第29話 ベルトルド邸へ

 皇都イララクスのクーシネン街にあるエグザイル・システムに到着すると、エグザイル・システムの建物の中は全て正規部隊の軍人だらけになっていた。


「お帰りなさいませ、閣下」

「ブルーベル将軍か、出迎えご苦労」


 2mを超える巨躯で白クマのトゥーリ族であるブルーベル将軍は、つぶらな瞳を細めてベルトルドに敬礼する。


「お嬢様のお加減が悪いようですが、転送の負荷の影響はなかったようですね」

「ああ。俺がついているからな」

「それはようございました」


 キュッリッキを見つめ、ブルーベル将軍はホッとしたように肩の力を抜いた。転送の負荷があれば、今頃キュッリッキは血まみれで事切れているだろう。ベルトルドの超能力サイによって守られていた証拠だ。


「このあとぞろぞろ同行者どもが飛んでくるが、医者2名はすぐに通してくれ。連れて行くから。――何故一緒に飛ばなかったんだよ俺…。自分でツッコミ入れといて思ったが…」

「ほっほっほっ。承りました」


 ベルトルドは出口に向かい、その後ろにルーファスとメルヴィンが続く。

 建物の外では、馬車の傍らでリュリュが待っていた。


「お帰り、ベル」

「お前まで迎えに来てくれたのか」

「違うわよ。小娘の様子が心配で、ちょっと見に来ただけ。すぐ戻るわ」

「そっか」


 リュリュはベルトルドの腕の中を覗き込む、


「辛そうね。早くベッドに寝かせてあげないと」

「ああ」

「あとで色々教えてちょうだいね。さ、行って」

「んっ」


 あまり引き止めはせず、リュリュはベルトルドたちを馬車に促した。医師2人もすぐに合流する。


「ベルと医師2人はそっちの馬車、メルヴィンとルーはこっちの馬車に乗んなさい」


 上等な馬車が2台並んでおり、先頭の馬車にベルトルドたちが乗り込む。それを確認して、リュリュは御者を促した。

 ベルトルドたちの乗る馬車が走り出し、若干遅れてメルヴィンとルーファスを乗せた馬車も続いた。

 2台の馬車が走り去って行くのを見送って、リュリュは乗ってきた馬車へと乗り込んだ。


「出してちょうだい」


 御者に声をかけると、馬車はすぐに走り出す。


「あんなに細っそりとした身体で、さぞ痛かったでしょうね…。まあ、どんな体型でも性別でも年齢でも、痛いことには変わらないだろうけど」


 たまにうっかりと紙で指を切ってしまうことがある。たいして深くもない傷だが、滲みるほど痛いのだ。たったそれだけの傷でも、大怪我したような気分になる。それを思うと、キュッリッキの負った怪我の大きさと痛みは計り知れない。


「ヴィヒトリが付いてるから怪我は完璧に治るだろうけど、心の傷まではね…。すぐには治らないと思う。立ち直ってくれるといいんだけれど」


 リュリュはある人物を思い浮かべていた。そして切なさを匂わせた笑みが、フッと口の端を過る。


「早く良くなってね、小娘」


 白い雲が泳ぐ水色の空を見つめ、リュリュは祈るように呟いた。



* * *



 ベルトルドの姿が見えると、部屋の前で待機していた使用人たちが恭しくドアを開いた。

 キュッリッキを腕に抱いたベルトルドを先頭に、ルーファスとメルヴィン、ヴィヒトリとドグラスが後ろに続く。そして、あらかじめ部屋で待機していた別の医師が椅子から立ち上がり、ベルトルドに深く一礼した。

 キングサイズよりも更に大きいベッドにそっとキュッリッキを寝かせると、ベルトルドは両掌をパンッと合わせ叩いた。

 皆ちらりとベルトルドに視線を向けるが、とくに変化はなかった。しかしルーファスだけが、その行動の意味を視ていた。

 キュッリッキを包み込んでいた超能力サイで作った防御の繭が解けたのだ。

 強固に編まれていた光の糸がパラパラと解け、空間に溶けるように消えていく。ベルトルドがずっと抱いたままの姿勢でも、キュッリッキが必要以上に苦しんでいなかったのは防御の効力がずっと働いていたからだ。

