第61話 ほっこり深夜メシと食欲の秋

 着いてすぐにメイクを落とし、はーちゃんから借りたワンピースを脱ぐも生地が伸びきってヨレヨレになってしまった。これは弁償ものだ。なんだかんだで河合さんといい感じになったことだし、河合さんに弁償してもらおう。


 いつもの格好に着替えたところで、ようやく安堵する。

 やっぱり俺には前掛けスタイルがよく似合う。


「しかし大史の女装は酷かったな。はーちゃんの前では言えなかったが」

「はーちゃんは頑張ってくれたよ。俺の素材が女装に向いてなかっただけだ。まぁ、あのホストは俺を女の子として見ていたみたいだから」

「あいつもあいつで見る目がねぇな」

「それはそうと、夜食の準備をしよう。味噌チゲスープは温めるだけでいいし、新米でおにぎりを作ろうと思うんだ。具材は鮭と明太子、そぼろ、梅干しかな。あ、焼きおにぎりもいいよねぇ。七輪でも出しておくか」

「そういえば、龍が食べたいって言って大量に買った赤ウインナーもあるだろ? せっかくだから、おかずとして出してやろうぜ」

「ふむ、仕方がないな。我が特別に許可をやろう。タコさんの形に切ってくれ!」

「龍さん、太っ腹だね。タコさんウインナーは虎之介に任せよう」


 出かける前に炊飯スイッチを押していた米は既に炊きあがっていた。蓋を開けると湯気が立ち、艶やかな粒はふっくらとしている。しゃもじで白米をほぐしていると、龍さんはおにぎり作りを手伝いたいと言い出した。熱いから火傷しちゃうよ、と言っても譲らない。こうなったら聞く耳を持たないので、仕方なく了承した。


「あぢっ!」

「だから言ったでしょ。手水をつけながら素早く握るのがコツだよ。プレスしすぎないようにふんわり包み込む感じで、無理そうならラップを使って握ってもいいけど」

「いや、いい。我だっておにぎりくらい作れる」

「そう? おにぎって意外と握るの難しいんだよ」


 悪戦苦闘しながらも握ったおにぎりは見事な球体となった。しかも妙にデカい。龍さんはこの巨大おにぎりをある人に出してあげたいと言う。小さな手で一生懸命作ったのだから、きっとあの人も喜んでくれることだろう。


 大体の準備ができたところで、店の外が騒がしくなる。


 ——— ガラッ

「お邪魔しまーす! あー、お腹空いちゃったぁ」

「はーちゃん、眠くありませんか? 僕がベッドになりましょうか?」

「ううん、大丈夫。はーちゃんもお腹空いてるからご飯食べたい」

「ですよね。僕もお腹ぺこぺこです。それにしても、刑事さんってのはしつこいですね。何回も同じことを聞いてくるので、うんざりしちゃいました」

「まぁまぁ。百目鬼ちゃんもそれが仕事なんだから仕方ないでしょ」

「そうだよ。刑事さんのおかげで解決したんだから、文句言っちゃだめ」

「ですよね。さすが刑事さんって感じで尊敬しちゃいます! 全然うんざりしません!」

「あぁ、喧しい。なんでそんなに元気なんだよ、お前らは。俺は腹が減り過ぎてもう限界だ」

「お疲れ様です。さあ、座ってください! もう準備は出来てますよ」

「おう、すまねぇな」


 よろよろと椅子に腰かけた百目鬼さんは、力が抜けたように天を仰いだ。一方で、体力が有り余っている妖怪たちはメシが待ちきれない様子。器に味噌チゲスープをよい、大皿に乗せたおにぎり、大量に焼いたタコさんウインナーをテーブルに置いた。


