第56話 河童と出会いと恋模様
「——— 今日はポークステーキとペペロンチーノをお願いします」
いつもきゅうりか生魚料理しか頼まないあの人は、ある日を境に肉料理や麺類なども頼むようになった。好き嫌いを克服したいらしいが、どういう風の吹き回しなのだろうか。
最近は料理を待っている間、持参した鏡を見ながら口角を上げる練習をしている。彼は口角を上げても目が笑っていないので、ひたすらに繰り返すその行為は非常に不気味である。
そんな出来事から2週間ほど経った頃、「ここで待ち合わせなんです」と言った彼は、いつもの定位置であるカウンター席に腰を下ろした。
この日はスーツではなく、カジュアルな服装に身を包み……カジュアルってなんだっけ。
「ねえ、河合さん。なにその服。どこで買ったの」
「勝負服ってやつですよ。僕は普段、柄ものの服は着ないのですが、思い切ってボーダー柄ってやつを買ってみたんです。この近所におばあちゃんがやっている洋品店があるでしょう? どれを選んでいいのか分からなかったんですが、おばあちゃんが見繕ってくれたんですよ。ちょっとハイカラすぎますかね?」
「そ、そう。おばあちゃんが見繕ってくれたのなら仕方ないけど……寄り合いに行くおじいちゃん感がすごいんだよな。そのコーディネートには農協マークの帽子が似合いそうだよ。しかも全身『
「良く言えば、ナチュラルテイストってやつですね」
「多分違う」
サイズ感があっていないダボっとした茶色のチノパンにインしているのは、薄茶色にこげ茶の細かい横線が入った長袖ポロシャツ。手に持っていたセカンドバッグは茶色、ベルトも革靴も茶色。畑にいれば恐らく同化しているだろう。
「どこがいけないんだ? 洒落てるじゃねぇか」
「うむ。我もいけてると思うぞ」
服に興味がない虎之介と龍さんには、お洒落の基準が分からないらしい。
黒のTシャツに黒のパンツを着用している虎之介は、同じ服を数枚持っているが、それしか私服がない。龍さんにいたっても、地味な浅葱色の作務衣がお気に入りなので毎日それを着ている。この2人が服を褒めたとしても、信憑性に欠けるのだ。
一方で、褒められた河合さんは心なしか嬉しそうにしている。
メガネが曇っているのがその証拠だ。
「ところで、誰と待ち合わせなの?」
「女性です」
「えっ。女性と待ち合わせってことは、デート? いやいや、ダメでしょ、その格好! 寄り合いですか?って言われちゃうよ。ていうか、なんでうちの店で待ち合わせなの?」
「その女性もこの店に来たことがあると言っていたもので。彼女とはマッチングアプリで知り合ったんですよ。食べることが好きだと言っていたので、趣味が合いそうだと思ったんです」
「河合さんがマッチングアプリ……あのさ、念のため河合さんのプロフィール画面見せてもらる?」
「ええ、構いませんよ」
そういえば以前、玉藻さんがてっちゃんをデートに誘う時、うちの店で待ち合わせをしていた。お互いに馴染みの場所なら仕方ないが、ムードに欠けるのではと思ってしまう。河合さんのお相手もうちの店に来たことがあるらしいが、一体誰なのか想像もつかない。
河合さんから差し出されたスマホを受け取ると、マッチングアプリのプロフィール画面が表示されていたのだが……。
「な、なにこの写真……怖いんだけど」
「顔写真を載せるのはプライバシーの観点から不安でしたので、僕のチャームポイントを載せた次第です」
「チャームポイントって言っても、これカツラとメガネだよね。 女性と出会いたいからマッチングアプリやってるんだよね? 逆にこの写真で女性とマッチすると思った?」
「マッチしましたけど」
「マッチしたんだよなぁ、なんでかなぁ」
無機質なテーブルの上に置かれたカツラとメガネの写真からは、ヤバい奴だという情報しか感じ取れない。もしかして、お相手の女性は見た目ではなく河合さんの性格に興味が湧いたのだろうか。きっとそうに違いない。
