9月31日 杖の選定
「随分と妙な場所だな」
マリアリィに手を引かれる形で蔵人が連れられたのは、どことも知れぬ石造りの通路。
蝋燭の灯りが等間隔に足元を照らす、突き当たりが窺えないほど長い長い一本道。
「指先が痺れる」
「そうなるということは、つまりキミに魔法を扱う素質があるということだ。たぶん勘付いてるとは思うけど、ここを渡り終えるまで私の手を離しちゃ駄目だからね」
しっかりと指を絡め、念を押すマリアリィ。
離してしまえば、少なくとも良いことは起こらないらしい。
「……魔法とやらは、どうやって使う」
道中、歳や趣味などを矢継ぎ早に聞かれて辟易したのか、自ら質問を紡ぐ蔵人。
その行為をポジティブに受け取ったらしく、マリアリィは嬉しそうに微笑んだ。
お喋り好き……と言うより、他者とのコミュニケーションが好きなのだろう。
「んー。修めるまでのざっくりした流れは、たぶんキミが『魔法』と聞いて頭の中で思い描いたイメージと、そこまで遠くない筈だよ」
「長ったらしい呪文を覚えるなり、七面倒な理論を頭に叩き込むなりすればいいのか」
「呪文を唱えたいの?
そう言ってマリアリィが指し示したのは、近くの壁。
薄暗いため分かり辛いが、一面に奇怪な文字列が細かく延々と彫り込まれていた。
「あれは『術式言語』といって、あの一文字一文字に魔力の在り方を変化させる性質がある。で、あんな風に術式言語で書き記した文を『術式』と呼ぶんだ」
魔力とは生物以外の全てによって生産される、世界中に遍在する無垢なエネルギー。
魔法の動力源であり、同時に魔法を形作るための骨子でもある存在。
そして、その魔力を魔法へと至らしめるための加工手段こそが、術式言語。
「魔力を電気、術式をプログラム、魔法を出力結果に置き換えれば、ちょっとイメージしやすくなるかな?」
ただし魔法がアウトプットされるのは、莫大な変数を抱えた現実空間。
ゼロとイチの二種類で完結する電脳空間とは、必要な計算式も情報量も正確性も天地ほどかけ離れている。
「小石を思い通りに動かす程度の初歩的な術式を自力で組めるようになるまで半年かかったよ。最低限、魔法使いを名乗っても恥ずかしくないレベルに到達したのは二十年目だ」
「そうか」
魔法に対する敷居の高さを否応無しに植え付ける歳月。
けれど蔵人の反応は実に淡白で、肩透かしを食らったのか口籠るマリアリィ。
「……あー、うん……あの、あくまで最終的にはだからね? 色々と制限が付くけど、そこそこ手軽に魔法を扱えるようになる方法もあるからね?」
「そうか」
起伏の薄い、およそ話し甲斐というものを抱けぬ応酬。
この子、顔の割にモテないだろうなと、胸の内でマリアリィは思うのだった。
優に十五分は歩き通した後、開けた広間へと出る二人。
もう手を離しても大丈夫だよ、とマリアリィが告げた。
「選定の間にようこそ、世界を手にする候補者殿。ここが
「そうか」
「……それ、やめて貰っていいかな? そろそろ泣きそう」
肩を落とすマリアリィの言に反応を示さず、がりがりと包帯越しに顔を掻く蔵人。
「あと、できるだけ傷口は掻かない方がいいと思うよ。痕が残るかもだし、炎症を起こしたら治るものも治らない」
「そう……チッ……」
険しい表情と濃いクマで台無しになってしまっているものの、どちらかと言えば端正な部類に入る容姿を歪め、億劫げに舌打ちと溜息。
絡まれる面倒を嫌ってか、一応頼みを聞くことにした様子。
気を取り直し、マリアリィが両腕を広げる。
「私達が歩いた通路には、人間の神経網に電気刺激を流す術式を組んであったんだ」
常人であれば特に影響を受けることも無い、ごく微弱な電流。
しかし魔法使いの素質を持つ者にとっては、才の開花を促す呼び水。
「本来、魔力は生物には蓄積されない」
その最も大きな理由は、細胞分裂による滞留の阻害。
つまり生きている以上、どうにもならない問題。
「まあ、例えば酸素や水なんかもそうであるように、魔力は一定濃度を超えると動植物にとって有毒だから、至極正しい免疫機能だね。実際に幾つかの奇病は、何かしらの理由で魔力を体外に排出できてないことが原因だし」
ともあれ、生物が直接魔力を感知し、操ることは基本的に不可能という道理。
ただし何事においても、例外は付き物。
「でも、ある身体的特徴を持つ人間が概ね十五歳から二十五歳までの間に神経網へ特定の刺激を受けると、魔力の毒素だけを濾過して蓄積する器官が形成される」
それこそが、魔法使いに必要不可欠な素養。
蓄積器官を指し示す名は時代や地域によって様々だが、身体のどこかに個々で異なる模様を浮かび上がらせることから、マリアリィは『刻印』と呼んでいる。
「刻印は『
実際、中世以降の魔女裁判では、主に刻印の有無によって判決が下されていた。
