9月33日 花魔法






 細い花瓶に活けられた、色だけ異なる同じ種類の五本の花。

 いずれも根を切られてしばらく経つのか、しおれかけたものばかり。


「魔法をアウトプットする上で重要なのは、適切な加減を見極めることだ。術式に通す魔力が多過ぎても少な過ぎてもいけない」


 杖先で床板を突く。

 自身の刻印に宿る魔力を呼び水に、より大きな魔力をサークルから引き込む。


「吸い上げた魔力は、必ずその都度で使い切るようにね。自然回復以外の方法で魔力を無理やり滞留させると、刻印の濾過が間に合わなくて身体に障る」


 ワンドに魔力を流し、術式を励起。

 意識を花瓶へと集中させ、魔法の矛先を向ける。


「──咲け」






 杖に封入された術式を用いての魔法発動。

 マリアリィの監督下で何度か繰り返した後、蔵人は億劫げに椅子へと座り込んだ。


「(やはり厄介だ)」


 目の端で花瓶を捉えれば、先程の実演結果。

 五本のうち三本は摘みたての如く生気を取り戻したが、残る二本は完全に枯れ落ち、ボロボロに乾ききっていた。


「(えらく扱いが難しい)」


 ただでさえ生物には魔力が浸透し辛い上、花という繊細な構造を有する存在が対象であることも手伝い、術式の適切な出力が一本一本で異なる。

 僅かな個体差しか持たない同種の切り花でさえ、この有様。仮に複数種を一斉に咲かせるとなったら、更に難易度は跳ね上がるだろう。


 実際、初日に花壇で魔法を使った時など、出力調整を大きく誤ったために、咲かせた花々を魔力の毒素と急速な成長の過負荷で残らず枯らせてしまっていた。


「(それにも悪い)」


 十の魔力を術式に注いでも、実際に魔法として昇華されているのは半分以下。

 蔵人の不慣れによる無駄なロスを差し引いても、やたら減衰量が多い。


 更に。


「(操る花が無ければ、何も出来ん)」


 生物以外のあらゆる存在が生み出す魔力という無垢なエネルギーの性質を術式によって捻じ曲げて出力し、世界に不自然を押し付ける術理である魔法は、一見すれば限りなく万能に近いが、どこまで行っても万能そのものには届かない。

 一を十にも百にも水増しさせることや、逆に百をゼロへと消し去ることは適っても、ゼロから一を生み出すこと、そもそも存在しないものを作り出すことは絶対に不可能。


 したがって花魔法──『花を操る術式』に成せるのは、あくまで

 既存の草花、或いは種を基点に据えなければ、蔵人の杖は飾り程度の役にも立たない。


「ほぼ嫌がらせだな」

「失敬な」


 せめて対象が同じ生物でも鳥や獣などの動物だったなら、干渉先を神経のみに限定してラジコンのように操るという比較的楽な手段も取れただろう。

 反面、花を操って動かすにはというプロセスを挟まなければならず、成長させるには花の全てに満遍なく干渉しなければならない。

 その不可欠かつ複雑極まる工程が、何よりのネックだった。


「こいつ以外の術式を使う方法は」

「最初に伝えた制約のとおりだよ」


 通常、魔法を行使する際は効果範囲内の環境情報を細かく数値化した上で術式の空白部分に入力する必要があり、そうするためには当然だが術式の内容を余さず理解していなければならない。


 しかしマリアリィが用意した杖には一種の演算装置が搭載されており、所有者を動力源として組み込むことで、汎用性の低下と引き換えに出力調整以外の制御を肩代わりする機能が備わっている。


