12 羽衣




子羊が気が付くとそこに女性が立っていた。

若い女だ。


見た目はわりと良いが肌も露わな、

どちらかと言えば下品な感じの服だ。


彼女はぽかんと立っている。

子羊は彼女を値踏みするように上から下までじろじろと見た。


「なに見てんの。」


彼女はそれに気が付いたように急に顔が変わり、

怒って言った。

だが子羊の顔は変わらない。


「何か言いなさいよ!」


女が再び怒鳴る。


「うるさい、黙れ。」


子羊が静かに言い立ち上がった。

女は一瞬気色ばむ。


「お前、名前は。」


女ははっとする。


名前が思い出せない。

そして自分が今までどう生きて来たのかも。

子羊はちらと彼女を見た。


「じゃあお前は羽衣だ。」

「羽衣?」

「鷹の羽衣だ。おい、羽衣、お前の仕事を教える。」

「何よ、偉そうに。」

「お前の仕事は注文書通りに布を裁って小物を用意して

コンテナに入れて配達する。

後ろの扉から出れば配達先は分かる。」


羽衣は何か言い返そうとするが、

自分の手に紙があるのに気が付いた。


「それが注文書だ。

午前8時にここに来て午前9時までに配達しろ。

毎日だ。」

「何であたしが、」

「するんだ。」


子羊の眼鏡の奥でその目がギラリと光った。

すると彼女は何も言えなくなった。


そして気が付くと目の前には反物が沢山あった。

彼女はあっけに取られてきょろきょろとすると、

そこは建物の中だった。

色々な所に様々な反物がびっくりするほどたくさんある。

そして手元の紙を見た。


「ジャガード5メーター、コンシールファスナー各色56センチ1本ずつ……、」


先程の恐ろしい雰囲気の男が言った注文書だろう。

仕方なく彼女は布を探し出した。

だが、


「なに、これ!すっごいキレイ!」


彼女は歓声を上げた。

イタリア製の布だ。


「10センチで1500円ってバカみたいな値段。

1メートルだといくらだっけ?」


それは最高級のシルクの布だ。

美しく鮮やかな柄で実に手触りが良い。

その布の横にも同じような高級な布がある。


彼女は嬌声を上げてそれらを出して自分の体にかけて遊んでいた。

その時、いきなり彼女の体が飛ぶ。


「何すんのよ!」


床に転がった羽衣が怒鳴り振り向くと、

そこには怒りの表情の子羊がいた。

恐ろしい顔をしている。彼が羽衣を蹴ったのだ。


彼は何も言わず布をすぐに片づけて、

床に座り込んでいる彼女の上にコンテナを落とした。


「痛いじゃない!」


と彼女は言ったが全く痛くない。

先程蹴られた後もなんとないのだ。

そして彼女は気が付くと先程のボイラー室にいる。


子羊が無言のまま彼女の服を掴むと

コンテナごと裏の扉から彼女を放り出した。

彼女は倒れ込む。


「なによ!あのクソ男!」


彼女は周りを見渡した。

下は所々に穴が開いているアスファルトの道だ。

なぜかじっとりとしている。

そして周りは古いボロボロの日本家屋の壁だ。

自分が育った貧乏な下町のような……。


彼女は一瞬ぞっとする。

その頃の生活を思い出したのだ。

彼女はさっと立ち上がり自分が放り出された扉を見たが、

そこに扉は無かった。


周りの壁にも小さな窓があるだけで扉はない。

この道を行けばもしかすると脇道があるかもしれない。

そう考え仕方なく彼女は立ち上がりコンテナを持って歩き出した。


だがすぐに扉が見えて来た。


「西村川衣料洋品店 裏口……。」


彼女は扉を叩く。

するとすぐに返事があった。


「お入りなさい。」


女性の声だ。

彼女は扉を開けた。




そこは洋裁室だった。

裁断台には布が広げてあり、それはきらきらと輝いていた。


そこに一人、女性が座っており、

手には糸と針を持っている。

その近くには光るものが容器に沢山入っていた。


「あら、女の方ね、

コンテナはそこに置いてちょうだい。」


彼女が裁断台の横の棚を指さす。

女は言われた通りに置くがちらと裁断台の上を見た。


薄く綺麗な布にきらきらしたものが散っている。

スパンコールだろうか。

それを一つ一つ縫い付けているようだ。


「うわーあ、キレイ、」


と羽衣が手を伸ばした。

すると検品している西村川が言う。


「触っちゃだめよ。けがれるから。」


羽衣の動きが止まる。


「……どう言う事だよ、汚れるって。」


どすの効いた低い声だ。


「その通りよ。

お客様にお渡しする服だから。触っちゃだめ。」


羽衣がきつい顔をして言った。


「ばばあ、言葉に気を付けろよ、

あたしが誰だか分かってんのか……、」


と彼女は言うがその言葉が続かない。

自分は一体誰だ……。


羽衣の動きが止まった。


「あらあ、注文は子羊さんがまとめたみたいね。

あなた何をしていたの?

