第55話 宴とご先祖様④ -真実-
「——— 美味しい。本当に美味しいよ。父が作る、蕎麦の味だ」
小太郎さんは目尻にシワを寄せ、懐かしむように蕎麦の味を噛みしめていた。
その言葉を聞いて、ほっとした様子の団三郎さんも嬉しそうに微笑む。
「大史さんの指導のおかげですよ。レシピ通りに再現しようとしても、私の力不足で味にバラつきが出てしまうんです。そんな時、一番大事なのはお客様のために心を込めて作ることだと教えてくださったのです。私がこのように蕎麦屋をやっていられるのは、大史さんの慈悲があってこそ」
「大袈裟だな、団三郎さんは。だけど、本当に美味しいよ。以前よりも腕を上げたね」
「これでも一応、料理人ですから」
団三郎さんの努力を知っているからこそ、この成長は俺にとっても嬉しい。料理人という仕事にゴールはなく、日々学ぶことばかりなのは俺もよく知っている。恐らく、小太郎さんも同じ考えのようだ。
「小太郎さん。先ほど聞きそびれてしまったのですが、三守屋蕎麦の“三守屋”とはどういう意味なんですか?」
「三守屋というのはね、父が名付けた屋号のようなものだ。うちは代々、3人の神様を祀っていたのだけれど、それが大黒天様、恵比寿様、九頭龍大神様だったんだ。3人の神様に守ってもらえるよう、三守屋にしたそうだ」
「なるほど。でも、店の神棚に九頭龍大神のお札しかないのはなぜですか?」
「その昔、この近所には大黒天様と恵比寿様を祀っている神社があったんだけどね、明治政府が神社合祀令を出して以来、小さな神社はひとつの神社にまとめられてしまって、近所の神社は廃社となったんだ。だから、九頭龍大神様を祀る神社のお札だけになってしまったんだよ」
「近所の廃神社といえば、龍さんと妖怪退治に行ったあの場所か……」
「九頭龍大神様は1人ぼっちになってしまったから、きっと寂しい思いをしただろう。実は私も生前、彼に会ったことがあるんだ」
「え? 龍さんにですか?」
当の本人は蕎麦に夢中で、こちらの話など聞いていないようだ。
今まで小太郎さんに会ったことがあるなんて一言も言わなかったが、龍さんのことだから忘れているに違いない。
「あれは私が蕎麦屋を始めた時だった。なかなかお客が来ず、毎日暇を持て余していたんだけど、そんな時に1人の子供が店にやってきたんだ。ボロボロの衣服を身に纏い、孤児かと思って声をかけると『腹が減った』とぶっきらぼうに答えた。その日は寒かったから、かけ蕎麦を出してやると、一心不乱に食べ始めたんだ。あっという間にどんぶりは空となり、子供はこう言った。『神棚を掃除しろ』と。ハッとして店の神棚を見ると、ずいぶんと放置したままだったことに気付いた。これまで店が繁盛しなかったのは、見守っていてくれている神様を蔑ろにしていたせいだと思ったんだ。気付かせてくれた子供にお礼を言おうと思ったが、いつの間にかいなくなっていて、卓子の上には蕎麦1杯分の8厘銭が置かれていた。ああ、あれはきっと神様だったんだ、と思ったね。それをきっかけに、神棚を掃除して新しいお札に替えると、店は瞬く間に大繁盛したんだ。現世で初めて会った時は犬のような姿だったけど、今の姿を見て確信したよ。あの時の神様だ、ってね」
「ははっ。小太郎さん、俺と同じこと言われてたんですね。龍さんが初めて店に来た時、薄汚い犬の姿だったんですが、神棚を掃除しろと言われたんです。祖父母が亡くなりバタバタしていたせいもあって、すっかり神棚の存在を忘れていたんですよ。今じゃこの店が気に入ったみたいで、居候をしているんです。虎之介とは喧嘩ばかりですけど、店の手伝いもしてくれるし、お客さんたちに可愛がられてますよ。俺にとっては神様というより、我が子のような存在ですかね」
「確かに。子供の姿で可愛らしいから、その気持ちもよく分かるよ。九頭龍大神様がこうやって大史くんの側にいてくれるのだから、私としても嬉しいよ。虎之介は面倒見がいいから、喧嘩しても自分から折れてくれるだろう? 不器用なところもあるけど、優しいからね」
「はい、まさにその通りです」
こんな風に身内のことを話せるのは小太郎さんくらいだろう。
