10 騒音
その男は歩く度にひどい音を立てた。
ふと西村川が裏扉を見ると遠くからがちゃんがちゃんと
音が聞こえて近づいて来る。
床にも振動が感じられ、店内でも所々で揺れ動いて音を立てた。
そしてどんどんと大音響で扉が叩かれた。
「凄いわ、どうぞ、入っていらして。」
するとそこには痩せた小男がいた。
「失礼します!」
大声だ。
西村川は耳を押さえた。
「凄い声ね、小さな声でしゃべって下さるかしら。
それでコンテナはこの棚に置いて頂ける?」
彼は言われた通りにそれを置く。
乱暴に置いてはいないがバーンと激しい音がした。
西村川が耳を塞いだまま眉をしかめると
男は申し訳なさそうな顔をした。
「普通にしゃべっているつもりなんですが……、」
彼女は耳を押さえる。
「囁くように言ってみて。」
「はい。」
それでもかなりの声だ。
西村川が自分の手で口を押える仕草をすると
男はそれを真似してそっとしゃべった。
「どうですか?」
「今までよりましね。」
それでも叫んでいるぐらいの声だ。
「まあとりあえずはそれでしゃべって頂けるかしら。
それと出来れば全てにおいてそっと行動してね。」
「はい。」
彼は頷くがそれすらゴキゴキと音がする。
ともかく行動するすべてに音が立つのだ。
「あなた、お名前は?」
「あの眼鏡の人が俺は
「あらまあ、諠譟さんね、分かったわ。
私の事はマダムと呼んでね。では明日もよろしく。」
彼は頭を下げて店を出ようと歩き出した。
だが一足ごとに音が響き振動が来る。
「諠譟さん!そっと歩いて!」
西村川の声に彼ははっとする。
「すみません!」
口を手で押さえていない。大きな声だ。
西村川が慌てて口を手で押さえる仕草をすると彼も押さえて頭を下げ、
そっと歩きながら出て行った。
だが扉は普通に閉めた。
すると扉を閉める巨大な音とともに振動が店内に広がった。
「あー、耳がキンキンする。」
彼女は諠譟を思い返す。
小柄な痩せた男だ。
真面目そうな雰囲気ではあるがここの仕事をしている。
何かやらかしたのは間違いないだろう。
「お仕事だから仕方ないけど……、」
だが、自分がなぜ大きな音を立てているのかは
よく分かっていないようだった。
そしてすぐに忘れてしまってまた音を立てる。
「きっと音に関して何かやらかしたのよね。」
明日も騒音を立ててやってくるはずだ。
西村川は少しうんざりした。
翌日だ。
今度は激しい振動がする。走って来るような感じだ。
彼女は慌てて裏扉を開けると、そこに焦った顔の諠譟がいた。
「遅くなりまして!」
汗まみれの彼が言う。
大声だ。
「ぎりぎりよ、でもまあいいわ。」
今日の西村川はノイズキャンセリングのヘッドホンを付けていた。
そして諠譟からその場でコンテナを受け取り、自分でそれを置く。
そして扉も彼女が閉めた。
激しい騒音は彼が立てているのだ。
それを防ぐには自分で出来る事は自分ですればいいと彼女は思った。
そして彼女は諠譟を見た。
「少しお話しない?」
と西村川が椅子を持って来る。
彼は素直にそれに座ろうとする。
「そっと、そっとよ。」
彼ははっとして静かに座った。
それでも振動が来る。
彼女も彼から少し離れて椅子に座った。
「ねえ、諠譟さん、あなたどうしてここにいるか分かる?」
彼は首をひねった。
「いえ、よく分かりません。」
西村川が口を押えると彼ははっとした。
「すみません。」
「あなた、すぐに自分が凄まじい音を立てている事を
忘れちゃうわね。」
「そうなんですか?普通にしているつもりですが。」
「そうよ。振動もすごいわよ。」
「子羊さんにもうるさいと言われて、
でも、あの人は……、」
彼は俯く。
そして少し不機嫌そうに言った。
「仕方ないですよ、仕事するなら動かなきゃいけないし。」
「ほら、口。」
彼が顔を上げて彼女を見てから
手を上げたがすぐに降ろしてしまった。
そして少し怒ったような顔で言った。
「一体何なんですか、ここは。
昨日あの子羊さんが仕事しろって注文書を渡されて、
それで布を切ったけど。」
「その通りよ、お仕事をするところよ。」
彼女はちらとコンテナを見る。
「まあ、お仕事はきちんと丁寧にされているから
諠譟さんは真面目な方だとは思うわよ。
でもこの騒音と振動よね。普通じゃないわ。」
諠譟が彼女をきっと見た。
「仕事をして届けているんだ、
音が出ても仕方ないだろ。
それにあの子羊って奴、俺が布を切ろうとしたらと邪魔しやがる。」
「邪魔ねぇ。」
彼の顔が怒りで赤くなった。
「布を隠したりくしゃくしゃにしやがった。
せっかくコンテナに入れた物を捨てたりしたんだ。
嫌がらせだろう。
だからなかなか仕事が進まなくて遅くなった。」
西村川が少し笑った。
「それは仕方ないでしょ?
