5 ティーンズファッション




気が付くと久美子はレトロな感じの洋服屋の中にいた。

壁沿いに高そうな服がかかっている。


ふと扉を見るとモールガラスに

西村川衣料洋品店と裏向きに書いてある。

その向こうには沢山の人が行き交う影が見えた。


「いらっしゃいませ。」


と奥から声がする。

すると品の良さそうな女性が出て来た。


「あ、あの……」


久美子は口ごもる。


彼女は中学2年生だ。

周りの服を見ると大人の女性が着るようなものばかりだ。

自分は場違いだと気後れした。


「あら、可愛いお嬢さんね。」


店主だろう女性は優しく笑いながら久美子のそばに来た。


「ごめんなさい、間違えて入ったみたい。」


と彼女は扉に向かった。

だが店主はにっこりと笑った。


「いえ、お客様よ、服をご覧になる?」


久美子は彼女を見た。


「私はこの店のマダムの西村川よ。

マダムと呼んでいただけると嬉しいわ。」


とマダムは彼女の手を取って服のそばに近寄った。


久美子が見るとそこには

胸元に可愛いプリントがしてあるトレーナーやTシャツ、

パーカーやキャミソールがかけてあった。

スカートやパンツもかけてある。

いわゆるティーンズファッションだ。


「えっ、」


彼女はそれを手に取る。

周りにあるのは大人が着るような服ばかりだと思ったが、

そこにあるのは久美子が着るようなものだ。


「どうかしら。可愛いかしら。」


マダムがそう言うと久美子がそれらを手に取った。


「うん、すごく可愛い。」

「どれが好き?」

「えーとね、」


と久美子が目を輝かせて選び始めた。

だがしばらくすると彼女の勢いがなくなる。


「どうしたの?」


マダムが彼女に聞いた。

久美子が暗い顔をしてちらとマダムを見た。


「これ、高いよね。」


西村川は優しく笑った。


「大丈夫よ、好きなものを選びなさい。

あなたは可愛いからどれも似合うと思うわよ。」


だが久美子は返事をしなかった。

訝し気にマダムは彼女を見た。


「……私、ブスだから。」


西村川は驚いた顔をした。


「ブス?えっ、」


久美子は顔を上げた。


「どうせブスだし。」

「ブスって醜いって事よね。」


暗い目をして久美子がマダムを見た。


「どこが醜いの?