ちゃんとお仕事しなきゃだめじゃない。

それに時間も守らないと。

午前9時までにはここに来なきゃだめよ。」


羽衣はただパクパクと口を動かしているだけだ。

そして彼女の姿が消えた。


そして羽衣が気が付くとボイラー室の隣の部屋にいた。

壁にかかっている時計は午前7時50分を指している。

目の前には怖い顔をした子羊がいた。


どうしてここにいるのかよく分からなかった。

だが昨日この男はかなりひどい事を自分にしたのだ。

そして妙に怖い。

ムカつく男だが彼の言う事は聞いた方が無難な気がした。


彼女はにっこりと彼に笑いかけた。


「昨日はごめんなさァい。」


彼女は甘ったるい調子で彼に言った。


羽衣は自分の容姿にはかなり自信があった。

少し甘えた声を出すと男の態度が変わる。

特に女に縁がなさそうな男には優しく話しかけるとすぐなびく。

簡単だった。


だが子羊は眉すら動かさない。

瓶底眼鏡の奥の眼も動いていないようだ。

彼女は机に近づき少しばかり上半身を傾けた。

胸の谷間を見せつけるのだ。


「時間を見ろ。」


7時55分だ。


「今日時間に遅れたらお前はクビだ。」


羽衣はむっとする。


「どう言う事よ、雇われたつもりはないわ。」


子羊がうっすらと笑う。


「誰もお前みたいな奴は雇わない。

でも相手をしているんだからむしろ感謝して欲しいぐらいだ。

とっとと仕事しろ。」


羽衣が自分の手を見るとそこには注文書があった。


多分何をしてもだめなのだろう。

彼女は大袈裟にため息をつくと部屋を出て行った。




羽衣は今日は時間通りに西村川衣料洋品店に来た。


「あら、今日はちゃんと来たのね。」


羽衣は返事もせずどんとコンテナを置いた。

それを西村川が検品をする。


その間彼女は洋裁室や店の方を見た。

店の入り口にはモールガラスがはめられた扉がある。

その向こうには人が行きかう影が見えた。


「今日はあなたがちゃんとまとめたのね、

間違いもないわ、お疲れさま。」


昨日と違って店の主人の態度は柔らかい。

羽衣は思わず聞いた。


「ここって何なの?服屋?」


西村川は彼女を見た。


「昨日は全然お話出来なかったわね。

そうよ、ここは服屋さんよ。」


と西村川が椅子を出して彼女に勧めた。

羽衣は素直にそれに座る。


「私はこの店の主人よ、

西村川と言うけどマダムと呼んでちょうだい。

それであなたの名前は?」

「あー、あの子羊ってのが羽衣だって。鷹の羽衣。」

「あらぁ、鷹の羽衣、ねえ。」


西村川が少し考えこむ。


「ところで羽衣さん、あなたどうしてこのお仕事をしているか知ってる?」


羽衣が難しい顔をして首を振った。


「あらまあ、また子羊さんは説明していないのね。」

「説明って?」

「まあいいわ、とりあえずしばらく真面目にお仕事をした方が良いわよ。」


そして彼女はコンテナを見た。


「あなた、布は上手に切ってあるわね。

それと少し長めに切ってるわ。」


羽衣がはっとする。


「ダメだった?布って縮むでしょ?」


西村川が少し笑った。


「全然良いわよ。

お店はちょっと困った話だけどこちらはありがたい話だわ。」






そして羽衣は毎日ちゃんと配達をしていた。

西村川に褒められたのが気持ち良かったのだ。


「あのバカ子羊は相変わらずだけど。」


羽衣は時々西村川と話をするようになった。


「あの人はねぇ、あんな感じだから。」


彼女はふふと笑う。

西村川も同性の人と話すのもあまりない。

羽衣と話が出来るのが少しばかり楽しい様だ。


「眼鏡の下は結構いい男っぽいのに愛想がないし乱暴だし。」

「でも最近は羽衣さんはちゃんとお仕事をしているから

そうでもないでしょ?」

「まあ暴力はないけど言葉がねぇ……。」


羽衣の顔が暗くなる。


「乱暴な男の人は嫌い?」

「大っ嫌いだ。」


彼女は表の扉を見た。

外は昼間だ。

人影が何人も通り過ぎる。


「マダム、お客さんって来るの?」

「来る時は来るわよ。」


羽衣はかけられている服を見た。


「どれも高そうだよね。」

「高いわよ。」

「マダムが全部作ったの?」

「そうよ。」


羽衣は裁断台を見る。

初めて来た時に作っていたスパンコールを縫い付けていたものはもうない。

