第31話 ベルトルド、本気で惚れる

「リッキー、リッキー」

「は…っ」


 何度も愛称を呼ばれ、荒い息を吐き出してキュッリッキは目覚めた。目に飛び込んできたのは薄暗さ。状況が判らず不安そうに視界が揺れる。


「リッキー」


 暗闇に目が慣れてきて、ようやく声のほうへ顔を向けると、見知らぬ男が心配そうにじっと見つめている。

 自分の愛称を呼んでいたのはこの男だろうか。


「大丈夫か? 泣いているではないか」


 男はゆっくりと上半身を起こすと、大きな手を伸ばしてきた。それに驚いて「いやっ」と言って思い切り顔を背けた。その反動から響いたのか、上半身に鈍い痛みを感じて眉を顰める。そして何やら固定されているようで、身体の動きが自由にならない。身体じゅうに違和感を覚え、どうやら自分は怪我をしているようだと気づく。


「リッキー?」


 男は相変わらず愛称を呼んでくる。訝しみながらキュッリッキは怯えた獣のような目を、困惑な表情を浮かべる男に向けた。

 置かれている状況が判らず、この男に酷いことをされるのではないかと警戒心が強まる。


「ああ、なんという目をするんだ…」


 男は悲し気な声を発しながら、その顔は驚いている。


(コイツはイヤだ…、逃げなきゃ…)


 隣り合って寝ているこの男に身の危険を感じて、キュッリッキは身体を起こそうと動いた。力の入らない右上半身は、きつく固定され自由にならない。左半身でなんとか起き上がろうとしたがうまくいかず、すぐに男に押さえ付けられてしまった。

 心がゾワリとしてキュッリッキは叫んだ。


「離せっ!」

「落ち着きなさい、動いたらダメだ」


 困惑する男に、キュッリッキは更に噛み付くような勢いで叫ぶ。冷たい恐怖がつま先からどんどん駆け上がってきた。


「お前たち大人なんか大っ嫌いだ! 触るな!」

「リッキー!」

「気安く呼ぶな! アタシは独りでも平気なんだ、離してよっ!」


 キュッリッキはとにかくもがいた。男の大きな手が自分の身体に触れていて気持ちが悪い。吐き気と怖気に襲われ感情が迸った。


(ぶたれる、殴られる、蹴られる、痛い目に遭わされる! 嫌だ、嫌だ、嫌だ!)


 鮮烈に思い出される過酷な記憶、痛み、苦しみ。


「お前はあの修道院の大人たちのように、アタシのことを鞭で打ったり、酷い言葉を投げつけてくるに違いないんだ。優しいフリをしているだけなんだろ! 騙さないんだから!」

「とにかく落ち着いてくれっ、動くんじゃない! このままでは傷口が開いてしまう!」




 我を忘れた様子のキュッリッキは、信じられないほどの力で抵抗してくる。


「小さな身体のドコにこんな力があるんだっ」


 ベルトルドは焦りながらキュッリッキを押さえつけた。今は絶対安静にしなくてはならない。これ以上動けば傷口が開いてしまう。

 宥めても説得しても少しもおとなしくならない様子に小さく舌打ちすると、超能力サイを使ってキュッリッキの意識に強く触れた。


「うっ…」


 キュッリッキは小さく呻くと、すとんっと意識を失った。

 ぐったりと静かになった身体をそっと寝かせ直し、ベルトルドは沈痛な面持ちでキュッリッキに頬擦りした。


「なんと惨い、幼い時分を生きてきたんだ、この子は…」


 ベルトルドの使える超能力サイは能力全般で、相手の記憶や考えを〈視る〉力もある。強すぎるその力は時に無意識に働くことがあり、近くにいる者の思考や記憶が勝手に流れ込んでくることがあった。

 キュッリッキが思い起こしていた過去の記憶が、眠っていたベルトルドに流れ込んできたのだ。

 あまりにも強すぎると、相手の気持ちや想いに同調しそうになる。深く引きずられそうになり慌てて遮断したほどだ。

 キュッリッキの辛い過去の一端を視て、苦いものが胸中にこみ上げた。掻き毟りたいほど心と感情を圧迫してきた。切ないほど苦しく、どうしていいか判らず、叫びたい衝動にかられる。


