2153年9月13日(木)
第12章「ノアは救世主?」
ちょっと気になることもできたけど、パジャマだけパーティーは大成功だったよね。
おかげでノア達にみんなと打ちとけてもらえたし、多分『年上はいろんなこと知ってるんだよ』っていうアピールにもなったはず。
今日はもう五日目の木曜日。
ノアと会える日は、今日もふくめて残り四日。
わたしはふんっと深呼吸をすると、首筋をひっかいて背筋をただす。
ベッドにすわっているノアは、ふしぎそうな顔で私を見ながら、今日のおやつのグミをもちもちと食べている。
昨日は先輩達に助けてもらったけど、今日はわたし一人だ。
わたし一人で、先輩らしいことをするぞっ!
「ノアはさ、なにか一つだけ自由にできるとしたら、なにがしたい?」
となりにすわって、力みすぎてないけどハキハキしている、ちょうどいいさじ加減の声で聞く。
これも練習したんだ……!
ノアはこくんとグミを飲みこんでわたしを見上げると、首を横にふった。
「特になんもないです。そりゃあ、外の景色とかはふつうに気になりますけど、それいがいは特に」
「うぇ〜っ、もっと興味を持とうよ! わたしは親に会ってみたいかもなあ……あっ、ノアは自分の由来、知ってる?」
ノアはまた首を横にふる。
「わかんないです。そもそも、機械がランダムにつけたものでしょう」
「でも自分の名前だよー? 調べてみるとめちゃくちゃおもしろいんだよ」
わたしのユイって名前も、お父さんとかお母さんにつけてもらったものじゃなくて、AIがランダムに決めたものだけどさ。
わたしはスリースに自分の名前を打ち込むと、浮き上がってきた漢字のホログラムをノアに見せる。
「ユイは日本語で『唯一無二』っていう四字熟語の最初の『
「ノアとは正反対って感じですね」
そう、なんてことない表情でさらっとのべたノア。
「うええっ、今なんて言った!?」
ユイさん、聞きずてなりませんわよそれは!
わたしはノアの両肩に手を乗せて、ずいっと顔を近づける。
「そんなことない! クローンがいても、ノアはわたしのたった一人の後輩なんだから、唯一無二だし大切だよ!!」
「……っ!」
「あっ、ごめん、距離近かったかな……」
ノアがおどろいたように目を見開いたから、わたしはばっと距離を取る。
ついつい、気持ちがたかぶったとはいえ、失敗してしまった。
心の中で一人反省会をしていると、ノアが遠慮がちにつぶやく。
「ノアは……」
『こんなヤツに大事だよーとか言われても意味わかんないです』って!?
第二世代あるあるの
「……ノアは、なんて意味なんでしょう」
と、一言。
「わ……!」
は、初めて自分から興味をしめしてくれた……よね!?
ユイさんの自信、一瞬にして回復。
わたしは急いでアイサーにコマンドを出して、『ノア』の意味を検索する。
出てきた答えを読んで、わたしは思わず「おお……!」と声を上げた。
「どうでした?」
「えっとね、まず『ノア』は、聖書っていうすんごく古い本に出てきた、男の人の名前なんだ。そのノアさんは、地球の生命が大洪水で全滅しちゃうピンチを乗りこえるために、おっきい船を作ったんだって。すごい、救世主みたいだねっ!」
わたしの説明をかみくだくように、ノアはゆっくりと何度もまばたきをする。
「…………全滅のピンチ……なんだか、今とにてますね」
「あっ、たしかに。それに、ノアはわたしにとっても救世主だよ!」
「え……?」
わたしはえへっと笑うと、首筋をかきながら、どう言葉にしてもおさまらなそうな気持ちをなんとか声に出す。
「だって、ノアのおかげで毎日がすっごく楽しいし、わたしもたくさん成長できたんだもん」
「ノアは、別に……」
「だれが何を言おうとノアのおかげだからねっ! だからノア、これから自分のことノアって呼ぶ時は『救世主様のお出ましだぞ〜!』って意味をこめるんだよ」
「んく……っ、なんですか、それ」
一瞬、ノアがグミをのどにつまらせたのかと思った。
だってノア、お腹をかかえて、下を向いて、ぷるぷる小きざみにふるえてたんだもん。
わたしがあわてて顔をのぞきこもうとした途端、
「んっ、く、あはっ、あははははははっ!」
ノアは足をばたつかせながら、無邪気に笑い出した。
もう一回言うね、笑い出した。
あの無表情で仕草がいちいち子供らしくない、ノアがだよ!?
「なにこれっ、とまらない、息できない……っ!」
「笑ってる! 笑ってるんだよノアっ!!」
わたしは思わず、うれしさをバネに飛び上がる。
というか、笑い方が五歳くらいの子のそれだな……って言ったら多分怒るので、だまっておこう。
ようやく笑いがおさまったらしいノアは、目元の涙をぬぐうと、ふしぎそうに首をかしげた。
「………ノア、笑ってたんですか? はじめてなので、あんまりよくわかんないです」
「いや今まで笑ったことなかったの!?」
うっ、気になるけど、多分ここで聞いたらまたとんでもない第二世代事情の話になるよね。
わたしは首筋を引っかくと、両手をふり上げる。
「やったあ、ノアが笑ってくれた! 救世主様ばんざーい!」
「だから救世主じゃないですって」
視線が交わると、思わず口から「ふすっ」と笑い声がもれる。
それにまた刺激されたのか、ノアも肩をすぼめると、また笑い出した。
ああ、すっごくうれしい。
心臓がバクバクいっているけど、恐怖とか緊張とかでのそれじゃなくて……なんていうか、拍手みたいだ。
ここまでの達成感は、生まれてこのかた初めてかも。
先輩達もわたしのこと、こんな気持ちで見守ってくれてたのかな……なんて、しみじみと考える。
「……………でも、ノアは、ユイさんの救世主にはなれない……」
だから、わたしは聞き逃してしまった。
「ごめん、聞こえなかった。今なんて?」
「あ、いえ……その」
ノアは視線をあっちこっちへとやると、変にあわてた様子で言葉をつむぐ。
「ユイさん、よく首のところさわってるけど、かゆいんですか?」
「ああ、これ?」
わたしは制服のえり元を少しゆるめると、「かゆくないよ」とノアにも見えるように少しかがむ。
「見える? ここ」
「……アザ……?」
ノアに見えているのは、わたしの首筋の右側にある、五センチくらいの横長の青紫のアザ。
「痛くないんですか」と心配してくれたノアに、わたしはえりをととのえながら首を横にふる。
「んーん、全然。これ、生まれつきでさ。ほら、第一世代は全員、自分の親がだれなのかも、どこの人なのかも、ぜんぜん知らないじゃん?
