13 ボタン





「ほらママ、やっぱりお店があったでしょ。」


といつもより元気に扉のベルが鳴る。


西村川がそちらを見ると3歳ぐらいの女の子がいた。

その後ろにはその子の母親だろうか、

驚いた表情の女性が立っていた。


「あら。」


西村川が二人に近寄る。

母親は戸惑った顔で言った。


「あの、お店があるなんて知らなかったので……、」

「そうですか。」


と西村川は言ったが少々困った事になったと思った。


この店は特別な店だ。

普通の人はここは見えない。


だが勘の良い人や子どもには稀に見えてしまう事がある。

それでこの子は入って来てしまったのだろう。

つられて母親も。


「子ども服を買いに来たけど、

こんなお店があるなんて知らなかったわ。」


母親は周りを見渡す。

明らかに高そうな服ばかりだ。


「このお店はオーダーしか扱っていないんですよ。

なので服は全て注文品です。」


西村川はやんわりと言った。


「拝見してもよろしいかしら。」


母親が言う。

彼女は西村川が止める間もなく並んでいる服を見始めた。

綺麗にマニキュアされた手が服に触れる。


「素敵ねぇ、こんな服見た事が無いわ。」


彼女がちらと西村川を見た。


「値札が付いていないけどおいくらなのかしら。」


その母親が身に付けているものはなかなかの高級品の様だった。

指輪やピアスもきらきらと輝いている。


「オーダー品ですので値札は付けておりません。」

「あらそう。」

「なら注文すれば作って頂けるのかしら。」

「そうですね、でも今はご注文がいっぱいなので、

すぐにはお受けできません。」

「あらあ、そうなの。」


西村川はにっこりと彼女を見た。

母親は服をしばらく見てから手を離した。


「ですがいずれここにいらっしゃるかもしれませんので、

その時は対応させていただきますね。」


子どももしばらく服を見ていたがもう飽きてしまったのだろう。


「ママ、もう行こうよ。」


ここには大人の服しかない。


「そう、じゃあお邪魔したわね。」


と母親は子どもを連れて出て行った。

西村川は頭を深々と下げたが、

二人が出て行った後、彼女が触った服を見た。


ボタンが一つなかった。


「持ち出しちゃだめって言えば良かったわね。」


と彼女はため息をついた。




そしてしばらくした頃だ。

ベルが鳴り、ふっと店内に気配が湧く。


西村川がそこを見ると先日店に来た母親がいた。


彼女がそこに近寄ると母親はぼんやりとした顔をしていた。

この前着ていたような華やかなスーツを着ている。


「あの……、」


彼女は戸惑ったように西村川を見た。


「先日、いらっしゃいましたね。」


彼女ははっとして周りを見た。


「あ、ええ、そう、あのお店ね、でもどうして。」


西村川が手を差し出す。


「持って行ったものがあるでしょ?」

「何を……、」

「ボタン、持って行ったでしょ?」


彼女が眉を潜めた。


「そんな事してないわ。」

「じゃあ、どうしてまたここに来たの?」

「それは……、分からない。」


西村川が微笑む。優しい顔だが目が笑っていなかった。


「返さないといけないからここに来たのよ。」


彼女はじっと母親を見た。

しばらく二人は身動きしない。

やがてのろのろと母親がポケットからボタンを出した。


「すみません。」


彼女は西村川の手の平にそれを置いた。


「そうよ、泥棒はだめよ。それに服を傷つけたわ。」


母親はきっと西村川を見た。


「だって、断るんだもの。綺麗な服だったのに。」

「今はだめだけどそのうちここに来るかもとは言ったわよ。」

「そ、そうだけど……。」


母親は黙り込んでしまった。


「まあ、私もはっきり言わなかったし、

今回は返しに来たからこれで終わりにするわ。」

「返しに来た、と言うか、どうしてここにいるか分からない。」


母親は戸惑った顔をした。


「あの子が呼んでいるから今日は帰してあげる。」


西村川が扉を指さした。

そちらからどこからか子どもの泣き声が聞こえてくる。


「それともうあの男と会っちゃだめよ。」


母親がぎくりとする。


「顔を殴られたんでしょ。

目だけで勘弁してあげる。

そしてご主人には誠心誠意謝りなさいね。

あの人はあなたにはもったいないぐらいの良い人よ。

それにあの子もお母さんをちゃんと見てるわ。」


西村川が表の扉を指さした。


「出ていきなさい。」


彼女は訳も分からず言われるまま扉に手を掛けた。




そして気が付くと病院のベッドに寝ていた。


「ママ!」


子どもの声がする。

その横には難しい顔をした彼女の夫がいた。

それを見て彼女は悟った。

全てばれたのだ。


「あの……、」


彼女が起き上がろうとするが夫が止めた。


「とりあえず体を治せ。

これからの事はそれからだ。」

「私……、」

「男に殴られて左目がだめになった。」


彼女ははっとして自分の顔を触った。

左側の顔が包帯にくるまれている。


彼女はふうと思い出す。


― 目だけで勘弁してあげる。


あれは誰が言ったのか。

そして誠心誠意謝れと。


彼女の眼から涙が溢れ出す。


「ご、ごめんなさい……、」


彼女は呟くように言うと体を横にして丸くなって泣き出した。

嗚咽が病室に響く。

すると子どもが母親の頭を撫でた。


「ママ、よしよし、寂しかったんだね。」


それを聞くと母親が声を上げて子どものように泣き出した。

父親はそれを聞いて複雑な顔になると椅子に座った。


「仕事は調整した。しばらくこちらにいる。

ずっと留守にしていたから、

それもいけなかったかもしれん……。」






西村川が戻ってきたボタンを服に縫い付けた。


「土台の布が傷んでなくて良かったわ。」


その時子羊がコンテナを持って入って来た。

彼は荷物を置くと周りを見渡した。


生者しょうじゃですか。」

「そうよ、入って来ちゃってね。

ボタンを盗られたけどさっき返って来たわ。」

「ここの物を盗るなんて命知らずですね。」


西村川がため息をつく。


「前に入った時にはっきり言えば良かったわ。

生きている人間はこの服は着られないって。

子どももいたから強く言えなかったのよ。私も悪い。

普通の人にはちゃんと言わなきゃ分からないから。」

「だから目一つで終わりにしたんですか?」

「そうよ、それにあの人、あまり宜しくない事もしていたから、

お仕置きをする意味もあったのよ。」

「子どもがいたから?」

「それもあるしご主人も良い方みたいだから、

反省しなさーい!という意味ね。

淋しいからってほいほい男について行っちゃだめって事よ。」


子羊がちらと西村川を見た。


「お優しい事だ。」

「そうよ、私は優しいのよ。」


彼女は腕組みをして子羊を見下ろした。


「怖いので俺は帰ります。」


と子羊が空になったコンテナを持って

裏口から素早く帰って行った。


「なによ、怖いって。」


西村川は少しふくれるが、

作りかけの服があるのだ。


「もう良いわ、作らないとね。私は真面目なのよ。」


と言うと彼女はミシンに向かった。






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