あなたもそんな事をやったんじゃないの?」
彼女の目がすうと細くなる。
「俺は、俺は……、」
喧騒の顔が白くなる。
あの女に自分は嫌がらせはしていない。
だが、
「俺は知らない、やってない。
あのばばあの被害妄想だろう、
兄貴、あのばばあを信じて俺を信じないのか。」
と彼の弟は真剣な顔で言った。
「でもお前、ここに勤めていた社員が辞める時に
お前があの奥さんに陰で散々嫌がらせしていたと言っただろ。」
「……、それはその、」
「それは認めただろ?あの社員は病気で辞めた。
そんな人が辞める前にとても黙っていられない、
我慢出来ないからとお前の嫌がらせを言いに来たんだぞ。
それに一緒に嫌がらせをしていた奴も認めた。あいつらは首にしただろ。
まあお前は身内だからな……。」
「それは認めたけど、それからはやってないよ。」
「本当だな。」
「やってないよぅ、信じてくれよ、兄貴。」
「分かった、奥さんには俺から話をする。だが静かに仕事しろよ。」
「うん、分かった。」
諠譟は俯いたままだ。
「誰が本当の事を言っていたのかしらね。」
西村川がうっすらと笑った。
「お、弟は嘘を言っていない。」
「弟さんねぇ、多分ここには来ないわよ。」
彼女が言う。
「ここ?」
「まだ存命だけどあなたがいなくなって仕事の範囲を広げたの。」
「仕事って俺の息子が社長だろ?弟が勝手には出来んはずだ。」
「いえ、ひと月もしないうちに追い出して乗っ取ったわよ。
そして今では24時間営業みたいな事してるわ。
店のシャッターは降ろしているけどその中でどかどか仕事してるのよ。
うるさ過ぎるってご近所で有名よ。」
彼は愕然とした顔になった。
「これからエスカレートしてもっと酷い事になるわね。
昔から取り返しがつかない事をし続けてるし。
だからいずれは今あなたがしているようなお仕事には付けずに
すぐに別の所に行くわ。」
「別の所って……、」
「あなたは知らなくていい場所よ。
諠譟さんはね、このお仕事に就けただけでラッキーなのよ。
きちんと真面目にお仕事をすればあなたは行かなくて済むかも。」
マダムは彼を見た。
「あなたがここに来たのはね、
あなたは昔から弟さんの代わりに何度も人に謝ったからよ。
それが配慮されたみたい。
それと、」
喧騒が彼女を見た。
「お子さんは理不尽なやり方で家を追い出された。
あなたの奥様も。」
「えっ……。」
「大きなお家でずっと弟さんご家族と同居されていたみたいだけど、
奥さんと息子さんは身ぐるみはがれて追い出されたのよ。
兄貴が借金を作ったからって。」
「そんな、それは銀行から融資を受けたもので……、」
「それじゃなくて弟さんが作った借金をあなたに被せたの。」
「えっ!」
「死人に口なしよ。
それに大学を出たばかりのお子さんにいきなり社長って、
従業員も言うことを聞く訳ないじゃない。
ちゃんとした親族企業もあるけど、あなたの場合目が眩んでいたわね。
家の名義も息子さんじゃなくて弟さんに変えられたのよ。
あなたが建てた家なのにね。
ともかく人を見る目があなたには無かったのよ。」
喧騒ががっくりと肩を落とした。
「一つだけ良い事を教えてあげる。
あなたの息子さん、就職活動を頑張っているわ。
自分の会社に入る予定だったから人より活動が遅れたけど、
多分そのうちどこかに決まると思うわよ。
二人は古いアパートにいて奥さんは元気がないけど、
息子さんが励ましているわ。」
彼がぽろぽろと涙を流した。
「それでね、目指しているのはあなたの弟さんが
関係していない業界よ。
あの人と二度と会うのは嫌なんですって。」
冷たい顔をしてマダムが彼を見た。
「あなたの弟さんは上の人には良い顔をしたけど