「俺が、浅はかだったな…」


 考えていた以上にキュッリッキの心の傷は深い。そのことを、ベルトルドはあらためて痛感した。




 召喚〈才能〉スキルを持つ者が、フリーで傭兵をしていると聞きつけてきたのはアルカネットだった。

 ベルトルドもアルカネットも宮中で召喚〈才能〉スキルを持つ者たちを何度も見ているので、どうせその程度か、単に魔法使いが使い魔を呼び出しているところを目撃して勘違いしたのだろう。そう思って取り合わなかった。

 そもそも召喚士が傭兵をしていること自体が有り得ないことであり、前例はなかった。何故なら、〈才能〉スキル判定が行われて召喚〈才能〉スキルがあると判明すれば、家族ごと国の保護下に置かれる。それは3種族共通のことだ。そうなると、一般の目に触れる機会などまずない。

 しかし凄い力を持っているという噂がなかり出回っているので、真偽の程をアルカネットに確かめさせた。すると、そのことは事実であり、興味を覚え徹底的に調査を命じた。

 生まれ落ちてすぐ名前も与えられず、家族から捨てられた召喚〈才能〉スキルを持つ女児はアイオン族で、その名をキュッリッキといった。引き取り先の修道院で名を与えられたらしい。

 どんな理由が有るにせよ、子供を捨てた事実が公になっていれば、人道的にも問題視され、ハワドウレ皇国なら親は投獄されるほどの重い罪になる。それなのに公になっているうえで、イルマタル帝国は親の蛮行を賛美し、アイオン族総出で親の蛮行を称えた。

 アイオン族は美醜を非常に重んじる。ヴィプネン族やトゥーリ族からみれば、常軌を逸しているレベルだが、本星に住むアイオン族にとっては重要なことだった。

 キュッリッキは生まれつき片方の翼がない。そのことで両親に捨てられたのだ。そして両親は隠さず公にした。そのため惑星ペッコに留まらず、他惑星に住むアイオン族にも伝わっている。

 惑星ペッコのアイオン族は非道な行いをした両親を賞賛したが、他惑星のアイオン族は当然軽蔑した。かつての悪習が取り払われた今でも、惑星ペッコのアイオン族の心に暗く深く根ざし続けていた結果だった。

 差別や蔑みを受け続ける中でもっとも残酷だったのは、両親から捨てられた事実と理由を、キュッリッキが知っているということだ。

 物心つく頃から隠されることなく、周囲から言われ続けてきた。

 それらの非道に、どれほど心を痛めたことだろう。

 アルカネットからの報告書を読んで、ベルトルドは底の知れないほどの怒りを覚えた。それはアルカネットも同様だった。


「これまで定住地いばしょを得られなかったのも、この過去のことが大きく影響していたのだろうな」


 それは易易と想像出来ることだった。過去のことを思い出しただけでこの有様である。

 傭兵団にスカウトされても、長続きすることなくすぐ抜けていたことも調べてある。その原因がいまいちはっきりしなかったが、これで確信を得られた。

 この屋敷に初めて来たとき、カーティスの「仲間」という言葉に喜びを感じていた。そばにいてよく伝わってきたほどに。それだけ居場所をずっと求めていたのだろう。

 自分の過去を打ち明ける相手もおらず、受け止められるだけの度量を持った相手にも出会えなかった。必死に生い立ちを隠して生きようとしても、些細なことで蒸し返して感情のコントロールがきかなくなり、何も知らない周囲の人間たちには手の施しようもなく離れていくだけだ。 そしてまた心に傷を作り蓄積されていく。

 この18年間ずっと、キュッリッキは救われずに生きてきたのだ。


「想像を絶する孤独…か」


 ベルトルドは眠るキュッリッキの頬を、優しく撫でる。

 初めて会った時の様子を思い出し、ベルトルドは痛いほど胸が締め付けられた。

 緊張していた顔、戸惑っていた顔、額にキスをされて真っ赤になっていた顔、無邪気に笑っていた顔、好奇心に心を弾ませていた顔。そのどれもが眩しく、愛おしく、ベルトルドの心を狂おしい程騒がせた。

