9月34日 楽土






「魔法使いの素養にあたる身体的特徴とは、なんだ」


 手慰みに白い本をめくりながら、蔵人が問う。


「よく聞かれるんだよね、それ」


 テーブルの上で角砂糖を積み上げていたマリアリィが、困り顔で眉根を寄せる。


「口で説明するのが物凄く難しいんだ。見る人が見ればパッと分かるんだけど。こう、こんな感じの……うあー、もどかしい」


 どうにかニュアンスを伝えようとしてか、わたわた両腕を動かすマリアリィ。


 そのうち肘が角砂糖にぶつかり、崩れてしまった。


「ああっ!? 楽土ラクドじゃ割と貴重品なのに!」


 悲鳴じみた叫び。

 床に散らばる間際、魔法で残らず浮遊させて事なきを得る。


 これがこの世界の神に等しい存在の姿か、と蔵人は鼻で笑った。






「ところで魔法の練習、今日はしないの?」

「必要無い」


 先日の実演で概ねの要領は掴んだと、蔵人は確信している。


 加えて、他候補者達との陣取りがどのような形式にて行われるのかさえ不明瞭な現状。

 すべき努力の方向性も分からぬまま、闇雲に疲労と消耗を重ねることが賢明な選択だとは思っていなかった。


「ふーむ、そっか。まあ、そういう考え方もあるね」


 第一、いくらか扱いを上達させたところで、蔵人に出来るのは花を操る手品だけ。躍起になろうと高が知れている。

 ならばいっそ、未だ身体のどこにも模様として表れていない刻印を少しでも早く馴染ませるための期間を置いた方が建設的と判断し、今日は杖にすら触っていない。


「ともあれ、私がキミに付きっきりでいてあげられるのは今夜までだから、何か質問や要望があったら言ってくれ。答えられることには答えるし、叶えられることは叶えよう」


 明日の夜明け前には翼五枚分の魔力が刻印に貯まるため、マリアリィは地球へ発つ。

 そして六十四番目の候補者を連れ帰り、いよいよを宣言するのだ。


「継承の儀、か」


 ほぼ最後尾の蔵人にとっては瞬く間の話だったが、既に一年近くを楽土ラクドで過ごしている前半組にとっては、待ち侘びた瞬間。


「詳細は」

「明日、私が帰ったら一斉開示の予定だ。今回は遅くならないよう頑張るよ」


 場合によっては抱える情報量も魔法の練度も大きく劣る相手と、いきなり衝突する羽目になりかねない。

 サークルを奪い合うための方法次第では、初手で詰むことも十分考えられる。


「何種類か花の種が欲しい」

「もちろん用立てるとも。希望の品をリストに纏めて、後で寄越してくれ」


 とは言え、最後の候補者にも自分同様、マリアリィが付き添ってのチュートリアル期間を設けている筈。

 主催者の彼女が一定の公平性を保とうと腐心していることも鑑み、詳細開示からのロケットスタートという流れにはならないだろう、とも蔵人は考えていた。


 ──ひとまず思考を打ち切り、席を立つ。


「少し出る」

「散歩かい? それはいいね、私も付き合うよ」


 初日含め二度目の外出。

 ガイド付きの方が楽だと思い、好きにしろと返す蔵人。

 

