14 胡蝶の夢




扉のベルが鳴った。


西村川が店を見ると女性が一人立っていた。

どことなく焦点の合わない顔をしている。


「あらあ、」


マダムは彼女に近寄った。


生者しょうじゃだわ、魂だけここに来てる。」


魂だけの彼女はしばらくするとふらふらと歩き出した。

西村川が彼女について行くと、

彼女はかかっている服を見てそっと触っていた。


悪戯をする感じではない。

愛おし気に触っているのだ。


そしてふっと消えた。


「珍しいわね。」


彼女にとっては変わった出来事だ。

そして翌日その彼女はまた現れた。


前日と同じ様にぼんやりとした様子で店内を歩いている。

そしてかけられている服を一つ一つ見ているのだ。

それも愛おし気に。


それは何日か続いた。


西村川も彼女の様子から服に何かをする感じではないので

黙って見ていたが、

さすがにそれが続くとなんだろうかと疑問が湧いて来た。


ある時西村川は彼女の肩に触れた。


「いらっしゃいませ。」


その彼女がはっとした顔をする。

そして急にきょろきょろと周りを見た。


「あ、あの、」

「ここのところ何度かお越しになられましたね。」

「あ、そうでしたか?」


彼女は首をひねっている。


「そう言えば同じところに……、」


彼女は周りを見た。


「そうよ、服だわ。

とても素敵な服ばかりで嬉しくて仕方がなかったのよ。

このお店よ。」


と彼女は満面の笑みで西村川を見た。


このような顔で笑いかけられて西村川も

照れくさいが嬉しくない訳がない。

だが彼女は生者だ。


「嬉しい事をおっしゃって下さるわね。

でもあなたがどこからいらしたかよく分からないの。」

「そ、そうよね……。」


彼女は服を見た。


「私は服を作っているの。ずっと昔から。」

「あら、」


西村川がはっとする。


「私と同じね、ここの服は全部私が作ったのよ。」


現れた彼女が驚いた顔で西村川を見た。


「えっ、すごいわ、一人で全部?」

「そうよ。」


褒められてやたらと西村川が嬉しくなる。


「よく分からないけど、何かしらの縁で

あなたはここにいらしたみたいね。

私は西村川と言うのよ。マダムと呼んで下さるかしら。」

「まあ、いかにもマダムという雰囲気をお持ちね。

私は……、」


彼女が口ごもる。


「じゃあ、夢見さんとしましょうか。」


何となく彼女のイメージだ。


「夢見さん……、可愛い名前を付けてもらったわ。」


彼女、夢見はふふと笑った。


「ところで夢見さんはどのような服をお作りになるの?」


夢見がマダムを見た。


「そうねえ、昔は普通の服を作っていたけど、

今は変わったものが多いわね。

いわゆるアバンギャルドと言うか……。」

「となると結構素材や縫い方も変わったものが多いのかしら。」

「そうね、今は素材も色々あるから新しいものを使ったり、

縫わずに布用接着剤を使う事もあるのよ。」

「まあ、変わってるわね。

ここではそんなに変ったものはないけど、

そう言うものも取り入れた方が良いかしら。」


夢見が少し笑った。


「どうかしら、このお店はわりとトラッドな物が多いわね。

でもそれもとても素敵よ。

やはり基本が大事だもの。」


彼女は近くのトルソーに着せられている服を見た。


「1950年代のワンピースのデザインよね。

昔の映画スターが着ているみたいな。

女性らしいラインでエレガントだわ。」

「そうね、この頃は女性と男性のデザインははっきり分かれていたわね。

今はユニセックスで誰が着ても良いデザインが多いけど。」

「1960年代になるとミニスカートが出てくるから

また感じが変わるのよねえ。」


と夢見が言うとまた違うトルソーを見た。


「こちらは1980年代の黒っぽいかっちりとしたデザインね。

