10月5日 楽土継承戦・初戦






〔──定刻だ。痛みと恐怖に立ち向かう意志を示したキミ達の勇気に、感謝と称賛を〕


 あらかじめ告知されていた時間きっかり、光で織られた術式言語の円陣が、楽土ラクド全域に散らばった候補者達のうち棄権を選ばなかった六十二人の前へと現れる。


〔その輪に踏み入れば、キミ達の精神は一時的に肉体を離れて『リンボ』──継承の儀の舞台まで送られる〕


 それぞれの脳へ直接注ぎ込まれているかのように届く、マリアリィの声。


〔リンボの環境はペアによってランダムだけど、楽土ラクドのどこかを切り取って模写コピーした場所であるということは共通事項だ〕


 開戦前に行われる、最後の説明。


〔棄権者は二名。その子達とぶつかる予定だった二人に関しては、申し訳無いけど対戦が全て決着するまでリンボに居て貰う。この術式は手順が複雑で、そうする他に無くてね〕


 現時点における候補者達の様子は、実に様々であった。


 気炎を上げる者。弱気となる者。楽観的な者。深呼吸する者。固唾を飲む者。


 そして──胸の内に激情を秘めた者。


〔忘れ物は大丈夫かな? 必要な触媒は持ったかい? 特に杖は必需品だ〕


 円陣が明滅を強め、脈動するが如く瞬き始める。

 一人、また一人と足を踏み出し、眩い光に包まれて行く。


〔それでは諸君。いざ尋常に〕






「(……東部の……真ん中あたりか)」


 円陣の中で奇妙な浮遊感を味わった後、左目を開けた蔵人が最初に見た景色は、荒野。

 土肌と岩肌ばかりの殺風景が視界の限り続く、色気も素っ気も皆無な場所。


「(ハズレだな)」


 小石を軽く蹴り飛ばし、ぼやく蔵人。

 西の森か、南の野原にでも出ていれば、操る花には事欠かなかっただろうに、と。


「(まあいい)」


 可燃物が乏しい荒野なら、蛍にとってもさほど有利な地形ではない。

 高低差も遮蔽物も無く、絶えず足を取られる上、花を根付かせる土台すら危うい北部砂漠よりはマシだと思い直し、蔵人は杖先で足元を突く。


「(サークルとの繋がりは……前情報通り、大丈夫か)」


 近場に蛍の姿は無く、人の気配も感じられない。

 そして彼女の気性を鑑みれば、一ヶ所で腰を据えて待ち受けることも考えにくい。


「(いきなり対面で始まらないのは、良い誤算だ。姿をくらます手間が省けた)」


 短気な蛍は十中八九あちらこちらを動き回り、標的を捉えればロクに考えもせず突っ込んで来るだろう。


 そう結論付けた蔵人は、懐から二つ、花の種が詰まった小袋を取り出した。


「(有難く、準備に専念させて貰う)」






 およそ十五分。

 二キロ四方ほどのリンボ内を駆け回った蛍が、蔵人を探し当てるまでに要した時間。


「やっと見付けたぞ、てめぇ!」


 蔵人は手頃な岩に腰掛け、空を見上げていた。

 よく目を凝らせば、楽土ラクドは昼でも星が見える。


「逃げも隠れもしねーで座り込みやがって、ナメてんのか!? いっぺん痛い目見たくらいじゃ、バカは治らねーらしいな!」


 がなり立てる蛍に対し、ゆるりと岩から降りる蔵人。

 あまりにも予想通りの反応過ぎて肩をすくめつつ、所定の位置につく。


 その最中、ちらと視線を動かした。


「…………」


 相変わらず露出過多な格好。必然的に曝け出されている下腹部の刻印。

 一昨日よりも更に大きい。蔵人との蓄積量の差は、既に十倍を超えるだろう。

 サークルに関しても、魔力総量そのものは候補者全員で概ね均一に割り振られているとは言え、互いの魔力変換効率を勘定に入れれば実質的に大差と称していい。


 術式の相性は最悪。最大出力も隔絶。

 長引けば長引くだけ、蔵人の勝率は右肩下がりに落ちて行く構図。


「馬鹿は、お前だ」

「あぁん!?」


 故にこそ蔵人は蛍を挑発する。

 思考を茹だらせ、判断力を奪い、視野を狭めさせるために。


「俺が何もせず、ただ待っていただけだと思うのか」


 頰に当たる微風の風向き、撒いた種の配置と密度。

 自身の持つ情報と周囲の環境を足し合わせて練った段取りを、改めて脳内でなぞる。


「確かに逃げも隠れもしなかったが、策と下準備は済ませておいた」


 活路の組み立てを終えた蔵人は、胸中にて刻限を線引く。


「(五つにひとつ、くらいの塩梅か)」


 ──三分以内にカタをつける、と。






「発破ァッ!!」


 四度続けて引き金を絞ったアックスピストルから放たれる、四発の火球。

 そのいずれも、先日蔵人が見たものより倍ほど大きい。


「〈花壁はなかべ〉」


 しかしながら突発的な遭遇だった前回と違い、今回は蔵人も相応の支度を整えている。

 杖先で足元を突き、予め撒き散らした種に矛先を定め、魔法を行使する。


 すぐさま違和感に気付いた蛍が、僅かに目を見開かせた。


「前より伸びるのが速えぇ……!?」

「(鈴蘭は育ちが悪い。逆にコイツは、良く育つ)」


 細い枝同士が絡み合い、厚く高く伸びる生垣。

 濃く鮮やかなピンク色の花が一面に咲き誇り、先日よりも数段堅固な壁を編む。


「……チッ、だから何だってんだ! 燃やしちまえば同じだろうが!」


 蛍が吠えたと同時、火球が着弾、そして着火。

