第62話 アレとアイツと冥界の王
「——— やあ、大史くん。今年も例のアレが手に入ったよ」
この時期になると、アレが解禁される。
肉屋の松さんから朝方に連絡をもらい、急いで店に駆けつけた次第だ。アレを料理するなら王道のアレが定番だが、俺としてはアレをアレしたい。
まだ営業時間ではなかったため、外で待っていた松さんに裏口へ案内されると、しきりに俺の背後を気にし始めた。
「誰にもつけられてないよな?」
「た、多分。念のため、用心棒として虎之介を連れてきた」
「何をコソコソしてるのかわからんが、敵襲ならオレがぶっ飛ばしてやるよ」
「おお、そりゃ心強いな」
何も知らされていない虎之介は、自慢の上腕二頭筋を見せつけた。俺も毎日鍋を振っているとはいえ、虎之介のように常人離れした筋肉には勝てっこない。
というか、警察沙汰になるのでぶっ飛ばすのはやめていただきたい。
裏口から厨房へ通されると、大きなタッパに丸々と肥えた例のアレが数匹積み重なっていた。それを見た虎之介は、瞬時に目を輝かせる。
「おお、鶏肉か?! 鶏にしては少し形状が違う気がするが、随分と立派なもんじゃねぇか。丸焼きにしてかぶりつききてぇな」
「そうだろう? だが、これは鶏じゃなくて鴨だよ。やっと羽抜きと下処理が終わったところだ。こんなに丸々と肥えた天然の鴨は、そう簡単に手に入らないぞ」
「さすが松さん! どんな肉でも手に入れる裏ルートを持ってるだけあるなぁ」
「ふふん。これは大史くんのために特別に仕入れたんだ。店でも鴨肉は売るんだが、天然ものじゃなく養殖の合鴨ってやつだ。他のお客にも小さいものはおすそ分けしているけど、こんなの見られちゃあ贔屓してるって思われるだろ? なんせ鴨肉過激派のお客もいるもんだからさ、暴動が起きかねない」
「ほう。それでオレを用心棒につけたってわけか」
「もう随分と贔屓してもらっちゃってるけどね。ありがとう、松さん」
この地域では紅葉のコントラストが鮮やかになってくる頃、鴨の狩猟が解禁となる。解禁時期に獲れる鴨は小さくやせ細っていることが多いのだが、松さんが仕入れた鴨は脂がのって肉質も柔らかそうなものだった。どこのルートで仕入れたのかは企業秘密らしいが、毎年いい状態の鴨を用意してくれるのは本当に助かる。
「この鴨と引き換えにと言ったらアレだけどさ、おれにも食べさせてくれないかな。大史くんが作った鴨料理」
「もちろん! 食べたい料理があったらなんでも作るよ」
「おお、ありがとう。メニューはお任せするよ。倅も鴨が好きだから連れて行きたいんだが、今夜行ってもいいかな?」
「うん。今夜は鴨の解禁日だから、盛大におもてなしするよ」
「いやあ、楽しみだなぁ」
子どものようにワクワクしている様子の松さんも鴨が好物である。牛の赤身とは違い、柔らかく筋のない肉質が好きらしい。そんな松さんのためにも、今夜は新鮮な鴨で美味い料理を振る舞いたい。
鴨肉の入った段ボールを抱えて外へ出ると、念入りに周囲を警戒する虎之介。
「大史、気を付けろよ。鴨肉過激派の野郎どもはどんな武器を持ってるかわからねぇ。強奪される可能性もあるから、オレの側から離れるなよ」
「そ、そうだな。鴨肉は俺が何としてでも死守するから、虎之介は護衛を頼むぞ」
「任せろ。相手が妖怪なら気兼ねなくぶっ飛ばせるってのに」
「襲ってくるのは人間の可能性もあるから、万が一の時は
「なんて話すんだよ」
「鴨肉が狙われているから護衛してほしいのと、民間人に紛れたスパイがいるから襲われるかもしれないって」
「舌打ちして電話切りそうだな」
「……確かに」
事の重大さは当事者にしかわからない。尚且つ、高品質な鴨肉の貴重さが理解できる人でないと、頭のおかしいヤツの妄言だと思われるだろう。
店に辿り着くまでの道中、朝の時間帯はさまざまな人たちとすれ違う。通勤途中のサラリーマン、犬の散歩をしているおばちゃん、集団登校をしている小学生。ごく普通の成りをしているが、もしかしたらこの中にスパイがいるかもしれない。彼らは周囲を警戒する俺たちに冷ややかな視線を向けていたため、逆に通報されるのではないかと少し心配になった。
その時 ———
ブロロロロロロッ
店まであと少しというところで、背後からこちらに近づいてくるバイクと思わしきエンジン音が聞こえてきて……。
「キエエエエエエーッ!」
「いやあああっ! な、なに!?」
叫び声に驚いて思わず走り出す。振り向くと、大型バイクに乗っている2人組がこちらに向かってきていた。
ヘルメットで顔が隠れているが間違いない。あれは鴨肉過激派だ。
松さんの話によると、鴨肉過激派の連中は奇声を上げながら突然襲ってくるらしい。バイクならば強奪すればすぐに逃走できるため、ヤツらの常套手段である。
全力疾走する俺たちだが当然バイクに敵うはずもなく、悠々と追い越されてヤツらは目の前に立ちはだかった。
「ハァ、ハァ、くそっ! やっぱり来やがったか、鴨肉過激派め!」
「こ、これは絶対に渡さないぞ! 俺の命に代えてでも守り抜く!」
「大史、お前が命を張る必要はない。お前がいないで誰が鴨を料理するんだよ。用心棒のこのオレが、鴨のついでにお前も守ってやる!」
「虎之介……! 自分で言うのもなんだけど、ついでってのは癪に障る」