 美しい顔立ちもそうだが、純粋な笑顔に惚れた。

 心に深い傷を持っていると知っても、23歳も年の離れたこの少女を、心から愛してしまったのだ。




 幼い頃、密かに淡い初恋のようなものをいだいたことがある。それは実ることなく終わったが、ベルトルドは41歳になって改めて恋をした。

 今度はきっちりと、恋をしたと自覚できる。


「これまで星の数ほど色んな女たちを相手にしてきたが、本気になったことも、本気になりかかったこともない。俺にとって女とは、極論性欲のはけ口にしかすぎない。だからいちいち恋をしたいと思ったこともない。それなのに、リッキーには本気で恋をしてしまった…」


 23歳も年下の少女を、どう扱えばいいのかベルトルドには珍しく自信が持てなかった。子供を持った経験もないし、セックスフレンドにここまで若い娘はいなかった。

 今は身体も酷く傷つき、幼い頃から心に深い傷を負い続けている。

 果たして自分の愛で癒すことができるだろうか?


「いや、癒してみせるさ」


 腹の奥底から、無性にジワジワと熱いものがこみ上げてくる。


「この俺の海よりも深い愛で、リッキーの心の傷も全て癒す! そして俺の愛でいっぱいに満たし、俺以外の男に見向きもしないほどガッチリ心をつかみ、毎晩俺だけを求め甘え濡らすほどに教育する!」


 握り拳をガシッと握り締め、真剣そのものの表情かおでベルトルドは明後日の方向へ強く頷く。


「胸がペッタンコだろうと愛の前ではなんの障害でもない! 揉んで揉んで膨らむくらいに揉んで揉み尽くせば、ちっぱいなど気にもならん」


 眠るキュッリッキの胸元に視線を貼り付け、ベルトルドは勝手に納得する。キュッリッキにとって『ちっぱい』が禁句だということは知らない。


「それにしても、本当に可愛らしい。全てが愛おしい」


 艶やかな金の髪も、白桃のように白い肌も、小柄で華奢な身体も。そして、あれだけ深い心の傷を抱えながら、それでも愛らしい笑顔を浮かべることができる純粋さ。

 性欲を満たして満足したあと捨てた女たちのように捨てる気はない。傷ついたこの小鳥を、嫌がっても抵抗してきても、籠に閉じ込め手元に置いておく。


「俺の愛に抱かれれば、もう二度と辛い思いをすることもない。悪い夢だったと思わせてみせるぞ、リッキー」


 キュッリッキの寝顔は悲しみに満ちているように見えた。流れ込んできた幼い頃のキュッリッキの姿が重なり、抱きしめてやりたかった。そして静かな寝息をたてるその柔らかな唇を見つめていると、吸いつきたい衝動に襲われる。

 顔を近づけては背け、再び向けては背けをしつこく繰り返す。


(アルカネットに先を越された、アルカネットに先を越されたっ!!)


 そのことが、一番悔しい。


(あんにゃろおおおおお)


「何をしてるのです」

「いででででっ」


 いきなり耳を思いっきり引っ張り上げられ、ベルトルドは強烈な痛みに軽い悲鳴を上げる。


「アルカネットかっ! 痛いからヤメロ」


 自分の屋敷でこんな無礼を平気で働くのはアルカネットしかいない。しかしさらに耳は引っ張られ、容赦なく易易と持ち上げられた。

 アルカネットは無表情のままベルトルドの耳を掴んでいたが、やがてパッとはなす。その拍子にベルトルドは顔面からベッドに倒れ込んだ。


「ふがっ」

「全く、目を離しているとすぐコレですから、困ったものです」

「……」


 ベルトルドはのろのろと身体を起こし、ベッドの上にぺたりと座った。そして傍らで腕を組んで見下ろしてくるアルカネットを見る。


「早かったじゃないか」

「嫌な予感しかしませんでしたから、文字通り飛んで帰ってきました」


 忌々しさを滲ませて、アルカネットは冷え冷えとした声で言う。


「急いで帰ってきてみれば、案の定、不埒な真似をしようとして…。リッキーさんは重症の怪我人なのですよ。可哀想に、酷い怪我をしているというのにイヤらしく迫られて、何をされたんだか想像するだけで怖気がします」

