3 死にたくない




扉のベルが鳴った。


西村川が店内を見ると若い男性が立っていた。

大学生ぐらいか。

短髪で爽やかな印象だ。


「いらっしゃいませ。」


と西村川が彼に近寄った。


「あ、あの……、」


彼が周りを見渡す。


「女の人の服ですか?間違えちゃったな。」


彼は頭を掻いて店を出て行こうとした。

その右足は少しリズムが違う。


「いえ、大丈夫ですよ、男性の服もございますし。」


と西村川が店の奥へと彼を誘った。

だが彼の様子はいつもの客と少し違う。

そして表の扉の外がやや騒がしい。


「よろしければお話しましょうか?」


と彼女は椅子を持って来て彼に勧めた。


「え、ええ、構いませんが。」


少しばかり訝し気に彼は座った。

だが外が気になるようでちらりと扉を見た。

西村川も椅子を持って来て彼の近くに座った。


「ここは女の人の服ばかりですね。」


彼が店内を見て言った。


「男性の服もご用意出来ます。

どのようなご希望でもお答えできますよ。」

「へえー、凄いな。スポーツウェアもあるの?」

「ありますよ。」


と言うと西村川が店の奥に行きハンガーラックを引っ張って来た。

そこには色とりどりのスポーツウェアがあった。


「あっ、ホントだ、すごい。」


と彼は立ち上がり服に触れた。


「スポーツをやってらっしゃるの?」

「ああ、走り幅跳びをやってるよ。」


ちらと西村川が彼の足を見た。

彼は苦笑いをする。


「やっぱり分かる?」

「スポーツマンでいらっしゃるのは体つきを見ると分かります。」

「右足だろ?義足なんだよ。」


と彼は右足のパンツの裾を上げた。


「膝から下がないんだ、子どもの時に事故にあってね。」

「あら、大変ね。」

「今は普通の義足だけどスポーツの時は特別なものをつけるよ。」


彼は裾を降ろす。


「でもあなた、どうしてここに来たのかしらね。」


西村川が首をひねった。

目の前の彼はいつも来る客と少しばかり様子が違うのだ。


「あなた、何か憶えている事はあるかしら。」

「憶えている事?」


首を傾げて考えた。


「友達と飲みに行って……、」


彼はしばらく考えていた。


「歩道橋の階段の上から落ちた。」

「あらまあ、それは大変。飲み過ぎて落ちたの?」

「飲み過ぎてないけど……、」


そして彼の顔がはっとする。






「おい、大和、いい加減にしろよ、飲み過ぎだぞ。」

「うるせえ、翔太。」

「そうよ、大和、少し風に当たったら。」


大学生ぐらいの3人の男女が歩道橋を登っている。

夜だ。

歩道橋の下の道路では車が行き交っている。


「お前もうるせえ、優菜、お前は帰れ。」


大和と呼ばれた男性はかなり酔っているようだ。

それを翔太と優菜がなだめていた。

翔太は少しばかり右足を引きずっている。


「帰れは無いだろ、優菜は心配しているんだぞ。」


翔太が言うと大和がぎろりと彼を見た。


「優菜が俺の心配なんてしてないだろ、

お前のことしか考えてねぇよ。」

「ち、ちょっと大和!」


慌てたように優菜が大和に近寄るが彼は手で弾いた。


「おい、大和、悪酔いだぞ、いい加減にしろ。」


翔太が彼に近づく。

そして大和が翔太を見た。


「うるせえ、義足野郎、お前もどこかに行け!」


と言った瞬間、思わず翔太は後ずさった。

だがそこは階段の端だ。


彼の視線がゆっくりと夜空を見る。






「まあ、それは大変。」


翔太が少し笑う。


「おばさん、さっきから大変としか言っていない。」


と彼の笑い声を聞くと西村川がちろりと彼を見た。


「おばさんじゃないわよ、マダムと呼びなさい。」

「はい、失礼しました。」


翔太が首をすくめて笑った。

マダムが咳払いをする。


「分かったわ、あなたは今生死の境を漂っているのよ。」

「死にかけてるの?俺。」

「そうよ、だから外から人の声がするでしょ?