「すごい、タコさん……!」

「このスープ、食欲をそそるいい匂いがします。それに温かい……」

「新米が光ってるー! 具は食べてからのお楽しみってわけね」

「うん。どんどん食べてね」

「あ、あの! 少し話してもいいかな」


 各々が大皿に手を伸ばしたところで、はーちゃんはみんなに声をかけた。


「はーちゃんのせいで迷惑かけてごめんなさい。まさかこんな大事になるとは思っていなくて、はーちゃんがバカだったからみんなを巻き込んでしまった。本当にごめん」

「そもそも変な作戦を考えたのは俺なんだから、俺がみんなを巻き込んだんだ。だから、はーちゃんは謝らなくていいんだよ」

「そうれもそうね。大史ちゃんが言い出しっぺだもん。まぁ、アタシは楽しかったけどね。せっかくだから絶世の美男子になったこの姿を写真に撮って、てっちゃんに送っちゃおうかな!」

「ふむ。僕ははーちゃんの役に立ちたかっただけですが……わざわざ潜入しなくても刑事さんに任せればよかったのは?」

「うっ……その通り」


 はーちゃんを庇ったつもりだったが、図星をつかれてグサッときた。「そうだそうだ!」と外野が便乗して騒ぐ中、百目鬼さんは静かに口を開く。


「いや、おかげで助かった。ホストたちに容疑がかかっていたしても、証拠がなければ逮捕はできない。お嬢ちゃんが悪徳ホストと関わっていたおかげでヤツは自らの悪行を白状し、こいつらを巻き込んでくれたから動かぬ証拠が手に入った。こっちとしてはこんなにもスムーズに事が運ぶとは思っていなかったから、むしろ感謝したい。要するに、お嬢ちゃんと女装野郎のおかげってことだ」

「それなら……よかった」

「気のせいか悪口が聞こえたような……まぁいいや。さあ、温かいうちに食べて」

「「「いただきまーす!」」」


 待ちに待ったおにぎりやおかずを食べ出す妖怪たちを見て、百目鬼さんも大皿に手を伸ばそうとしたが、俺はすかさず声をかけた。


「あ、百目鬼さんには特別なおにぎりを用意してますから」


 準備しておいた直径20センチほどの球体おにぎりを百目鬼さんの目の前に差し出すと、眉間にシワを寄せながらそれを見つめた。さすが刑事、眼光が鋭い。


「なんだこの黒光りした球体は……爆弾かよ」

「そうです! これは“ばくだんにぎり”っていう特製おにぎりです。龍さんが百目鬼さんに迷惑をかけてしまったって言うもので、お詫びもかねて作ったんですよ」

「あの子供が作ったのか」

「はい。中身は……これも食べてからのお楽しみで」

「なんか怖い」


 そんなことを言いながらも、百目鬼さんは“ばくだんにぎり”に食らいついた。ひと口食べただけでは具が見えてこないため、数口食べ進めたところでようやく中身にありつけたようだ。


「こりゃあ、また」

「ねえねえ、何が入ってたの?」

「明太子とから揚げ、ウインナーに鮭」

「え、すごい! アタシもそれが食べたかったなぁ。龍ちゃんが一生懸命作ったんだから、当然美味しいわよね?」

「……ああ、美味い」

「ふふっ。よかったね、龍ちゃん……って、聞いてないみたい」


 パトカーで爆睡していただけだというのに、よほどお腹が空いている様子の龍さん。口いっぱいにおにぎりを詰め込み、串刺しにしたタコさんウインナーが連なる箸を片手に持ち、その姿はまさに食いしん坊スタイル。咀嚼に集中しているせいで会話が聞こえておらず、顔面のいたるところにご飯粒を付けている。隣にいる虎之介もそんな龍さんの姿など気に留めることもなく、おにぎり、ウインナー、スープの三角食べを黙々とこなしている。お行儀がいいね。


「新米のおにぎり美味しいですね。僕は塩気のある鮭や明太子が好きです」

「はーちゃんは甘辛い味付けのそぼろが好き」

「ですよね、僕もです」


 河合さんとはーちゃんも、会話をしながら次々におにぎりを手に取る。河合さんは一目惚れだから仕方のないものの、なんでもかんでも相手の意見に合わせていると、自分の意思がないように感じてしまう。

