10月6日 継承戦の意図






 暗闇に沈んでいた蔵人の意識が、ゆっくりと浮上する。


 働き始めた五感へと最初に触れたものは、額を拭う柔らかい布の感触。

 次に、窓の外で鳴く小鳥のさえずり。そして香水と思しき、仄かに甘い匂い。


「ぅ……」


 やがて覚醒した蔵人は、少しずつ左目を開く。

 瞳に沁みる陽光を嫌ってか、併せて手で顔を覆う。


「お目覚めになられましたか、クロード様」

「……レティシ、ア?」


 指の隙間を通した視界に入り込んだのは、水桶にタオルを浸す侍従の姿。


 気だるく半身を起こすと、そこは自室のベッドの上。


 未だ判然としない思考。

 その靄が薄れるに連れ、蔵人の頭上で疑問符が踊り始める。


「……?」


 つい先程まで、継承戦の舞台であるリンボに居た筈の自分。

 にも拘らず、何故こうして部屋で眠っているのか。


 マットレスに残る己の体温。横になっていたのは、五分や十分程度のことではない。

 少なくとも数時間はまどろんでいた、と蔵人は推察する。


 加えて、蛍との戦いで少なからず受けたダメージも、綺麗さっぱり消えていた。

 取り払った顔の包帯も、掻きむしって開いた傷口も、全て全て元のまま。


 まるで何もかも、夢の中の出来事であったかのように。


 ──だが。


「(違う)」


 あれは決して夢などではなかった。

 そんな確信が、より一層に蔵人を混乱させて行く。


「お加減のほどは、いかがですか」

「……悪くはな──」


 言葉を返す途中、眼前に添えたままだった左手に、ふとピントが合う。

 映り込んだ像を思考が認識すると同時、いよいよ蔵人の口から疑問の声が飛び出した。


「なんだ、これは」


 掌の中心に浮かぶ菱形であった筈の刻印。

 それが──手首まで広がる上下左右対称の幾何学模様へと変化、拡張していた。


 蓄積されている魔力量も、軽く以前の十倍以上。

 一度くらいなら、自力で花壁はなかべを張れるほどの異常な増量。


「どうなっている……」


 起き抜けの頭に多くの情報が雪崩れ込み、とても処理しきれず顔を歪ませる蔵人。

 取り敢えず立ち上がると、レティシアから水の入ったグラスを差し出された。


「湯冷ましです」

「……そうか」


 勢い良く呷り、一気に飲み干す。

 そこで初めて、蔵人は自分がとても喉が渇いていたことと、その渇きと同じくらい空腹だったことに気が付いた。


「朝食の用意が整っております。お召し上がりになられますか?」

「……ああ」


 空のグラスを返されたレティシアが、水気を絞ったタオルで蔵人の首筋を拭う。


「それと」


 次いで。水桶の横に置いてあった盆を取り上げる。


「マイスターより、文書を預かっております」


 その中央には、一枚の紙を複雑に折り畳んで作られた封筒が収められていた。







 朝食のチーズリゾットとサラダを平らげ、食後茶を片手、数枚の便箋に目を通す蔵人。

 正確性が何より重要視される術式言語を扱うからか、とても几帳面にしたためられた文をひとしきり読み終えた後、机上へと投げ出した。


「成程」


 自身の現状、不可解な状況。

 抱いた疑問の大半が氷解したことで色々と腑に落ちた蔵人は、軽く鼻を鳴らす。


「(そうだった。あそこにはだけが送られるんだったな)」


 あまりにリアルなもので、すっかり頭から抜け落ちていた情報。

 更にはマリアリィがそのような手間を挟んで舞台装置を整えた真意も、刻印が急激に拡張した理由も、全て手紙に書き綴られていた。


「クロード様。カットフルーツをどうぞ」

「ああ」


 どうやら、あの戦場──リンボには、候補者同士を公平な条件で競い合わせること以外にも意図があったらしい。


 彼我の精神が剥き出しとなった状態での闘争、競争、抗争。

 それは玉石をぶつけ合う研磨に等しく、双方共に劇的な成長を遂げる。


 そしてマリアリィは特殊な術式によって候補者達が得た成長リソースを魔力へと変換、刻印の拡張という形で反映させたのだ。


 以前蔵人は、刻印は特別な方法を使わない限り、歳月によって僅かずつしか拡がらないとマリアリィから聞き及んでいた。

 その特別な方法のひとつこそが、此度の継承戦だった模様。


 そして、何故そうまでするのかと言えば、敗者のサークルを得るための下準備である。


 広大なサークルを所有するには、魔法使いの側にも相応の力量が必要。

 楽土ラクド全土ともなれば、最低でも五十年は醸造させた刻印の持ち主でなければならない。


 しかし余命の短いマリアリィに、そこまでの時間をかけた養成は不可能。

 ちょうど現状のように多人数へとサークルを分けて引き継がせることも、後々の統治を考えれば諍いの種となるだろう。


「もう一杯、茶をくれ」

「はい」


 ならば何故もっと早く後継者を探さなかったのかと言えば、実に簡単な話。

 マリアリィが地球と楽土ラクドを行き来できる術式を完成させたのは僅か数年前のことで、それまでは単なるが精一杯だったのだ。


 魔法使いの素養を持つ者の出生率は数万人に一人。

 現楽土ラクドの総人口は十万人足らず。創世当初は更に少なかった筈。

 百年間、新たな魔法使いが生まれないという不運も、十分考え得る出来事なのである。


「(いかにも幸薄そうな顔だしな)」


 声には出さず呟く、冗談半分の独り言。

 併せて蔵人は、かねてより継承の儀に対して抱いていた懐疑に対する結論を出す。


「(が違っていたか)」


 小さくも決して少なくない人々が生活を営む世界の新たな統治者を、個人の闘争の結果によって選び出す。

 遥か古代の価値観なら兎も角、現代地球の文化を積極的に取り入れているマリアリィがそのような方法を選ぶのは、どうしても違和感があった。


 けれども継承の儀の目的が『楽土ラクドの宗主を決めること』ではなく『楽土ラクド全土を自身の掌上に収められる魔法使いを育てること』だと考えれば得心も通る。

 最終的な勝者が円滑に治世を行うための仕込みも、きっと用意されているのだろう。


「……フン」


 そこまで考えたところで、蔵人は椅子の背にもたれ掛かる。


「(俺には、どうでもいい話だ)」


 そのまましばし、ぼんやりと天井を見上げる蔵人。

 やがて囁くように、微かな声で呟きを零す。


「……精神体が受けた傷は、肉体に反映されない。痛みも苦しみも味わうが、それだけ」


 つまり、と思考に一拍、間を挟む。


「生きているのか。あの女」


 そこで蔵人は口舌を断ち、目を閉じる。

 そして。深く静かに、肺の中身が空となるまで、息を吐いた。





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