第44話 定食屋の女子会③
はーちゃん以外のお姉さん方はお酒を飲む気満々らしい。
それを見越して、お通し代わりに女子が好きであろう最適な前菜を用意した。
カイワレとアボカドの生ハム巻き、タコとタイのカルパッチョ、カマンベールチーズフライ、バゲットにトマトやバジルなどの具材を乗せたのブルスケッタ、合鴨とチーズを串に刺した一口ピンチョスなど。自分で作っておきながら、定食屋らしからぬ気合いが入った前菜の出来栄えに大満足である。
「まずはこちらから。前菜の盛り合わせです」
「あら、ずいぶんとお洒落だこと」
「可愛いー! 食べるのもったいないね」
「なんかもう、これだけで女子会って感じがしますね!」
「とりあえず、乾杯しよっか?」
ビールが注がれたグラスを交えたと同時に、「かんぱーい!」という楽しげな声が店内に響き渡る。
オレンジジュースを一口飲んだはーちゃんは、「そこの鬼」と虎之介を呼んだ。渋々はーちゃんが座る席へ向かった虎之介は、目線を合わせるようにして屈む。
「なんだ」
「はーちゃんがこの会に呼ばれたのはお前の口添えがあったからだ。ありがとう」
「うえっ!? べ、別に感謝されることでもねぇよ。というか、オレはお前じゃなくて虎之介だ」
「虎之介、お前はいいヤツだからはーちゃんの子分してあげてもいいよ」
「なんでそうなるんだ。断る」
「照れなくてもいいのに」
「……生意気なやつめ」
まさかお礼を言われると思ってなかった虎之介は面を食らっていたが、照れ隠しにはーちゃんの額をソフトタッチで小突く。彼女は女子会に招かれたことが嬉しかったらしい。無意識のうちに優しを垣間見せる虎之介なので、意外と敵を作ることはない。
そんな様子を微笑ましく見つめていた雪子さんは「まぁまぁ」と宥め、はーちゃんの分の料理を取り分ける。
「虎之介さんは相変わらずですね。ちょっと不器用なところもありますけど、うちの夫と銀之丞が虎之介さんを慕う理由は、こういうところかもしれません」
「ねえ、雪子ちゃんは虎ちゃんとどういう関係なの? 昔馴染みっぽいけど、もしかして元カノだったり?」
「……この際ですから、もう時効ですよね。元カノではないのですが、虎之介さんとは一度だけ関係を持ったことがあるんです」
「え!? うそ、マジ?」
「お、おい」
話を止めに入ろうとした虎之介は美影さんに制され、彼女たちは雪子さんの話に耳を傾ける。ぎょっとした俺も、作業そっちのけで厨房から盗み聞き。
「実は昔から虎之介さんに片思いをしていまして、思いを告げたのにフラれてしまったんです。でも、どうしても諦めきれなくて、私から一夜限りの関係を迫った寒い雪の日の夜のこと。愁いを帯びた眼差しを向けながら『オレはお前を幸せに出来ない。お前を想っているアイツの気持ちを無下にするな』と言った虎之介さんは、静かに私を押し倒し……」
「え、押し倒しちゃったの!? レディコミ展開なの!?」
「はわっ……虎之介さんってば、そ、そんな」
「その夜のことは忘れもしません。真冬の最中だというのに、雪をも溶かすような熱情に身を委ね、朝まで互いを貪り求め合いました。私の髪を愛おしげに撫でながら『愛してる』と囁いた虎之介さんの吐息と言葉が、今でも脳裏に焼き付いて離れないのです」
「キャーッ! なんだか想像しちゃう!」
「んふっ。イケナイ情事に燃え上がっちゃったのね」
「まあ、嘘なんですけどね」
『え』
一瞬の間が空いたのち、ドッと笑いが起きる。
周りの反応に満足したのか、雪子さんはビールをちびりと飲んだ。
既に顔が赤かった時点で察していたが、この人は下戸なのだろう。
頭を抱えながら、話を最後まで聞かされた虎之介の心中やいかに。