父のような祖父のような、温かい優しさを持っている。小太郎さんが俺たちの家族になってくれたら……そんなことを考えてしまったが、住む世界が違う人に困らせるようなことは言いたくない。
一方で、虎之介の分の蕎麦を横取りしようとする龍さんは案の定怒られ、子供に優しい万次丸さんから蕎麦を分けてもらっていた。いつものごとく、この食い意地の張りようは神様らしからぬ品性である。
「ほんま虎はケチやのう。子供に優しくせんと、バチが当たるで」
「そうだそうだ! 子供には優しくしろ!」
「うるせぇ。デコ助、こいつが本当に子供だと思うのか?」
「何を言うとんねん。どう見ても可愛らしい子供やろ」
「こいつの正体を知らないようなだから教えてやるけどよ、こいつは九頭龍大神だ。子供の姿で調子に乗っているが、中身は我がまま放題の年寄りだ。こんなのが神だなんて、世の中どうなってるんだか」
「……はあ。虎、全然おもんないで。そんなん誰が信じんねん。神様がメシ屋で下働きするわけないやろ。もっとマシな冗談を言えや」
「そうだそうだ! マシな冗談を言え! 我は愛らしいただの子供だぞ!」
「龍、ワシの分の蕎麦は全部食うてええんやで」
「おお、いいのか? ぬしはいいヤツだな、でこやろう!」
「どストレートな悪口、嫌いやない」
「……」
こうなってくると虎之介が不憫に思えてくるが、側で話を聞いていた銀之丞くんは肩をぽんっと叩く。どうやら味方をしてくれるようだ。雪子さんは楽しそうに頷くだけで、既に出来上がっている。協調性が皆無だというのに、仲がいいのは不思議で仕方ない。
蕎麦を平らげて満足そうにお腹をさすった滑さんは、小太郎さんに笑みを向けた。
「いやあ、美味しい料理だったね、小太郎さん。大人数で食事をするのはやはりいいものだ。今度、あちらの食堂でもこのような場を作ったら楽しいんじゃないかな」
「それはいいですね。閻魔様も獄卒たちも喜びそうだ。大史くんから学んだ料理を活かして、あの世で宴をしてみたいものです」
「さて、小太郎さんは僕が地獄まで送っていこう」
「お気遣いありがとうございます。しかし、今夜はお迎えが来てくれることになってましてね。そろそろ来る頃だと思うのですが」
“お迎え”と聞くと別の意味に聞こえてしまうが、小太郎さんに限ってそのような心配は当然ながら無用である。そんな会話のあと、店の外から騒がしいバイクのエンジン音が聞こえてきた。まるで暴走族が乗っているような爆音のバイクは店の前で停車したようで、なおもけたたましいエンジン音が鳴り響く。
「お、来たようだ」
「えっ、この音ってバイクですよね? 地獄までバイクで帰るんですか!?」
みんなも外の様子が気になるようで、代表して虎之介が店の引き戸を勢いよく開けた。すると、ハーレーのような大型バイクに跨った男がヘルメット外し、その顔を見た俺たちはまさかの人物に目を疑う。
「お、お前は……」
「おい、クソジジイ! 俺をパシリに使うんじゃねぇ! 閻魔様からの頼みだから引き受けたものの、現世なんて人間臭くてありゃしねぇ。早く後ろに乗れ。というか……なんだお前」
「お前こそなんだ。というか、オレか? お前はオレなのか?」
「は?」
虎之介が驚くのも無理はない。
バイクに跨った口の悪い男は着崩した着流し姿で、体格や髪の色、顔のパーツに至るまで虎之介と瓜二つだったのだ。しいて言うなら、闇落ちした虎之介。
「お迎えありがとう、
「もしかして、さっき小太郎さんが言ってた獄卒?」
「ほう、虎は双子やったんか」
「うおぉぉぉ! 悪そうな虎の兄貴、最高にカッコいいっス!」
「はわ、虎之介さんが2人……はわわ」
「チッ。なんだよ、こいつら」
羅門と呼ばれる獄卒は、俺たちの挙動にイライラしているようでかなり不機嫌になっていた。そんな中、虎之介は獄卒を睨みつけながら近づいていく。
「おい、お前。口の利き方に気を付けろ」
「あぁ? 指図するんじゃねぇ。何様のつもりだ?」
「酒呑童子様だ。言っておくがオレはお前より強い。小太郎を随分と痛めつけてくれたそうだな。この借りは必ず返してやるよ」
