えれば、蔵人の行動に取り立てて不自然は無い。


 むしろ。


「俺に敗れてサークルを失っただけなら兎も角、あれだけの目に遭って未だこの世界に居座るお前の方こそ、客観的には理解に苦しむ存在だと思うがな」

「ッッ、それこそアタシの勝手だろーが!」


 楽土ラクドに残ることを選んだ理由を深掘りされたくないのか、がなり立てる蛍。

 けれども、その直後に再び勢いを失い、無意識にか半歩退く。


「……アタシに、この街から出てけってのか?」


 蔵人はギルボア全域をサークルに収めているだけで、街そのものの所有権まで得たワケではないが、力尽くという意味合いならばそうした行為も可能であろう。

 刻印の魔力量だけなら、元の素養に加えてリンボで格段の拡張を遂げた蛍の方が未だ大きく上だが、初戦時の倍のサークルを手に入れた今の蔵人と争うのは流石に分が悪い。


 何より、蛍の蔵人に対する反抗心は根本から折れてしまっている。

 仮に強い言葉で命じられれば、逆らう気概すら奮い立たせられない筈。


「お前の所在など、知ったことか」


 が。少なくとも蔵人の方には、これ以上蛍をどうこうするつもりは無い様子。

 の豹変が嘘のような静けさで、どうでもよさそうに告げる。


「……そーかよ」


 街を追われずに済んだ安堵からか、強張った表情を緩める蛍。

 そこでようやく蔵人の傍で侍るレティシアに気付いたらしく、眉をひそめた。


「なんだ、てめぇ。妙な格好しやがって」


 自分を鏡で見たことが無いのか、と胸の内で思う蔵人。

 彼からすれば仮面で顔を覆い隠した黒服メイドよりも、肌面積の八割近くを露出した痴女まがいの方が余程に「妙な格好」である。


「クロード様の侍従を務めるレティシアと申します。お見知り置きを」

「はぁ? ジジュー? よく分かんねーけど、人にアイサツするなら顔くらい見せ──」


 無遠慮にレティシアへと伸びる蛍の手が、パシッと乾いた音を立てて払い除けられた。


「申し訳ありませんが、仮面には触らぬようお願いいたします」


 深く腰を折った後、淡々と注意を向けるレティシア。

 仕える主人以外に機能を使われるのは、あまり好まぬ模様。


 一方の蛍は、払われた手を呆然と見遣り、ふるふると口の端を震わせていた。


「ぅ……あ……んだよ……き、急になんだよ、クソが……!」


 二歩三歩と退きつつ、左右を泳ぎ回る視線。

 やがて狼狽を取り繕うように声を荒げ、踵を返す。


「ムカついた! 帰る!」

「待て」


 足早に去ろうとしたその背中を、蔵人が呼び止めた。

 そして。わざわざ蛍を探しに来た本題へと入る。


「お前、明日は暇か」

「あぁ!? どっかの誰かさんのせいで絶賛ヒマだよ! ソーシュの奴がアタシは楽土ラクドに来るのが遅かったから、向こう一ヶ月は生活費をくれるって言ってたしな!」

「そうか。なら俺の予定に付き合え」


 蛍の訝しげな眼差しが、肩越しに蔵人へと向かう。


「少々ばかり──が欲しい」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る