第50話 西瓜と怪談ナイト①

『——— ヒタ、ヒタ、ヒタ……背後からね、裸足で歩いているような足音が近づいてきたんです。やだなぁ、怖いなぁって思ってたら、女のうめき声が聞こえましてね。ゆっくり背後を振り向くと、髪の長い女がこちらを睨みながら、こう言ったんです……』


「腹が減ったーっ!」

「ちょっと、龍さん! 今いいとこだったのに!」


 夜営業までの間、スマホで配信動画を観ていると、空気を読まない龍さんは俺の眼前に割り込んできた。慌てて龍さんをどけるも、楽しみにしていた怪談配信はタイミング悪く終わってしまった。


「もう。最後まで観たかったのに邪魔するからー」

「怪談なんぞ何が面白いのだ。所詮作り話だというのに」

「作り話でも怪談ってのは夏の風物詩だろ? 背筋がぶわってなる感じがいいんだよ。ていうか、腹減ったって言うけど、さっきまかない食べたばっかりじゃん」

「我は成長期なのだ! いつもで腹が減っている!」

「まったく、元気な年寄りだな。冷蔵庫にヤマさんから貰ったプリンがあるから、虎之介と食べな。あれ? 虎之介はどこに行ったんだ?」


 ふと店内を見回すと、図体のデカいアイツが見当たらない。

 厨房にいるのかと思い探しに行くと、シンクと冷蔵庫の隙間に挟まっている虎之介がいた。窮屈であろうに体育座りをしながら、耳を塞いで必死に目を瞑っている。


「ねえ、なにしてんの?」

「うおっ! び、びっくりした……なにって、そりゃお前アレだ……め、瞑想に決まってるだろ」

「そんなとこに挟まって? あ、もしかして、さっきの怪談配信聞いてて怖くなったのか? 作り話なんだから本気にするなって。妖怪最強の鬼のくせに、相変わらず怪談が苦手なんだな」

「ばっ、おま、そんなこと言って呪われても知らないぞ!」

「はいはい。ご忠告ありがとう。そろそろ営業準備するぞ」

「……っ……抜けなくなった」


 大男が入るには狭すぎる隙間に体を埋めていたため、身動きが取れなくなった虎之介。仕方なく腕を掴んで引っ張り出すと、勢い余って顔面から床にダイブした。


 ゴンッ!という鈍い音が聞こえると、駆けつけた龍さんは虎之介を見るなり盛大に笑い出す。


「ぶはっ! 虎、デコが赤くなっておるぞ!」

「自慢の顔面に傷がつかなくてよかったな」

「クソッ、いってえ。大史が力加減を考えないせいで……」

「いやいや、俺のせいじゃないだろ。そもそも、虎之介があんなとこに挟まってたのが悪い」

「ぐっ……」


 悔しそうにする虎之介に対して、追い打ちをかけるように龍さんはさらに煽る。


「やーい! 虎のお漏らし小僧ー!」

「あ? 誰が漏らしたって?」

「肝っ玉の小さい童のようだと言ったのだ。比喩も分からんのか?」

「てめえ……表へ出ろ。ガキの姿でも容赦はしねぇ」

「ふんっ。やれものならやってみろ」


「ちょっと、営業準備しないとお客さんが来ちゃうからやめて」


 静止をするも聞く耳を持たず、虎之介が龍さんの首根っこを掴んで外へ出ようとした時。同じタイミングで店の引き戸が開くと、顔なじみの3人が入り口に立っていた。


「……おい、虎。そんな小さい子に何してんねん。あぁん?」

「タイマン勝負をするところだ。そこをどけ」

「いやいや、虎の兄貴、相手はただの子供じゃないですかぁ」

「こいつは子供じゃねぇ」

「そうですよ、虎之介さん。落ち着きましょうよ。あ、西瓜を持ってきたんですけど、みんなで食べません?」


「……くっ、仕方ねぇ」

「西瓜ッ! 食べる!」


 あんなに殺気立っていたにも関わらず、2人は西瓜の誘惑に負けたようだ。

 虎之介も本気でタイマン勝負をしようなんて考えてないはずなので、この場の喧嘩は雪子さんに救われた。しかし、龍さんはなぜいつも虎之介にちょっかいを出すのだろうか。子供のような喧嘩の原因は、毎度のごとく龍さんが原因である。


