第54話 宴とご先祖様③ -言伝-
営業時間中は酒を飲まないと決めているのだが、今日は勧められるがままにビールをいただいた。「たまにはこんな日を作らないとね」という小太郎さんの言葉に胸のつかえが下り、ビールを一口飲むと、つい溜息を吐いてしまった。
どんな時でも完璧な状態で料理を提供したいと思っていた俺は、自分自身にストレスを与えていたようだ。そんな心のモヤモヤを見透かすように、小太郎さんは俺を見つめる。
「もっと肩の力を抜いたっていいんだ。1人で抱え込むんじゃないぞ? 大史くんの周りには助けてくれる人がたくさんいるんだから。完璧であろうとする必要もないし、完璧な人間なんていないんだよ」
「小太郎さん……」
「今日はもうひとつ、ここに来る目的があってね。私の孫夫婦、いや、大史くんの祖父母から言伝を預かってきたんだ」
「えっ。じいちゃんとばあちゃんに会ったんですか?」
「ああ。きみを1人残してきてしまったことを大層悔やんでいた。だけど、大史くんは特別な力と才能を持っているから、自信を持って堂々と生きてほしい。人間と妖怪が共存できるこの世界なら、孤独に感じることはない。いつでも見守っているから、とのことだ」
「……そう、ですか」
「ときには自分を律することも必要かもしれないが、楽しいと思える選択肢をしながら、きみはきみの人生を歩んでいいいんだよ」
「俺は———」
鼻の奥がツンとして、溢れ出そうになる涙を必死で堪える。
祖父母が亡くなってからというもの、料理人としての道や、店の存続を諦めようとしていた時期があった。そんな時に出会ったのが、妖怪である虎之介だ。
俺が作るメシを美味いと言ってくれた。
ただそれだけなのに、やる気に満ち溢れたのだ。
「俺が今こうやって店ができているのは、虎之介のおかげなんですよ」
「そうか。私にとっても虎之介は恩人だよ。虎之介がいてくれたおかげで、父は蕎麦屋をやっていくことができた。そして、私が料理人を目指そうと思ったのも、父と虎之介の影響でもある……おや、虎之介。なぜ泣いてるんだ?」
俺たちの話を聞いていた虎之介は、鼻をすすりながら目を赤くしていた。
その隣にいる万次丸さんもなぜか号泣し、見兼ねた龍さんは2人にティッシュを差し出す。
「大男がめそめそと」
呆れながらそんな言葉を吐くと、鼻をかんだ万次丸さんは未だ涙が止まらない様子だ。
「へぐっ、兄ちゃん、苦労してきたんやなあ……! 小太郎さんよぉ、ワシらも元人間でぇ! 虎はワシらの兄貴になってくれてぇ、ホンマにええヤツなんですよぉ! 情に厚くて男らしうて、虎がおらんかったらこんな風に人間と生きてへんかった。ワシらはそんな虎に憧れてぇ、一生付いていくって決めたんやぁ! だからあ゛あぁぁぁぁぁ」
「あー、もう。万次丸の兄貴、飲み過ぎっスよ。要するに、虎の兄貴が褒められて嬉しいんスよ。姐さんだって……な、泣いてる」
「うわぁぁぁぁん! 虎之介さんはぁ、私の初恋でぇ……!」
「ちょ、ちょっと姐さん、それは秘密にしとかないと」
「雪子、初恋ってどういうことや……ぅぐっ……なんでえぇぇぇ゛! ワシは初恋の相手やないねんあぁぁぁぁ゛!」
「さっきからうるせぇんだよぉぉお゛!」
「うわぁ、大惨事」
妖怪たちが阿鼻叫喚する中、龍さんはゲラゲラと笑い、小太郎さんと滑さんは困った様子で苦笑いを浮かべている。先ほどまで祖父母を思い出して泣きそうだったというのに、鬼たちのせいでセンチメンタルが台無しだ。
「すいません、喧しくて。酒を飲むといつもこうなんです」
「いや、構わないよ。虎之介もそうだけど、大史くんもいい仲間に恵まれたね。賑やかすぎて話が逸れてしまったけれど、先ほど六道輪廻の話をしただろう? きみの祖父母はどこへ行ったと思う?」
「できれば、また人間として生まれ変わってほしいな、なんて……あ、小太郎さんを悪く言っているわけではなく」
「ははっ、いいんだよ。気にしないでくれ。大史くんの祖父母はね、裁きの末に人間道へ行けることになったんだ。天道や人間道、修羅道は
「ほ、本当ですか!? よかった……。俺のことを覚えていなくても、どこかで会えたらいいな」
「きっと会えるよ」
