15 忠犬





その日、珍しく西村川が編物をしていた。


「嫌いじゃないけどミシンと違って時間がかかるし。」


ぶつぶつと言いながら彼女は小さなベストを編んでいた。

人では小さ過ぎて人形が着るようなものでもない。


丁度編み上がった頃だ。

ベルが鳴り店の中に人の気配がした。

西村川がそこをみると

杖を持った初老の女性とリードに繋がれた犬がいた。

彼女は一人と一匹に近寄り頭を下げた。


「いらっしゃいませ。」


彼女が頭を下げると女性はぽかんとして西村川を見た。


「あの、ここは……。」


彼女はきょろきょろと回りを見る。


「服屋さん?」

「そうですよ、どのような服でもご用意出来ますよ。」

「綺麗な服ばかりねぇ。」


彼女の横にいる犬は主人を見上げている。


「可愛らしいワンちゃんですね。」


と西村川が言うと女性が慌て出した。


「あ、ごめんなさいね、ペットは大丈夫かしら。」

「よろしいですよ、大人しい良い子ですね。」


西村川は腰を下ろすと犬にそっと手を出して匂いを嗅がせた。

その前からこの犬は尻尾を振って彼女を見ていた。


「こんにちは、いらっしゃい。」


と西村川は犬の頭を撫でた。

大きさは中型犬ぐらいだろうか。

だが犬種はよく分からない。


「この子、とても人懐こいでしょ。」

「そうですね、最初から私の顔を見て尻尾を振っているから。」


西村川は立ち上がると椅子を彼女に勧めた。

彼女は杖を持っていたからだ。


「ありがとう、助かるわ。」


彼女はそっと椅子に座り犬もその横に座った。

彼女は犬のリードを外した。


「ところでどうして私はここにいるのかしら?

