9月31日 陣と術式






 扉を抜ける際、船酔いに似た感覚が一瞬だけ三半規管を揺らした後、視界へ差す陽光。

 蔵人は左腕で顔を覆い、目が慣れるのを待つ。


「……ここは……」


 塔か何かの屋上だろう高所。

 背後を振り返るも、くぐり抜けた扉は既に跡形も無い。


 足元には、先程目にしたばかりの術式言語と思しき文字列で作られた幾何学模様。

 頭上を仰げば、一点の雲も浮かんでいない青空。


 そして、その頂天には──


「ひとつだと光量が足りなくてね」


 眉をひそめた蔵人に先んじ、マリアリィが理由を説く。


「日照は一日きっかり十五時間。地球と違って時間帯で仰角が変わらないから日時計の類は役に立たない。これをあげよう」


 そう言って手渡されたのは、懐中時計。

 リューズを押し込み、金細工の蓋を開けた蔵人が、更に眉間へとシワを寄せる。


「(なんだ、これは)」


 二重丸で区切られた文字盤。

 外側の円周には目盛が、内側の円周には数列が刻まれている。


 長針用だろう六十分割された目盛には、取り立てておかしなところは無い。

 しかし短針用と見るべき数列の方は、明らかに数字が多かった。


「一周が二十五時間だ」

楽土ラクドの一日は二十五時間だからね」


 ポケットサイズの時計は割かし貴重品だから失くしちゃ駄目だよ、と添えられる忠告。

 異世界を訪れて早々のカルチャーギャップに、蔵人は再び三連の太陽を見上げた。


「ちなみに楽土ラクドの一年は十ヶ月。一ヶ月は五週間。一週間は七日間。つまり一年は三百五十日。でも一日二十五時間だからトータルだと地球とほぼ変わらない。面白いでしょ?」


 やはりお喋り好きらしく、滑らかな語り口で会話を広げるマリアリィ。

 無口と饒舌で、案外バランスは取れているのかも知れない。


「季節は無い。雲は生まれず、雨も降らず、だけど水は豊富。気温は常に日中二十度、夜は十五度。蚊やノミみたいな害虫も、結核や肺炎なんかの危険な病の原因になる病原菌も、なんなら大型の肉食獣も存在しない」

「そうか」


 随分人間に都合の良い世界だ、と思う蔵人。

 そんな彼の内心を見透かしたのか、また無愛想に「そうか」と返された不満も併せて、マリアリィは深くフードを被り直す。


人間わたしが創ったんだ。そうなるのは当然の成り行きだろう?」


 もっともな言い分である。






「お帰りなさいませ、宗主様」


 塔内部の螺旋階段を下った先にて、二人を出迎えた数人の集団。

 代表者らしき身なりの良い壮年男性が、うやうやしくマリアリィに低頭する。


「やあヒルゼン市長、遅くなったね。留守中、何事も無かったかな?」

「問題と呼べるほどのものは、特に。ただ、市内まで買い物に来られていた候補者様方のが何度か……」

「気の早い子達だ。まだ面子も出揃ってないのに」


 頭を上げた男が、マリアリィの横に立つ蔵人と、彼の持つワンドを見た。


「そちらが今回の?」

「うん。とうとう次で最後だ。ここまで色々と無理を言ってすまなかったね」

「とんでもない。跡目をお決めになられるための催しとあれば、我々にとっても他人事ではございませんからな。なんなりと申し付け下さいませ」


 再度の低頭。

 しかし市長と呼ばれた男を含め、集まった者達の関心は、無礼を承知しつつも蔵人の方に向いているようだった。


 気になって仕方がない、とばかりに。


「じゃあ、私は彼をサークルに案内してくるよ。何かあれば使いを送ってくれ」

「承知致しました」


 行こうか、と促すマリアリィ。

 背を向け、少し離れた頃合、蔵人が口を開く。


「奴等の目当ては、俺の値踏みか」

「まあ、そうだね」


 低い声での問いかけに、苦笑が返る。


「あまり悪く思わないであげて欲しい。楽土ラクドにおいて私が振るえるチカラは、乱暴な言い方をすれば神にも等しい。その跡継ぎ候補の人品を見定めたいと考えるのは、ここに住まう者なら当然じゃないかな」


