~再会~

 部屋を出てふすまを閉めると、光も音も届かない暗闇が広がっていました。


 伽羅への想いを胸に逸る気持ちを抑えながら、感覚を頼りに境内へと向かいます。


 やがて暗闇が晴れると、篝火に照らされた土俵が見えてきました。


「瑠璃!」

「伽羅!」


 今年も伽羅はさらしに褌のみを身に着けて、わたしが来るのを待っていました。琥珀色の肌に映える白い褌は、健康的な彼女の魅力をどんな装束よりも引き立てています。


 わたしは思わず駆け出すと、その胸に飛び込み彼女を抱きしめました。伽羅の手もわたしの背中に回されてしっかりと抱きしめ返します。


「伽羅、会いたかった伽羅」

「ふふ、前にも言ったでしょう? わたしはいつだってここから瑠璃のことを見ているわ。だからずっと一緒にいたのよ?」

「でも……」


 鬼の世界からわたしのことを見守っていてくれるという伽羅。


 わたしからも伽羅のことが見えるといいのに。


「でも、そうね」


 伽羅はわたしの頭を抱き寄せます。


「わたしもこの一年。瑠璃を抱きしめたくて仕方がなかったわ」

「伽羅……」


 わたし達は絡めあうように更に強く抱きしめあいました。


 伽羅の透き通るような白い髪からは花のような香りがします。襦袢の薄い生地越しに感じる伽羅のぬくもりの中で、幸せな気持ちと同時に今年も負けてしまうだろうなという弱気が生まれました。


「可愛いわ瑠璃。今ここで押し倒してしまいたいくらい」

「わたしだって負けないから」


 ぐっと力を込めてきた伽羅にわたしも力で反撃します。


「んっ……くぅぅぅ……」

「あ……やるじゃない。でも……」

「ふぁっ!?」


 ぐいぐいと身体を押し付けあっての力比べ。でもやっぱり力は伽羅の方が強くてわたしは押されてしまいます。


「あら?」


 ふいに伽羅の力が緩んで、金色の瞳が柔らかくわたしの胸元へと向けられました。


「今年は随分と気合が入っているのね」


 伽羅はわたしの襦袢の下が素肌であることに気づいたようです。


「しばらく運動していなかったから、太ってしまって水着が着れなかったの」

「どんな姿でも瑠璃は素敵よ。さあ、見せて」


 わたしは恥ずかしい気持ちを抑えて、帯を解くと襦袢を脱ぎます。


「綺麗」


 まわしひとつのわたしの姿を見た伽羅の口からこぼれた言葉に、わたしは一瞬で顔が火照るのを感じました。思わず身体を隠すようにしながら、伽羅から目をそらしてしまいます。


「もう、そんなに見ないで」

「恥ずかしがらなくてもいいわ。瑠璃は力士としてこの場にいるのだもの」

「ありがとう伽羅」


 そうです。わたしは神様に相撲を捧げる力士なのです。恥ずかしがって無様な相撲を神様に見せるわけにはいけません。


 わたしは気を落ち着かせると、背筋を伸ばして伽羅の前に立ちます。負けるかもという弱気も胸の奥に押し込めました。


「いいわ。最高よ瑠璃。わたしもあなたに相応しい姿で相手をするわ」


 そう言って伽羅は自分の胸を締め付けるさらしを解きました。豊かなふくらみがくびきを解かれてぷるんと跳ねます。


「どうかしら?」

「えーと。嫌味かな?」

「瑠璃だって十分大きいじゃない」

「ふん! 伽羅のいじわる」


 伽羅の胸はわたしよりふた回りくらい大きくて、張りがあり理想的な形をしています。わたしだってク

ラスの中ではある方ですが、比べる対象として伽羅は相手が悪すぎます。


「可愛いわよ瑠璃」

「もう」


 拗ねたふりをするわたしを伽羅が抱きしめてきます。素肌で感じる伽羅の肌は、しっとりと吸いつくように柔らかく、まるで彼女の腕の中で自分が溶けて混ざりあっていくかのような感覚に、わたしの胸はこれまでになく高鳴っていました。伽羅とは何度もスキンシップも図ってきましたが、ここまで彼女を感じたことはありません。