 小さく安堵の息をついて、ベルトルドは初老の女性を見る。


「あとは任せるぞ、リトヴァ」


 ベッドの傍に控えていたリトヴァが、腰を落として一礼した。


「お任せ下さいませ」

「ルーとメルヴィンは、俺の部屋にこい」


 ベルトルドは意識のないキュッリッキの両頬にキスをすると、名残惜しそうな視線を残し部屋を出て行った。




 南にある棟から東の棟に移動しながら、一緒についてきた初老の男に脱いだマントを投げ渡しながら指示を飛ばす。


「こいつらも暫く滞在する。部屋をリッキーの近くに用意しておけ。それから今日はもう一切の仕事も用事もデートも受けん。全部遮断しろ、さすがに疲れた」

「承りました」

「アルカネットはたぶん明日には戻ってくるだろうが、アイツも今や長官だからな、お前が執事を代行しろセヴェリ」

「はっ」

「ブランデーを持ってきてくれ」


 セヴェリは恭しく礼をして、酒を用意しに別の方へ向かっていった。

 自室の前に到着すると、ベルトルドは超能力サイではなく、手でドアを重そうに押し開く。


「適当なところに座っておけ」


 2人にそう言って、ベルトルドは両腕を広げベッドに仰向けに倒れ込んだ。


「大丈夫ですか?」


 メルヴィンが心配そうに気遣うが、ベルトルドは手をひらひら振って「問題ない」と疲れた声を出した。あんなに疲労困憊のベルトルドを見るのは、2人とも初めてだった。

 やがてドアがノックされ、セヴェリがブランデー入りの瓶とグラスを、トレイに載せてテーブルに運んできた。

 カットガラスの酒杯グラスに琥珀色の液体を注ぎ、ベッドのサイドテーブルに、そしてテーブル前に座っている2人にそれぞれ手渡し、セヴェリは部屋を辞した。

 3人はなんとなく黙り込む。ベルトルドはのろのろと身体を起こして、サイドテーブルのグラスを手に取る。そして気だるげな動作でグラスを口に運んだ。メルヴィンとルーファスもそれにならう。

 室内はほんのりと薄暗さを増し、すでに夕刻に近づいていた。




「さすがに超能力サイを使いすぎたな。それも繊細な使い方で、だ」


 ブランデーを一口含み、そしてコロンっベッドに倒れこむ。


「物を壊す方が、よほどラクな使い方だ。加減にも気を使わなくてすむしな」

「全くですね」


 同意しながらルーファスは苦笑する。こればかりは、超能力サイ使いじゃないと理解出来ない疲労感だ。

 あれだけの強固な防御を張り続け、転送の際にも細心の注意をはらい、キュッリッキへの負担を寸分も与えないよう努めていたのは見ていて判る。

 皆を浮かせて飛んだり、鉄の船を加速移動させたりなどは、ベルトルドにとっては塵を払うようなもの。力を使ったうちにも入らない。しかし、移動中ずっとキュッリッキのために力を割いていたのだから、その疲労度は計り知れないものがあった。