 圧し固められた炎が、生木を容易く燃え上がらせる。


「そら、こうなっちまえばタダの燃料だ! てめぇごと炙ってやるよ!」


 壁を突き抜け、噴き出る赤火。

 避けた先まで追ってくる火の粉をワンドで振り払いつつ、蔵人はをつぶさに見極める。


「(……やはり、そうか)」


 一昨日の小競り合いと今の光景とを照らし合わせ、己の立てた推論が正しかったことを確信する蔵人。

 次いで逃げ足を止め、懐に仕込んでおいた水袋を引き裂き、頭から被る。


「(これで勝率は、四つにひとつ)」


 蛍の魔法──『火を操る術式』が持つ具体的なの効果の性質を突き止めた蔵人は、一気に攻勢へと出た。


「ちょこまかと!」

「〈花盾はなたて〉」


 火球やバーナーなど火を特定の形状に固め、密度と火力を集中させる『圧縮成形』。

 燃焼反応そのものを操り、火花ひとつを何百倍にも膨張させたり、逆に部分的な火力を弱めることで火にベクトルを与え、自在に動かしている『遠隔操作』。


「〈花柱はなばしら〉」

「あぁッ、チマチマ鬱陶しい! 無駄だってのが分かんねーのか!!」


 ここからが重要となるが、蔵人が火の動きを見た限り、蛍は圧縮成形と遠隔操作を同時に行えていない。


 火球を繰り出す際は炎を動かせず、炎を操っている時は新たな火球を生み出せない。

 必ず火球の着弾と合わせて成形を解いた後、燃え移った炎を動かしていた。


 加えて圧縮成形は必ず蛍の杖、アックスピストルが起点。

 高火力の飛び道具は、蛍の手元でしか作れない。


 ついでに言うならの候補者ゆえか、或いは雑に強い術式を得てしまった弊害か、才覚こそピカイチであっても未だ魔法に不慣れな蛍は、杖の火打石フリントが散らす火花を一度に大量の炎へと増幅させられない。


 とどのつまり、正面の蛍本人が直接繰り出す圧縮成形された炎だけを適切に対処し続ければ、他の炎は身体に浴びせた水で和らぎ、まず致命傷には至らない。


 ──ただし、それは火勢が弱い序盤戦に限っての弱点。

 このまま蛍が炎を撒き続けるだけで、蔵人の勝ちの目は完全に失せる。


 そうなってしまうまでのタイムリミットが、蔵人自身の見立てで、およそ三分。

 既に一分以上が経った。ぐずぐず二の足を踏んでいられる猶予は無い。


「咲け──咲け──」


 急激に気温の上昇する荒野を駆け巡り、火炎を躱し、防ぎ、花を編む。

 一歩間違えれば鉄塊すら溶かし崩す火球に焼かれるリスクと背中合わせな応酬を幾度も繰り返した末──お膳立ては整った。


「──〈花絨毯はなじゅうたん〉」


 全方位九ヶ所にて火柱が立ち上った頃合、蛍の足元で一斉に開花する紫色の花。

 今の蔵人が最も器用に操れるそれらを、出来うる限りの速度と正確さで伸ばし、操る。


「〈花縛はなしばり〉」

「ぐっ──!?」


 攻撃が当たらない苛立ちで頭に血が上り、真下が無警戒となっていた蛍。

 先日同様、またも五体を花に縛られ、渋面を作る。


「今回はバーナーの圧縮を解いて爆風を起こす手は使えないぞ」

「……舐めん、なッ! こんなもん、力尽くでッ……」

「やめておけ。その花はトリカブトだ」


 次の一手までの僅かなに、蔵人が淡々と静止する。


「花は勿論、根、茎、葉、蜜や花粉に至るまでの全草に猛毒が含まれている。暴れでもして皮膚に食い込めば、場合によっては死ぬ」

「ッ!?」


 顔を引きつらせた蛍の動きが止まる。

 その幾許かの停滞こそ、蔵人が欲していたものだった。


「……お前に焼かれた花の煙が充満し始めたな」

「煙……? ッ、ゲホッ、ゲホッゲホッ!!」


 僅かな風で少しずつ漂っていた黒煙が、とうとう蛍の位置まで達する。

 それを吸い込んだことで、蛍は異常に咳き込み始めた。


夾竹桃きょうちくとう。被曝焦土にすら芽吹くほど生命力の強い花で、コイツも当然猛毒だ。しかも面白いことに、その毒性は土壌やにも含まれる」

「ゲホッ、ッ……ッッ……」


 煙に巻かれた内側で響き渡る、苦悶を湛えた咳の音。

 濡れた髪を邪魔っけにかき上げ、ひと息ついた蔵人が懐中時計の文字盤を見下ろせば、戦闘開始から二分弱。

 綱渡りをしただけの成果は、得られたと言っていいだろう。


「なんでもかんでも燃やそうとするから、そうなる。やはり馬鹿はお前だったな」


 無理に拘束から抜け出せばトリカブトの毒で。その場に留まれば夾竹桃の毒で。

 絡め取った者を死地へと追い遣る二重の罠。

 常人にこれを払い除ける手立ては、無い。


「お前が下らないと一蹴した魔法と、お前自身の炎で息絶えるんだ。さぞ話のタネになるだろうさ」


 …………。

 だが。蛍は常人ではなく、使


「──舐ァめ、る、なァァァァァァァァッッ!!」


 精根を振り絞ったが如し絶叫。

 周囲で燃え盛っていた全ての炎が、蛍を蝕む煙の中へと収斂する。


 そしてその光景を、眉ひとつ動かさず眺める蔵人。

 やがて深く静かに息を吐き、当たり前のように胸中で呟いた。


「(やはり、これでは決め手にならないか)」


 ──僅かに、口の端を吊り上げながら。





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