「緊張しているのね?」

「伽羅のせいよ」


 わたしを抱いたまま耳元でささやく伽羅はきっと分かっいてやってるのでしょう。いじわるです。でも、わたしが恥じらう姿は伽羅にさらに火をつけてしまったみたいです。


「可愛い!」

「ひゃあ! 伽羅!?」

「瑠璃が可愛いからいけないの。それに瑠璃は肌も綺麗で、身体も引きしまっているから鬼好みなのよ」


 調子に乗って頬ずりしてくる伽羅。まずいです。今なら伽羅の全てを受け入れてしまいそうです。相撲をとっても1秒で押し倒されてしまう自信があります。 


「ふふふ。神様もご機嫌みたいね」


 はらりと桃色の花びらが二枚、伽羅の手に舞い降りました。


「これは写し身の依り代よ。花びらに好きな人物の姿を思い描くことで、その人物の写し身を呼び出すことができるわ」

「写し身?」

「ええ。写し身とはその人物と同じ姿をした分身のようなものね。でも人格は眠っている状態だから、好きなことをさせることが出来るわ。どうやら神様はわたし達の相撲がもっと見たくなったみたいね。それで、依り代をよこしてきたんだわ」

「神様が?」

「ええ、瑠璃は神様のお気に入りだもの。もっと見たいと思うのは当然だわ」


 そう言って、伽羅は落ちてきた花びらのうちの一枚をわたしの掌の上に置きました。


「呼び出したい人のことを考えながら息を吹きかけるの。試しにやってみるから見ていて」


 そう言って、花びらに息を吹きかける伽羅。すると手から離れた花びらが、空中で美しい少女の姿に変わったのです。


 白い肌に長い黒髪に穏やかな顔立ちをした日本人形のような美少女で、背はわたしより低いですが、胸の方は伽羅以上に大きいです。和服がとても似合いそうですが、身に着けているのは伽羅と同じく褌のみ。白くて柔らかそうなお尻に締められた褌は、少女の上品な見た目と合わさってなんとも背徳的な雰囲気を醸し出していました。


「彼女は桜仙おうせん。春の女神の末席にいるわたしの友人よ」

「えっ!?」


 わたしは驚いてつい声を上げてしまいました。彼女……桜仙様が神様であることもですが、それよりも……


「伽羅って友達いたのね。しかも神様だなんて」

「いるわよ。失礼ね。それに桜仙は私達と同年代で神として大したことしてるわけじゃないから、気を使う必要はないわよ?」

「そうなの? でも、うちは神社だし神様に失礼な真似はできないよ」

「いいのよ。わたしともよく相撲をとってるし、土俵の上で神も人も無いわ。思いっきり投げ飛ばしてやりなさい」


 神様は伽羅との取り組みの前に、呼び出した写し身と相撲をとることを望んでいるようです。わたしとしては最近相撲をとってないこともあり、伽羅との勝負の前に他の女の子と相撲をとる機会が与えられるのはありがたいです。


「さあ、瑠璃もやってみて。ただし、よく知ってる相手じゃないとうまく呼び出せないから気を付けてね」

「う、うん」


 どうしましょう。わたしには普段から相撲をとる友人はいません。陸上部の子とはよく相撲をとりましたが、ここでは裸になってまわしを締めてもらうことになるので、それが申し訳なくて躊躇してしまいます。


「ごめん。良い相手が思い浮かばないんだけど……」

「そうね。ほら、瑠璃にはライバルがいたじゃない。あの子なんてどうかしら?」

「それって紫峰さん?」

「そう。昔、相撲大会で瑠璃と対戦していた子よ」

「そうだけど……」


 紫峰さんの本名は紫峰麻音しほうあさねさん。

 紫峰さんは隣の校区に住んでいて、学校も違うので決して親しいわけではありませんが、わたしのライバルと言われると真っ先に出てくるのが彼女です。


 紫峰さんは小学校の頃は神社の相撲大会に参加していて、わたしは毎年彼女と対戦していました。小学校4年生、5年生のとき、わたしは彼女に敗れ悔しい思いをしましたが、6年生ではついに勝つことができました。うつむいて土俵を下りる彼女の背中を、わたしは今でも鮮明に覚えています。