 それでいいのか、河合さん。


「ところでさ、2人は付き合うの?」

「ぅえっ、ゴホッゴホッ……つ、つき、つき、つき……」

「うん。付き合う」

「つ、つき……!」

「ひろしははーちゃんを守ってくれた。はーちゃんは人間だった頃の記憶はないけど、妖怪として生きてきて今まで恋なんてしたことがなかった。だから、バカな男に騙されそうになっちゃった。でも、ひろしは違う。ちょっと変だけど、誠実で優しくて男らしい。そんなひろしが好き」

「つき、つ、つ、つきぃー!」

「変な鳴き声」


 さっきまで“僕がベッドになりましょうか?”なんて変態じみたセリフを言っていたくせに、いざはーちゃんから好意を向けられるとキャパオーバーとなり、語彙力が皆無になっていた。お互い初めての恋は少しばかり波乱に満ちたものだったが、この店がキッカケで出会った2人には末永く幸せでいてほしい。


 心配だった2人の行く末を見届けたとこで、俺もおにぎりに手を伸ばす。一口頬張ると、最初に酸味のある風味が口いっぱいに広がるが、甘みのある白米が旨味に変えてくれた。やはりおにぎりといえば梅干しが一番好きだ。深夜に食べるメシは背徳感があるものだが、おにぎりは白いのでゼロカロリーだと思っている。


 一方で、まったり会話しながらも食べるスピードが速い百目鬼さんと玉藻さんは、小休憩に特製の味噌チゲスープを味わってくれていた。


「このスープも美味いな。身体の芯から温まっていく感じがする」

「この時期にはピッタリね。野菜の甘味と味噌の風味、ちょっとピリ辛なのが食欲を増進させるのよねぇ。深夜にこんなご飯が食べれるなんて贅沢すぎる」

「確かに贅沢だ。美味いメシを食べるだけで生きてる実感が湧く。気分がよくなるっていうか、こう、満たされるんだよ。人間ってのは食べなきゃならん生き物なんだな」

「人間だけじゃなく、妖怪だってそうよ。見なさいよ、みんなの食べっぷり。このお店のご飯を食べると、力が湧いてくるの。大史ちゃんは虎ちゃんから与えられた霊力の影響だって言うけど、それだけじゃない気がするのよね」

「俺には霊力ってのはわからんが、料理人の愛情がこもっているんだろう」

「あら、百目鬼ちゃんの口から“愛情”なんて言葉が聞けるとはね」

「血も涙もない人間みたいに言うな。俺にも嫁と娘がんだから、愛情がどういうものかくらい知っている」


 さらっと衝撃的な言葉を口にした百目鬼さんは、玉藻さんのからかいをかわしながら巨大おにぎりを頬張る。

 奥さんと娘がということは、この世にいないということだろうか。仕事に没頭することで寂しさや孤独感を紛らわせ、亡き家族との思い出を胸に、悪に立ち向かう百目鬼さんの心中は想像すらできない。真のヒーローは、光だけでなく闇も抱えているものだ。


「……百目鬼さん、人間というのは輪廻転生するものなんですよ。俺のご先祖様が言ってました」

「何の話だ」

「たとえこの世にいなくても、いつか巡り合える日がやってきます。奥さんと娘さんは、世の中のために命を張っている百目鬼さんをあの世で誇りに思ってるはずです。だって、百目鬼さんはヒーローだから! それでも気分が落ち込んだ時には———」