 表情に疲労の色が濃く滲んでおり、傲然とも言える空気は鳴りを潜めていた。


「言っておくが、歳のせいじゃないぞ」


 むすっとした表情で2人に釘を刺す。

 誰もツッコんでないような、とメルヴィンは心の中でため息をついた。


「お話があるのでは~?」


 ルーファスが気怠そうに促すと、ベルトルドはグラスを空にして、再びベッドに寝転がった。


「リッキーの看病や世話は使用人たちがやってくれるが、日中は出来るだけそばに付いていてやれ」

「夜はいいんですか?」

「夜は俺がずっと添い寝する」


 一瞬間を置いて、2人は「えっ!?」と声を揃えた。


「いくら俺でも怪我人に襲いかかるほど女に不自由はしてないぞ。ちゃんと自制出来るから問題ない」


 ドヤ顔でビシッと親指を立てる。

「もろ問題大有りじゃね!?」とルーファスは胸中で叫んだ。メルヴィンは物言いたげな視線をじわじわ送る。


「アルカネットさんが帰ってきたら、添い寝は難しいのでは…」


 メルヴィンのその言葉に、ベルトルドの眉がひくついた。


「あいつはな……俺が気づいてないと思っているのか、判ってて知らん顔しているのか、リッキーに口移しで薬を飲ませたという事実を、俺はちゃんと知っているぞ!」


 寝転がったままベルトルドは拳をグッと握る。


「オマケに舌まで入れたとか……しかもリッキーのファーストキスだぞ! 先を越された俺の悔しさが、お前たちに判るか!」


 俯いて拳でベッドをドスドス叩く。視認出来てしまうほどの悔しさのオーラが、全身から溢れんばかりに滲み出していた。

 唇を奪われたキュッリッキが悔しがるなら理解出来るが、「何故アンタが…」とルーファスは口元を歪めた。どんだけ悔しかったんだと。


「……記憶、勝手に読みましたね」


 メルヴィンが呆れて言った。超能力サイ使いのこういうところは油断できないのだ。

 ガバッと顔を上げて、ベルトルドは真剣な眼差しでキリっと断言する。


「俺はもうアルカネットに遅れを取る気はない!」

「ちょ、相手はまだ18歳の女の子ですよっ! なに息巻いてるんっすかぁ」


 ルーファスが慌ててツッコむが、ベルトルドは歯牙にもかけない。


「年の差なんざ関係ない! 初めてのときはトラウマになりやすいからな、俺のように上手な大人が手とり足とり股間とり教えたほうがリッキーのためだ」

「なんて邪な家族計画立ててるんですかアンタっ!」


 聞いちゃいないベルトルドは、超特大真面目だった。


「話が脱線しまくっていますよ、ベルトルド様…。もう酔われましたか」


 キュッリッキに手を出す気満々のベルトルドを冷ややかに見つめ、更に底冷えするような声でメルヴィンが口を挟む。

 ベルトルドもルーファスも、思わずビクッと息を飲んだ。メルヴィンのような真面目な男を怒らせると怖いのだ。


「で、お話の続きをどうぞ」


 メルヴィンの気迫に圧され、ベルトルドは真顔に戻り、視線を明後日の方角に向けて唸った。


「何を話そうとしていたかな…」


 脱線しすぎて忘却してしまっている。


「ではオレから質問を一つ。何故我々を看病役に選んだんですか? 魔法〈才能〉スキルもないので、回復魔法をかけてあげることもできません。それに我々は男なので、女性の看病には不都合が色々あるんじゃないでしょうか」

「ああ…そのことだ」


 ワシャワシャと自分の頭を掻いて、ベルトルドは寝転がったまま、肘枕をして身体をメルヴィンたちの方へ向けた。


「今のところ、リッキーが一番心を許しているのが、お前たち2人だからだ」


 メルヴィンとルーファスは顔を見合わせた。


「あの子は入団して日も浅い。それに人見知り体質もあるようだな。だが自分の欠点を克服して、仲間の中に必死に馴染もうとしている。それはカーティスから聞いている」


 ベルトルドは空のグラスを掴んで催促するように揺らす。手近にあったブランデーの酒器を持って立ち上がると、ルーファスはベルトルドのグラスにトポトポと注いだ。


「確かに男手だと不都合もあるだろうが、そこはリトヴァがフォローしてくれるだろう。貴様たちの役目は、喋るぬいぐるみ程度にそばにいてやることだけだ」


 寝転がったままグラスの中身を軽くあおる。


「大怪我を負って、精神的に不安定になっている。例の怪物のトラウマも抜けていないだろう。素直に甘えられる存在が近くに欲しいのさ、そいうときはとくにな」


 体調を崩しているときなど特にそうかもしれない。メルヴィンは小さく頷いた。


「性別や〈才能〉スキルは、この際どうでもいい」

「なるほど」


 ルーファスは照れくさそうに頬を掻いた。巨乳好きと公言しているので、てっきりドン引きされていると思っていたからだ。実際されてはいるが。


「しかしどういう基準で貴様らなのかは俺もよく判らん。次点でマリオンなんだが。まあ、馴染み易かったんだろう。それに、貴様らは顔もそこそこ程度には悪くないしな。俺に比べるとはるかに落ちるケド」


「だがな」と言って、ベルトルドは身体を起こして立ち上がる。


「貴様らを心の中から徹底排除し、リッキーの中の一番はこの俺が取る! 俺だけを望み、俺だけを求め、俺に全てをさらけ出すくらいに教育してみせるぞ!」


 思いっきり真剣そのものの表情かおで拳を握り締め、天に吠えるがごとく自信たっぷりに言い切った。


(このエロおやじ…)

(ロリコン…)