肩パッドがばーんって。

私、この頃はマヌカンをしていたのよ。」

「懐かしいわね、刈り上げていたの?」

「いたわよ、眉毛もだんだん太くなったの。」


二人は顔を合わせて笑った。


「本当にこのお店は凄いわね、色々な服がある。」


夢見は店の奥の裁断台を見た。


「あちらがマダムの仕事場なの?」

「そうよ、見たい?」

「良いのかしら。」

「良いわよ。」


と西村川がそちらに彼女を招いた。


「すごいわ、ミシンもすごい。」


裁断台には布が広げてあり、その上には重しが乗っていた。

今から裁断をするのだろう。


「今から布を裁断するのね。」

「そうよ、スカートを作るの。」


と言うと西村川がささっと裁断を始めた。

それをぽかんとした顔で夢見が見る。

裁断はあっという間に終わってしまった。


「……型紙無しなの?」


あっけにとられた顔で夢見が言った。


「私はいらないわ。」


と言うと夢見が手を合わせて彼女を見た。


「凄すぎる、もう、私の仕事を手伝って欲しい。」


彼女は真剣な顔だ。


「マダムってなんて人なの?びっくりよ。こんなの見た事無いわ。」


さすがに西村川は恥ずかしくなって来た。


「あなた、ほめ過ぎよ、なんだか恥ずかしくなって来たわ。」

「ううん、素晴らしいわ。」


彼女は西村川の仕事場を見渡した。


「道具もすごいし、こんな場所やマダムみたいな方がいらっしゃるなんて、

私はとても良いものを見た気がする。」


彼女はミシンを見た。


「ミシンも素敵ね、色々な種類があるわね。

足踏みミシンもあるのね。」


彼女はそれに近寄った。


「懐かしいわ。」


夢見は西村川を見た。


「あの、触っていいかしら。大事な道具よね?」


彼女は話が出来るようになってから

この店のものは何一つ触らなかった。

嗜みとして控えているのだろう。

西村川は彼女には触らせていい気がした。


「良いわよ。」


すると夢見が嬉しそうに足踏みミシンに触れた。


「子どもの時に母がこんなミシンで服を作ってくれたわ。」

「昔は服は高かったものね。服を作るお母さんは沢山いたわね。」

「そうよ、今は既製品があるから良いけど、

昔は手作りの服よ。」


夢見が西村川を見た。


「母はなかなかミシンを触らせてくれなかったのよ。

危ないって。

子どもの指は小さいから縫っちゃうといけないって。」

「そうねえ、ミシンは機械だから指だろうがお構いなしよね。」

「でもね、私は母がいない時に黙って使っちゃったの。

それで母にエプロンを作ったのよ。

簡単なものよ、ただの長方形に紐を縫い付けただけだけど。」

「あら。」

「そうしたら母はびっくりしてね、

ミシンを使って良いと言われたの。嬉しかったなあ。」


夢見が優しい顔になった。


「母の裁縫箱とか宝物みたいだったな。

綺麗な色の待ち針とか指ぬきとか。きらきらしてたわ。」

「ボタンも高いものだと本当のアクセサリーみたいよね。」

「貝ボタンなんか虹色よ。」

「そうよ、とても綺麗。」


夢見が近くにあった鋏を見た。

鳥の形をしたものだ。


「同じ鋏を母が持っていたわ。」


西村川が鋏を手に取り彼女に渡した。

夢見は大事そうにそれを両手で受け取る。


「母は大事にしていたわね。

いつの間にかどこかに行ってしまったけど。」

「綺麗よね、私もこの鋏はお気に入りなの。」

「洋裁もいつの間にか道具にこだわっちゃうわね。

こんなきれいな鋏とか、シンブルとか。」

「男の人が道具にこだわるみたいに?」

「男も女も一緒よ。

好きなものって凝りまくっちゃうのよ。」


二人は顔を合わせて笑った。


その時だ。


西村川が表扉を見た。

そして夢見もそちらを見る。


「夢見さん、なんだか時間が来たみたい。」

「そうなのかしら、すごく楽しいけど。」