お散歩の途中だった気がするけど。」


彼女は呟くように言う。


「ワンちゃんのお散歩ですか?」

「そうよ、それと私のリハビリも兼ねて。」


彼女は杖を見せた。


「病気しちゃってね、足が上手に動かないの。

でもこの子を引き取ってから頑張って歩けるようになったのよ。」


と彼女は嬉しそうに笑った。


「このワンちゃんは購入されたのですか?」


今は純血種だけでなくミックスも店では売っている。


「違うのよ、この子は多頭飼い崩壊した所にいた犬なの。」

「ああ、だから色々な犬の特徴があるのね。」

「そう。それで犬の訓練所で介助犬として訓練できないかって

引き取られた犬なのよ。」

「介助犬ですか。」

「ともかく人が好きなのよ。」


だが彼女はため息をついた。


「でも少しばかり覚えが悪かったの。

性格はとても良いんだけど。」


と彼女はふふと笑う。


「私はその訓練所で事務で働いていたの。

時々エサをあげたり手伝いをしたのよ。

元々犬は好きなの。みんな可愛かったわ。」


彼女の足元の犬は大欠伸をすると体を丸くして眠り出した。


「それでこの子、なかなか上達しなくてね、

その頃私が病気をしてしまって会社を辞めたの。

それで結局この子は介助犬にはなれなくて

引き取ってくれる所を探してそれで私に話が来たのよ。」

「お体が不自由になったのよね?」

「そうなの、世話が出来るか不安で迷ったんだけど、

この子、それなりに訓練しているから役に立つかもと言われたのよ。」


彼女は足元の犬を見て微笑んだ。


「それに最初からこの子は好きだったのよね。

だからどうしても引き取りたかったのよ。」


その顔は穏やかで優しかった。

それを見て西村川も微笑んだ。


「お優しいですね。」

「ううん、この子が優しいのよ。」


西村川が立ち上がった。


「さあ、お好きな洋服を選びましょうか。

それでこのワンちゃんにもご用意しましたよ。」


と西村川が先程編んでいた小さなベストを出した。


「あら、可愛い。

でもこの子私が編んだベストを……、」


と彼女は犬を見た。


「着てないわ、どうしたのかしら。」


戸惑ったように彼女が言う。

それを見て西村川が気の毒そうな顔をした。


「どうも事故の時に破れてしまったようですよ。」

「事故……、」


彼女の顔が一瞬凍り付く。

そしてゆっくりと顔を押さえた。


「車、ね、

思い出したわ、散歩の時に車が突っ込んで来たのよ。」


顔を押さえたまま彼女は言った。


「交差点で信号待ちをしていたら信号無視した車が

直進車とぶつかったの。

それが私とこの子の所に……、」


その車は結構なスピードがあった。

彼女と犬以外にも人はいたが逃げることが出来た。

だが足の悪い彼女は間に合わなかったのだろう。

そしてこの犬も巻き込まれたのだ。


顔を押さえた彼女の手がぶるぶると震えた。

西村川は彼女の肩に触れた。


「それは怖かったわね。」


彼女はそっと手を降ろした。


「怖かったわ。

でもこの子は逃げなかった。」


車が向かって来た瞬間彼女は思わず犬のリードを離した。

犬はその時逃げられたはずだ。

だが犬は彼女の前に立ちはだかった。

自分より何十倍も大きなものに向かって。


西村川は犬の頭を撫でた。


「勇敢な優しい子ね。」


犬は薄く目を開けて尻尾を振った。

西村川は座っている彼女を見た。


「どのような服がよろしいでしょうか。綺麗なものが良いかしら。

この子は私が編んだベストでよろしい?」


彼女は犬をじっと見た。


「作業服……、作業服はあるかしら。」

「作業服ですか。」

「ええ、犬の訓練所にいた時に職員の方は作業服を着ていたの。

私は事務だったから違う制服だったけど。」


彼女は笑う。


「一度でいいから犬の訓練がしたかったのよ。」


西村川が頭を下げた。


「承りました。どうぞこちらへ。」


と彼女を店の奥に誘った。


「あ、私は足が、」

「もう大丈夫なはずですよ。」


それを聞いて不思議そうに彼女は立ち上がると

とてもスムーズに動けた。

そして彼女は自分の手を見る。

皺が目立つ手ではない、若い時のような手だ。


「あの……、」


訳が分からない様子で彼女は西村川の後をついて行く。

そして店の奥には倉庫があり、服が驚く程あった。


「作業服はこれですね。」


西村川がハンガーラックを指した。

そこには様々な色の作業服があった。


「綺麗な服だけかと思ったのに……。」


あっけに取られて彼女はそれを見た。


「どんなものでもご用意出来ますよ。」


西村川はにっこりと笑った。




しばらく二人は作業服を選んでいた。


「どのようなお色でした?」

「青よ、それを着て警察犬やペットのしつけとか

訓練していたのよ。若い女の子もいたわ。」

「そうなんですか。」

「今は良いわね、私も若かったらしたかったなあ。」


そこにはあの犬もついて来て二人の様子を見て尻尾を振っている。


「でもこの子、介助犬の訓練は上手く行かなかったけど、

私と暮らしているうちに少しずつ覚えたのよ。

きっとゆっくりと覚えるタイプだったのね。

取って来て欲しいものを頼むと持って来てくれるの。」

「すごいですね、大変だったのでは?」

「ええ、根気はいったけど楽しかったわ。」


西村川が彼女を見た。


「なら訓練のお仕事をされたのですね。」


彼女ははっとして犬を見た。


「そうね。

それでこの子は私が歩くのを助けてくれた。

散歩に行っても絶対に先に行かないのよ。

待っていてくれるの。

この子も私の訓練をしてくれたのよ。」


彼女は腰を下ろすと犬の体を撫でた。


「さあ、この作業着はどうでしょう。」


と西村川が真新しい作業服を差し出した。青い色の上下と作業帽だ。


「最高ね。」

「こちらでお着替えください。」


と彼女を試着室に西村川は案内をした。

もう彼女は普通に歩いている。


しばらくすると彼女が作業着に着替えて出て来た。

そして犬にベストを着せる。


「足は不自由になったけど手は大丈夫だったから

この子にベストを編んだの。

この子はどう思っていたか分からないけど。」


だが犬の尻尾はちぎれんばかりに振られている。


「この様子ではとても気に入っていたのでは?」

「そうかしら、そうなの?」


と彼女は犬の顔をくしゃくしゃと撫でた。


「ではこちらへ。」


と西村川が裏の扉を開けると

そこは芝生の広場で所々に道具が置いてあった。


「訓練所だわ。」


彼女が呟く。

そして犬を見下ろした。


「行く?」

「ワン!」


初めて犬が鳴いた。


「あ、でも待って。」


と彼女が部屋に戻り杖を持って来た。


「この杖も私を助けてくれたし、一緒に行こう。

でもリードがないの。」


西村川が微笑んだ。


「多分もう必要がないと言う事ではないでしょうか。

リードは立派に勤めを果たして消えたのだと思います。」


彼女と犬は顔を合わせて、それから同時に西村川を見た。


「ありがとう。」


一人と一匹は笑いながら走って外に出ていく。

芝生がきらきらと光った。


そして姿は消えた。






交差点の隅に花束と犬のエサが置いてあった。


「そう言えばこの前ここで事故があったよね。」

「うん、ニュースでもやってた。

犬の散歩中に女の人が亡くなったって。」

「ワンちゃんも死んだみたいだね。」


と彼女がちらと犬のエサを見た。


「怖いね。」

「うん、怖い。」


その時信号が変わった。


「もうすぐ地下鉄が来ちゃうから早く行こう。」

「うん。」


二人はかけて行く。




そしてしばらくすると花束と犬のエサは片付けられ、

いつもの日常になった。






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