第58話 刑事と秋刀魚の塩焼き定食
この時期に食べたくなる秋の味覚といえば
秋刀魚は一般的に市場に出回るのが9月~10月までとなり、生の秋刀魚を食べられるのは今しかない。生であれば刺し身はもちろん、脂がのっている秋刀魚は焼くとさらに別格の味わいとなる。今年は豊漁のため価格も安く、一年を通して店で提供できるようにまとめて購入して冷凍したところだ。秋刀魚の時期も終わりを迎えるので購入がギリギリになってしまったが、今日明日に来店したお客には新鮮な秋刀魚を提供できる。
先日のはーちゃんの一件で、とある人に連絡をした。事情を話すと快く了承してくれて、今日は友人を連れて店を訪れると言っていた。彼の友人といえば、てっちゃんか美影さんあたりだろうか。
夜営業も終盤に差し掛かった頃、入り口から人の気配を感じた。
———ガラッ
勢いよく店の戸が開くと……。
「こんばんはー! 遅くなっちゃってごめんねぇ。友達が急に仕事入ったって言うもんだから、こんな時間になっちゃった」
「玉藻さん、いらっしゃい。気にしないでいいよ。今日は友人と一緒に来るって言ってたけど、その人はどこに……」
玉藻さんの背後を確認しようとすると、ぬうっと青白い顔が突如現れた。思わず「ヒッ」と声を上げてしまったが、よく見るとその正体は人間のようだ。
「あ、紹介するね。今にも死にそうな顔をしているこの人が、アタシの友人である
「あ、いい匂いがする……今にも腹と背中がくっつきそうだ……」
「大丈夫ですか? すぐなにか作りますんで、食べたいものあれば言ってください」
「白米とみそ汁と……おかずがあればそれでいい」
「それなら、おかずに秋刀魚の塩焼きはどうですか? 生の秋刀魚を仕入れたばかりなので、脂がのってふっくらして美味しいですよ」
「秋刀魚か、もう何年も食べてないな……じゃあ、それで」
「アタシも秋刀魚の塩焼きお願いしようかしら。あと、いつものお肉満載のメガ盛り丼に、瓶ビールもね」
「玉藻さんはいつも食欲旺盛だね。少々お待ちを」
2人ともお腹を空かせているようなので、虎之介に手伝ってもらいながら急いで準備を始めた。最近は虎之介に焼きの仕事を任せられるようになり、炭火の調整から焼き加減まで完璧にこなしてくれる。秋刀魚は炭火で焼くと香ばしくパリッとした皮の食感が楽しめるので、うちはグリルより炭火派だ。
龍さんに飲み物を出してくれるように頼むと、いつものように元気よく返事をして瓶ビールとグラスをお客の目の前に差し出す。
「ほれ、瓶ビールだぞ。存分に飲むがよい」
「あら、龍ちゃん。ありがとね。百目鬼ちゃんも仕事終わりの一杯、飲むでしょ?」
「当たり前だ」
お互いにビールを注ぎあうと、グラスを合わせてそれを一気に流し込む。空になったグラスを見つめながら、友人の男性は溜息をついた。
「はあ……腹が減ってもビールは美味い。疲れた体に染み渡る」
「最近、休みなく働いてるんでしょ? 刑事さんって大変なのね」
刑事、という言葉を聞いた龍さんは耳をピクリとさせる。
「ぬしは刑事なのか!? もしや警察24時に出ていたのか?」
「な、なんだこの子供は……警察24時には出てねぇよ。ありゃ機動捜査隊や交通警察隊の密着取材がほとんどだろう? 俺は詐欺や企業犯罪を捜査して取り締まる仕事だから、地味な捜査を取材したってなんの面白味もないからな。そもそも刑事は顔を出すのを嫌う。俺だってそうだ」
「ほう。詐欺の摘発なら捜査二課か? かっこいいな! 我も刑事がやりたい!」
「大きくなったら警察学校へ行きな。人の裏を嫌ってほど見てきたからよ、いい仕事でもねぇけどな」
「警察学校か、面倒だな。すぐ刑事になるにはどうしたらいいのだ?」
「お前な、そんな方法があったら世の中の秩序が乱れるってもんだ」
「ふむ、それもそうか。ぬしの話、もっと聞かせろ!」
「いや、あのな、俺は今とんでもなく腹が減って疲れてるんだが……」