 故にこその制約。杖の所有は一人一本、すなわち保有する術式も一人一種。

 そして杖と刻印が密接に繋がっているため他所へと魔力を回せず、杖を手放さない限りは別の術式を扱うことも出来ないという理屈。


「杖を手放す、とは何を意味する」

「完全な破壊かな。でも、それを壊してもキミに渡せる新しい杖は残ってないよ?」

「新造に必要な期間は」

「クオリティ度外視の突貫工事で一ヶ月くらい。その間に継承の儀が終わっちゃうね」


 複雑極まる計算を無数に重ねなければならない上、僅かな誤字脱字すら致命的となる術式言語を書き込むには長い時間が不可欠。

 そもそも魔法とは術式の完成度が大半を占める技術。仮に急拵えで新しい杖を造らせたところで、あらかじめストックされていた六十四本との性能差は雲泥。


「書き込み作業の手間を省くなら、杖を壊した後にキミ自身が脳内で術式を構築するって手も、一応あるにはあると言えなくもないけど」

「術式の構築方法など知らん」

「よし、私が趣味で書いた教本をあげよう。執筆や写本が好きでね」


 指を鳴らしたマリアリィの手中へと、背表紙に『とってもやさしい術式言語教本・基礎中の基礎の更に基礎編』と記された真っ白な装丁の本が現れる。

 そんな光景に、ふと蔵人は別の疑問を抱いた。


「……ここは俺のサークルだ。何故お前は自由に魔法を使える」

「え? あー、単純に年季の差かな。見せた方が早いかも」


 上着を脱ぎ去り、後ろを向くマリアリィ。

 厚ぼったいコートとは裏腹、背中が殆ど剥き出しの衣服。


 その肌身には、八枚の翼に似た模様の刻印が浮かび上がっていた。


「刻印は歳月を経るほど大きくなって蓄積される魔力の総量が増えるし、濾過機能も発達するから回復も早くなる。私の場合は一日で、この翼一枚分だね」


 含む魔力の多寡によるものなのか、三枚だけ色が濃い。

 そして一枚の内に、少なくとも今の蔵人の数十倍の貯蓄量が感じられた。


「五枚分あれば楽土ラクドと地球を往復可能なだけのリソースになる。だから候補者を連れて来れるのは五日に一度なんだ」

「前半組の候補者と俺とで、刻印の出来にはどのくらい開きがある」

「拡張するペースは個人差が大きいけど……形成されて一年足らずじゃ、特別な方法を使わない限りは誤差程度だよ」


 上着を着直したマリアリィが、蔵人の対面に腰掛ける。


「もっと言うと、サークルに蓄積されてる総魔力も候補者各位で概ね均等になるよう振り分けてある。昨日地図で配置を見せた時、結構面積バラついてたでしょ? 魔力は遍在するエネルギーだけど、決して無限でも均一でもない。場所によって密度とか全然違うんだよね」


 どうやら魔力そのものに関するハンディキャップは無いに等しい模様。

 となれば、派生して気になることが、もう一点。


「お前、歳いくつだ」

「……百六十か、百七十くらい? 実年齢の割に若く見えるって言われるよ」


 十代の少女としか思えぬ顔で、くすくすとマリアリィは笑うのだった。






 白い本を受け取り、表紙を開く蔵人。

 日本語ではないものの、楽土ラクド行きの通路を歩いた際に言語と合わせて文字も刷り込まれているため、障りなく読める。


 読める──が。


「どう? 理解できそう?」


 ぱらぱらとページをめくる音。

 一分ほどかけて裏表紙まで辿り着いた後、蔵人は本を閉じる。


「全く分からん」

「だよね」


 ただ読めるだけで、内容など寸分も判読できなかった。

 それもその筈。例えるならば、読み書きを覚えたばかりの幼児に高等数学の参考書を見せたようなもの。

 必要な知識量が、絶望的に足りていない。


「ついでに言うと脳内での術式構築は書き込みと比べて筆算と暗算くらい難易度が変わるから、初心者には余計厳しいかも」

「一から学んで、どのくらいかかる」

「んー。基本的な知識を修めた後、一系統に絞り込めば……魔法使いは歳を重ねるほど脳の演算機能が発達するし、順当に運んで……あ、周辺環境情報の即時解析に深覗眼アビスも必要か。十年前後で発現させられればいいけど下手すれば三十年以上かかった話も聞くし……ルカみたいに生まれつき持ってればなぁ……でもアレは例外中の例外だし……」


 独り言を流しながらの思案を挟み、やがて自信なさげに小首を傾げるマリアリィ。


「……だいたい四十年か、五十年? けど思考だけで術式を成立させる技術は知識以上にセンスが物を言うから、不向きな子は百年かけても出来ないんだよね」

「そうか」


 ベッドに放り捨てられる白い本。

 流石に無理だと諦めたらしい。





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