 一拍、沈黙。


「俺以外の候補者とやらも、俺と同じように地球から連れて来たのか」

「まあね。三百人くらいに声をかけたよ。応じてくれた大半は、キミと同じ日本人だ」


 二拍、沈黙。


「この世界の新たな統治者を決めるなら、何故この世界の中で候補者を募らなかった」

「……魔法使いの素養は、数万人に一人しか生まれ持っていないんだ」


 更に言えば、素養の開花を促せるのは十五歳から二十五歳まで。その点を踏まえれば、実質的には数十万人に一人の割合だろう。


楽土ラクドの総人口は、今日この瞬間で九万九千八百九十五人。六十四人も集めるのは流石にちょっと無理があるよね」

「そうか」


 三拍、沈黙。


「さっきの奴等の言葉は日本語じゃなかった。何故俺に理解できる」

「最初の通路でキミの神経網に魔力を流したと言ったろう? 並行して脳の言語野にも干渉させて貰ったんだ。読み書きも出来るようになってるよ」


 通常なら長い時間と労力を費やす他言語の習得。

 それを容易く修められるとは、聞く者が聞けば目を剥くような話である。


「便利だけど繊細な魔法で、いっぺんに大量の情報を書き込むと酷い頭痛が起きるし内容も定着しないから、使う時は私が側について微調整しなきゃいけなくてね」


 手を繋いでいたのは、そういう理由。


「他にも消毒とかアレルギーの治療とか、色んな効能を組み込んであって……ただ、怪我の回復については、身体への負担が大き過ぎるから省いてる」


 蔵人の右顔を覆う包帯へと視線を向け、申し訳なさげに付け加えるマリアリィ。

 対する蔵人は、どうでもよさそうに短く返した。


「そうか」






 ローマン・コンクリートで舗装された道、整然と立ち並ぶ石とレンガ造りの建物。

 行き交う人々は身ぎれいな者が大半で、街そのものの裕福さが窺える。


 地球で言うところの産業革命数歩手前、近世半ばほどの文明レベルで築かれた人里。

 その雑踏に紛れ、歩く二人。

 

「ここはギルボア。およそ四万人が暮らしている、今の楽土ラクドで最も栄えた街だ」


 総面積は二十平方キロメートル。東京都港区と概ね同じ。

 規模自体は徒歩半日足らずで回ってしまえる程度だが、活気という点に於いては、隆盛と評するに相応しい。


「やけに掃除が行き届いてるな」

「清潔こそ快適の土台さ。下水処理のシステムや入浴文化なんかも積極的に取り入れた」


 温泉でも湧いているのか、仄かな湯の匂い。

 文明は兎も角、文化レベルでは現代の先進国にも引けを取らぬ模様。


「この街の南半分が、キミのサークルになる」

「……サークルとは、なんだ」


 ここまでの会話で何度か紡がれていた単語。

 けれど、詳細については未だ伝えられていない。


「キミの掌とバケツだったら、どっちの方が多く水を貯められると思う?」

「バケツ」

「うん。つまり、そういうことだよ」

「そうか」


 …………。


「え? 今ので分かったの? 軽いジョークのつもりだったのに」

「大体」


 魔法を使うには魔力が要る。

 しかし個人の刻印に蓄積される程度の魔力で、そうそう大それた真似は出来ない。


 となれば今し方の例えから察するに、他の何かが溜め込んだ魔力を使うのだろう。

 そしてサークルという言葉の響きと節々での説明に含まれていたニュアンスを鑑みれば、その何かとはと推察するのが自然。


 つまりサークルとは、魔法使いが大きな魔力を得るための陣地。


 然らば、マリアリィが最初に告げた「世界を手にする」とは、文字通り楽土ラクドの全てを己のサークルにするという意味合いも兼ねている筈。


 すなわち──他の候補者達とので勝ち残ることが、楽土ラクド継承の条件。


「そういうことだな」

「……キミ、もしかして頭良かったりする?」

「生憎と中卒だ」


 ゲームや漫画に慣れ親しんだ現代人なら、このくらい誰でも思い付く。

 がりがりと包帯越しに顔を掻きながら、蔵人はそう呟くのだった。






 ──そこに一歩踏み込んだ瞬間、蔵人は感覚的に確信した。


か」

「うん」


 足裏を通して伝わる、膨大なエネルギー。

 この土地に蓄積された、己の内に宿る僅かな魔力とは桁違いの熱量。


 同時に、起動用の魔力すら賄えず沈黙していた杖が励起する。

 封入された術式の概要が、蔵人の思考に溶け込んで行く。


「……おい」

「うん?」


 やがて蔵人は眉間にシワを作り、マリアリィへと向き直る。


「お前が用意した六十四本の杖は、まさか?」

「そうだよ」


 あっけらかんと返る肯定。


「何故、最初に言わなかった」

「聞かれなかったからね」


 当然とばかりの返答。

 しばし蔵人は黙りこくった後、がりがりと顔を掻いた。


「そういうスタンスか」

「そうなんだ。ごめんね」


 継承の儀に関連する内容は、最低限の説明以外、聞かれたことにしか答えない。

 候補者それぞれの発想力と思考力によって、大きく情報格差が生じる仕組み。


 要は杖を選定する時点で、既に競争の一歩目は始まっていたらしい。


「私が言うのもなんだけど、気に病むことはないよ。キミには選択肢が二つしかなかったからね。もう何本か杖が残っていたら、その多種多様な外観に違和感を覚えた筈だ」

「どうだかな」


 杖のデザインが極端に違ったのは、篭められた術式の差異に思い至らせるためのヒントも兼ねていたらしい。

 否。そもなどやらせる時点で、杖には個体差があると言っているようなもの。


「俺が選ばなかった杖の術式は、なんだ」

「それはまだ教えられないかな。ただ、継承戦を勝ち抜くために使うなら、かなり有利なものだったとだけ伝えておこうか」


 どうやら、キワモノと切って捨てた方こそアタリだった模様。

 出鼻を挫かれた蔵人は、ひとつ吐息し、杖先で足元を突く。


「まあいい」


 術式に魔力を流し、魔法へと昇華させる。


「バカもハサミも使い方次第。こんな代物でも、無いよりはマシだ」

「こんな代物とは御挨拶な。私のお気に入りなのに」


 魔法の干渉を受けたのは、二人のすぐ側に作られていた花壇。

 まだ種を蒔かれて間もない、土肌ばかりの殺風景。


「綺麗だろう? 『花魔法』」


 それが見る見ると芽吹き、茎葉を伸ばし──彩り豊かな花々を、咲き誇らせた。





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