あなたはとっても可愛いわよ。誰がそんな事を言ったの?」


とマダムが言った。

一瞬久美子はただのお世辞だろうと思ったが、

彼女の顔は真剣だ。

嘘を言っている感じではなかった。


「だって同じクラスの子が私をブスって……、」

「あなた、えーっと、」

「久美子です。」

「久美子さん、ほら鏡を見てごらんなさい。」


と西村川は大きな姿見を彼女の前に持って来た。

久美子はぎくりとする。


鏡の中にはひっつめ髪の顔色の悪い痩せた少女がいた。


久美子は片親だ。

母親は数年前に父親と離婚していた。

お金もなく美容院には行けない。

だから髪の毛は伸ばしっぱなしで自分で髪を切っている。


服も小学生の時に買った物だ。

ご飯も十分に食べられない。

だから痩せている。


彼女はちらと鏡を見て顔を押さえた。


「嫌だ、汚い。」


と少しばかり泣き声で久美子は言った。

西村川は彼女の横に立つとそっと肩を抱いた。


「久美子さん、色々と辛かったのね。」


そっとマダムは言った。

それを聞いた久美子がわっと泣き出すと、

西村川は彼女を優しく抱きしめた。


しばらく久美子は泣いていた。

そして顔を上げる。


「ごめんなさい、汚しちゃった。」


マダムが笑う。


「良いのよ。」


と言うと彼女が久美子のまとめた髪の毛をほどき、

櫛を取り出して髪を梳き出した。


「柔らかい髪質ね。

絡みやすいから下から丁寧に梳くと良いわ。」


久美子はしばらくされるがままになっている。

彼女の手がとても気持ち良かったからだ。

しばらくするとマダムが言った。


「お金のことは気にしなくていいわよ。

好きなものはどれかしら。」

「良いの?」

「良いわよ。」


再び久美子は嬉しそうに服を選び出した。


「白いのが良いかな、女の子だから赤?」

「そうねえ、あなたの髪の色は少し赤っぽいから

同系色なら少し沈んだ赤もいいかも。

でもね、」


マダムが服を見ながら言った。


「自分が好きな色を着るのが一番だと私は思うのよ。」


久美子はマダムを見た。

彼女はそれを聞くと服に目を戻して探し出した。

やがて一つの服を取り出した。


「これにします。」


彼女が選んだのは爽やかなミントグリーンのトレーナーだった。


「まあ素敵、気持ちの良い初夏みたいな色ね。」


久美子がそれを身に付けた。

下は濃い色のひざ丈のキュロットスカートだ。


「ほら可愛い。」


西村川は姿見を彼女に向けた。

その中には白いハイソックスと

軽やかな感じのスニーカーを履き、

頭に帽子を被って爽やかな色合いの服を着た、

可愛らしい女の子がいた。


「……、」

「可愛いでしょう。」

「服が良いから……、」


と久美子が言うとマダムは首を振った。


「あなたは顔立ちがとても綺麗なのよ。

目が大きいし鼻筋が通ってる。口元も可愛いわ。」

「でもクラスの子が……。」


久美子の顔が暗くなる。


「もしかしていじめられてるの?」


彼女が無言のまま頷いた。

西村川がため息をついた。


「嫌よね、そう言うの。」


マダムが呟いた。


「何年か前にお母さんが離婚したの。

それから色々と上手く行かなくて。

お母さんはいつも怒ってるから毎日腹が立つの。

クラスの子は私が汚い、ブスって。」


マダムが彼女の後ろに立ち彼女の肩を持って

鏡の中の久美子を見た。


「ねぇこの鏡の中の子は醜いと思う?」


久美子は自分を見た。

すっきりとした服を着て髪の毛も綺麗にしてもらった。


「今は違う。」

「でしょ?」

「でも服を脱いだらまた汚くなる……。」

「そうかしら。」


久美子は真横のマダムを見た。


「服は道具よ、自信を持つお手伝いは出来るわ。

でも着る人が自信を持たなければただの服よ。」


マダムは笑った。


「自信を持ちなさい。

古い服でもあなたが真っすぐに相手を見ればひるむわ。

相手が驚くぐらいの大声で何度も何度も返事してやりなさい。

そのうち向こうが面倒くさいって離れて行くわよ。」


その時だ、マダムが表の扉を見た。

それにつられて久美子もそちらを見る。


何かの気配がする。


「久美子さん。」


西村川が彼女を見た。


「ごめんなさい、服はお渡し出来なくなったわ。」

「えっ!」


久美子は声を上げると俯いた。


「やっぱり私が醜いから……。」


マダムは首を振る。


「違うわ、あなたに必要が無くなったの。」


そしてマダムが扉を指さした。


「聞こえる?」


久美子が扉を見る。

先程からそちらから声が聞こえるのだ。

彼女は耳を澄ます。


「お母さん……。」


それは久美子を呼ぶ母の声だ。

その声は必死だった。


「あの、その……、」


久美子は口ごもる。

マダムは優しく言った。


「悪いけど服は脱いで元の服に着替えてもらえる?」

「はい。」


少し惜し気に久美子が服を着替えた。


「あの、私はどうしたら……。」


西村川が微笑んだ。


「あなたは誰が言おうと可愛い。

自信を持ちなさい。あなたなら出来るわ。

良いものをあなたは沢山持っている。

そしてお母さんはあなたを呼んでるのよ。

素直になってお話して。そして勇気を出して。」


久美子は扉に手を掛けマダムを見ると彼女は言った。


「もしかするとずっと後にあなたはここに来るかもしれないわ。

その時は服をご用意できると思うの。

よろしければまたお越しください。」


とマダムは久美子に深々と頭を下げた。

久美子は扉を開けた。


真っ白な光が彼女の眼に入った。




彼女が気が付くと目の前に涙と鼻水にまみれた母親の顔があった。


「久美子ぉぉぉ……。」


母親は大声をあげて泣き出した。

そこに看護師が近寄り彼女の肩を抱いた。


「お母さん……。」


そこは病院だった。


「あんたは薬を一瓶飲んで、全く……、」


母親は顔を押さえて言った。




その日は久美子は一晩入院する事となった。


彼女のすぐ横に付き添いのベッドがある。

そこには母親がいた。


「お母さん、あの、」


久美子が母を見た。

母親は大きなため息をついた。


「ごめんなさい……。」


しばらく沈黙が続く。


「ううん、あたしも悪かったんだよ。

うるさかったから……。」


母は呟くように言った。


「あたしは色々と失敗したからね、

だからあんたにはそうなって欲しくないと思って

どうしても言っちゃうんだよ。」

「失敗、って?」

「まあ分かるだろ?」


寂しげに母親は笑った。


「お母さん、あのね、」


久美子は母を見た。


「あまり覚えていないんだけど

お母さんが私を呼んでたのが分かった。

だから戻って来れたと思う。

ずいぶんと呼んでくれたんでしょ?

