第51話 西瓜と怪談ナイト②
「——— これは約30年前の話なんだけど、隣町に総合病院があったんだ。かなり古い建物で、老朽化のために取り壊すことが決まってね。入院患者たちの転院が続々と決まっていく中、30代半ばのとある女性は、この病院で生涯を過ごしたいと言うんだ。その病室を担当していたのはA子さんという新人看護師で、彼女の意思を尊重したいと思った。なぜかというと、彼女は余命宣告をされた末期がんの患者で、生きれてもあと2週間の命だという。そんな彼女に同情の念が強かったA子さんは、最期の日まで献身的にお世話をしようと決めたんだ」
「なんだよ、脅かしやがって。ただの良い話じゃねぇか」
「ほんまやな。拍子抜けやで」
「そうだね。ここまでは、ね」
鼻で笑う鬼たちに、滑さんは穏やかな口調で話を続ける。
「そして2週間後。患者の女性は、余命宣告通りに亡くなってしまった。亡くなる2日前に西瓜が食べたい、と言った患者のために、A子さんは西瓜を差し入れたそうだ。美味しい、と笑った患者の顔が印象的だったらしい。あの世では大好きな西瓜をたくさん食べて欲しいと思いながら、A子さんは最期の瞬間を看取った。しかし、先輩に担当患者が息を引き取った旨を報告しに行くと、とても不思議な顔をされたそうだ」
『302号室っていうと、入院しているのは80代のおばあちゃんだけなはずだけど』
「そんなはずはない、とA子さんは先輩を病室まで連れて行ったんだ。2つのベッドが並ぶ部屋の手前に80代の女性、奥のベッドはもぬけの殻だった。先ほどまで確かに女性がそこにいて、亡くなる瞬間まで見守っていたA子さんはパニックになった」
『この病院はね、アレがよく出るのよ。怖がらせちゃいけないと思って黙っていたけど、あなたも見ちゃったのね。患者に対して同情心が強いと連れて行かれるっていう噂もあるけど、ただの噂に過ぎないわ。もうすぐここは取り壊されるんだから、気にしないで』
「先輩の言葉に背筋がゾクッとしたA子さんだったが、それ以降、不可思議な現象は起こらなかったという。その病院から隣県の総合病院へ移ったA子さんは、慣れない環境のせいか体調を崩すことが多くなった。ある日、夜勤で院内を見回りしていると、なぜか302号室の部屋が気になったそうだ。空室なので誰もいないはずだが、人の気配を感じて扉を開けると……暗い部屋の中、窓際に佇む女性がいたんだ。患者が迷いこんだのかと思い声をかけると、振り向いた女性に見覚えがあった。それは末期がんで亡くなった、あの時の女性患者。本能的に逃げなきゃ、と思った瞬間、金縛りに遭ったA子さんは、声を出すことも動くこともできなくなってしまった。一瞬の瞬きの隙に、突然眼前に現れた女性はこう言った」
『迎えに来たよ』
「その言葉を聞いたA子さんの意識はそこで途切れ、気付いた時には病室のベッドの上だった。何が起こったのか分からず、腕に刺さっていた点滴を抜いてナースステーションまで行こうとした時、ふと部屋番号を見ると302号室。恐怖で激しい動機に襲われていると、足元に違和感を感じた。ゆっくり目線を下に向けると、黒いモヤの塊から伸びた手が、A子さんの足首を掴んでいたんだ。よく見ると塊に人の顔らしきものがあり、ニヤッと不気味に笑った」
『だめ。一緒に行こうね』
「翌朝、A子さんは病室で息を引き取った。死因は末期ガンだったそうだ。A子さんが見た黒い塊の正体はなんだったと思う?」
「話を聞く限り、女性患者の幽霊では……」
「いや、あれは死神なんだ。以前いた病院の時から、A子さんは既にガンを発症していたんだろうね。そして亡くなる直前、こんなことを言ったらしい」
『西瓜が食べたい』
蝋燭の火が大きく揺らぎ、各々が気まずそうに食べかけの西瓜をゆっくり皿に置いた時だった。
「——— 美味しい」
誰もいないテーブル席から女性の声が聞こえ、綺麗に食べ終わった西瓜の皮だけがテーブルに置かれていた。張り詰めた空気の中、キーンという耳鳴りがしたと同時に、全身の毛が逆立つような感覚になる。