戻って来いと言ってるのよ。」


彼は扉を見た。


「どうする?死にたい?死にたくない?」


マダムが聞く。

翔太は彼女を見た。


「死にたくない。

俺はやりたい事が沢山ある。」


翔太は両手をぐっと握った。


「まず走り幅跳びで記録を出したい。

大学でもっと勉強したい。社会人になって働きたい。

結婚もしたいし、子どもも欲しい。

旅行にも行きたい、車も運転したい。

スキューバダイビングもしたい。

オーロラも見たい。マラソンもしたい。

それに……、」


マダムはしばらくあっけにとられた顔で翔太を見ていた。

翔太はそれに気が付くと真っ赤になった。


「俺は足らないんじゃない。

山の様に何かがあるんだ。」


彼は赤い顔をしてはっきりと言った。

それを見て西村川はにっこりと笑った。


「分かったわ。すごく素敵な夢ね。」

「夢じゃない、本当にする。」

「そうね、そうよね。」


と言うと彼女が彼の足元に座り、

綺麗な糸を出してその足を軽く結ぶと糸が煌きながら消えた。


「何をしたの?」


翔太が聞く。


「おまじないよ、あなたの望みが全て叶う様に。」

「おまじない……、マダムって何者?」

「さあ、」


マダムが立ち上がった。


「表の扉を開けてお行きなさい。

いずれあなたはここに来るかもしれない。

その時までお待ちしています。」


と彼女は深々と頭を下げた。

それにつられて彼も頭をぺこりと下げた。


「じゃあね。」


とマダムは顔を上げると彼にウインクをした。

翔太は表のドアを開ける。


光が彼を包んだ。






「翔太!」


彼が気が付くと目の前に母親がいた。

その後ろに父親と優菜がいる。

優菜は泣いていた。


「俺……、」

「あんたはね、階段から落ちたんだよ、

一時危なかったけど意識が戻って本当に良かった。」


彼はベッドに寝ていた。天井の明かりが眩しい。

翔太は優菜を見た。


「優菜……、」


母親が彼女を招いた。


「優菜ちゃんは昨日の夜からずっとここにいてくれたんだよ。

救急車を呼んだのも優菜ちゃん。」

「翔太、本当に良かった。」


優菜が手を差し出す。

それに翔太がそっと触れた。


翔太は5日ほど入院した。

その間に大和が優菜に連れられてやって来た。


母親と優菜は気を使って部屋を出る。

病室には翔太と大和だけになった。


しばらく二人は黙っている。

だが翔太が言った。


「大和、どうしたんだ。その頭。」


彼の頭は丸坊主になっていた。


「あの、謝罪だ。」

「謝罪?」


一呼吸おいて大和が椅子から立ち上がり土下座をした。


「あの、義足……ヤロウと言ってすみませんでした。」


翔太がはっとする。

すっかり忘れていたが確かに言われたのだ。


「あ、ああ、あれかあ、」


少し呑気に翔太が言う。


「あれって、その、物凄く悪い事を言った。

本当に申し訳ない。」


大和は再び土下座をする。

勢いがあって額を床に打ったのだろう。

ゴンと音がした。


「大和、頭を上げろよ、俺はそんなに気にしてない。」

「でも……、」

「座れよ。」


そう言われて大和は椅子に座った。

額が真っ赤になっている。


「それで俺はもう一つお前に言わなきゃならない事がある。」


大和が真剣な顔で翔太を見た。


「俺があんな事を言ったのには訳がある。

言い訳じゃないが、

俺はあの前に優菜に告白をした。付き合ってくれって。」


翔太がはっとする。


「ふられたんだ。好きな人がいるからって。」


翔太はドキリとする。

好きな人は誰なんだと。


「あいつが好きな奴はお前だってよ。」


翔太の顔が熱くなった。

大和が俯く。


「お前も優菜が好きじゃないかと思っていた。

だからお前が告白する前にあいつに言おうと思ったんだ。

ぬけがけしようとしたんだ。」


大和が大きくため息をついて顔を上げた。


「それで腹が立ってつい言ってしまった。

でもそんなずるい奴はふられて当たり前だ。

俺には罰が当たったんだ。

お前が階段から落ちてしまって、

あんなに恐ろしいと思ったことはなかった。」


大和はまっすぐ翔太を見た。

その目には涙がたまっている。

翔太も大和をまっすぐに見た。


「俺は落ちた時の事を優菜から聞いたよ。

俺は階段を踏み外して自分で落ちたんだろ?

お前は全然悪くない。」

「でも……、」

「まあ悪いと思うなら一発殴らせろ。」

「……いいよ。」


と覚悟を決めた大和が彼のそばに寄った。


「いくぞ!」


と翔太が彼の頬を叩いた。

かなりの力だろう、大和が尻もちをつく。

その音に驚いた翔太の母と優菜が病室に飛びこんで来た。


「何が、あったの?」


あっけにとられた様子で優菜が二人を見た。


「翔太に殴ってもらった。」


座り込んだ大和が頬を押さえながら苦笑いをした。


「これでチャラだ。」


翔太が叩いた手を押さえて言った。

痛かったのだろう

優菜が少し笑う。


「私も大和を叩いたのよ。」


翔太が優菜を見た。


「全部チャラね。」


大和が笑い出す。

そして翔太も優菜も笑い出した。






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