10月7日 魔法は一日にしてならず






「(二つ並べた単語の順序を入れ替えるどころか、上下左右どの方向から読み始めるかだけでも含む意味合いが全く変わるのか)」


 白い本──術式言語基礎教本の一節を指先でなぞり、例文を読み上げる蔵人。

 流動食同然の域まで噛み砕かれているため、読むだけならば問題無い。


「(正確な術式を構築するのは勿論だが、組み上げた文章通りに魔力が巡るよう余白や書体、場合によっては筆圧すらも駆使して適切なを作らなければならない)」


 その上で、あらゆる分野の知識と、周辺環境の現在状況を数値化する計算能力が必須。

 候補者達の杖に組み込まれているような専用の演算装置もあるにはあるが、著しく汎用性を欠いてしまうため、火や花など一系統の事象や物質への干渉が限界となり、一定以上複雑な術式には使えない。


「(小石を動かすまでに半年だと? 笑える冗談だ)」


 僅かでも魔法に対する理解が深まる度、マリアリィが普段どれだけ高等な技術を使っているのか、改めて思い知る。

 魔法使いの脳は歳を経る毎、演算機能に特化して発達する性質を持つとは言え、あの領域まで至るための道筋が、少なくとも今の蔵人には全く見えなかった。


「(ごく簡単な術式構築に座学内容を絞って、最低限必要な文字と配列の法則性を覚えるだけでも、甘く見積もって一年だな)」

「──クロード様。読書中失礼いたします」


 ノックと併せて、レティシアの声がドア越しに蔵人の耳朶を叩く。


「なんだ」

「マイスターが見えられています。お通しいたしますか?」






「初戦突破おめでとうクロード!」


 小躍りするような勢いで現れるや否や、溌剌と声を張り上げたマリアリィ。

 いつも目深に被ったフードも野暮ったい上着ごと脱いでおり、ざっくり空いた背中に浮かぶ八枚翼の刻印が露わとなっている。


 ごく最近に大掛かりな魔法でも使ったのか、色が濃いのは一枚だけだった。


「ささやかだけど祝い品を持って来たよ! どうぞ!」


 そう言って蔵人に手渡されたのは、桐箱入りの紅白まんじゅう。

 色々と間違っている気がしてならない。


 ──それにしても。


「妙に機嫌が良いな」

「うん! 有頂天さ!」


 有頂天を自称する者など初めて見た、と少々面食らう蔵人。


 一体、何がそんなに楽しいのか。

 あえて蔵人の方から尋ねるにも及ばず、マリアリィ自ら語り始めた。


「聞いておくれよ! 初戦で脱落した三十二人の中から、楽土ラクドに残ることを申し出た子達がも居たんだ!」


 大手を広げ、声高に謳うマリアリィだが、蔵人には今ひとつピンと来ない内容。

 たかだか三人残ったことを、何故そんなにも喜んでいるのだろうか。


「私が選んだ候補者達は、全員が先進国の出身者だ。にも拘らず、生まれ故郷よりもこの楽土ラクドで暮らすことを選んでくれた。創世者にとって、これほどの名誉は無いよ」

「……成程」


 マリアリィ曰くの先進国とやらでの生活が必ずしも万人に充足をもたらすものであるかどうかはさて置き、言わんとするところは理解したのか、紅白まんじゅうを齧る蔵人。

 しばらく振りに食べる粒あんの甘味が、読書後の頭に染み渡る。


 そこでふと蔵人は、ある思考に行き着いた。


「地球に戻った奴等の杖は、どうなった」


 初戦敗退者達が使用していた、都合三十二本の杖。

 そのいずれかにことが可能ならば、と。


 しかしながら、マリアリィからの返答は無情だった。


「勿論、各自で持って帰ったよ?」


 異世界で得た超常のチカラを、元いた世界で振るえる。

 敗者達の大半が地球に戻ることを選んだ、恐らくは最たる理由。


「連れて来るタイミングによっては何年も行方不明者扱いさせてしまったからね。多少の金品と合わせて、私が皆に支払えるせめてもの見返りさ。少し心配な子も居たけど、今後の行動は各自の良心に委ねることにした」


 それに、とマリアリィが言葉を続ける。


「私が作った杖は、最初に術式を励起させた魔法使いを動力源として組み込む。組み込まれた魔法使いが他の術式を扱えないように、一度使われた杖も他人には扱えないよ」


 ただし唯一、例外を挙げるなら。


「杖の持ち主が死ねば、話は別だけどさ」

「……そうか」






「それじゃあ私は、残ることを決めてくれた子達への就職支援があるから、そろそろ失礼させて貰うね」


 レティシアが淹れた紅茶で一服した後、忙しそうに去って行ったマリアリィ。

 ……かと思いきや、開け放った玄関扉を閉めて数秒も経たないうちに戻って来た。


「ごめんごめん、ひとつ忘れてた。キミへの伝言を預かってたんだった」

「伝言……?」


 この世界でまともな交流のある相手など、眼前の女性を除けば居ないに等しい蔵人は、怪訝そうにマリアリィを見返す。


「どこの誰からだ」

「どこのと言われたら、イベリスだね」


 鉄や銅などの各種鉱山を擁した、人口三万人の街。

 楽土ラクド南部と東部の境界線付近に位置する、この世界で二番目に栄えた人里。


 当然だが、蔵人は一度も足を運んだことは無い。


「で、誰かと言われれば」


 指を鳴らしたマリアリィの手元に現れ、独りでに開いた一巻のスクロール。

 記されていた内容は、次の継承戦の組み合わせ表。


 整然と羅列された、初戦を勝ち抜いた三十二人の候補者達の名。

 マリアリィが、そのひとつを指し示した。


「ナナカマド・シズク。キミの次の対戦相手だよ」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る