第45話 梅雨とジメ男と梅シロップ
ここ数日、屋根を叩く雨音で目が覚める。
窓から外を確認しなくても、「今日も雨か」と言葉を漏らすのが日課となってしまった。
気分が沈みがちな梅雨の時期だが、俺にとっては楽しみな時期でもある。
青梅が出回る頃の恒例行事と言えば、ばあちゃんから教わった秘伝の梅シロップを仕込むこと。高校生の時に教えてもらってから、梅シロップを作るのは俺の仕事となり、もはや手慣れたものだ。
青梅に氷砂糖を加えるのが一般的な作り方だが、ばあちゃん秘伝の梅シロップにはキビ砂糖も加えている。配合量で味が変わってしまうので、教わったレシピ通りに作ると、唯一無二の秘伝の味となるのだ。キビ砂糖を入れることでコクと梅の風味がより感じられるようになり、独特な酸味感が特徴だ。
3週間前に仕込んだ梅シロップの梅は水分が抜けてしぼみ、ぷかりと上面に浮いている。毎朝、瓶を揺らし撹拌していたので、浸透圧で果汁が染み出した証拠だ。
「そろそろ頃合いかな。今年も上手に出来たぞ、ばあちゃん」
1リットルサイズのガラス瓶を掲げてみると、浮かんだ梅と琥珀色の液体が波を打つ。
しばし悦に浸っていると、背後から誰ともわかる圧を感じた。
中身を覗き込む虎之介の顔がガラス瓶に映り込み、「ほう」という感嘆の声を上げながらニヤリと微笑んだ。
「梅酒か? いい色だな」
「梅酒じゃなくて、梅シロップだよ。飲んでみるか?」
「……なんだ、酒じゃないのか」
「そう落ち込むなよ。梅酒じゃないけど、このシロップを使ってサワーも作れるぞ。レモンを絞ると爽やかな風味になるし、風呂上りの晩酌にぴったり」
「おお! いいな、それ!」
あからさまにテンションが上がる虎之介。正直でよろしいと思う。
そんな虎之介によじ登り、肩から顔を覗かせた龍さんは、目を輝かせながらこんな提案した。
「それ、アイスにかけても美味いのではないか?」
「バニラアイスなら合うだろうね。牛乳と梅シロップを合わせて、シャリシャリなミルクシャーベットにするのもいいかも。梅の風味と濃厚な甘さが相まって、至福の味わいになるだろうなぁ」
「おお! ぬしは天才か!」
「ええ、なんせ料理人ですから。龍さん、それを風呂上りに食べたら最高だと思わないか? そんな1日の終わりを楽しみに、俺たちのやるべきことはひとつ……」
「ふっ、任せろ!」
「我もやる気が出てきたぞ!」
「2人とも、今日もよろしく頼むよ」
朝メシを食べたあと、仕入れに行っている間に2人には開店準備を頼むと、いつもに増して店内がピカピカになっていた。梅シロップの効果は絶大である。
今日は日曜日のため、昼営業は平日よりも混雑する。
家族連れや複数人で来店する人が多いので、注文が一気に入るのだ。そんな時は虎之介に調理の補佐をやってもらい、龍さんにはホールを任せている。龍さんも仕事覚えが早かったため、今や1人で任せても十分なほど。
ようやくピークの時間帯が過ぎたところで、1人のお客が来店した。
店に入ってきたのは虎之介の昔馴染みである、茨木童子こと銀之丞くん。いつもの笑顔はなく、目が合うと元気のない様子で「うっす」と軽く頭を下げた。
「いらっしゃい、銀之丞くん。1人で来るなんて珍しいね。万次丸さんは?」
「……姐さんとデートに行きましたよ。姐さんが新作のホラー映画を観たいらしくて、ホラーは嫌だって駄々をこねる万次丸の兄貴を無理矢理引っ張って行きました」
「なんだか目に浮かぶ光景だな。ていうか、鬼って意外とホラー苦手だよね。虎之介も一緒だよ。デカい図体で妖怪最強って言われてるくせに、怖がりなんだよなぁ。井戸から出てくる怨霊の映画を一緒に観てた時、ほぼ目を開けてなかったもん。怨霊がテレビから出てきた時なんか、龍さんを盾にして自分の前に座らせてたし」
そんな話に「ふっ」と笑った銀之丞くんを見て、虎之介は慌てて釈明をする。
「はあ!? 怖くなんかねぇし! あれは、万が一に備えて戦闘態勢をとってただけだし」
「龍さんを盾にしてか?」
「あ、あんなもんお前、オレならワンパンで倒してやんよ!」
「小学生かな?」
説得力のない釈明に、龍さんが腹を抱えてゲラゲラと笑う中、銀之丞くんは相変わらず浮かない表情。そんな彼の様子を察知した虎之介は、おかしなあだ名で声をかける。
「おい、ジメ男。なにがあった」
「え、ジメ男って自分のことっスか?」