 露骨に聴こえる2人の心の声をスルーして、ベルトルドはテーブルの呼び出しベルを喧しく鳴らした。

 すぐにセヴェリが顔を出す。


「風呂は?」

「用意出来ております」

「なら、こいつらを部屋に案内してやれ。俺は風呂に入る。身体を隅々まで磨いておかねば」

「承りました」

「今日から俺は、リッキーの部屋で寝る事にする。朝は間違えるなよ」

「…お嬢様のお部屋に、でございますか?」


 セヴェリが「え!?」と困った顔をする。そう、これが普通の反応なのだ。

 そんなことはお構いなしに、ベルトルドは嬉しそうに笑顔を見せた。


「ああ、リトヴァにもそれ言っておいてくれ」

「……そ、そのように」


 なるべく表情に出すまいと努め、神妙に頭を下げてセヴェリは部屋を出た。




 執事代理となったセヴェリに案内された部屋は、キュッリッキの部屋のすぐ隣の2部屋だった。


「お夕食の準備が整いましたらお呼び致します。時間は19時くらいになります」

「うん、ありがとうセヴェリさん」

「ありがとうございます」

「それでは、ごゆっくり、おくつろぎくださいませ」


 慇懃に挨拶して、セヴェリは戻っていった。


「メルヴィン、付き合わないか」


 ルーファスは手振りで飲む仕草をする。


「是非」


 メルヴィンは笑みを浮かべ、ルーファスの部屋に入った。

 ハーメンリンナにある貴族や富豪たちの有する屋敷と大差なく、とにかくこの屋敷は無駄に広い。そして2人の部屋も無駄に広かった。

 ベルトルドの好みだろうが、屋敷の調度品や色調は、青と白を基調にしたものが多い。下品になるほど派手ではなく、かといって質素になるほど簡素でもなく、ちょうどいい調和が取れている。