「あのな…、俺はまだ、何もしてないぞ」

「何かする気だったんですか。あなた、最低ですね」

「……」


 確かに想いが熱く熱く噴出して、キスをしよう、イヤだめだ、と自制心と葛藤している真っ最中だった。


「それに、何故寝間着姿のあなたが、リッキーさんの部屋にいるのですか?」

「もちろん、リッキーが寂しくないよう添い寝するためだ」


 さも当然のように大真面目に言い返されて、アルカネットの眉がぴくりと動く。


「あなたが添い寝したところで、リッキーさんの不安や寂しさが癒されるわけではありませんよ」

「否! この俺がいてこそ、リッキーの心の安心感が保たれるんだ!」

「寝込みを襲おうとしているような人が、何を世迷言を言っているんだか…」


 グッとなりながらも、ベルトルドはひるまない。


「大体だな、お前ばっかり狡いんだ! リッキーのファーストキスを奪いやがって、ずーずーしーんだ、ずーずーしー!」

「ヴァルトみたいな口調にならないでくださいみっともない。あのことは、混乱のあまり自分で薬が飲めないリッキーさんのために、口移しで飲ませて差し上げただけです。あなたのように端っからイヤラシイ思惑でしたことではありませんよ。一緒にしないで下さい」

「舌まで入れたくせに!」

「そのほうが、確実に口の中に含ませることが出来ますから」

「ぐぎぎぎぎ、やっぱりズルい!」


 ベルトルドは泣きそうな顔でワナワナと口を震わせると、バッとキュッリッキの方へと身体を向ける。


「やっぱり俺もリッキーとキスする!」


 そう身を乗り出したとき、間近に高温を感じて振り向いた。アルカネットの掌の上に、真っ赤な灼熱の球体が形成されていっている。


「こんなところでなにをしているっ!」

「ブラベウス・プロクス」


 灼熱の球体を投げるように構え、ベルトルドに超至近距離で放った。

 ベルトルドは寝転がった姿勢のまま、両掌を前方にかざした。灼熱の球体はベルトルドの掌の前で、空間に吸い込まれるようにして消えていく。


「あちちちち」


 超能力サイを持つ者の中でも、ベルトルドしか出来ないと言われている空間転移で、ブラベウス・プロクスの灼熱の球体を飛ばす


「お前はバカかっ! リッキーが巻き込まれたらどうする!」


 怒号をあげるベルトルドを冷ややかにみやって、アルカネットは目を細めた。


「そんなこと大丈夫に決まっているでしょう。アナタが身を呈して守るんですから」


 そのくらい織り込み済みでやっているんです、と言い置いて、アルカネットはフンッと鼻を鳴らす。


「それでは、さっさとベッドから降りて、出仕の準備をしてくださいな」

「出仕って…おい、まだ3時すぎだぞ?」


 テーブルの上の時計に目を向けると、出仕の時間にはまだまだ早かった。


「今から行けば、半分くらいは片付きそうです。問答している時間が無駄です。あなたの部屋に行きますよ」

「宰相府の仕事はリュリュに頼んである。別に、普通に出仕すればいいだろう? 俺もまだ寝足りない」

「寝込みを襲おうとしているから寝不足になるのです」

「そうじゃなくってだな…」

「あなた、最近お仕事が増えたことを自覚していないのですか? 宰相府はリュリュに任せておけても、総帥本部でのお仕事は誰が決済するんです」

「あ…」


 そういえば、とクチパクで言って、呆れているアルカネットの顔を見上げた。


「正規部隊をソレル王国に派兵した、その件でも書類が溜まっているはずです」


 反論を許さない態度でまくし立てられ、観念したベルトルドは渋々ベッドから出た。


「あ、行ってきますのキスを…」

「しなくてよろしい」


 ベルトルドはまた耳を掴まれ、グイグイと引きずられながらキュッリッキの部屋を後にした。

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