 溜息を吐いていると、雪子さんは俺に大玉の西瓜を差し出した。


「これ、うちの所長からもらったんですよ。切り分けてもらえますか? 大史さんもぜひ」

「ありがとう、立派な西瓜だね。少々お待ちを」


 受け取った西瓜に包丁を通すと、張りのある皮面はざくっと音を立てた。

 半分に切った西瓜からは水分が溢れ、瓜独特の甘い香りが漂う。


「兄ちゃんも大変やなぁ。愚息が2人もいると手に負えんやろ」

「まぁね。お互い嫌いなわけじゃないのに、毎日喧嘩ばっかりで」

「仲が良い証拠っスよ。多分、龍さんは構って欲しいんじゃないですかね? 虎の兄貴は父のようであり兄弟のようであり、親近感が湧くんだと思います。たとえばですけど、龍さんの過去が虎の兄貴と同じ境遇だったり……」

「そういえば、龍さんの過去の話は聞いたことがないな」


 九頭龍大神くずりゅうのおおかみといえど、生まれてすぐ神様になったわけではないだろう。

 幼少期はどのように過ごしていたのか、なぜ神と崇められるようになったのか、龍さんに関して知らないことばかりだ。本人に聞いたみたいところだが、もし虎之介と同じように話したくない過去があるのなら、聞き出すのも野暮ってものだ。


 その時が来れば、きっと本人から話してくれる。なぜかそんな気がした。


 三角状に切り分けた西瓜を皿に移して彼らの目の前に置くと、待ってましたとばかりに手を伸ばす。虎之介と龍さんも目を輝かせながら、西瓜にかぶりついた。


「やっぱり夏といったらこれですよね。実はですね、今日はもうひとつやりたいことがありまして……。大史さん、蝋燭ありますか?」

「あ、あるけど。何するの?」


 雪子さんから店内の電気を消すように言われ、テーブルの上に蝋燭を置いて火を灯す。いくつか置くと意外にも明るくて、ムーディーな雰囲気が漂う。


「お、おい、雪子。何を企んどるんや」

「んふふっ。これより、怪談ナイトを開催しまーす!」

「おお! いいね!」

「……」


 先ほど龍さんに怪談配信を邪魔された俺は、モヤモヤして仕方がなかった。俺と同様に銀之丞くんも歓喜の声を上げ、反対に虎之介と万次丸さんは顔を引きつらせている。一心不乱にシャクシャクと咀嚼音を立てる龍さんは、怪談よりも西瓜に夢中のようだ。


「これぞ夏の風物詩ですよね! ゾクッとする感覚は一気に涼しくなりますから、夏が苦手な私は怪談が大好きなんですよ」

「わかるー! まさか同士がいるとはね。雪子さんって怪談話が得意なの?」

「いえ、私は得意ではないのですが……特別ゲストを招待してるんです」


 その瞬間。

 何かの気配を感じ、店内を見渡したが俺たち以外は誰もいない。しかし、強力な霊力の気配があり、何者かがこの場にいると予想がつく。


「な、なんだ? 今、なにか……」


「——— やあ。お邪魔しますよ」


 ヒュッと息を飲んだ大男2人は、途端に絶叫する。


「だあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「ぬおぉぉぉぉぉっ! ジジイィィィーーーっ!」


 ビビり倒す虎之介と万次丸さんの視線の先には、品のある1人の老人がいた。


「まったく。ジジイだなんて、僕はまだ若いつもりなんだがね」

「所長、お待ちしてました」


 失礼なことを言われてもにこやかに笑うその男性は、妖怪の長であるぬらりさんだった。人の体である以上、妖怪のように瞬時に姿を現すことなど出来ないはずだが、感じた霊力はただならぬものだったので、さすがとしか言いようがない。


「雪子さんのご指名を受けて馳せ参じたわけだが、私も怪談が大好きでね。今日はとっておきの怪談を披露しようと思うんだ。フィクションとノンフィクションなら、どちらがお好みかな?」

「せっかくなんで、リアリティのあるノンフィクションがいいっス!」

「いいね。ぜひそれで!」

「では、そうしよう」


 滑さんは俺の好きな怪談士によく似ている。

 話す時に独特な間があり、ひとつひとつの言葉に重みがある。穏やかな口調からどんな怖い話が聞けるのかワクワクしている一方で、大男2人は落ち着かない様子。


「……あー、ちょっと外の空気を吸ってくる」

「ワ、ワシもちょっと外に……」


「させませんよ」


 雪子さんは、虎之介と万次丸さんの手首を掴んでニコッと笑う。せっかく来てくれた所長に失礼だと言い、えも言えぬ圧で彼らを再び椅子に座らせた。鬼をも従わす雪子さんは、幽霊よりよっぽど怖い気がする。


「さあ、始めようか」


 滑さんがそう言った瞬間、蝋燭の火は左右に大きく揺れ、ひんやりと冷たい空気が背筋を撫でた。

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