9月32日 六十三番






 ──酷い夢を見た。


 父と母と過ごす、在りし日の、最低な夢を見た。






「やあ、おはよう。今日も良い朝だよ」


 開け放たれたカーテンの向こうから、柔らかな陽光が降り注ぐ一室。

 ベッドで眠りに就いていた蔵人が目覚めると、窓辺に腰掛け、本を読むマリアリィの姿が視界に入り込む。


「…………あぁ。そうか」


 覚醒したばかりの意識で思考を回す。

 やがて血の巡りと合わせ、理解が行き届いた蔵人は、かすれた声で呟いた。


「夢じゃ、なかったのか」






 素早く丁寧な手捌きで、クロスが敷かれたダイニングテーブルに食事が並ぶ。


「どうぞ、お召し上がり下さい」


 黒基調のメイド服に袖を通し、白い仮面で顔を覆った、長い金髪の女性。

 配膳を終えた彼女は一礼し、そのまま蔵人の後ろに控え、ピタリと動きを止める。


「……こいつが本当になのか?」

「そうだよ。つい最近、ようやっと完成までこぎつけた『魔造まぞうメイド壱號いちごう』だ」


 バターロール、コーンスープ、チーズオムレツ、トマトサラダ。

 軽めのメニューを、と適当にリクエストしてから僅か五分で出された、その割には随分と手の込んだ料理。


「仮面を外すと、顔や体型をキミの好きなように変えられる。家事以外でも色々役立てるから、有効活用してくれたまえ」

「そうか」


 サークルへの案内と併せ、住まいとして提供された、身の回りの世話を請け負ってくれる魔造メイド付きの三階建て一軒家。


 浴室では温水シャワーも使える上、トイレに至っては水洗式。

 電子機器どころか蒸気機関すら見当たらなかった街並みと比べて明らかに場違いな設備ばかりだが、あちこちに刻まれた術式言語から察するに、魔法で地球の現代技術を再現しているのだろう。


「これを候補者の数だけ揃えたのか」


 楽土ラクドに魔法使いは自分だけだとマリアリィは言っていた。

 必然、術式言語を操れる者も彼女一人。然らば楽土ラクドの住居全てが、この家と同じ水準だとは考え辛い。


 そして事実、ここはマリアリィが候補者のために特別に拵えたもの。


 ただし──全員に、ではない。


「私の方で住まいを用立てたのはだよ。使用人付きはキミが初だけどね」


 マリアリィ曰く、候補者を連れて来るのは五日に一度、一度につき一人。

 つまり最初と最後で三百日以上の開きが出てしまう計算。前半組は杖の選択肢を多く得られる他、時間という点においてもアドバンテージを有する道理。


 故にこその、せめてもの


「選定の間で聞いた、後発の特典か」

「そういうこと。遅れて来た子ほど生活に適した場所へサークルを振り分けてる」


 ほぼ最後尾の蔵人には、至れり尽くせりの特等地。

 逆に早い段階で楽土ラクド入りした者達は、生活基盤を整えるにも苦労する環境が配られる。


「まあ楽土ラクドはそこまで広い世界じゃないし、気温も気候も常に安定してるから、どこであってもそうそう命に関わったりはしないよ。不便な土地に回した子は、一応ちょくちょく様子を見に行ってるし」