気に入らない下の人間にはずいぶんと酷かったみたいね。
息子さんもかなり虐められたのよ。
あなたはそれを聞いても弟さんの
俺はやってないの一言で黙っちゃったわね。
息子さんより弟さんを信じたのね。
おかしな身内びいきよ。
だからあなたより苦労した分、息子さんは人を見る目があるわ。
今の会社は弟さんによく似た人ばかり。
息子さんは追い出されて良かったわね。
あなたの会社だったものはあまり長くないわよ。」
身動きをしないまま諠譟の姿がすうと消えた。
「あら、今日は静かに消えたわね。
良かった。」
と言うと彼女はノイズキャンセラーを取り、
自分の仕事に戻った。
だがその翌日激しい振動と音が聞こえて来た。
マダムは慌ててノイズキャンセラーをつけると
裏扉が激しく開けられた。
店内のトルソーが倒れるぐらいだ。
驚いた彼女が扉を見ると、
諠譟がいてどうも扉は蹴って開けたらしい。
両手がコンテナで塞がっていたからだ。
彼は真っ赤な顔でぎろりと西村川を見ると、
コンテナから両手を離しそれは床に落ちた。
また凄まじい音と振動がする。
「ちょっと、諠譟さん、」
「うるせえ、ばばあ、グルになって俺に嫌がらせをしやがって。」
彼女があっけにとられた顔になる。
「ひどいわね、マダムと言いなさいよ。」
「何がマダムだ。瓶底眼鏡が今朝も嫌がらせしやがった。
俺は真面目に仕事をしたいんだ。
お前も同類だろう、でかい音がするとか言いやがって
当てつけみたいに耳当てをしやがる。」
「じゃあ、この店の中を見なさいよ。」
マダムが店内を指さした。
色々なものが倒れている。
「あなたが立てた酷い振動で倒れたのよ。」
「うるせえ、仕事だから仕方ないだろう!」
彼女がそれを聞いてじっと諠譟を見た。
「なんだよ、ばばあ。」
「今あなたはここに配達したから私は確かに仕事に関係があるけど、
あの人は仕事に関係していたの?」
「誰だ、あの人って、しらねえ。」
「昨日言っていた近くに住んでいた奥さんよ。」
彼の顔がぎくりとする。
「その人、首をつって死んだんでしょ?」
それを聞いて諠譟の顔が真っ白になった。
「そんなの、カンケーねーよ……。」
語尾が震えた。
「かんけーない訳ないでしょ。
その人、ずいぶんと苦情を言って来たのよね。
違法駐車と振動と音と。」
「……ちゃんとやったぞ、車もあまり停めないようにしたし、
音も振動も抑えた。」
「それは知ってるわ。でも
車を停めて音を立てても知らん顔して見えない所で
隠れて笑っていたんじゃない?」
「し、仕事だから仕方ない……、」
彼女は腕組みをして見下すように言った。
「あなたの弟さん、あなたの知らない所で
毎日ずーっとあの人に嫌がらせしてたのよ。
一日一回は大きな音を立てるとか、
車で奥さんが出掛けた時に後をつけるとか、
奥さんが作業をしている時にわざわざ外に出て仲間とおしゃべりしたり、
来客がある時にわざと仕事で音を立てたりとか……。」
「し、知らない、俺はやってない……、」
「卑怯な男って仲間が出来ると態度がでかくなるのねぇ。
一人じゃ何もできないのに。」
マダムがふふと笑った。
「それで仲間で寄って
精神的に参った奥さんはついに首を吊ったんでしょ?
その時あなた達何をした?」
喧騒が顔を覆った。
「……。」
「言いなさいよ。」
「言いたくない。」
「自分から言えば少しは罪は軽くなるかもしれないわよ。」
だが彼は首を振った。
「良いわ、私が言ってあげる。
祝杯を挙げたのよ。奥さんが亡くなったから。」
彼は顔を上げた。
「お、俺は虐めてない。」
「でも知っていたんでしょ?
知っていて止めずに黙って見ていたんでしょ?