「プロフィール内容も見てみよう。どれどれ……名前は『ひろし』? え、河合さんって『ひろし』っていう名前だったの?」
「はい。人間の名前を考えるのが面倒だったので、よくある名前にしました」
「へえ、河合ひろしか。普通でいいね。年齢は27歳で、職業は会社員……趣味は全裸で泳ぐこと、特技は全裸で水中逆立ち、チャームポイントは全裸と頭頂部、休日は全裸できゅうりと魚を食べる……変態かな?」
「河童の
「お相手の女性はこのプロフィールのどこに惹かれたのか……まったく分からん」
「照れますね」
「ごめん、その感覚すら分からない」
混乱しすぎて頭を抱えていると、いつの間にか河合さんのスマホは龍さんの手に渡っていた。普段、俺のスマホを構っているせいか、慣れた手つきで虎之介の写真を撮ると、河合さんのプロフィール写真を虎之介に変えてしまった。焦った虎之介はスマホを取り上げようとしたが、龍さんは軽やかな身のこなしでそれをかわす。
すると、わずか1分後。
——— ピコン、ピコン、ピコン♪
女性からの『いいね』やメッセージの通知が鳴りやまない。
「おい河童、これを見ろ! まっちんぐあぷりというのは所詮見た目なのだ! ぬしの気持ち悪い写真に、おなごが興味を示すわけがなかろう。ぬしはな、そのおなごに騙されているぞ。どうせ会ったとしても、壺を買わされたり宗教やマルチ商法に勧誘されたり、知り合いの店に行こうと誘われてぼったくりバーに連れて行かれる運命なのだ」
「龍さんってマッチングアプリに恨みでもあるの?」
「テレビで観たのだ。このような怪しいもので恋愛をするなど言語道断。中身など見ていないに等しいのだから、縁はないと思え」
「おい龍、今すぐその写真を消せ」
未だ鳴りやまない通知の内容が気になりスマホを覗き込むと、女性からのメッセージにはこのような内容だった。
『抱いてください! あなたの子供を産みたいです』
『私も全裸が趣味なんです。運命を感じます』
『俳優さんですか? モデルさんですか? 結婚してください』
『全裸の写真って貰えます??』
「うわぁ」
本能剥き出しのメッセージに思わずドン引き。
虎之介にこれを見せたところで女性への苦手意識がますます増長するだろうから、内容は教えないでおこう。
「さすが顔面国宝の虎之介さん、恐れ入ります。ですが……マッチしたのが一人でも、女性からメッセージをもらった時すごく嬉しかったんです。龍さんの言うように騙されているのかもしれませんが、それでも一目お会いしたいんです」
「はあ。どうなっても知らぬぞ」
「まぁまぁ。こればかりは会ってみないとわからないからさ、話はそれからだよ。それに、河合さんも黙ってればイケメンなんだから自信持ってね。今日の服装でマイナス100億点だけど」
「大史さん、ありがとうございます」
再びメガネを曇らせた河合さん。
「そろそろ来る頃だ思うのですが」と、呟きながら腕時計を確認したときだった。
——— ガラガラガラ
店の戸を開けたのは、とんでもなく可愛い女性だった。もしかしてあの子が……。
「ほれみろ! やはり美人局のようなおなごではないか! よそで飲み直そうと言って、ぼったくりバーに……」
「こら、龍さん! そんなこと言ったら失礼でしょ」
慌てて龍さんの口を塞いだが、会話が聞こえていないことを祈るばかりだ。
女性は年代的に20代半ばくらいだろうか。ボーダーのカットソーにワイドパンツ、肩にカーディガンを羽織っている。彼女も河合さんと同じく“イン”スタイルだが、河合さんとはわけが違い、今どきなお洒落女子だ。
彼女は河合さんを見つけると、無表情でズカズカと歩み寄る。
「お前がひろしか?」
「は、はい。もしかして、葉月さんですか?」
「うん。葉月というのは偽名だから、はーちゃんと呼べ」
「わかりました、はーちゃん」
少々命令口調ではあるが、あだ名で呼べだなんて好意的ではないだろうか。
……ん? はーちゃん?
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