男はヘルメットを被ったまま、俺たちのことをじっと見据えた。
「おい、さっきからなに訳の分からないこと言ってんだよ。待てって言ってんのに逃げやがって。誰がカモン・ハメハメ派だって?」
「いや、一言も言ってない。なんか、親し気に話しかけてきたぞコイツ!」
「あ? 俺様を忘れたのか?」
そう言うと男はヘルメットを外し、その顔を見た瞬間に思い出した。
「あ! あの時の獄卒じゃん! 確か名前は……羅門だっけ」
「おうよ」
「あぁ、小太郎を迎えに来たヤカラか。相変わらず気に食わねぇツラしてるな」
「お前もな。整形しろ」
「元気だったか? ていうか、何しに来たの? あ、鴨肉だろ。鴨肉を奪いに来たんだろ!?」
「意味がわからねぇ。俺は閻魔様の護衛として現世に来ただけだ」
「閻魔様……」
すると、羅門の背後から小柄なおじさんがひょこっと顔を出した。
「やあやあ、驚かせてしまって悪かったね」
「あ、あなたが閻魔様……ですか?」
「そうだよ。先日はうちの羅門と小太郎殿が世話になったね」
穏やかに笑みを浮かべる姿は、閻魔様というより仏様のようだ。
「い、いえ! ところで、地獄の閻魔様がなぜ現世に?」
「ただの観光さ。それに、小太郎殿の子孫が営む店にも行ってみたくてね。さきほど店を訪れたら買い出しに出かけたと聞いたもので、きみを探していたんだ。しかし、まさかの御仁が店にいて驚いたよ。きみは鬼と神を従えているのかい?」
「いやいや! 従えてなんていませんよ。彼らは好きこのんで居候してるだけなんです」
「ほう、さすが小太郎殿の子孫。なかなかに面白い子だね。して、店は何時から営業かな? ぜひ食事をしたいのだが」
「それでしたら、夜の時間帯はどうですか? 今日は天然の鴨が手に入ったので、鴨尽くしのメニューを提供しようと思うんです。仕込みに時間がかかるので、夕方まで時間が空いちゃいますけど……」
「なんの、鴨料理が食べられるならいくらでも待つよ。その間に観光でもしよう。この日のためにちゃんと調べてきたんだ。現世で人気のラーメン屋に、ふわふわパンケーキが食べられる茶屋、回る寿司屋にも行きたいんだ。それと、日用品から食料品まで揃うというドン・ホーテンだっけ? そこにも行きたいね。お土産も買いたいし」
「外国人が行きがちな観光スポットばかり……あ、地獄からすれば現世は海外旅行的な感じなのか。というか、夜のために食べ過ぎないでくださいよ?」
「閻魔様はこう見えて大食漢だ。心配するな」
「そうなんだ。羅門も楽しみにしとけよ! 俺が作るメシ、食べたいだろ?」
「は? 調子に乗るなよ人間。メシなんてなに食っても一緒だろ雑魚が」
「シンプルに口が悪い」
「まったく、素直じゃないね。では後ほど店に伺うとして、羅門行こうか」
「おう」
再び走り出したバイクを見送った俺たちは、第二の敵が襲撃してくることを懸念して、足早に店へと戻った。
「ハァ、ハァ、ただいま!」
「遅かったな、肉は無事だったか? 先ほど悪人面の鬼と冥界の王が来て行ったぞ。まさか、ヤツらに盗まれたのではないだろうな!? 髭のおじさんを呼ぶか!?」
「いや、大丈夫。ほらこの通り!」
テーブルにドンッと段ボールを置き、中身を見せると龍さんは歓喜の声を上げた。
「ふおぉぉぉっ! 立派な鶏ではないか!」
「龍、お前は見る目がないな。これは鶏じゃなくて天然の鴨なんだぜ。鶏と鴨の違いもわからないとは、お前もまだまだ素人だな」
「いや、虎之介も鶏って言ってたじゃん」
「ふん、馬鹿虎め。我は一目で鴨だとわかった。騙されてやったのだ。ぬしと一緒にするな」
「くっ……!」
「はいはい、そこまで。今夜はこの立派な鴨で特別メニューを出そうと思う。松さんと圭太も来るし、閻魔様と羅門も来るから盛大におもてなししないと。まさか現世で閻魔様に会えるとは思ってなかったけど、妖怪や神がこの世に存在するのだから、まぁこんなこともあるよね」
「随分と肝が据わってるな」
「いろんなことが起きすぎて、大抵のことじゃ驚かなくなったよ。不思議な力を持ってこの世に生まれたんだから、楽しまきゃ損だろ。人間の一生は短いんだ、中身の濃い人生にしないとな」
「ほう、ぬしがそのようなことを言うとは。誰に感化されたのか、以前よりも成長しておるではないか」
「誰に感化されたんだろうねぇ」
龍さんと虎之介は顔を見合わせ、影響を与えたのは自分だと再び言い争いを始めた。龍さんの言うように、俺は変わったと思う。彼らの影響ももちろんあるが、この店に来てくれるお客や見守ってくれているご先祖様の影響も大きい。俺より何百倍も生きている存在が、生きることの尊さを教えてくれたのだから。
「よし!俺は夜営業に向けて仕込みをするから、2人に昼営業の準備を任せたい。龍さんにはお米を研いで炊いてほしいのと、虎之介には材料の確認と足らない分は用意しておいてほしい。あと、生姜焼き用の豚肉とから揚げ用の鶏肉は下味を付けておいてくれ」
「米炊きマスター龍とは我のこと! 任されたッ!」
「ふっ、オレにかかれば造作もないッ!」
お分かりいただけるだろうか。俺が毎日ポジティブでいられる理由を。
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