百目鬼という刑事さんは、ぶっきらぼうな喋り口調でありながらも、龍さんの質問に答えてくれる。多分、この人は優しい人だ。先ほど詐欺の捜査をする捜査二課だと言っていたが、玉藻さんが彼をここに連れてきたということは、悪徳ホスト摘発の後ろ盾となってくれるかもしれない。
「あ、龍ちゃん。そろそろ料理が出来あがるんじゃないかしら? お手伝いしなくていいの?」
「お、この香ばしい匂い……うむ、我はお手伝いをする!」
「偉いね」
そして、空気を読んでくれる玉藻さんも優しい。うちの龍さんがすみません。
「おい、龍。先に秋刀魚を出してくれ。あんまりお客に絡むんじゃねぇぞ」
「だってあやつは刑事なのだぞ!? 我はもっと話が聞きたいのだ」
「そりゃ興味が湧くのもわかるけどよ、空気を読むことも大事だ」
「むう。わかっておる」
虎之介にしては珍しいことを言う。お前が言うなよ、という場面に心当たりがあるものの、たまにこうやって教育してくれるのはありがたい。
「待たせたな! 秋刀魚の塩焼きだ」
「わあ、美味しそう! この香り、堪らないわね。ねぇ、ちょっと百目鬼ちゃん、涎が出てるわよ。拭いてあげよっか?」
「結構だ。こりゃいい秋刀魚だな」
「こちらご注文の白米とみそ汁、メガ盛り丼です。それと、こっちの秋刀魚のから揚げはサービスなんで、よかったら食べてください」
「おお……かたじけない」
生気を取り戻した百目鬼さんは、目を輝かせながら礼を言う。無精髭を生やした様はお世辞にも清潔感があるとは言えないが、さながら放浪の末に数日振りの食事にありつけた野武士のようだ。
秋刀魚に箸を入れるとジュワっと脂が溢れ、柔らかい身はすぐに骨から剥がれた。
「あぁ、美味い……肉厚な身は食べ応えがある。ちょうどいい塩加減も白米が進む」
「本当ね! こんなに厚みのある秋刀魚を食べたの初めて。それに、香ばしい皮も食欲をそそるわね」
「秋刀魚のから揚げも美味い。恐らく醤油味だと思うが、にんにくの風味がよく効いている。おっと、いつの間にか白米がなくなってしまった……おかわりをお願いできるか? 大盛りで頼む」
「ええ、もちろん」
空腹が限界だったせいか、百目鬼さんはひたすらに食べ続ける。味わいながら食べていた玉藻さんも意外とペースが早く、総重量3キロのメガ盛り丼はいつの間にか半分になっていた。彼らを見ていると、虎之介と出会った頃を思い出す。確かあの時も、とんでもない量の白米を食べていたなぁ。
そんなことを懐かしんでいると、百目鬼さんと玉藻さんは空の食器を眺めながら満足気に息を漏らしていた。
「もう食べたんですか? お、おかわりいります?」
「いや、もう十分だ。やっぱり温かいメシは美味いな。最近は忙しくて店でメシを食べることなんてないんだが、秋刀魚を食べて実家を思い出した。うちの実家は秋刀魚がよく獲れる地域だったから、秋になると秋刀魚尽くしでな。仕事が落ち着いたら実家に顔を出してみるか」
「百目鬼ちゃんの家族だって会いたがってるに違いないわ。人間の一生は短いんだから、生きているうちに親孝行しないとね」
「お前が言うと妙に説得力があるな」
「年の功よ」
煌びやかな美男子と、無精髭の中年おじさん。
一見、噛み合わなそうな2人だが、和やかに会話をする様子から仲の良さが伺える。
「ところで、2人はどこで知り合ったんですか?」
「うーんとね、初めて会ったのは5年前くらいかしら。仕事帰りに居酒屋へ寄ったんだけど、カウンター席で顔色の悪い男が1人でお酒を飲んでたのよ。具合悪そうなのにお酒なんか飲んで大丈夫なのかしら、って思って声をかけたの」
「その時も今日と同じように忙しくてメシを食べてる暇がなかったんだ。いざ食べようと思っても食欲が湧かなくて、酒で済まそうと思ってな。そしたら男なのに女みたいな野郎がお節介を焼いてきて、あれこれ注文して無理矢理食べさせてきたんだ」
