10月3日 来襲






「カップ麺てさ、色々試しても最終的にはスタンダードなやつに落ち着くよね」


 候補者を募るため地球を訪れた際に併せて買い求めていたのか、およそ楽土ラクドの景観に似つかわしくないパッケージが印刷された容器片手、チープな匂いを漂わせるマリアリィ。

 年の功だろうか。どう見ても欧州系の顔立ちながら、やけに箸の扱いが上手い。


 流石に蔵人も面食らったのか微妙な表情を見せるも、やや間を置いた後、テーブルを挟む形でマリアリィの対面に腰掛けた。


「キミもどう? 楽土ラクドの環境は農薬関連が一切不要だから必然的に作物全般オーガニックで栄養も豊富なんだけど、たまにはジャンクフードも食べたくなるのが人情」

「一体いつの人間だ」


 言動から滲み出る現代的な俗っぽさに、思わずそんな台詞が蔵人の口を突く。


「んー。生まれは一三四〇年くらい、だったかな。細かい年月日は忘れちゃった」

「……?」


 指折り数えながらの返答を受け、蔵人は頭に疑問符を浮かばせた。

 いつだったか、マリアリィと交わした会話を思い出す。


「前に聞いた歳と計算が合わん。百七十そこらの筈だろう」

楽土ラクドと地球は空間が切り離された異世界なんだ。当然、時間のスピードも違うのさ。キミも歩いたあの通路で両世界を繋げている間だけは足並みが揃うけどね」


 ちゅるちゅる麺をすすり、塩分過多なスープを飲み干した後、頬杖をつくマリアリィ。


「私が楽土ラクドの雛形を作ったのは、魔法使いの修行を始めて四十年近くが過ぎた頃。そこから術式の加筆修正、内部環境のバランス調整、住民の受け入れなんかをひと通り済ませて、完全に一個の世界として独立させたのは……うん、確かパドヴァがヴェネツィアに降った年だ」


 歴史上では一四〇五年に起こったとされる出来事。

 実際は多少前後があるのかも知れないが、どちらにせよ優に六百年以上もの大昔。


 一方で楽土ラクドの暦は、今年で未だ百年目。

 マリアリィ曰くの時間の速度差が、六倍は開いている計算。


「つまり俺が日本を離れて、既に一ヶ月以上経ってるのか」

「最初に言ったろう? 最低でも数ヶ月は消息を絶つことになるって」


 軽い浦島太郎気分。

 が。蔵人にとっては、至極どうでもいい話だった。


「一応少し調べておいたけど、今のところキミの捜索願とかは出されてなかったよ」


 語末に付け加えられた、やはりどうでもいい情報。

 蔵人は天井を見上げ、鼻で笑うように言った。


「だろうな」






 カップ麺を食べ終えて腹が膨れると、今度は蔵人を構い始めたマリアリィ。

 会話量の割合は九対一にも満たないものの、気にもせず立て板に水で喋り倒している。


「そうだ、今日これからの予定は? 決まっていないなら、また魔法を指導しようか?」

「当日までは刻印の回復にあてる」


 サークルから魔力を引き出す場合、その都度刻印を呼び水に使わなければならない。

 更には自然回復以外の方法で刻印に魔力を蓄積させると毒素の濾過が間に合わず身体を壊すため、引き出した魔力は一度の魔法行使で使い切る必要がある。


 すなわち、魔法の最大出力はサークルに、発動回数は刻印に依存する。

 これらの具体的な数字及び魔力の回復速度こそ、昨日一昨日で蔵人が確かめておきたかった重要事項のひとつだった。


 そして検証の結果、蔵人の刻印に貯まる魔力量は一日あたり最大容量の五割程度。

 使い切った状態からフル充電まで持って行くには、現状二日要る。


 先日知り得た初戦相手の術式を示す一文字から推定される魔法使いとしての戦力差もそうだが、今の蔵人は右目が塞がっている上、少し前までギプス付きだった右腕もまだ酷使に耐えられるほど機能していない。

