9月31日 楽土への招待






 その転機の訪れは、実に唐突だった。


「やあ」


 零時を回って日付が変わり、しばらくが経つ深夜。

 用事を全て終え、人気の無い道を歩いていた長身の青年。


「こんばんわ。はじめまして」


 そんな彼の前に突如現れた、一人の女性。


「何の用だ」

「……あれ? ちょっと今までに無いタイプのリアクションだなぁ」


 宙空を裂き、何も無い虚ろから舞い降りる。

 人によっては腰を抜かすだろう、現実離れした登場。


 にも拘らず、彼── 下院かいん蔵人くろうどは、表情どころか眉ひとつ動かさなかった。


「驚かないの?」

「生憎そういう気分じゃない」


 真新しい包帯で物々しく覆われた右顔を、がりがりと掻きながらの口舌。

 肝が太いと言うより、どこか投げやりさが窺える捨て鉢な態度。


「何の用だ。安っぽい動画の下らない企画なら他を当たれ」

「ふふ。その手の疑いを抱くのも無理ないけど、どこにもカメラは回ってないよ」


 目深に被ったフードの奥で微笑み、空手を示すように両腕を広げる女性。

 否。よくよく検めれば女性と呼ぶには若々し過ぎる。少女と言い直すべきだろう。


「まずは自己紹介を。私の名前はマリアリィ。見てのとおり、魔法使いだ」


 ふわりと身体を浮かせながら、丁寧に一礼。


「そうか」

「あ、信じてないね。まあ、すんなり信じてくれる方が少数派だけど、この時代の子達はみんな疑り深いなぁ」


 慣れた風に肩をすくめる、マリアリィと名乗った少女。


 次いで、彼女が無雑作に指を鳴らすと──いつの間にか二人は、ホテルの一室らしき場所でソファに腰掛けていた。


「立ち話もなんだし、お茶でも飲みながら話そうか」


 急に暗がりから明るみへと移ったためか、眩しそうに左目を細めた蔵人。

 再びマリアリィが小気味良く指を鳴らすと、テーブルにティーセットが並ぶ。


「さて。取り敢えずは、私が魔法使いだと信じて貰えたかな?」

「……失礼な女だ」

「うん?」


 半ば溜息に近い呟き。

 また包帯越しに顔を掻きむしり、蔵人はマリアリィを睨み付ける。


「俺は、さっきからと聞いている」

「……おっと、これは失敬。何十回も似たようなやり取りを繰り返したせいで、つい対応が勇み足になってしまった」


 礼節も誠実も欠けていたね、と低頭するマリアリィ。


「では早速、本題に入ろう。ああ、ほとんど事後承諾みたいで申し訳ないけど、ちょっとだけキミの時間を貰っても構わないかな?」

「好きにしろ」


 すげない返答だったが、マリアリィは満足したらしく、ありがとうと礼を述べる。


 そして。佇まいを整えた。


「──世界を手にしてみたい、と思わないかな?」






「私は、この地球とは異なる、とある世界の統治者だ」


 マリアリィのカップに注がれていた紅茶が、一塊の水玉となって浮かび上がる。


「かつて私自身が創り上げ、時間と空間を独立させた小宇宙。名を『楽土ラクド』という」

「大層な名前だな」

「……まあね。皆そう呼んでくれるけど、私もキミと同意見だよ」


 鳥、魚、獣、人。

 紅茶は真っ白な掌の上で様々に形を変え、軽やかに踊る。


「私は今、後継者を探しているんだ」


 やがて凍りつき、粉々に砕け散った。


楽土ラクドを託すに足る者。その候補の一人として、キミに声をかけた」

「そうか」


 関心薄く打たれる、短い相槌。

 幾許かの間を挟んだ後、再度蔵人が口を開く。


「俺を選んだのは何故だ」

「キミにがあるからさ。楽土ラクドの運営は魔法使いにしか任せられないからね」


 つまり蔵人に、マリアリィ曰くの魔法使いとしての天稟が存在する、と取れる文言。


「心当たりは無い」

「普通に生きていれば気付きようがないもの。魔法を扱うには、それ相応の知識と準備が必要不可欠なんだ。手探りで偶然どうにかなるほど簡単な技術じゃないよ」

「そうか」


 これで何度目かになる、一字一句違わぬ返し。

 感情の読み取り辛い、およそ情動と呼べるだけのものが感じられない受け答え。


 その反応をネガティブに捉えたのか、マリアリィが眉尻を落とす。


「あまり気乗りしないかな?」

「する方が、どうかしてる」


 突拍子も無い上に胡散臭い。

 さわり程度に聞くだけでも、懐疑と猜疑が次から次に湧く話。


 口数少ない蔵人の胸中を代弁するのなら、こんな塩梅であろう。


「……うん。それならそれで、断ってくれても一向に構わない」


 言い分はもっともだとばかり、フードを被り直すマリアリィ。


「候補者になるということは、つまり他の候補者達と競い合って貰うということ。痛い思いも、怖い思いも、辛い思いも味わう筈だ」


 手をかざした空のティーカップが、砂粒よりも細かな破片となって崩れ落ちる。


「それに、脱落や心変わりでこっちに戻りたくなっても、すぐには帰してあげられない。最低でも数ヶ月間、キミは地球上から完全に消息を絶つことになる」


 遠慮がちに続く語り口。

 蔵人の片方だけの視線が、マリアリィの伏せられた顔を静かに見遣る。


「言うに及ばず、キミにはキミの人生がある。私は、その道筋を曲げてくれと頼んでるに等しい。無理強いは「構わない」──え?」


 語末を取り上げるように差し挟まれた、立ち上がりながらの蔵人の返答。

 それが余程に意外だったのか、フードの奥でマリアリィの目が丸くなる。


「魔法使いだか候補者だか知らんが、俺を連れて行きたいなら、どこへでも好きにしろ」


 淡々と言葉を紡ぎながら、蔵人は黒無地のネクタイを緩め、テーブルに放り捨てて。


「ちょうど、やることが無くなったところだ」


 心底どうでもよさそうに、吐き捨てた。





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