10月5日 火を呑む花






 炎熱が生み出す急激な上昇気流で払い飛ばされた毒煙。

 無数のトリカブトが一株残らず消し炭となった焦土の中心にて、荒く呼吸を重ねる蛍。

 着火対象を上手く制限したのか、火柱の中心に立っていたにも拘らず、目立った火傷などを負った様子は無い。


「…………ざっけんなよ、てめぇ……」


 味わった苦痛ゆえか恐怖ゆえか、目尻から涙を伝わせ、蔵人を睨み付ける双眸。

 震えた手に握り締められたアックスピストルの柄が、かたかた音を立てて震えている。


「今の……完全に、アタシを殺す気だっただろ……!!」

「何を今更」


 人を屠るに足るチカラを持った者同士が、争うために対面し合う。

 それすなわち命懸けの相対だと、蔵人は解釈している。


 彼にとっては、瑣末な話だが。


「小石があちこち跳ねて擦り傷だらけだ……痕が残ったら、どーすんだよ……キレイじゃなきゃ、お嫁さんになれねーんだぞ……!!」

「……知ったことか。怪我が嫌なら、こんなところに来なければ良かっただけの話だ」


 静かに泣きじゃくり、肩を震わせ、嗚咽を噛み殺す蛍。


「俺に良心を求めるな。そんなもの、とうに捨ててしまった」

「……そーかよ」


 やがて涙を拭い、再び身構える。


「ああ。いいぜ、分かった。そっちがその気なら、もうアタシも容赦しねぇ」

「そうか」


 蛍の掌上で炎が圧縮され、火山弾の如く爆ぜ、またも全方位へと散って行く。

 完全に塞がれる退路。挙句、蛍側の火力は仕切り直す前の何倍にも跳ね上がった始末。


 客観的に見て絶体絶命の状況。

 けれども蔵人の表情は、寸分変わらずの鉄面皮。


「逃がさねぇし、詫びを入れても許さねぇ」

「逃げもしなければ、詫びもしない。それに」


 火で取り囲まれた四方を見遣った後、傷が乾くのか包帯越しに顔を掻きながら、蔵人は少しだけ憐れむように言った。


「どうせ、もう──お前は詰みだ」






 灰と消し炭と燃えカスが、おおよそ不自然な動きで燃え盛る炎に巻かれ、舞い上がる。


 土と、石と、花の焼ける臭いが、ひりつく熱を伴い、立ち込める。


「──ハッ、ハハッ、ハハハハハハッ!」


 火玉の爆ぜる音を掻き消さんばかりに鳴り渡る、甲高い笑い声。


 円形に広がった炎の中心で向かい合う、二人の魔法使い。

 その片割れが哄笑と共に自身の杖を振るい、炎を操作する。


「ここまで火の勢いが強くなりゃ、こっちのもんだ! チャチな小細工も終いだな!」


 周囲に残る花の残骸を、焼却炉に準ずる高温で焼き払いながら、包囲網を狭める。

 遠火で炙るかの如く緩やかに、そして確実に。万が一にも逃さぬように。


「──咲け」


 その一連を視線のみ巡らせる形で見渡す、もう片方の魔法使い。

 次いで手にしたワンドの先端で、足元を突いた。


「〈花檻はなおり〉」


 土石を押し除けるように芽吹き、瞬く間に咲き誇る、数千株にも及ぶ花々。

 その全てが絡み合い、ドーム状の壁を作り、敵対者を閉じ込める。


「ハンッ、またキョウチクトウとやらか。芸のねぇ野郎だぜ」


 が、幽閉された側に焦りの色は無い。

 言葉も表情も、簡単に抜け出せるとばかりの自信で満ちていた。


「下らねぇ下らねぇ下らねぇ! どこまで行っても花をバラ撒くしか能がねぇ! 何がだよ! こんなもん、高温で一気に燃やせば──」

「〈花絨毯はなじゅうたん〉」


 周囲の炎が焼却に動くよりも早く、新たな萌芽が始まる。


「なッ」


 まだ地中に種が残っていたのか、ドーム内を埋め尽くす勢いで咲き乱れる鮮やかな紫。

 それら全てが、悪意ありきで扱ったなら、人を殺すに余りある危険度を有した毒花。


「う、ぐっ」


 つい先程、己を縛り上げていたもの。

 未だ新鮮な記憶から感触が鮮明にフラッシュバックし、敢えて教えられた毒性への警戒心も手伝い、一瞬硬直する思考。


 しかし花々は、そのまま足元にて大人しく咲き誇るばかり。

 五体を括るどころか、尋常以上の成長を施される気配すら窺えない。


「前にも言った通りだが、物事の下る下らないは捉え方次第だ」


 そう。最早拘束など、まるで必要無かった。


「お前が間抜けにも固まってくれた数秒のお陰で、内部にトリカブトの花粉を満たせた」


 密閉空間を作り出すことこそ、花の檻を編んだ目論み。


「攻め手の選択も誤りだったな。無闇に火力を分散させるべきではなかった」


 半分でも手元に残されていたなら、この毒壺が完成する前に内側から食い破れた筈。