「だって、具合悪そうなのにお酒だけなんて身体に悪いでしょう? でもね、料理を勧めたら意外と食べてくれて、だんだんと顔色が良くなってきたのよね。お腹を空かせている状態は心にも身体にもよくないから、ちゃんと食べなさいって説教したの。それがキッカケで居酒屋でよく顔を合わせるようになって、いろんな話をしたわ。百目鬼ちゃんが刑事だってことも、その時初めて知ったの」
「玉藻が妖怪だってこともな。ここは人間と妖怪が働いている店と聞いたんだが、もしかしてそのデカい兄ちゃんが妖怪か?」
「ええ、そうです。虎之介は酒呑童子という鬼なんですよ。さっき百目鬼さんに話しかけてきた子供も妖怪……と言ったら失礼ですけど、そのような部類です。警察の一部の方は妖怪の存在を認知していると聞きましたが、百目鬼さんも?」
「ああ。俺は妖怪そのものは見えないし、人間に化けている妖怪も見分けがつかない。捜査しても解決できない不可思議な事件が多々あるもんだから、俺らのような凡人はお手上げってわけだ。そんな時は見える人に捜査協力を依頼している。この近くに陽仰寺っていう寺があるだろ? そこの住職にはよく世話になっているんだ。そういえば、玉藻からホストの件は聞いたぞ。お前たちで私人逮捕をするっていう魂胆か?」
「えっと、はい……友人が騙されそうになったので、証拠を掴んで警察に突き出してやろうと」
「……はあ」
呆れながらため息を吐いた百目鬼さんは、グラスに少し残っていたビールを飲み干した。
「そのホストが働く店はな、俺たちが秘密裏に捜査をしていたところだ。その店では客に結婚話をちらつかせたり恋愛感情を持たせることを方針としているから、店自体が詐欺行為を働いているんだよ。被害届も複数あるから、店の関係者や店で働くホスト全員が容疑者ってわけだ。被害者からの事情聴取、元従業員の証言、メッセージをやり取りした履歴とか、それらを調査して初めて証拠となるんだ。お前が思っているほど簡単なことじゃないんだぞ」
「そ、そうなんですか……すみません」
「しかしだな、在籍しているホストの証言は重要な証拠となる。潜入調査をするつもりなら、聞き出した証言を録音してくれると助かる」
「ということは……」
「俺たちが協力してやるよ。その代わり、俺の部下も店に潜入させる。万が一があるかもしれないからな。俺たちは店の外で待機しているから、この際に一斉検挙するつもりだ」
「おお! ありがとうございます、百目鬼さん! さすが刑事さん、頼りになるなぁ。よっ、男前っ!」
ついテンションが上がり合いの手を入れると、百目鬼さんは「馬鹿言ってんじゃねぇよ」と少し照れながら頭を掻いた。玉藻さんも心配だったのか、ほっとした表情で胸をなでおろす。
話がまとまったところで、すかさず龍さんは突飛なことを言い出した。
「おい、髭のおじさん! 我はパトカーに乗りたいのだが!」
「堂々と犯罪者になりたい宣言をしてどうする」
「違う! 犯罪者として乗るのではなく、刑事の一員としてパトカーに乗りたいのだ。無線で『れいんぼーぶりっじ封鎖できません!』って言ってみたい」
「この辺に“れいんぼーぶりっじ”なんてどこにあるんだよ。あのな、遊びじゃねぇんだぞ。そもそも刑事はパトカーに乗らないから、俺に言っても無理な話だ。どうしても乗りたいのなら、交通安全イベントで試乗させてもらうんだな」
「つまらん! 緊迫した現場でパトカーに乗りたいのだ!」
「はあ、わがままだな……知り合いの警ら隊に話をつけてやるから、それまで待ってろ」
「おお! 髭のおじさんはいいヤツだな、感謝する」
「はいはい」
さすがの百目鬼さんでも現場に龍さんを同行させるわけはないので、恐らくあしらってくれたのだと思う。子供のわがままにもちゃんと答えてくれる百目鬼さんは信頼のおける人だ。刑事さんが潜入調査に協力してくれるのなら、こんなに心強いことはない。
「パトカーか……オレも乗ってみてぇな」
皿を拭きながらボソっと呟いた大男は、喜ぶ龍さんを羨ましそうに眺めていた。
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