 寒々しい印象を与える青色も、絶妙なバランスと濃淡で、柔らかく配色されている。落ち着いた上品な部屋になっていた。

 ソファに向き合って座り、ルーファスはメルヴィンのグラスにワインを注いだ。


「貯蔵庫から拝借してきた」

「いつの間に…」

「ベルトルド様のように転移は無理だけど、超能力サイでちょちょいっとネ」


 人懐っこい笑みを浮かべ、ルーファスはワイングラスを持ち上げ乾杯する。それを見やってメルヴィンは苦笑すると、乾杯した。


「お疲れ様です」

「お疲れ~。さっきカーティスに連絡とったら、あっちもみんなクタクタで、すぐ部屋にすっこんだそうだ」

「なんだかんだ、あちらでは雑魚寝状態でしたしね」

「だよネ。それに、じめじめ暑かったし。真夏じゃあるまいし、あの国に住んでる人は大変だなあ」


 同情するように笑いながらグラスを傾ける。


「今回の仕事はキューリちゃんの全面サポートがあって、随分手際よく進められて良かったのにね。まさかのとんだことになっちゃって」

「本当にそうですね。まさか遺跡にあんな怪物が出現するなんて、予想もできませんでしたよ」

「うんうん。元々詰めてた研究者たちでも原因が見つけられてなかったし、襲われてなかったわけだしさ。一体どんな仕掛けだったのかなあ」

「ええ」

「娯楽小説だと、床の判りにくい場所にあるスイッチをうっかり踏んじゃって、罠が発動した、なんてシーンがあるけど。タブンそんなノリじゃあないっぽいけどさ」

「ですね…」

「あんな大怪我させちゃって。オレたちがどうこうしたわけじゃないけど、なんかキューリちゃんに悪くってさ…」

「はい」


 2人ともあれ以来何度も思い出している、キュッリッキの大怪我した姿。何とかして助けたいと思いながらも、助からない、もうだめだと思うほどの惨さだった。

 この事件はライオン傭兵団皆の心に、深い後悔となってずっと残ることになる。


「それにしてもさ、キューリちゃんに好かれてるとは思ってなかったから、なんかこそばゆいな」


 ルーファスは座り直して話題を変えた。


「女の子に好かれるのは、悪い気はしませんよ」

「まあね。とにかく美少女だからなあ、キューリちゃん。あれで胸がおっきかったら完璧だったんだけど」

「太りにくい体質だと言ってたことがあるので、あまり言うと可哀想ですよ」

「ははっ、それならしょうがないな」

「しかし、頼りにされてる以上しっかり守ってあげないと」

「ベルトルド様からだろ。淫乱オヤジの毒牙から守るのは、一国の軍隊から守るより至難の業だよねえ」


 どんよりと重たい空気を漂わせながら、2人は俯いた。


「これはもう、アルカネットさんに縋るしかっ」

「どっちもどっちな気がしますが」

「ベルトルド様は有言実行、アルカネットさんは無言実行、どっちもどっちか」


 敵が強すぎて、お姫様を守るナイト役は難しすぎる! 闘う前から諦めモードが漂う2人だった。



* * *



 キュッリッキは目を覚ました。目に飛び込んできた暗闇に、何度か目を瞬かせる。


(どこかな…ここ…)


 暗闇に目も慣れてきて、ぼんやりと視線の先を見つめた。

 見上げているそれがベッドの天蓋だと気づくのには時間がかかった。生まれて初めて目にするもので、天蓋の向こうに窓のようなものが見えたので、それが天蓋だと気づいた。

 何故天蓋がつくようなベッドに寝ているのだろう。心当たりがなさ過ぎて疑問が頭をもたげる。天蓋が付くようなベッドは、お金持ちが寝るものだと認識しているからだ。そして左側に人の気配がして首を向けると、キュッリッキは悲鳴をあげそうになって慌てて悲鳴を飲み込んだ。

 ベルトルドが寝ているのである。


(えっ? えっ?? なんでここに!?)


 右側を見ると、数人横に寝ても余りあるくらいのスペースがある。もう一度左側を見ると、やはり大人2人分のスペースにベルトルドが寝ているのだ。


(えっと……えっとお…)


 頭がぐるぐるになりながら、キュッリッキは必死で考えた。

 アルイールのエグザイル・システムのところで一度目が覚めた。そしてベルトルドが何かを言っていたが、キュッリッキは覚えていなかった。なので、自分がどこで天蓋付きのベッドで寝ているのか判らない。

 忙しく頭の中を回転させるがさっぱり判らない。閃くこともなく、やがて考えるのが面倒になり、ひっそりとため息が漏れた。

 今の気分はとても落ち着いていて、あれだけ苦しかった熱もひいている気がした。とくに苦しくはない。

 迫り来るベルトルドの無言の恐怖と、失敗したらられる命の危険に晒されながら、それは必死に手を尽くした医者たちの治療の賜物であることは知らない。

 改めて左側に眠るベルトルドに顔を向ける。

 身体をキュッリッキのほうへ向けたまま、ぐっすりと眠っていた。寝息も規則正しく、なんとも無防備な寝顔。

 動く左手を恐る恐る伸ばし、そっと前髪を指で揺らしてみる。サラサラとした感触がくすぐったい。

 気配で起きるんじゃないかと思い、慌てて手を引っ込めた。しかしベルトルドは目を開けなかった。

 スヤスヤと眠るベルトルドの顔を、まじまじと見つめる。

 こうして間近に見ても、聞いていた年齢よりずっと若く見える。アルカネットの柔和で優しげな面立ちとは正反対に、挑発的で強気が常に押し出されたような面立ち。ライオン傭兵団の仲間たちに言わせると「歩く傲岸不遜」だそうだが、それに同意出来るほど付き合いは深くない。

 まだ出会って日も浅い。知らないことのほうが多いのだ。

 とても偉くて忙しい人だということは判る。その彼が、怪我をした自分のために駆けつけてくれた。そしてとても大切にしてくれる。


(何故だろう…)


 深く考えるまでもなく、答えはすぐに出た。

 自分が特に珍しいとされる〈才能〉スキルを持つ召喚士だからだ。

 これまでずっと知らなかったことだが、召喚は国が保護するほど貴重な〈才能〉スキルなのだそうだ。同じように召喚〈才能〉スキルを持つ者は、大切に国に保護され、貴族のような暮らしをしているという。

 それも、家族ごと召し上げられるのだ。

 でも、とキュッリッキは思う。


(アタシは捨てられた。――家族から)


 悲しみと共に脳裏に蘇ってくる、冷たい石の感触。

 全身が渇くほど、欲した親の愛情。

 キュッリッキの黄緑色の瞳は天蓋を通り抜け、幼いあの頃の、薄汚い惨めな自分の姿を視ていた。

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