「他に誰がいる。梅雨みたいにジメジメしてるお前は今日からジメ男だ」
「えぇ……嫌ですよ、そんな名前」
「嫌なら浮かない顔の理由を話してみろ。聞いてやる」
「虎の兄貴ぃ」
「あ、ちょっと待った! 3分だけ待ってくれる?」
「え? あ、はい」
お悩み相談が始まろうとした時、俺は2階の自宅キッチンからとある物を持ち出す。グラスに氷と少量のリンゴ酢、例のヤツを入れ、ソーダで割った特製ドリンクを銀之丞くんに差し出した。
「銀之丞くん、これサービス。自家製の梅シロップで作ったソーダ割りなんだけど、これを飲めばジメジメとした気分も吹き飛ぶよ」
「え、いいんスか? じゃ、じゃあ、いただきます」
炭酸の細かい泡粒が弾けるグラスを傾け、ゴクリと喉を鳴らす銀之丞くん。
すると、途端に目をカッと見開き、一気にそれを飲み干した。テーブルにグラスをドンッと置いた銀之丞くんは、満足気に息を漏らす。
「ぷはぁ! これ、超美味いっスね! 梅の風味と、爽やかな酸味がめちゃくちゃスッキリします」
「ふふん。梅シロップだけでも十分なんだけど、リンゴ酢を加えるとより甘みも引き立って、尚且つ爽やかな味わいになるのだよ。おかわりいる?」
「はい、ぜひ!」
笑顔が眩しいいつもの銀之丞くんに戻ったところで、虎之介は再び彼に問う。
「相談したいことがあるんだろ? 言ってみろ」
「さ、さすが虎の兄貴。自分の悩んでることはお見通しなんスね。実は……家を出ようかなと思いまして。自分は万次丸の兄貴と姐さんにお世話になってる居候の身なんスけど、独り立ちをしたいと考えてるんです。だけど、今のバイトのままじゃ生活がままならないんで、正社員の仕事を探してる最中なんですが、なかなか仕事が決まらなくて」
「ほう」
「自分、大史くんに料理を教わってから、調理に携わる仕事がしたいって思うようになったんです。それに、自分も虎の兄貴の後を追いたくて……」
「オレの後を?」
——— ゴンッ
銀之丞くんはテーブルに頭を打ち付け、そのままの体制でこんなことを言った。
「ここで! 働かせてくださあいッ!」
「は? お、おい、いきなり何を言ってやがる」
「どこかで見たことのある光景だ……あっ」
それは虎之介がうちで働きたいと言った時。
虎之介も同じように、テーブルに頭突きをかまして頭を下げた。あの時はテーブルにヒビが入ってしまったが、今回も二の舞になっていかとちょっと心配になる。
さりげなくテーブルを確認したところ、ヒビはなく一安心。
いや、そうではなく。
「う、うちで働きたいの?」
「はい! 住まいは自分で用意するんでご心配なく! 自分、なんでもやります!」
「そうだなぁ……正直言うと、虎之介と龍さんがいてくれるから、手は足りてるんだ。申し出は嬉しいけど、ごめんな」
「そ、そうっスか……ですよね。無理言ってすみません……」
「いや、こちらこそ申し訳ない。だけど、俺も就職先探しを手伝うよ。こう見えて知り合いも多いから、口利きしておくね」
「え、マジっスか? ありがとうございます!」
できるだけ銀之丞くんの力になってあげたい。
調理の仕事に就きたいと言うのなら、料理を指南した俺にも責任がある。
「うちのお客で調理関連の仕事をしているのは……」
そんな話をしていると、外からカランコロンという下駄の忙しない音が鳴り響く。
店の前で音が止んだかと思うと、勢いよく引き戸が開けられた。
——— ガラッ!
息を切らした作務衣姿のヤマさんは、青ざめた顔で動揺しているようだった。
「た……大史くん! どうしよう!」
「え、なに!? どうしたの?」
「あ、当たっちゃった……当たっちゃったよ!」
「あたった? もしかして食あたり? それなら、ここじゃなくて病院に」
「そうじゃなくて! これだよ、これ!」
ヤマさんが興奮気味に見せてきたのは、1枚の宝くじだった。
以前、占いに行った時に「宝くじを買え」と言われていたヤマさんは、その通りに購入したらしい。その興奮度合いから、まさかとは思うが……。
「い、いくら当たったの?」
「さ、さ……」
「さんびゃく、とか?」
「さ……さんおく」
『……』
その場にいた全員が声が出ないほど驚愕する中、俺はひらめいてしまった。
「銀之丞くん。就職先、見つかったかも」
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