「俺は獄卒なんだから人間を痛めつけるのが仕事なんだよ、このタコ助が。お前、妖怪か? 妖怪より獄卒の俺のほうが強いに決まってるだろ。地獄生まれ地獄育ち、悪そうなヤツは大体獄卒の羅門様だぞ? 一撃で地獄行きにしてやるよ」
「いいだろう。そこまで言うならかかって来い」
「こらこら、やめなさい」
2人の間に小太郎さんが割って入ると、仕方ないと言うかのように、互いに舌打ちをした。見た目は同じでも性格はまるで違う。
「羅門、現世で騒ぎを起こしたらいけないよ。閻魔様にバレてしまったら、仕事をクビになるかもしれないからね」
「んなこと分かってる。いっちょ前に説教かよ」
「虎之介、きみの力は誰かを守るために使うべきだよ。妖怪であれ人間であれ、この世に生きている者は生きるべき命なのだから、弱い存在をきみの力で守ってあげてくれ。大史くんだけでなく、虎之介も私の大事な家族だ。無茶なことはするんじゃないよ」
「……オレは道理のないヤツが嫌いなだけだ。無暗に手は出さねぇよ」
「ならばよろしい」
乱暴な性格の獄卒と、妖怪界最強の鬼を手懐ける小太郎さんこそ、一番の強者かもしれない。
2人の言葉を聞いて納得した小太郎さんは、バイクに跨った獄卒からヘルメットを渡される。ヘルメットを被り、軽い身のこなしでバイクの後方に跨ると、思い出したかのように俺に声をかけた。
「もうひとつ大史くんに伝えたいことがあったんだった。私の孫である大史くんの祖父はね、妖怪が視える人だったんだよ」
「え!? じいちゃん、そんなこと一言も……」
「無口な性格だったせいか、大事なことを伝え忘れていたようだ。昔から店には妖怪のお客がたくさん来ていただろう? 大史くんが妖怪を怖がらずに人間と同じく接することができるよう、小さい頃から店の手伝いをさせていたそうだ。きみの祖母もそのことを知っていたから、『大事なお役目がある』と言っていたんだ。今のきみなら、その意味が分かるんじゃないかな?」
「……はい。お役目が果たせているかどうかはまだ分かりませんが、この店をやることに意義がるんだと思います。人間だけでなく、妖怪たちの味方でありたいと思ってますから」
「そうか。それならよかった。大史くんのよう子孫がいてくれて嬉しいよ。また美味いメシを食べさせてくれ」
「もちろんです。小太郎さんにお会いできて本当に良かったです。お体にお気をつけて」
「ありがとう」
「えっと、きみは羅門だっけ? 乱暴な運転で小太郎さんを振り落とすんじゃないぞ? くれぐれも安全運転で頼む」
「あ? 人間ごときが命令するんじゃねぇ。言われなくても落としやしねえよ」
口の悪い獄卒だが、恐らくは根は優しいヤツな気がする。
再びバイクのエンジンをかけると、けたたましい爆音が鳴り響く。走り去る様子をみんなで見送る中、小太郎さんを乗せたバイクは暗闇の渦へと消えて行った。
「……あの獄卒とやら、なにかの因果を感じるねぇ。まぁ、なにがともあれ、今日は本当に楽しい夜だった。ありがとう、大史くん。みんな、そろそろおいとましよう」
「えぇー。所長、もう帰っちゃうんですかぁ? 私はここに泊まりたいです~」
「いや、あかん。男だらけのとこに泊まるなんて、ワシが許すわけないやろ。どうしても言うんならワシも泊まる」
「じゃあ、自分も!」
「おや、お泊り会ですか? 私も混ぜてください」
「やれやれ。じゃあ、あとは大史くんたちに頼むとしよう。よろしく」
「えっ、いや、困ります……!」
滑さんは挨拶を済ませると、その場からスッと消えてしまった。
「泊まるって言われても……」
「仕方ねぇな。こうなったら朝まで酒盛りするか」
「我はまだ食べ足りないのだが!? 虎、なにか作ってくれ」
「営業も終わったことだし、つまみでも作ってやろう。あいつらもまだ飲む気満々みたいだからな。大史も飲むだろ?」
「あのさ……」
俺の話など聞きやしない。これだから妖怪は———— 。
「よし、朝まで飲むか」
雰囲気に流されてしまうのがいつものオチだ。
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