別の布が置いてあった。


「ねえ、マダム、あたしも服って作れるかな?」


西村川がはっとして彼女を見た。


「いや、いい、無理だよね、あたし作った事ないし。」


西村川が腕組みをして彼女を見ながら何か考えている。

羽衣は急に恥ずかしくなりもじもじとし出した。

そしてマダムは真剣な顔で言った。


「無理じゃないわよ。良かったら作ってみる?」


羽衣の顔がぱっと明るくなった。


「でもここの道具は触らせられないのよ。」


羽衣は最初に彼女が言った言葉を思い出した。


「……あたしがきたないから?」


マダムがふっと笑う。


「ここの物は全てお客様の物なの。

道具もそれを作るためにあるのよ。

最初私もあなたの事がよく分からなかったからそう言ってしまったけど、

あなたが努力すれば素敵な服が作れると思うわよ。」




翌日、羽衣が小部屋に行くと台車が置いてあり、

そこには箱に入ったミシンとアイロンとその台が置いてあった。

そして他にも裁縫道具がまとめてビニール袋に入っていた。


「これって……、」

「マダムからの注文だ。それで注文書を見ろ。」


そこには綿100パーセント、ブロード生地、

もしくはオックス90センチ幅7メーターまたは

110センチ幅6メーターと書いてあった。


「お前が好きな模様にしろとの事だ。」


子羊が言う。

羽衣は嬉しそうに笑うとあっという間に部屋を出て行った。

そしていつもより早く彼女は部屋に戻った。


「行って来まーす!」


実に嬉しそうに彼女は裏の扉から出ていく。

子羊が珍しくぽかんとした顔になった。




「あらまあ、今日はすごく早いのね。」


洋品店に着くと西村川が驚いた。


「だって、あの、その、」


と羽衣が真っ赤な顔で頭を下げた。


「ありがとうございます!」


マダムがふふと笑う。


「全部あなたのものよ。

それで道具はこちらのテーブルに置きなさい。」


コンテナを置く棚の横に小さめのテーブルがあった。


「あなたの場所よ。作業しやすいように綺麗に整えて使いなさい。」


自分の場所なのだ。

羽衣は嬉しくて仕方がなかった。

そして彼女の様子は少し変わっていた。


「それで縫えるの?服作りたい。」

「まだよ、まず布は水通ししないといけないから。

スチームをかけても良いけど、とりあえず洋裁の基本を教えるわ。

あなた、裁縫道具は触った事はないんじゃない?」


そう言われればそうだ。

普通は小学校で裁縫箱を買う。

だが自分は持っていなかった。


と言うか小学校すらまともに行っていない。

恐ろしい男が近くにいた。

暴力と、とても口で言えない事を……、


羽衣はふっと顔を押さえて動かなくなった。

それを西村川が見る。


しばらくすると羽衣が顔を上げた。


「ごめん。」

「良いのよ。」


と彼女は羽衣が選んだ布を見た。

水色の地に小さなカモメとヨットが一緒にプリントされている生地だ。


「マリン柄ね。オックスだわ。」

「これで良かった?それでマリンって何?」

「柄合わせの事は言わなかったけど、この模様なら大丈夫ね。」

「柄合わせ?」

「ストライプやチェックとかだと模様が繋がらないと

おかしな事になるのよ。」

「ふうん。」

「どうしてこの柄にしたの?」


西村川が聞く。

羽衣が少し首を傾げた。


「さっきマリンって言ったけど。」

「マリンは海の事よ。これはヨットとカモメでしょ。」


羽衣がはっとした顔をする。


「そんなに考えずにこの柄が良いなと思ったからこれにしたけど、

あたしは海を見た事がないんだ。」

「そうなの?」

「うん、きったない下町生まれでさ、

母ちゃんは早いうちに出てった。

父ちゃんがいたけど酒飲みでさ、変な男がいつも出入りしてさ……、」


羽衣が再び動かなくなる。

西村川は何も言わず道具を整理した。

やがて彼女は気が付いた。


「ごめん、ちょっとぼんやりした。」

「良いわよ、海は見た事がないって言ったわね。」

「うん、テレビではあるけど。

一度見たいなとは思ってた。だからその柄にしたのかな。」

「かもしれないわね。

なら海に着て行けるような服にしましょうか。

爽やかな色だからスカートがふわっとしたワンピースはどうかしら?