 蔵人が眠りについている間も、何人か見回っていたらしい。


「……ただ、魔造メイドは特典と言うより、個人的なお詫びかな。私がキミのためだけに使ってあげられる時間は、他の子達より一日少なくなっちゃったから」


 楽土ラクドを訪れ、次の候補者が来るまでの五日間は、今の蔵人がそうであるようにマリアリィが付きっきりとなる。

 いわゆる地盤固めのチュートリアル。それ以降も数日に一度は顔見せに現れるため、その際に質問や要望などを行うシステム。


 けれど蔵人の場合は、いささか事情が異なっていた。


「本当にごめんね。もうちょっと早くキミを見付けられてたらなぁ」


 先日マリアリィが蔵人の前に現れたのは、既に方々を駆けずり回った後の話。

 先んじて何人にもスカウトをかけたが、ことごとく断られてしまったのだとか。


 故に蔵人が楽土ラクドの地を踏んだのは、六十二番目の来訪から

 諸々の都合でスケジュールの遅延は難しいらしく、一人だけ四日間しかチュートリアルを受けられないことになってしまったのだ。


「あの日は宗教勧誘とか闇バイトの人員集めとか風俗の客引きとかパパ活とかに間違われて全然上手く行かなくて」


 そういう事情も手伝い、蔵人との対面の際は登場から趣向を凝らした模様。


「私、そんなに胡散臭いかな」

「ああ」


 即答での肯定。

 流石に傷付いたのか、マリアリィは表情を引きつらせ、ちょっぴり落ち込むのだった。






 食事の合間合間に、蔵人は思い浮かんだ疑問をマリアリィへとぶつけて行く。


「他の候補者とは、どういう方法で競い合う」

「まだ教えられない。あらかじめ知っていたら、先に来た子が有利になり過ぎてしまう」

「他の連中が持つ杖の術式は」

「それも六十四人が出揃うまでは教えられない。出揃っても詳細までは教えない。自分で調べに行くなら話は別だけど」


 問うべきことを考えているのか、しばし黙りこくる蔵人。

 勧誘を受けた時は今ひとつ気乗りしない様子だったが、思惑こそ不鮮明なれど参加すると決めた以上、ある程度は真面目に臨む心算らしい。


「……他の奴等のサークルの配置は」

「それなら教えよう」


 指を鳴らしたマリアリィの手元に、色あせたスクロールが現れる。

 机上へ広げた紙面に記されていたのは、楽土ラクドの全体図。


「こいつの縮尺は」

「ほぼ原寸大」

「笑える冗談だ」


 隅に『新暦五八年』と書かれた紙のサイズは一メートル四方程度。

 十万分の一くらいか、と蔵人は当たりをつけた。


「五十年近く前に作った骨董品だけど、地形も街の配置も大体今と変わらない」

「今年は何年だ」

「ぴったり新暦百年。節目の数字ってこともあって、新年祭はとても盛り上がったよ。キミにも見せてあげたかったな」


 概ね円形の陸地。直径は平均で五十キロメートル前後。

 となれば面積は、ざっくり二千平方キロメートル。東京都と大阪府の中間程度。

 確かに広くはない。健康な大人の足なら、数日あれば一周できるだろう。


「外周を囲む海の向こうは、どうなっている」

「滝かな。楽土ラクドは平面なんだ」

「そうか」


 少しは驚いて欲しかったのか、不満げな視線が蔵人に向かう。

 しかし当人は意にも介さず、見やすいよう地図の四つ角に適当な重りを置いた。


サークルの配置は」

「……こういう塩対応も、これはこれで新鮮な気がしてきた……ご覧のとおり、楽土ラクドは東西南北で地形環境が大きく分かれてる」


 細い指先が、ひとつひとつ指し示して行く。


「北は砂漠。東は荒野。西は森林。そして南は平野」

「何故、砂漠や荒野など作る必要があった」

「……作りたくて作ったワケじゃないよ」


 理由を語る気は無いのか、マリアリィは一度口を閉じ、指を鳴らす。

 地図上に幾つもの区切りと、数字が浮かび上がった。


「一番から十六番は北部砂漠。十七番から三十二番は東部荒野。三十三番から四十八番は西部森林。四十九番以降は南部平野。ちなみにキミはここ」


 西部と南部の境界線を跨いで広がる湖に沿う形で築かれた街、ギルボアの半分。

 もう半分は唯一空白で、三日後に来訪予定である最後の候補者を待っている状態。


「ここを六十四番が埋める時こそ、楽土ラクド継承の儀の開始を告げる暁鐘。今というモラトリアムをどう使うかは、キミ次第」

「そうか」

「それ禁止って言ったのにー」


 不満を吐き出すマリアリィに聞こえなかったフリで応じ、椅子に座り直す蔵人。

 がりがりと顔を掻き、後ろを振り返った。


「包帯を替えてくれ」

「かしこまりました。少々お待ち下さい」


 薬箱を取りに向かう魔造メイド。

 生きた人間としか思えない、滑らかな所作。


「便利だろう? 知性の確立と動力源の魔力を自己補完させるための術式が複雑過ぎて、一人造るのに何年も掛かるのが難点だけどね。正直二度とやりたくないかな。普通にメイドを養成する方が百倍簡単だったよ」


 複雑な魔法ほど、成立させるために精微な術式を要する。

 マリアリィ曰く、断片を覗き見るだけでも権威級の数学者が発狂するような計算式で、あの躯体は成り立っているのだとか。


「俺がアレを造れるレベルになるまで必要な期間は」

「甘く見積もって、三十年かな」


 術式言語の習得に加え、あらゆる方面の膨大な知識が必要不可欠。

 魔法とは限りなく万能に近いからこそ、一朝一夕で身に付く技術ではない。


「そうか」


 想定内の返答だったのか、或いはそこまで興味が無かったのか。

 自分で聞いておきながら至極どうでもよさそうに、蔵人はパンを噛み千切った。





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