第2章「第一世代の子ども達」

 東アジア人類保護地下ドーム、通称『東亜とうあドーム』。

 もともとは東アジアに住む人全員が移住する予定だったけど、完成が間に合わなかったから、たったの地下七階建て。

 しかも、わたし達が行ける場所は地下七階から五階の三階だけ。

 まあ、それでも子ども八人だけで住むには十分すぎるくらい広いんだけど。

 ……そう、大人はいない。

 生まれてから三年間は保育器で、それからは地下五階以下で子どもだけで暮らすから、わたし達はだれ一人として大人を見たことがない。

 それが『第一世代』の教育方針なのだ。


 東アジアで生きのこったのは、隕石衝突時に運よくドーム内で寝泊まりしていた、建設関係者の十人だけだったらしい。

 その人達は、人類滅亡の危機なのに手を取り合うんじゃなくて争い事を始めた人々に、絶望した。

 そして、こんなことは二度と起こってはいけないと思った。

 それで、差別とか戦争とか、そういうものは全部『自分がだれなのか分かっている』から起るって考えたんだって。

 だから、隕石が落ちた後の、全く新しい世界に生まれてくる子ども達──つまり、わたし達の教育をちょっと……ううん、かなりかなりかなーり、特殊なものにした。

 それが、『自我をなくす』教育。

 つまり、自分がだれだかわからなくするってこと。

 そりゃあ、おたがい名前と年齢しか知らなかったら、差別とか争いなんてそうそうできないよね。

 育児はロボットが代わりにできちゃう時代だから、わたし達はみんな生まれた時から親にあったことなんて一回もない。

 自分が何人なにじんなのか、だれときょうだいなのかすらわからない。

 わかるのは自分の名前と、年齢だけなんだ。

 それに、冗談でも『自分は〇〇人なのかも?』とか、『本当はあの子ときょうだいなのかも?』なんて言ったりしたら、重たい罰を受ける。

 そうやって育てられた最年長のアルタンをはじめとする八人の子供達が、『第一世代』の子ども達。

 平和のために産まれた存在だ。


 ……とかなんとか言っちゃって、みんな歴史のテストでぎゃいぎゃいさわいでいる、ただの子どもなんだけど。

 アンドロイドの先生こと『センセイ』がくりかえしこのことを話すんだけど、正直ピンとこないんだよね。

 エレベーターが六階に着くのを待ちながら、そんなことを考えていると。

 突然、わしゃっとアルタンのよりもずっと小さくてたよりない手で、頭をなでられた。

 シユンの手だ。

「テストが不安なら夕飯の後におれが教えてあげよっか?」

 どうやら、ずっとだまっていた理由をかんちがいされたらしい。

「わー! 先輩面うざーい!」

 わたしが身をかがめてシユンの手から逃れると、彼は内側にくるんと丸まった髪をゆらしてケラケラと笑った。

 シユンは基本はただの調子に乗ってる同級生なんだけど、よくわたしを年下扱いしてくるのがすっごくうっとおしいんだ。

「先輩は先輩だろ〜? おれはえーと……アイサー、十月と翌年の七月って何ヶ月差?」

『九ヶ月差です』

「そう、九ヶ月差もあるんだからなっ!」

「うっわー、数ヶ月の差をいちいち気にするとか、そもそも先輩になるには向いてないと思いまーす」

 わたしがそうヤジを飛ばすように言うと、シユンはわざとらしく眉をひそめた。

「なんだよー、おまえは向いてんの?」

 もちろん、とわたしは胸をはって、首筋の右側をかく。

「わたし、いつか超かっこよくてすてきな先輩になるんだからねっ!」

 沈黙がエレベーター内をみたした……ものの、数秒後にさわがしくなった。

 シユンがまたケラケラと笑い出したからだ。

「おまえ、後輩いないじゃん! だからおれ『生涯先輩志望』って登録してんのに!」

 やっぱりな!!

「いや、後輩がいないのはシユンも同じだって!」

 わたし達は同い年なんだから、シユンにからかう資格はないはずだ。

 そう思ったのに、シユンは当然って感じの満面の笑みで、わたしをビシッと指さす。

「いるぞ? ユイって子」

「ざんねん、わたし達は同学年でーす。わかんないんでちゅか?」

「春に一年が始まってたむかしの日本の学校だったら、一学年ちがうし」

「もう日本なんて存在しないから意味ないよそれ」

 洗練された雰囲気のエレベーター内で、わたしとシユンは笑顔で向き合う。

 シユンとの喧嘩は、キレた方が負け。だから徹底的に笑顔であおるのがコツなんだ。

 これ以上はワンランク上の暴言が出てくるんじゃないかってタイミングで、ポーンとエレベーターの間抜けな到着音がひびいた。

 エレベーターをおりて、無言で208号室までの廊下を歩く。

 かたい灰色の床と靴底がぶつかるたびにコトコトとひびく足音が、ちょっと好きだ。

「アイサー、ドア開けてー」

 シユンが体をわたしの方に向けたまま、一つ手前の207号室に片足をふみ入れる。

「進学して勉強がむずかしくなっても、ユイはテストの神様に愛されてるから大丈夫だって!」

 ……ん? あいつにしては、こんなふうに言ってくれるなんて、めずらしいなあ。

 そう思いかけて、わたしははたと気づいた。

 ちがう。これ、皮肉だ。

 『おまえのテストの結果は全部まぐれで実力はそれ以下』っていう、皮肉だ。

 わたしはばっと振り返ると、今にも完全に閉じそうなドアに向かって、叫ぶ。

「運動の神様にすら見放されてるシユンくんは、大変そうですね──!!」

 ドアの向こう側から、「はああ!?」と不満そうな怒号どごうが返ってきた。


「ったく、失礼なやつなんだから……」

 わたしの部屋に続く廊下を歩きながら、思わずひとり言がこぼれ出る。

 あいつと卒業まで同じクラスで二人っきりなんて、本当にかんべんしてほしい。

「アイサー、ドア開けて」

『了解しました』

 208号室の前でコマンドを出すと、すぐにドアが音もなくなめらかに開く。

 うーん、くやしいけどシユンの言う通りだ。

 かっこいい先輩になるのが長年の夢だけど、実現するにはだれかわたしより小さい子がいなきゃなんだよね……。

「待ってました」

 そうそう、今目の前にいる子みたいに、顔もあどけなくて、声も高い感じの……。

 …………。

「んぇっ!?」

 わたしは、思わずすっとんきょうな声を上げた。

 無機質な白とグレーの殺風景な壁を背景に、一人の子どもがたたずんでいる。

 非現実的なあわい桜色のまっすぐな髪は、肩上で切りそろえていた。

 白に近いグレーの目は、大きくて涼やかで、顔立ちもかなりととのっている。

 とにかく、すっごくきれいな子。

 ……待って、待って待って。

 あれ、夢かな。歴史の勉強のしすぎで頭おかしくなっちゃったのかな。

 ごしごしと目をこするけど、目の前にいるちっちゃい子の輪郭はちょっとぼやけただけで、消えたりはしていない。

 ほうほう、現実ですか、さようでございますか……。

「……あの…………」

 その子は入り口で突っ立ったままのわたしを見て、けげんそうに眉をひそめる。

 わたしはハッとして我にかえると、次にどうするべきなのかを勉強疲れの脳で必死に考えて、それで……。

「かぁわいーいっ!」

「うわっ!」

 ──その子を、抱きしめた。

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