風に揺れるわよ。」

「お嬢様みたい?」

「良いじゃない。」


とマダムは笑い端切れをたくさん出して来た。

そして小さなトルソーも。


「ミニトルソーよ。

お人形さんぐらいかしら。」


羽衣が興味深げにそれを見た。


「お人形さんに服を作ってあげた事はある?」

「ううん、ないよ。お人形なんて買ってもらってない。」


西村川がトルソーを彼女の前に置いた。


「ずっと仕舞ってあったからあなたにあげるわ。

まずこの子に服を作ってあげましょう。

練習でこの端切れでスカートでも作る?」

「スカート?」

「そう、すごく簡単なギャザースカートよ。

端切れで長方形の布を裁って、

脇を縫ってウエストにゴムを通す所を作って

裾を縫うと出来るわ。」

「そんなで良いの?」

「ミシンの練習もしなければいけないし。

アイロンのかけ方も教えてあげる。」

「はい。」


とても良い返事だ。






羽衣はそれから洋裁室にこもった。

そしてあっという間に色々と覚えていく。

最初は簡単なものだったが、

次にはミニトルソーのワンピースを作る事となった。

トルソーは既に羽衣が作ったギャザースカートと

かぶるスタイルのシャツを着ていた。

両方とも簡単な作りのものだ。


「今度はワンピースよ。

まずトルソーの採寸をしないと。」


マダムがそう言うと羽衣がメジャーを取り出した。


「そうね、着丈に肩幅、胸囲、ウエスト、袖丈……、

半袖にする?」

「半袖にする。海に着ていくから。」

「じゃあ半袖ね。」


と二人で採寸をしてメモをしていく。


「あなたが思ったような服になると良いわね。」


西村川が彼女を見た。

羽衣の服はいつの間にか大人し気な服になっていた。


「うん、自分が好きな服が着たい。」

「好きな服は着た事はないの?」

「いつも男がエッチな服を持って来た。」


羽衣がふと自分の姿を見る。

地味な白いシャツと紺色のスカートだ。


「あれ、いつもと違う服だ。」

「結構前からそんな感じの服よ。」

「気が付かなかった。変なの。」


と羽衣が笑う。

それを見てマダムも笑った。


「あなたもずいぶんと苦労したみたいね。」

「あー、そうだったかな。」


と羽衣の動きが止まる。

そしてしばらくすると彼女は目を手で押さえた。

そのまま動かない。


西村川は少し彼女を見て、

羽衣に寄ってそっと肩に触れた。


「見たくないものをいっぱい見たのね。」


目を押さえたまま羽衣が頷く。


「かと言って全然関係ない男の人に酷い事をしても

仕返しにはならないわよ。」


目を押さえた羽衣の手から涙が溢れて来た。


「……男はあたしの体しか見てない。散々もて遊びやがって。

だから男から金を取ってやった。」

「それは誰かに言われたの?」

「そう、あいつが騙してやれって。

あたしが男と寝ている時にあいつが仲間と来て男を脅かしたんだ。」

「他の男の人にお金がいるからって騙した事もあるんでしょ?」

「あるよ、何度も何度も……。」


羽衣は目は手で押さえたままだ。

その手を西村川がそっと外そうとするが彼女は首を振った。

それを見てマダムは優しく言った。


「見なきゃだめよ、自分がやった事を。」


それを聞いて羽衣がぎくりとする。


「だめ、怖い。」

「そうね、怖いわね。でも見なきゃだめ。」


そしてマダムは彼女の手をそっと下に降ろした。

羽衣は目を閉じている。


「あなたが子どもの頃にとても酷い目に遭ったのは知ってるわ。

可哀想だと思う。

でもそれはあなたが陥れた男の人には関係ない話なのよ。」


羽衣がゆっくり目を開ける。


「でもあたしはどうしたらいいの?

黙って我慢すればよかったの?」


と羽衣が腹を押さえた。


「そうじゃないわ、逃げれば良かったのよ。

でもあなたは楽な方を選んでしまった。

身も心も縮こまっていたから。

そこから逃げるのも大変な気力がいるものね。

ある意味あなたも被害者なのよ。」

「刺されたのも私が悪いの?」


羽衣が抑えた腹から血が流れ出た。


「それはあなたが悪いの。

相手の方は借金をするぐらいあなたにお金を渡したのよ。」

「だって……くれると言うから……、」


二人の目が合う。


「その人もあなたと同じで淋しい人だったのよ。」


羽衣の顔がはっとするとまた涙が流れた。

しばらく西村川が彼女の手を握ったまま寄り添っていた。


「マダム……、」


羽衣がぼそりと言った。


「あたしって刺されて死んだんだよね。」

「そう。」

「それでこんな仕事しているのは罪を犯したから?」

「そうよ、罪を償っているのよ、贖罪よ。」


羽衣はため息をついた。


「あたしに酷い事をした男はどうしてるの?