「新たに炎を作ったところで、火力が小さ過ぎて先程の二の舞。外の炎を操ろうにも、八方を覆う花に魔力を遮られて操作感度は半減。壁を破る頃には、お前の肺は毒に浸かる」


 再び足元を突く杖先。


夾竹桃きょうちくとうと違い、トリカブトの毒性は熱で薄まるが……まさか自分の臓腑を燃やすワケにも行かないだろう」


 ドームの外側を更なる花の波濤が覆い、壁を厚く補強して行く。

 少なくとも、素手で押しのけて脱することなど到底不可能だと断じられるほどに。


「──さあ、どうする。炎使い」






 夾竹桃の毒煙で四肢に力が入らず、強い吐き気と眩暈に襲われていた蛍。

 そこにトリカブトの花粉まで吸入してしまったことで、いよいよ意識が混濁し始める。


「く、そっ……」


 炎を呼び寄せるべく術式を励起させるも、集中力の低下に加えて花檻はなおりに魔力の流れを妨げられ、思うように動かせない。

 いかに扱いの易しい火魔法であろうと、このような状況下で満足なパフォーマンスを発揮することは至難の業だった。


「げほっ……うぇっ……」


 立っていられず片膝をつく。

 光を遮られて薄暗い視界も、だんだんと霞んで行く。


 その朧な思考に浮かぶのは、自分はこのまま敗けて死ぬのか、という恐怖。


「や、だ……嫌、だ……」


 死の息遣いを間近に感じることで脳裏に蘇る、今まで歩んで来た人生の走馬灯。


 愛情の無い家庭で育ち、両親からは一度たりとも抱き締められた経験すら無い幼少期。

 生家を逃げ出した後も、どうすれば人に心から愛して貰えるのか分からず、恵まれた容姿を利用する形でしか他人と関われなかった半生。


「あた、しは」


 人付き合いを誤り、誰かを傷付け、誰かに傷付けられる度、居場所を転々とする生活を送っていた蛍の前に現れたのが、マリアリィだった。


「あたし、は」


 この世界を手にすれば、楽土ラクドの支配者となれば、きっと自分は愛される。

 サークルとして与えられた街の住民達から敬意と親愛を向けられるマリアリィを見て、蛍はそう思った。


「敗けたく、ない……死にたく、ない」


 まだ自分は誰にも愛されていない。

 一人ぼっちのまま、何ひとつ渇望を叶えられぬまま、暗い檻の中で朽ち果てるなど、あまりにも報われなさ過ぎる。


 愛に飢え、誰より孤独を怖れる女は。懸命に歯を食い縛り、残る力を振り絞った。


「いちか、ばちか」


 相手どころか自分すらも危険に晒してしまうため、使うことを躊躇っていた最大火力。

 サークルから一度に引き出せる最高値の魔力で、蛍は杖の術式を励起させる。


「燃え尽き、ろっ」


 頭上目掛け、銃口を掲げる。

 覚悟と共に引き金を絞り、火花を散らし、炎へと変える。


 刹那──全く予期せぬ閃光と爆風が、何もかもを吹き飛ばした。






 正面を花壁はなかべで遮り、衝撃を免れた蔵人が、呆れた様子で肩をすくめる。


「(本当に馬鹿な女だ。花粉が充満していると教えてやっただろう)」


 粉塵爆発。

 一定濃度で可燃性の塵が大気中に浮遊している際、火花などから引火して起こる現象。

 その威力は、厚く囲った花檻はなおりを易々と吹き飛ばすほどに高い。


「(大人しく毒で倒れた方が幸せだったものを)」


 少しずつ晴れて行く塵煙と陽炎。

 僅かな花壁はなかべの隙間から、蔵人は様子を窺う。


 ──そんな隙だらけの背後で、小石を踏む音が微かに鳴り渡る。


 蔵人が振り返るよりも一瞬早く、こめかみに銃口を突き付けられた。


「爆心地に居ながら五体満足とは、しぶといな」

「……爆発を、起こしたのは……アタシの、火だ……なら……!!」


 自分だけを避けるよう操ることも可能という道理。

 とは言え最大火力の支配権を完全には掌握しきれず、全身に大小様々な傷を負い、痛々しく血を流している。


「終いだ……今日は……魔力切れで、命拾いとは……行かねぇぞ……」


 一昨日の幕切れを焼き回したような光景。

 あとは蛍が指先に少し力を篭めるだけで、この戦いは決着を迎えるだろう。


 蔵人のが、完了する前だったならば。


「何度も同じことを言わせるな」


 サークルから魔力を吸い上げた蔵人が、杖先で足元を突く。


「もう、お前は詰みだ」

「ッ……あ、ぐっ……!?」


 突如、蛍を激痛が襲う。

 ぎこちない仕草で己を見下ろし、愕然とする。


「〈花化粧はなげしょう〉」


 身体中の傷口から──いくつもの花の芽が、萌えていた。


「捕獲完了」


 所要時間、二分五十五秒。





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