もっとも、有罪判決を受けた被告のうち九割九分九厘以上は、悪意や疑心暗鬼からなる言いがかり同然の冤罪だったのだが。
「ただ、さっきも言った通り、自力で魔法を成立させられるようになるまでは長い年月が掛かる。そして残念ながら、私には懇切丁寧に教鞭をとれるだけの時間が無い」
「何故だ」
「単純な話さ。寿命だよ」
魔力を飲食以外のエネルギー源としても利用することが出来る魔法使いは老いないが、衰えないワケではない。
只人の数倍の時間を生きることは適っても、定命の括りからは逃れられない。
「私の命は残り僅か。遠からず死ぬ。だから後継者を探してるんだ」
「そうか」
「あ、またそれ。やめてって言ったのに」
「俺はここで何をすればいい」
がらんどうの広間を見渡し、そう問う蔵人。
マリアリィは不満げな視線を彼に送るも、やがて肩をすくめ、指を鳴らした。
「キミの『杖』を選んでもらう」
縦八列、横八列。
計六十四本の光の柱が、殺風景な石の広間に降り注ぐ。
「杖とは、謂わば術式の記憶媒体であり補助装置であり出力装置。それを所持する間、いくつかの制約を受ける代わりに私が予め組み込んでおいた術式を扱えるようになる」
「制約の内容は」
「『一本しか持つことが出来ない』『手放すまで他の術式を扱うことが出来ない』『魔法以外の方法で他者を害することが出来ない』の三つ」
そうか、と喉まで出かけた台詞を飲み込む蔵人。
代わりに浅く溜息を吐き──眉根を寄せた。
「多少引っかかる部分はあるが、まあいい。ところで、その杖とやらはどこだ」
そう言って蔵人は手前側の光柱を見渡し、それぞれの中心に据えられた台座を検める。
話や演出の流れからして杖が安置されている筈だろうに、しかし大半が空っぽだった。
「……あー。怒らないで聞いて欲しいんだけど」
「内容による」
だよね、と相槌が続く。
「えっと……候補者は全部で六十四人の予定で……キミは六十三人目なんだ」
ほとんどの杖は、既に選ばれてしまった後。
「あ、でもホラ、後発の子達にもそれはそれで別の特典があると言うか、残り物には福があるってキミの国のことわざじゃなかったかなーみたいな……」
「そうか」
「今の「そうか」はすっごい好き! 納得してくれてありがとう!」
安堵を露わ、笑顔を華やがせるマリアリィ。
蔵人以前に選んだ候補者達の中に、不平不満を吠え立てる者が少なからず居た模様。
「文句が嫌なら、カラの台座なんぞ見せなければいい」
「そういうの、誠意が無いと思うんだ」
再度打たれるフィンガースナップ。
一旦、全ての光柱が消え、今度は二本のみが二人の眼前へと降り注ぐ。
「品揃えが悪くて申し訳ないけど、どちらでも好きな方をどうぞ」
左の台座には、節くれた枝を粗く削ったような
あまり見栄えは良くないが、創作で描かれる典型的な魔法使いの杖に程近い代物。
強いて個性と呼べる点を挙げるなら、あちこちに蔓草が巻き付いていることくらいか。
転じて、右の台座には。
「これが杖だと?」
銃口部に斧を備えた、フリントロック・ピストル。
或いは柄がフリントロック・ピストルとなっている、斧。
「アックスピストル。十六世紀頃にヨーロッパで使われていた、銃撃戦と白兵戦の両方に対応可能な武器だよ」
どっちに使っても中途半端そうだな、と内心で評する蔵人。
現代にも銃剣など近いコンセプトのものが存在するとは言え、多くの日本人には縁遠い代物な上、片方が真っ当な杖であっただけに、ひどく異質なものとして映ってしまう。
そもそも、どこからどう見ても、杖ではない。
「『杖』は術式言語を修めていない魔法使いが簡易的に術式を扱えるよう調整した媒体に対する総称で、そのカタチが必ずしも名前通りである必要は無いんだよ」
「……そうか」
横で訥々と語る、これらを使った張本人の美的センスに渋面を作りつつ、蔵人は迷わず左の
「んー、そっちでいいの? 後悔しない?」
「こっちの方がマシだ」
杖先で床を突いても、逆端が蔵人の肩まで届く長さ。
その割に軽く、しかし決して軽過ぎず、それなりの強度が感じられる。
表面の手触りも存外に滑らかで、ささくれが掌に刺さることも無いだろう。
粗悪な見目に反して、かなりの高品質。
そんな所感と併せ、蔵人は少しだけ、己が選んだ杖に対する評価を上げるのだった。
「じゃあ、そろそろ往こうか」
単なる癖なのか、或いは魔法発動のトリガーなのか、指を鳴らすマリアリィ。
「選定は完了した。新たなる魔法使い、並びに
選定の間、その最奥。
高さ十メートルはあろう巨大な門扉が、音を立てて独りでに開いて行く。
「──ようこそ。私の愛しき箱庭へ」
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