あたしと同じように仕事してるの?」


マダムは首を振った。


「あなたより先に死んじゃった人は違う所に行ったわ。

あなたの事件の後に何人か逮捕されたけど、

あの人達はどうなるかしらね。

刑務所で更生すれば良いけど心根がねぇ。

多分ずっと後に違う所に行くと思うわよ。

それで今のあなたみたいにこんなお仕事をしている人は事情がある人。

あなたは子どもの頃に酷い目に遭ったから

それも考えてこのお仕事に就いたと思うのよ。」

「なら、もしかしたら許されるかもしれないの?」

「頑張ればね。」


西村川が頷く。

それを見て羽衣が涙を拭いた。


「じゃあ、あたし頑張る。」

「そうね、そうした方が良いわ。」


そして羽衣は彼女を見た。


「マダム、ありがとう。」


それを聞いて西村川は嬉しそうに笑った。





それから二人はまずミニトルソーの服を作り出した。


「待ち針や縫い針の数は始まりと終わりにはちゃんと数えなさい。」

「どうして?」

「お客様の服に待ち針が付いたままならどうなると思う?」

「刺さる。」

「そうよ、大変な事よ。絶対に数は数えてね。」


服を作るとなると西村川はとても厳しかった。

少しでも縫い目がずれると縫い直しだ。


「マダム、厳しい。」

「当たり前よ、製品として立派なものにしないと。」


それがプロの仕事なのだろう。

羽衣はミニトルソーのワンピースを見た。


普通の女の子だったら小さな頃にお人形さん遊びをしただろう。

テレビCMでもお人形のものがある。

羽衣はそれを見て小さな頃に欲しいなと思った事はあった。


「あたし、小さい時にお人形さんが欲しかったんだ。」

「そうよね、女の子はそれで遊びたいとたいてい思うわよ。」


羽衣がふっとため息をついた。


「でも買ってもらえなかったなあ。」


西村川が仮縫いのワンピースを着たトルソーの首に

綺麗な色のリボンを結んだ。


「ちょっとお人形とは違うけど、

この子も可愛いでしょ?