 不利な材料だらけ。であれば魔力くらいは万全を期すべきだという、至極順当な結論。


「レティシア、包帯を替え──」


 傍に控えていたレティシアを呼び付ける間際、おもむろに蔵人は口舌を断った。


「どうかした?」


 マリアリィの呼び掛けにも反応を示さず、半端な体勢のまま静止する蔵人。

 やがて、今日明日は刻印の回復に専念すると言っていたにも拘らず、杖を手に取った。


「──寄越せ」


 サークルから魔力を吸い上げ、術式を励起。

 杖先で足元を突き、発動させた魔法の標的は──サークル内に存在する


「咲け」


 そこまでの数と範囲に完全な干渉が出来るほどの技量も力量も、今の蔵人には無い。


 だが、僅かずつ魔法を送り込むくらいの芸当なら可能。


 そして、それで十分だった。


サークルの中に誰か来た」


 ごく刹那の鳴動による花々の共振が、波紋のように広がって行く。


「そりゃまあ、ここは楽土ラクド中から人が集まる街だし」


 しかし一点でのみ滞、ぽっかりと空白を穿つ。


 別の魔力が、蔵人の発した淡い魔力を阻んでいる。

 彼の掌握下に無い魔力の塊が、サークル内に存在している。


 すなわち。


「魔法使いが居る」

「……うーん、気付いちゃったかー」






 蔵人のサークルへと踏み入った魔法使いの所在は、さほど労せず明らかとなった。


「このサークル魔法使いクソッタレに告げる!」


 何せ目抜き通りの広場に立ち、堂々と喚いていたのだから。


「アタシはつかさほたる! 今日この場でてめぇを黒焦げにして、サークルをブン奪りに来た!」

「相変わらず、せっかちな子だよ……」


 口汚くも良く通る、高い声。

 少し離れた木陰からマリアリィと共に様子を窺う蔵人が、眉間にシワを寄せた。


「(短気もそうだが、随分と下品な女だ)」


 長い手脚の痩躯に、ほとんど胸元を隠しているのみの短いチューブトップと、ほぼ腿の付け根まで裾を切り詰めたショートデニムを履いただけの服装。

 ショートブーツの踵で何度も足元を叩き付け、声高に喚き散らす彼女を遠巻きに見る住民達は、揃って困惑の眼差し。


「あの杖。あれが俺の対戦相手か」

「うん」


 華奢な肩に担がれた、火魔法を擁するアックスピストル。

 六十四番目の楽土ラクド継承候補者。ギルボアの北半分をサークルとする魔法使い。


「オイそこのてめぇ! ここの魔法使いはどこに居やがる!」

「へ!? え、いやあの、僕はヴシュケの者でして……ちょっと分からないです……」

「あぁん!? つっかえねぇ!」


 粗暴な振る舞い、伝法な言葉遣い。

 何を考えてマリアリィが声をかけたのか問い詰めたくなる、悪辣な態度。


「念のため言っておくけど、これでも人は選んでるつもりだよ? 犯罪歴があったり思想が極端だったり、そういう子は対象外にしてた」

「どうだかな」


 蔵人からすれば、などをスカウトした時点で信憑性に欠ける話。


 それにしても、と蔵人は続けて思う。


「あの女、まさかサークル外では魔力が引き出せないと知らないのか」

「少なくとも私からは伝えてないね。聞かれなかったから」


 マリアリィの教導を半日で放棄したことといい、お世辞にも思慮深いとは言えぬ模様。


 が、ああした手合いは衝動的、反射的な行動が多いため、それはそれで厄介。

 強力な術式を保有することも確かであり、迂闊に動くのは博打が過ぎる。


「あ」


 もうしばらく泳がせておくかと蔵人が判断を下す間際、短く声を上げるマリアリィ。


「んだよ、見せもんじゃねーぞ。散れ散れガキども」


 蛍と名乗った魔法使いの目の前に、いつの間にか三人の子供の姿。

 先日、楽土ラクドの統治者であるマリアリィにスカートめくりを敢行した悪童達であった。


「おねーちゃん、そんな格好で恥ずかしくないのー?」


 ぬいぐるみを抱えた女の子が、八割近く肌を晒した蛍の肢体を指差し、問う。

 その直球過ぎる物言いを向けられた当人は、苛立たしげに眦を吊り上げた。


「あの子達、知らない人にちょっかいかけたら駄目だってあれほど教えたのに……!」


 マリアリィの築き上げた長い平和が裏目に出た模様。

 蝶よ花よと愛でられた飼い猫が野性を失うのと、同じ理屈。


「チッ、これだからガキは……毎日二時間手入れしてるアタシの美肌に恥じるところなんざあるかよ!」

「でも宗主様より胸ちいさーい」

「ぺたんこー」


 二球目のストレート、しかも分身魔球を受け、蛍の表情が引きつった。


「……ハンッ! 無駄にデカけりゃいいってもんじゃねぇ! 要は均整、バランスだ!」


 注釈を入れておくなら、マリアリィも決して大きい方ではない。


「あーうざってぇ、邪魔だから消えてろ! アタシは忙しい──」

「そーしゅさまより腰太いね」

「よし分かった! 大人をナメたらどういう目に遭うか教育してやる!」


 スリーストライク。バッターという名の堪忍袋の緒がアウト。

 額に青筋を立て、子供相手に大人気なくも拳を振り上げ、頭めがけて打ち下ろす蛍。


 が。その拳骨は寸前で運動エネルギーを失い、こつん、と軽く触れるのみに収まった。


「ッはぁ!? なんだこりゃ、どーなってんだ!?」


 そんな当惑混じりに蛍は二度三度と殴打を繰り返すも、結果は全て同じ。

 苦虫を噛み潰したような表情で、蔵人がマリアリィを見遣る。


「……杖の制約の内容すら聞かれなかったのか」

「そっちは説明責任で流石に教えてあるよ。ちゃんと聞いてたかは正直微妙だけど」


 蛍の反応から察するに、ちゃんと聞いていなかった線が濃厚。


「(……やむを得ないか)」


 混乱を露わに一層苛立ち、ともすれば今にも杖を構えかねない様相の蛍。

 蔵人としては遠目での品定めを続けたかったところだが、他の候補者にサークルでの好き勝手を許せば今後の活動にも支障が出かねない。


 何より、これはを上げる絶好の機会。

 多少の危険や消耗と引き換えにしてでも、ひと当てする価値は十二分にある。


「出来れば街中での荒事、て言うか本番前の小競り合いは控えて欲しいんだけど」


 蔵人の意図を察したマリアリィが、彼の腕に手を添えて上目遣いを送る。


「向こう次第だ」

「……周りの子達は遠ざけておくよ」


 淡々と返った言葉をネガティブに受け取ったのか、マリアリィは肩を落とすのだった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る