「おい、ちょっと待て。元嫁と娘を勝手に殺すな」

「……元嫁?」

「俺はバツイチだ。離婚したんだよ、5年前に」

「そうそう。百目鬼ちゃんの浮気が原因で」

「断じて違う」

「なぁんだぁ、よかったー。百目鬼さんもやることはやるんですね」

「違うって言ってるだろ」


 話によれば、百目鬼さんは刑事の仕事が忙しすぎて家に帰ることがほとんどなかったらしい。生まれたばかりの娘を奥さん1人に任せきりだったため、愛想を尽かした奥さんは娘を連れて実家へ帰ってしまった。離婚後は毎月会わせてもらえる娘のために、ぬいぐるみやおもちゃをプレゼントしているという。ぶっきらぼうな口調だが、本当は子煩悩で優しい人。龍さんへの対応を見ていてわかった。百目鬼さんは忙しくてメシを食べる暇もないと言っていたが、本当は料理上手だという元奥さんの作るメシが恋しいのだと思う。5年経った今でも、恐らく未練があるのかもしれない。


 それならば、俺に出来ることはひとつ。


「百目鬼さん、いつでもうちの店に来てください。忙しいのなら、すぐに提供できる料理もありますよ。カレーとか丼ものとか。うちはいつも騒がしくてうるさいので、ゆっくりできないかもしれないですけど……意外と楽しいですよ」

「メシ屋に楽しさなんざ求めてないが、この店の雰囲気は嫌いじゃない。メシも美味いしな」

「それはよかった。寂しさが紛れるでしょ? なんなら、休日は一緒にスーパー銭湯でも行きます? サウナで我慢比べしましょうよ」

「オレも行く。我慢比べなら負けねぇ」

「我も行くぞ。髭のおじさんにフルーツ牛乳を奢ってもらう」

「もれなく喧しい2人がついてきますけど」

「別に俺は寂しいわけじゃねぇよ。まあ、どうしてもっていうんなら、付き合ってやってもいい。フルーツ牛乳は奢らねぇぞ」

「もう、そんなこと言いつつも全員分奢ってくれるんでしょ~? 素直じゃないんだからぁ~。怖い顔のくせに本当は優しいの知ってるんですからねぇ」


 百目鬼さんの肩を指でちょんちょんっと突いてみると、鬼のような顔をされた。そんな顔で脅しても照れ隠しなのは知っている。


 そんな様子が面白かったのか、龍さんも真似をし始めた。


「つんつんつーん! つんつんつんつんー!」

「やめろ」

「髭のおじさん、おにぎり美味かったか?」

「ああ、美味かったぞ。ありがとな。というか、お前が勝手に無線を使ったせいで、上から怒られちまったじゃねぇか。危うく降格処分されるところだったぜ。二度と勝手なことはするなよ」

「うむ! 髭のおじさんはいい人だから、我も善処しよう」

「随分と上から目線だな。子供はもうとっくに寝ている時間だぞ。早く寝ろ」

「我は子供だが子供ではない。子供扱いされるのは好きだが、子供だからといって意に反して子供扱いされるのは少々複雑なのだ」

「もう訳がわからねぇな」

「そんなことより、スーパー銭湯に行く約束を忘れるでないぞ! 楽しみにしているからな!」

「はいはい」


 龍さんに懐かれて悪い気はしないらしい。先ほどまで鬼のような形相だったというのにかすかに笑みを浮かべ、その眼差しは我が子に向けているかのようだった。


 賑やかな午前3時。

 食べては喋り、食べては喋り、いつの間にか仲良くなっていた彼らには時間の概念などなさそうだ。かとって、そろそろお腹いっぱいになる頃だろう。

 店じまいの準備をすべく、火を落とそうと思ったのだが……。


「味噌チゲスープのおかわり、もえらえるか?」

「はーちゃんも」

「僕もお願いします」

「そういえば、焼きおにぎりもするって言ってたのに忘れてたな」

「やだ、なにそれ! 食べる! ついでにスープも大盛りでね」

「我も焼きおにぎり!」

「えぇ、マジ? はいよ」


 彼らの胃袋はまるでブラックホール。食欲の秋とは恐ろしいものだ。

 真っ暗闇にポツンと光るこの店の灯りは、日の出まで消えることはなかった。

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