きっと綺麗にして欲しいと思ってるわよ。」


羽衣がそれを見た。


「そうだね、キレイにしたいなあ。」


彼女は既にトルソーに何枚か服を作っていた。

マダムから貰ったものだがもう羽衣のものだ。

羽衣はトルソーを持ちそっと仮縫いのワンピースを脱がせた。

これから本縫いだ。


「可愛いの作るからね。」


羽衣は優しく言った。




やがてミニトルソーのワンピースが出来上がる。

それは羽衣が選んだ生地で作ったのだ。


「すっごい可愛い。」


羽衣がうっとりとそれを見た。

半袖の爽やかな印象のワンピースだ。


「まあまあね、これがあなたのワンピースが

出来上がったイメージよ。」

「うーん、テンション上がるぅ。」


羽衣が身を縮めてぶるぶると震える仕草をする。

それ見て西村川が笑った。


「じゃあ今度はあなたの採寸ね。」

「はーい。」


と彼女が服を脱ぎだし西村川が彼女のサイズを測った。

そしてウエストを図っている時に、

下着越しに彼女の腹の傷が見えた。


それをそっとマダムが押さえた。


「痛かった?」

「うん、痛かったよ。

でもあたしが悪かったんだよね。あの人に可哀想な事をした。」

「本当にそう思う?」


羽衣が少し首を傾げて考えた。


「親が病気で入院したと言ったら真剣に聞いてくれたよ。

だからお金がないと言ったら出してくれた。

その時はラッキーと思ったよ。

多分この人は私とヤリたいだけでお金を出したと思った。

でも少しは同情してくれたんかなと。」


羽衣がマダムを見た。


「もしかしたらあたしが嘘を言わなかったら、

違う付き合いが出来たかな。」


羽衣は少し黙り込む。


「あの、あたしを刺した人はどうなったの?」

「ああ、あの人ね。」


西村川がメジャーを引き出した。


「人を刺して死なしてしまったのは罪に問われたけど、

ある意味被害者でもあるから執行猶予が付いたわ。

心の病にも罹ってしまったから。

それで今はそう言う人を支えてくれる施設にいるの。

仲間も出来たみたいでね、静かに暮らしているわよ。

あなたにも悪い事をしたと思っているみたいよ。」

「そう……。」


彼女は俯いた。

マダムはふっと笑うと採寸を手早く済ませた。


「じゃあ、明日は型紙を作って裁断しましょうか。

縫い始めるときっとすぐ出来るわよ。」

「うん。」


羽衣が顔を上げて笑った。

彼女はその頭を優しく撫でた。


「そう言えばマダム、」

「なあに。」

「あたしが初めてここに来た時にきらきらしたもの作ってたよね。」

「ああ、あれね、あれはドレスよ。」


というと彼女は服がかかっている所から

白いドレスを出した。

全体に刺繍がしてあり、その刺繍にはスパンコールとビーズが縫い付けてある。


「うわー、すごくキレイ。」


西村川が手にしたドレスを見て羽衣が歓声を上げた。


「スパンコールとビーズは手で縫い付けてあるのよ。」

「服全部に?」

「前見頃は全部だけどおしりの所とかは付けてないわ。

引っかかるとだめだから。

でも後ろには大きなリボンを付けてあるの。

上手に誤魔化してあるわ。」


羽衣がドレスを前にしてもじもじしている。


「あの、触っちゃだめ?汚れちゃう?」


西村川が少し笑った。


「今のあなたなら良いわよ。

でも着るのはだめよ、お客様のものだから。」

「ありがとう。」


彼女は嬉しそうにドレスに触れた。

素材はシルクだろう。品の良い滑らかな艶がある。

そしてスパンコールとビーズが所々で輝いて、

とても美しいドレスだった。


「良いなあ、きらきらがとてもキレイ。」

「きらきらは好き?」

「うん、大好き。

それにマダムが全部つけたんでしょ?すごいね。」


羽衣がまっすぐな顔で西村川を見た。


「あらそう?」


そう言われて彼女も気分が良かった。


「あたしもこんなものが作れるかな?