 中学校に上がり、再び紫峰さんと顔を合わせたのは陸上の大会でのことでした。なんと彼女もわたしと同じように陸上を始め、専攻する種目も同じだったのです。自然とお互いを意識するようになり、競うように記録を伸ばしていくわたし達を、周囲もライバルとして比べていくようになりました。


 これまであまり話したことはないけれど、大会の前には何度も映像で見て、わたしは紫峰さんを研究してきました。だから彼女のことはよく知っています。


「あの子も綺麗な子だったし、彼女なら相手にとって不足は無いわ」

「伽羅がそういうなら」


 紫峰さんはすらっとしたスタイルで、確かに綺麗な子です。でも伽羅が彼女を褒めると、なんだか胸の奥がもやもやしてしまいます。わかってます嫉妬です。もしかすると伽羅は紫峰さんのことも見ていたのでしょうか?


「あら? やきもちかしら?」

「う、うん。少しだけ」

「ふふふ。瑠璃だってさっき桜仙に見惚れてたでしょう? 仕返しよ」


 伽羅はわたしの心の内を見透かしていたようです。悪びれもなくウィンクして見せる伽羅。まったく敵いません。


「安心して、わたしはこの境内での物事しか見れないもの。あの子のことは稀に見かけるくらいでしかないわ。わたしにとって特別なのは瑠璃、あなただけ」


 耳元で囁かれる言葉は甘いのですが、どこか口調に棘が含まれているような気がするのは気のせいでしょうか?


「ならどうして紫峰さんがわたしのライバルだって知っていたの?」

「それは瑠璃が大会の前にお参りしていたからよ。そのときいつもあの子のことを考えていたでしょう? 勝ちたいって。その気持ちがわたしにも伝わってきていたのよ」

「あ……」

「わたしの前で他の子のことばかり考えているんだもの。酷いわ。瑠璃」

「伽羅……ごめん。わたしそんなつもりなくて」


 紫峰さんに嫉妬していたという伽羅に、申し訳なくなると同時に少し嬉しくなりました。自分が伽羅にとって特別だって認識できたからです。


「ふふふ。いいのよ瑠璃。さあ、早くあの子を呼びだして。今日たっぷりとこれまでの意趣返しをしてやるんだから」


 伽羅は笑顔でぽきぽきと指を鳴らしています。えっと、相撲するんですよね?


 伽羅に言われたように、紫峰さんの姿を思い浮かべながら吹きかけた息に舞った花びらは、空中で紫峰さんの姿に変わりました。


「わぁ。本当にできた!」


 陸上のユニフォーム姿の紫峰さんは最後の大会で見たときよりも、少し髪が伸びてふっくらしている感じがします。どうやら写し身は正確に現在の姿で現れるようで、彼女もわたしと同じように引退してからややお肉がついてしまったみたいです。


「この格好も悪くはないけれど、やっぱり様式美は大事よね」

「きゃっ!? 伽羅!?」


 伽羅がぱちんと指を鳴らすと、紫峰さんは一瞬でまわし姿に変えられてしまいました。もちろん写し身ですから恥ずかしがったりはしませんけど、見ている側は驚いてしまいます。


「中々いいじゃない。取り組みが楽しみだわ」


 背中にぎりぎり届くくらいのショートカットに筋肉質でスレンダーな身体付き。少年の様にも見える紫峰さんのまわし姿に伽羅は満足そうに笑みを浮かべました。


 紫峰さん。ごめんなさい。でも……よく似合っています。


 わたしは多少の罪悪感を感じながらも、久々に紫峰さんと競えることが楽しみで仕方がありませんでした。

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