 窓を拭いていた魔造メイドが身支度を整える二人に気付き、寄って来る。


「クロード様。お出掛けですか?」

「ああ」

「同伴いたしますか?」


 仮面付きのメイドを連れ歩く己の姿でも想像したのか、蔵人は眉間にシワを寄せた。


「要らん」

「かしこまりました。では、こちらを」


 一礼と共に手渡されたのは、口を紐で結んだ小さな布袋。

 怪訝な表情を作りつつも蔵人が受け取ると、中で金属の擦れる音が鳴り響く。


「これは」

「本日のです。昨日、一昨日、三日前の分を受け取っておられなかったので、四日分入っております」

「…………そうか」






「候補者の生活費は私の方で工面する取り決めなんだ。あんまり大金を渡すと貨幣価値が乱れるから少なくて申し訳ないけど、もし足りなかったら自分で稼いでね」

「そうか」


 マリアリィの説明で金銭の出所には納得したものの、魔造メイドに小遣い方式で渡されることには釈然としないのか、やや険しい顔つきの蔵人。


「継承戦に敗退した後も楽土ラクドに残ることを選ぶなら、悪いけど支給は打ち切らせて貰うから、その時は働き口を幾つか紹介するよ」

「そうか」


 布袋の中には、合金製と思しき硬貨が数枚。

 これもまた蔵人の住まい同様、楽土ラクドの文明レベルを乖離した技術で作られていた。


「造幣は私が担ってて、極端な貧富の差が出ないよう厳密に流通量を調整してるんだ」


 精巧さは偽造防止目的。

 総人口十万足らずの世界規模に魔法使いのスキルを合わせ、成立させている経済管理。

 まさしく、神の見えざる手。


「まあ今は魔法で自動化してるけどね。百年前と比べたら、私の仕事も少なくなったよ」

「……そうか」


 つまり楽土ラクドを運営する上で最も七面倒な部分は、概ねマリアリィが解消済み。

 優秀な初代の地盤を丸ごと引き継いだ二代目が大抵ボンクラ扱いされる理由の一端を目の当たりとした蔵人であった。






「あまり年寄りを見ないな」


 道行く人々を視線だけで見渡し、ふと呟く蔵人。

 彼の言う通り、すれ違う者達の中に、ほとんど高齢者は居なかった。


「寿命の中央値が四十代半ばだからね。楽土ラクド全部を足し合わせても、五十歳以上は千人くらいしか居ないかな」


 少々複雑そうな面持ちで、マリアリィが言葉を返す。


「これでも文化改革や疫病排除で、楽土ラクドを創った当初よりは随分延びたんだ。私がまだ地球に住んでた頃なんて……」


 ふるふると肩を震わせるマリアリィ。

 一方の蔵人は、腑に落ちたとばかりに彼女を見遣る。


「やはり地球人だったのか」

「そりゃまあ、そうさ。宇宙人か異世界人の方が良かった?」


 街の建築様式も出される食事も地球の文化に沿ったものばかりだったため、恐らくそうだろうとは踏んでいた蔵人。

 少なくとも、生物的な起源すら異なる得体の知れぬ存在ではなかった模様。


「出身は」

「ブルターニュ公国」

「……知らん」

「あー、今はもうフランス領だっけ。栄枯盛衰だねぇ」


 ジェネレーションギャップは、大きいようだが。






「このあたりは朝市に並ぶ食材を使った屋台通りになってるんだ」

「腹は減ってない」

「私は空いてる。寄って行こう」


 なし崩し、進路を変えられる蔵人。

 別段目的地があったワケでもないため、されるがまま、通りを往く。


「おや宗主様! 良かったら食べてって下さいよ!」

「やあノイマン。奥さんの調子はどうだい?」

「お陰様で! そちらは新しい候補者様ですかい? 一本どうです、どれも今朝ルーダンで上がったばかりですぜ!」


 木串を通され、焼かれる青魚。

 炭火に混じった潮の匂い。海水魚だろう。


「(ルーダン……五十八番、五十九番、六十番のサークルか)」


 楽土ラクドの人口ほぼ全てが集結している南部には三つの街があり、いずれも五十八番以降の候補者のサークルとなっている。


「南端の、海に面した街だな」

「もう地理を覚えたの? そうだよ、今や楽土ラクド唯一の漁港があるから海産資源は大抵ルーダンで獲れるんだ」


 なお南部東側、楽土ラクド東部との境界線付近には鉱山を擁する街イベリスが位置し、あとは農耕や畜産などを生業とする村々が南部全体に散らばる形となっている。

 そして、それらの街や村の特産品が集まり、加工や商取引を行うのが、このギルボアという構造図。


「ギルボアには商工ギルドがあるからね。それに、もしイザコザが起きても、その時は市内警備隊が鎮圧してくれる」

「生まれてこの方、警備隊が忙しく働いてるイメージはありませんけどねぇ」

「平和だってことだよ。結構結構」


 違いねぇ、と笑う屋台の店主。

 いつの間にかマリアリィの手には、三本の串焼きが握られていた。






「わー、宗主様だー!」

「そーしゅさまー!」


 遊んでいた子供達がマリアリィの姿を見付け、一斉に駆け寄って来る。


 散歩に出てから、似たような光景がこれで三度目。

 同行を許したのは軽率だったかも知れないと、蔵人は少し後悔していた。


「やあアイベル、ジリー、ルイーズ。今日も元気そうで何よりだ」

「スカートめくれー!」

「むらさきー!」

「ひもー!」

「はっはっは、やめないかやめないか」


 幼い子供にも慕われているかと思いきや、よく見ればむしろ舐められている様子。

 それはそうと、とんだクソガキどもだな、と内心ごちる蔵人。


「んー? この人だれー?」

「愛人ー?」

「とっかえひっかえー?」


 一刻も早く悪童共の口を塞がなければ、あらぬ風評被害の犠牲者になりかねなかった。


「キミ達の教育に関しては後でディーノとミラエラに言っておくとして、彼は新しい候補者だよ。私と同じ魔法使いさ」

「魔法使い! 宗主様やルー様と同じだー!」

「まほー見たい!」

「やってやってー!」


 今度は自分が取り囲まれることとなった蔵人。

 心底面倒くさそうに顔を歪めながらも、ポケットから飴玉を引っ張り出した。


「やる」

「「「わーい!」」」


 グラムあたりの価格が日本の数十倍ほどには貴重品らしい砂糖を用いた菓子。

 仲良く分け合い、嵐の如く去って行く子供達。


「今は杖が無いって言えば良かったのに」

「ガキに理屈を説いても無駄だ」


 ひとつだけ残っていた飴を口に放り込む蔵人。


「にしても子供の扱いが上手いんだね、羨ましい。好きなの?」

「……まさか」


 がりっと音を立て、噛み砕く。


「大嫌いだ」





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