マダムみたいにドレスにきらきらがつけたい。」

「ドレスはすごく大変だけど

出来上がった気分はやっぱりいいわよ。」

「作り方教えてくれる?」

「そうね、機会があったらね。」






そして羽衣のワンピースはあっという間に出来た。

一度小さいものを作って手順も分かっていたからだろう。

羽衣がワンピースの裏を見て最後の糸端の始末をする。


「出来たぁ。」

「まだよ。」


西村川がきっと見る。


「きちんとアイロンをかけてから。」

「自分が着るんだからこのままでいいよ。」

「だめよ、最後までちゃんと作りなさい。」

「はあい。」


羽衣が自分のアイロンで服の皺を伸ばした。

洋裁を習い出したころと比べて随分と上達していた。


そしてばりっと糊のきいたワンピースが婦人用のトルソーに着せられた。


「お店に出しても遜色ないわ。」


マダムが腕組みをしてそれを見た。

綿素材のワンピースには青空に白いカモメとヨットが浮いている。

潮風を感じるような爽快なイメージだ。


「ねえ、着て良い?」

「良いわよ、とても似合うと思うわよ。」


羽衣が試着室にそれを持って行き、

しばらくすると出て来た。

それを見て西村川がため息をつく。


「どうかな。」


少し恥ずかし気に羽衣が言う。


「自分で確かめてごらんなさい。」


とマダムが姿見を彼女の前に持って来た。

その前で羽衣が体を動かして色々と見る。


「自分で言うのもなんだけど、すごくよく出来たと思う。」

「そうよ、頑張ったものね。とても似合ってるわよ。」


羽衣がにやりと笑う。


「お嬢様みたい?」

「お嬢様よ。」


と西村川がふふと笑い、

羽衣に近寄ると彼女の首元に光るものを付けた。


「つけ襟よ。」


それは白い小さめのつけ襟だった。

所々にビーズやスパンコールがあり、それがきらきらと輝いた。


「マダム、これって、」

「頑張ったご褒美よ。

そのままのワンピースでも良いし、

変化が欲しかったらこれをつけるの。可愛いでしょう。」


そして西村川は小さなトルソーを羽衣に渡した。

彼女と同じワンピースを着ている。


「お揃いね。」


それを聞くと羽衣が少し泣きそうな顔になった。

そして西村川に抱きついて言った。


「本当にありがとう、お姉ちゃん。」


それを聞いて彼女は少し驚いた顔になり、

羽衣の背中をポンポンと軽く叩いた。


「さあ、もう少しワンピースを見せて。」


羽衣はミニトルソーを持ったまま色々とポーズを取った。

二人はにこにこと笑っている。


そして西村川は裏の扉をそっと開けた。

そこは海辺のヨットハーバーだった。


「海……。」


羽衣がそれを見て立ち止った。


「ヨットだ。」


白く明るい光が差し、何隻ものヨットがそこにあった。


波の音がする。

風に揺れてヨットの部品が軽い音を立てていた。

青い空に白い雲が浮いている。

カモメが飛び、その鳴き声が聞こえた。

ヨットの向こうには青い海があり、何隻もの白い帆が見えた。


その景色は彼女が選んだ模様の世界だ。

羽衣がトルソーを抱いたままゆっくりとヨットハーバーに歩いて行く。