看護師さんから聞いたよ。」


母親は泣きそうな顔になった。


「お母さん、ありがとう。」


鼻をすする音がする。


「ほんと、あんたが死んだらどうしようと思ったよ。」

「ごめん。」


そして翌日、二人は病院を出た。


「あの、お母さん、仕事ってどうしたの?」


母親ははっとする。


「うん、休んだけど、その、まあいいよ。」


自分のせいで急に休んだのだろう、

母だけでなく周りにも迷惑をかけたはずだ。


「お母さん、今からお母さんの仕事場に行く。

それで私が謝る。」

「えっ、そんなことしなくていいよ。」

「ううん、私がバカな事をしたって分かった。」


と久美子はすたすたと歩き出した。


彼女の母が働いているのは近所のスーパーだ。

その裏口に久美子は来た。


「やっぱりいいよ、止めて。」

「行く。」


母は止めたが久美子は深呼吸をすると中に入った。

そこはスーパーのバックヤードだ。

そこに数人人がいた。


「店長さんはいらっしゃいますか。」

「あ、僕だけど、」


そこに丁度店長がいたようだ。

彼は久美子の後ろにいる母親に気が付いた。


「あ、ああ、どうしたの?今日は休みだよね。」


久美子は彼を見た。

心臓がバクバクと体中で音を立てている。


「あの、急に母がお休みしてすみませんでした。

私がバカな事をしたので病院に入院してしまったんです。」

「病院って大丈夫なの?」


周りに人が集まって来た。


「もう平気です。

でも私のせいでご迷惑をかけてしまって。

ごめんなさい。」


久美子は頭を下げた。

その後ろで母親も頭を下げる。


「いや、まあ、そんな理由なら仕方ないよな。

今日はもう良いけど明日からは普通に出られる?」

「はい、来られます。」


母親が返事をすると店長が久美子を見た。


「しかしまあしっかりした娘さんだ。

頼もしいな。」


と店長は母親を見て笑った。






そして翌日久美子は学校に行った。


一応担任にはそのような事があったという連絡はしてあった。

だがそれは生徒達は知らない。


ふっと久美子のそばに何人かが寄って来る。


「あんたさ、」


久美子はスーパーで大人の前で謝った事を思い出した。

あの時は心臓が口から飛び出しそうだった……。


「なに。」


と久美子は立ち上がり、ずいと同級生の前に立った。

少しばかり相手はひるむ。


「なんか用?」


大きな声で久美子は言った。


「あの、」

「用がないなら私行くから。」


と久美子は席を立った。

昨日のように鼓動が激しい。

だが今はちゃんと言い返せたのだ。


この一回で何かが変わるかどうかは分からない。

何度も嫌がらせがあるかもしれない。

それでも絶対に追い返してやると久美子は思った。

出来るわよ、と誰かが言った気がしたからだ。


今日は彼女はいつもより丁寧に髪の毛を梳いた。

だから綺麗に整っている。


少し前に誰かが髪を梳いてくれた気がした。

下から丁寧に、ゆっくりと……。


久美子が廊下に出ると一人の少女が声をかけた。

少しばかり気弱な同級生だ。


「あの、大丈夫?」


その子も久美子と同じ目に遭った事があるのだ。

先程の様子を見て気にしたのだろう。


「うん、なんともないよ。」


すると彼女はほっとした顔をする。

そしてその後ろに数人同じような様子の子がいた。

皆大人し気な顔立ちだ。


「ねぇ、今度班決めがあるみたいだけど、

一緒の班にならない?」


久美子ははっとした。

今まで自分の事ばかりで周りを見る余裕がなかった。


彼女達も自分と一緒なのだ。

そして今、自分を誘っている。


久美子は笑った。


「うん、嬉しい。ありがとう。」


もうすぐ休憩時間が終わる。

彼女達はおしゃべりしながら教室に入った。

久美子に声をかけた女子は彼女達をじろりと見たが、

彼女達にはもうどうでも良かった。






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