だから、生まれる前からあったこのアザは……なんて言うんだろ、わたしだけが持つつながり──個性だと思ってて」
「個性、ですか」
「うん」
わたしはアザをなぞると、力強くうなずく。
「『ユイちゃんスイッチ』って呼んでて、気分を上げたい時とか、勇気がほしい時にさわってるんだ」
「ユイちゃんスイッチ……」と、ノアが幼稚感ハンパない単語をくり返す。
待って、言っておいてあれだけど、わたし、すっごい子供っぽいこと言わなかった!?
うわーっ、「個性だって思ってるよ……☆」でサラッと切ればよかったのに、もう!
そもそもなんで四歳のわたしはこんな子供っぽい名前をつけたんだ……と、後悔の
「……でも、いいですね、そういうの」
おっ!?
わたしはばっと顔を上げると、思いついたアイデアを即、口に出した。
「じゃあさっ、第二世代の子達が引っこしてくるまでにさ、ノアもなにか『ノアスイッチ』を見つけておいてよっ!」
ノアは、丸くなった大きな瞳をわたしに向けて、少しだけほおを紅潮させると──…
「いや、むりですね」
「ええっ!?」
いつも通り首を横にふった。
くっ、今までの流れからのノーか……!
「なんでえ〜!」とマットレスの上にべしゃっとくずれ落ちると、「仕方ないんです」と上から声がする。
「次の調整日で、ユイさん達との記憶は消されるんです。第二世代のうち二人だけ第一世代といろんなことをしたのって、不公平じゃないですか」
「に、日常の記憶まで操作するのっ!?」
かなり衝撃的なことをたんたんと言いはなったノアに、わたしは思わず飛び起きた。
ノアは「なんでこの人おどろいてるんだろう」って感じの顔で眉をひそめながらも、答える。
「はい。自分だけが読んだ本とか、ほかの人がしてない経験とか、そんなものは全て消されます」
「いやいやいやいや……」
テストの点とかはさ、まあ、この際置いておくとして。
日常の楽しみすら、消されちゃうの?
やったとしても、結局なかったことにされちゃうの?
ふと、ここ数日間の『べつになんでもいい』って態度の二人を思い出す。
あれは、 なにをえらんでも結局なかったことになるからっていう、あきらめだったんだ……!
そんなのって、そんなのって……。
「…………い、生きてて楽しい……?」
「つくづく失礼なやつだなあんたは!」
浮かんできた疑問をそのまま口に出すと、ノアがカッと目を見ひらいた。
……おっと、少しストレートに言いすぎちゃった。
ノアは大きくため息をつきながら、わたしを見る。
「第二世代では、楽しい楽しくないはどうでもいいんです」
「えぇーっ、でもさ、でもさぁ……」
わたし、最初はノアには感情がないんじゃないかって思ってたんだよ。
だって無表情だし、声のトーンも変わらないし。
でも、そうじゃなかった。ノアもマイマイも、怒ったり、怖がったり、おどろいたりは、ふつうにする。
物事にちゃんと反応する喜怒哀楽は、そろっている。
……ただの、八歳の子どもなんだよ。
だけど笑わなかったのは、きっと、今まで『楽しい』とか『うれしい』とか『おもしろい』って思えるような出来事がなかったから……なんだよね?
そんなの、あんまりだよ。
今日初めてわたしの前で笑ってくれたけど、それもわすれさせられちゃうってことでしょ?
「あ……」
時計をみれば、もう五時をすぎていた。
あと、十分くらいで帰らなきゃいけないんだ。
もっと話したいのに、って今までで一番おしい気持ちになる。
わたしはユイちゃんスイッチを連打すると、思いっきり息をすいこんで、立ち上がった。
「決めた! わたし、のこりの交流期間を、ノアが『調整でわすれちゃうなんてくやしすぎる!』って思うくらい楽しいものにするね!」
「……なんですか、それ、意味わかんないです…………」
あきれたような声をこぼしながらも、小さな手がわたしの手を取ってくれた。
わたしの引っぱる力で立ち上がったノアは、しばらくのあいだ視線をくつのあたりでさまよわせると、すくっと顔を上げる。
わたしは、思わず息をのんだ。
あのノアが、ほほえんでいたから。
「──でも、楽しみにしてます」
目を細めて、口角を少しだけ上げた、あどけない笑み。
数秒間みとれていたけど、わたしははっと正気にもどって、こぶしをにぎりしめた。
楽しみにしてくれている……って、言ってくれたよね!?
「うん、待ってて!」ってとびきりの笑みでうなずいて、ノアを見送る。
よーし、さっそく最高のプランを用意しなきゃ!
……なんて、意気込んでいたのに。
翌日、ノアは現れなかった。
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