羽衣の顔は見えない。

多分その景色を体いっぱいに感じているだろう。

初めて見る海だ。

彼女の水色のワンピースが海風に吹かれて軽く揺らめいた。


そして羽衣は海の景色の中で静かに消えた。

ミニトルソーと一緒に。




西村川はしばらくそこを見たまま動かなかった。


そして人の気配に気が付いて彼女は振り向いた。


「あら、子羊さん。」


そこにいたのは子羊だ。


「羽衣はいきましたか。」

「今さっきね。」


西村川が扉をそっと閉めた。


「しかし、半年もつきっきりで

仕事を全然されていませんでしたね。」

「たまには良いじゃなぁい。」


と彼女は少し怒った感じで返事をした。


「第一あなたが全然説明しないから私がしなきゃいけないのよ。

ちゃんとお仕事しなさいよ。」

「しています。」

「してないでしょ?

今回はほとんど私しかお仕事してないし、」


西村川がじろりと子羊を見た。


「あの子にどうしてフレイヤの名前を付けたの?」

「そのままですよ。」

「フレイヤは確かに奔放な女神だけど、

あの子は自分からそうしたかった訳じゃないわよ。」

「でも罪は犯しました。」

「そうだけど……、」


西村川がぶつぶつと文句を言った。

子羊が彼女を見る。


「あなたもずいぶんと丸い性格になられましたね。」

「あの子は別よ。

服が作りたいと言われたのは初めてだったから。」

「そうですか。」


西村川は羽衣が使っていたテーブルを見た。


「とりあえずあれは片付けるから仕舞ってちょうだい。」

「俺が、ですか。」

「そうよ、女性に重い物を持たせるつもり?」

「足踏みミシンとかご自分で移動してますよね。」

「最後にお仕事しなさい。」


西村川が腕組みをして子羊を見た。

彼は仕方なく立ち上がりミシンを持った。

彼女が持っていく方向を指さす。


子羊がミシンを置くと彼女を見た。


「そう言えば羽衣はお姉さんと言っていましたね。」


西村川がはっとする。


「そ、そうよ。」

「おばさんと言われなくて良かったですね。」

「余計な事ばかり聞いているのね。」


と彼女が少しふくれた。


「では明日から俺が配達に伺います。」

「分かったわ、よろしくね。」


というと子羊の姿が消えた。


そして彼女は呟いた。


「ドレスを教えられなかったわ……。」


羽衣がいつ生まれ変わるか彼女には分からない。

それはないかもしれない。

でももし次の人生があるならここで得たものは覚えているだろうか。


彼女はテーブルの上を見る。

羽衣が残した端切れがあった。


どちらかと言えば幼いイメージがある柄だった。

だが彼女はそれが良かったのだ。

幼い頃から恵まれなかった子は、

自分の分身であるトルソーに愛おし気に服を着せて、

本人も同じ服を着て鏡を見た。


その顔はとても明るい表情だった。


もし彼女に次があるなら

客としてここに来ると良いのにと西村川は思った。






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