小太郎さんにとっても、自分の孫夫婦が地獄行きではなく、人間として生まれ変わる権利を得たのだから嬉しいに違いない。あの世の仕組みが分からなかった俺にとって、小太郎さんの話はとても貴重だった。どんな姿であれ祖父母と再び会える日が来るのなら、それを糧にして生きていこうと心に決めた。
ずっと抱えていた心のモヤモヤがスッキリすると、急に腹が減ってきた。
そろそろあの人が来る頃だが……。
——— ガラガラガラ
「こんばんは。出前のお蕎麦、お持ちしましたよ」
「お、団三郎さん。待ってたよ」
「約束の時間より少々遅れてしまい、申し訳ありません。うちのお客さんにファンサービスをしていたところ、つい時間が押してしまい……というか、なんです? この喧しさは。まるで動物園のようですね」
「えっと……出張動物園です。無料でお貸ししますけど」
「結構です」
未だに泣き喚いている珍獣たちを目にした団三郎さんは、怪訝な眼差しで妖怪3人を見つめる。日頃、マダムたちを相手にしている団三郎でも、このようなお客には遭遇したことがない様子。
団三郎さんを見た小太郎さんは、不思議そうにじっと顔を見つめた。
「おや、あなたはどこかで……」
「小太郎さん。気を悪くしないでほしいんですけど、彼はその昔、三守屋蕎麦の向かいで団子屋をやっていた妖怪なんです。わけあって、今は三守屋蕎麦を継いでもらっているんですが……勝手なことをしてすみません」
「ほう。父の蕎麦屋を潰した、あの団子屋か……」
小太郎さんは静かなトーンで呟く。
ハッとした団三郎さんは、その場で床に額を打ちつけ土下座をした。
「その節は、大変申し訳ありませんでした。お父上の店を廃業に追い込んだのは、この私です。金に目がくらんだ私は、妖祷草と術でまがい物を作り出し、お客に売り付けていたのです。此度も大史さんに迷惑をかけたにも関らず、三守屋蕎麦を継ぎたいと言った私に暖簾分けをしてくださいました。私はあなたのお父上が作る蕎麦が大好きでした。当時は何度も足を運び、この思いは本当です。現在は心を入れ替え、三守屋さんの味を継承していきたいと思っています。ですから、あの時の非礼をどうかお許しください……」
「なるほど。まあ、頭を上げなさい。三守屋蕎麦を継ぐことに関しては、大史くんがいいと言ったなら、私は何も言わない。むしろ、ありがたいことだ。過ぎたことはもう仕方ない。敵だった相手がこうして味方になってくれているんだから、許すも何もないよ。今後とも、三守屋蕎麦をよろしく頼む。団三郎殿」
「な、なんと慈愛に満ち溢れたお言葉……ありがとうございます。三守屋蕎麦の名に恥じぬよう、今後も誠心誠意努めてまいります!」
名に恥じぬようと言いながらも、ファンクラブを作って好き放題していることは言えないらしい。しかし、提供している蕎麦に関しては、料理帖のレシピを忠実に再現しているので味の保障はできる。近頃では蕎麦好きの玄人も来店するようになり、評判のよさが伺える。
自分の容姿を活かして金儲けをしていても、やることはちゃんとやっているので、俺としても特に言及することはない。
「さあ、蕎麦が硬くならないうちに食べましょ! 今日のシメは三守屋蕎麦の盛り蕎麦です。この蕎麦をぜひ小太郎さんに食べて欲しかったんです。あ、みんなの分もあるからね」
「まさか、この世で“うちの蕎麦”が食べられるとはね。嬉しいな」
「ほう。小太郎さんが打った蕎麦はもちろん美味しいけど、こちらの蕎麦もなかなか興味深い。蕎麦の香りがしっかりとするし、具沢山のつけつゆも美味しそうだ」
「おお! 鬼どもの子守りをしていたせいで腹が減っておったのだ!」
「自分もっス」
「昨日の敵は今日の友っちゅうことか……へぐっ……涙が止まらへん」
「もしかして、つけつゆに入っている肉は狸ですかね? んふふ」
「うわ、狸かよ……団三郎、お前も狸のくせによくこんな真似できるな」
「狸なわけないでしょう、まったく。鴨肉ですよ」
情緒不安定な鬼と雪子さんが心配だが、妖怪たちのおかげでいつも賑やかなこの店が大好きだ。
小太郎さんや祖父母が継承してくれたおかげで、今の俺があるがるのだから。
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