「おや。A子さんが来てくれたらしい」
大男たち恐怖のあまり互いの腕を絡ませ、再び絶叫する。
「イヤアァァァァァァァァァァァァァッ!」
「あかんて! もうあかんッ! ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいーッ! もう無理です限界です!」
「うるさい奴らめ。しかし、滑瓢の話はなかなかに興味深いものだ。逆に言えば、もっと早く病気の存在に気付いていれば、命を刈られることもなかったということか?」
「恐らくね。最初はA子さんに病気を知らせる手段として、患者となって目の前に現れた。死神というのは、生と死を司る神だからね。生きるも死ぬも自分次第となった時、生きる選択肢を選べば死神は去っていくよ。体調不良が続いてる時は、生きる選択肢として医者に診てもらうべきだった。それを怠ってしまったから、連れて行かれたのかもしれないね。しかし、連れ去られたからといって、地獄行きになるわけではないんだよ。死神の存在は自分を大切にしなさい、というメッセージでもある気がするんだ」
「なるほど。神というのは、必ずしも優しいとは限らないのですね」
「勉強になったっス!」
「ははっ、恐縮です」
もしかして、滑さんはA子さんを呼び寄せるために西瓜を持たせたのだろうか。ただの怪談ではなく、人生の教訓を説いてくれる滑さんからは徳の高さが伺える。まるで才雲さんのようだ。
「さて、そろそろ君たちが待ちかねている人物が来るんじゃないかな?」
「まだ誰か来るのかよ……もうやめてくれぇ」
「お、おい、まさか死神が来るんちゃうやろな……」
万次丸さんの発言後、店の入り口に人影がぬっと姿を現し、外からこちらの様子を伺っているような気がした。
誰もがその気配に気付いた時、店内の蝋燭は静かに消えた。
——— ガラ、ガラガラ
店の引き戸がゆっくり開くと……
「こんばんh」
「だあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「ぬあぁぁぁぁぁぁぁっ! 再びジジイィィィーーーっ!」
やかましい鬼たちによって掻き消された声に、聞き覚えがあった。
まさかと思って慌てて店内の灯りを点けると、あの時と同じように、着流しの上に
「小太郎さん!」
「久しいね、大史くん。店の中が暗かったもので、営業していないかと思ったよ。外にあった迎え火のおかげで、またここに来ることが出来た。ありがとう。それから……虎之介、やっと会えたね」
腰を抜かしている虎之介は、小太郎さんだと分かると感極まったのか……そのまま白目を剥いて倒れた。
「え? お、おい、虎之介……」
「すみません。幽霊に耐性がないもので失神したようです。あれだけ会いたがっていたのに」
「だから私を見て腰を抜かしたのか。まったく、相変らずの性分だねぇ」
愉快とばかりに笑う小太郎さんは、心底嬉しそうだ。
才雲さんの助言で店の外に迎え火を焚いていたため、ようやく小太郎さんとの再会が果たせた。そのせいか、見ず知らずの人物も結果的に引き寄せてしまったようだが……彼女が満足してくれたのだから、これもいい出会いだったと思うことにしよう。
「小太郎さん、またお会いできて嬉しいです。今日は前回のお礼も兼ねてご馳走させていただきたいんです。いただいたお金の価値も知らず、そのまま受け取ってしまったので……。食べたいものがあったら、なんでも言ってください!」
「いやいや、あれはほんの気持ちだよ。私もここへ来れることを楽しみにしていたからね。食べたいものはなんでも作ってくれるのかい? じゃあ、お言葉に甘えて ———」
それは、なんとも小太郎さんらしいリクエストだった。
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