それは虐めたと同じ事よ。」
彼は再び顔を覆った。
「あなたは止めることが出来る立場だったのに、
それをしなかった。
それが一番の罪よ。」
彼は顔から手を外して西村川に言った。
「あのはばあ、女のくせにクソ生意気で
言う事を聞かん馬鹿者だ、
男の言うことを聞かんからあんな目に遭って当たり前だ。
女は黙ってればいいんだ!」
西村川は鼻で笑う。
「そんな事を言っているうちは全然だめね。
奥さんはあなた達の嫌がらせで体を悪くしたのよ。
薬が手放せない体になって、心まで病んでしまった。
だからそうなったの。
全部あなた達のせいよ。」
「俺のせいじゃない!俺は悪くない!」
諠譟は立ち上がって叫んだ。
店中のガラスがバリバリと揺れた。
ノイズキャンセラーを付けているマダムも
思わず耳を押さえた。
体中に圧迫するような振動を彼女は感じた。
だがそれはふっと消える。
喧騒の姿が消えたのだ。
「もう、ホント、察しの悪い男って嫌いだわ。」
彼女は店内を見てため息をついた。
色々なものが倒れている。
「ガラスは割れなかったからまだ良いか。」
と彼女は立ち上がった。
そしてその翌日、
午前9時を過ぎても誰も来なかった。
そしてしばらくすると子羊が店内に現れた。
「申し訳ありません。遅くなりました。」
彼はコンテナを棚に置いた。
「それは良いけど、諠譟さんは?」
「さっき消えました。」
「消えた?」
「通路の空間で動かなくなって消えました。」
「あらあ。」
西村川が検品をする。
「仕事はちゃんとする人だったけど。
消えちゃったのね。」
諠譟が最後にそろえた物を見た。
布も綺麗に切ってあった。
「真面目なタイプでしたがやった事はいけません。
自覚がなかったのが一番駄目です。」
「自分が騒音を出しているって気が付いていなかったんでしょ?」
「そうです。振動もですね。
仕事だからと言い訳していたからです。」
「あの人も子どもの頃から親からそう言われてずっと我慢していたのよ。
それは同情すべきことだけど、」
西村川がため息をついた。
「関係ない人にまでそれを強制して死なしてしまうなんてね。
しかも亡くなった後に祝杯って。」
「苦情を言われた腹いせに嫌がらせを続けたので、
諠譟に俺があからさまに嫌がらせをしたんですが、
それを分かる前にあいつは消えました。」
「楽しかった?」
「いや、全然。面倒ですよ。
嫌がらせをずっとするなんでバカだと思います」
「そうよねえ。
それをあの人に会社ぐるみで20年近く続けたんだもの、
すごいわね。
あの人は20年我慢したのに、諠譟さんは3日で音を上げたのね。」
子羊が複雑な顔をする。
「なに?何かあるの?」
「いや、その、あの人ですが……、別の所で仕事をしています。」
「そ、そうなの?」
「はい。20年の間に結構やり返したみたいで。それで……。」
マダムがふふと笑った。
「その人はちゃんとお仕事をしてる?」
「はい、本の整理をするところにいます。
静かな所なので真面目にやっています。
あちらは贖罪はわりと早く済みそうです。」
「そう。」
「では俺は帰ります。」
「明日もよろしくね。」
「はい。」
子羊が姿を消した。
「耳はあっても自分の音は聞こえないって事よね。」
それを諠譟は毎日立てていた。
仕事だから仕方ないという理由をつけて。
だが周りの人には関係はない。
音を立てない人はこの世にはいない。
生きている限り音は立てる。
時には人に迷惑をかけるかもしれない。
それでも彼は周りに配慮すべきだったのだ。
だがそれは彼を怠った。
そして身内の嘘を分かっているのに騙された。
それは自分の子と騙した本人に返るだろう。
既に子どもには返ってしまった。
「だけど諠譟さんはあの人ばかりに攻撃していたけど、
自分達が立てた音とか振動って
あの人以外には聞こえていないと思っていたのかしらね。」
彼女は彼を思い出す。
多分彼は気が付いていないだろう。
他にも自分は知らないだけで恨みを買っていたはずだ。
「そんなこと分かる訳ないわね。だって無神経そうだったもの。」
そして彼女は布を広げた。
もうどうでも良い話だ。
消えた男の事などどうでも良い。
今度は何を作ろうか、
彼女にはもうそれしか頭になかった。
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