「誰か呼んでるわよ。」


夢見が少しばかり悲しい顔になる。


「帰りたくないなあ。」


それを見て西村川が少し笑った。


「大丈夫よ、

もしかするとまたあなたはここに来るかもしれないわ。」

「そうかしら。」

「ええ、それまであなたも頑張って服を作って。」


夢見も笑う。


「そうね、マダムに負けないぐらい作るわ。」

「そうしてちょうだい。」


西村川が表の扉を開けた。


「またのお越しをお待ちしています。」


夢見が光の中に消えた。






「先生、先生!」


夢見がはっと気が付くとソファーで横になっていた。

目の前に助手が涙目で彼女を見ていた。


「あー、良かった、気が付いた。」

「ど、どうしたの?」


夢見が寝ぼけた目で起き上がった。


「どうしたのじゃないですよ、

死んじゃったかと思って焦りましたよ。」

「死んでないわよ。」

「何言ってるんですか、

ここのところほとんど寝ていないでしょ?徹夜続きで。

少し寝るとおっしゃって奥に行ったら全然起きて来ないから、

様子を見たら真っ青な顔で……、」


彼女ははっと思い出した。


もうすぐショーの時期だ。

その準備に追われていたのだ。

だが全てがしっくりと来ない。

自分自身に行き詰まりを感じていた。

毎日苦しくて仕方がなかったのだ。


だがここのところいつも同じ夢を見ていた気がする。


どこかに行った夢、

そこで何かを見ていた。

とても楽しい夢だ。


「……、足踏みミシンってあったっけ?」


夢見はぼそりと言った。


「足踏みミシンですか?」

「ええ、昔置いてあった気がしたけど。」


助手が考える。


「そう言えばずいぶん前に奥の倉庫で見た気がします。」

「悪いけど探してくれる?私も倉庫に行くわ。」

「はい。」


二人は倉庫で探し出した。

いつの間にか他の者もやって来て倉庫内を探した。

すると奥の奥に埃をかぶった足踏みミシンがあった。


「一応カバーがかかっていたから

本体は痛んでいないみたいですけど。」


それを皆で中から出して確かめた。


「年代物ですね。」

「そうよ、私の母が使っていたものよ。」


懐かし気に夢見がミシンに触れた。

その引き出しをふと開けると中に光るものがあった。


「鋏……。」


それは彼女の母が使っていた鳥の形の鋏だ。


何十年ここに入っていたのだろうか。

ずっと放置されていたがほとんどくすんでいなかった。

鳥はぴんと背を伸ばして、その目は輝いていた。


「鋏ですか?」


助手がそれを覗き込む。


「ええ、母が使っていたものよ。

どこかに行ってしまったと思ったけどここにあったのね。」

「全然綺麗ですね。凄いな。」


助手が少し笑う。


「この鋏って、手芸好きの人は一度は欲しいと思う道具ですよ。」


夢見も笑う。


「そうよね。」


と彼女は鋏をそっと両手で包んだ。


「ミシンは使えるかしら。一度修理に出した方が良いわよね。」

「足踏みミシンを修理してくるところはありますから、

一度メンテナンスをお願いしましょうか。」

「そうね、じゃあ手続きしてくれる?」

「はい。」


夢見が皆を見た。


「みんなショーの準備で忙しい時に悪かったわね。

でも変更するかも。」


皆がはっと夢見を見た。


「先生、何か思いついたんですか?」


皆は夢見がスランプ気味なのに気が付いていた。


「そうね、基本に戻ろうと思って。」


皆が顔を見合わす。


「みんなにはちょっと、と言うかかなり無理を聞いてもらうかも。

それでもいいかしら。」


夢見はにっこりと笑う。

最近見なかった彼女の笑い顔だ。


「はい。」


それを見た皆は嬉しそうに返事をした。






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