「もう、びっくりしたぁ。ていうか、夫婦揃って虎ちゃんをいじるの好きだよね。この前も、雪子ちゃんの旦那が同じようなボケをかましてたよ」
「んふふっ。真面目な虎之介さんの焦った顔を見るのが好きなんですよ」
「はあ……いい趣味してんな、お前たちは。ったく、どいつもこいつもオレをなんだと思ってやがる。それよりも雪子、お前は下戸なんだから酒を控えろ」
「こんな楽しい席で、お酒を飲まないなんていう野暮なことは出来ません! それに、今日は夫が迎えに来てくれるので」
「私がちゃんと見てるから心配しないで、虎之介さん」
「ふふっ。雪子ちゃん、今日は絶好調だね」
楽しそうに笑うはーちゃんにとって、雪子さんのこれは調子がいいらしい。
最初に瓶ビールで乾杯した彼女たちのテーブルには、いつのまにか空瓶が大量に置かれ、虎之介はそれを忙しなく撤収していた。見兼ねた美影さんはテーブル用に焼酎ボトルと水や氷を要求し、自分たちでお酒を作ってくれるらしく非常に助かる。
飲むペースが早いので大丈夫なのか心配になるほどだが、顔の赤い雪子さん以外はケロッとしていた。酒豪妖怪たちに混じり、平然としているてっちゃんもなかなかの強者だと思う。
そんな中、団三郎さんの話題となり「狸は食べられるのか」というてっちゃんの言葉に、待ってましたとばかりに調理を進めていたメイン料理を出しに行く。
「お待ちどうさま。本日のメイン料理、4品です。さて、なんの肉でしょうか?」
「いい匂い! ステーキは牛肉でしょ? こっちの塊肉は……豚じゃないの?」
「違います!」
「じゃあ、牛肉と鶏肉」
「残念ながら違いますね。今日は特別メニューとして、ジビエ料理を用意したんだ。こっちの赤身は鹿肉のローストとステーキ、こっちの塊肉はアナグマのコンフィとトマトソース煮込み」
「え! 鹿肉は分かるけど、アナグマ? 狸みたいな動物でしょ?」
「狸ってことは、もしやこれ団三郎さんの……」
「ううん、団三郎さんじゃないから安心して。彼は生きてるよ。アナグマって少しクセのある肉なんだけど、試行錯誤して美味しく出来たんだ。食べてみてよ」
「へえ、見た目はすごく美味しそうです」
『いただきまーす!』
お酒が入っているせいか、躊躇せず肉を頬張る彼女たち。「美味しい!」という言葉と共に、笑みを浮かべながら食べてくれる様子を見て心底ほっとする。
「鹿肉は旨味があってすごく美味しいわね。特にローストは柔らかくて、しっかりとした肉の味わいが感じられるわ」
「そうね。さっぱりとしてるから、いくらでも食べれちゃう!」
「アナグマ肉もすごく美味しい! コンフィっていうのは初めてだけど肉質も柔らかいし、ハーブの香りと塩気が甘い脂身にマッチしてる」
「はーちゃんはね、トマト味が好きかな」
「こうも美味しいとなると、団三郎さんの味も気になりますね……ふふっ」
「やぁだ、雪子ちゃんったら! 彼、意外といい体してそうよね。どんな味なのか気になるわぁ」
「このアナグマみたいに、甘美で濃厚な味わいかもねぇ」
「もお、ハレンチすぎ!」
どのような意味合いで言っているのか分からないが、大爆笑している彼女たちの様子から恐らく下ネタなのだと思う。虎之介はドン引きしていたが、女子が揃うとこのような話に発展するのか、と感心しながらシメの準備を進めていた。
「ところで、雪子ちゃんはなんであの鬼と結婚したの?」
「これは本当の話なんですけど、彼から猛アタックされたんですよ。私としてはタイプでもないし恋愛感情はまったく湧かなかったんですけど、毎日告白しに来るもので、ついに折れちゃったんです。もちろん、今では彼のことが大好きですよ」
「へえ、追われる恋っていいよねぇ。憧れちゃう。でも、興味なかったってことは、他に好きな人でもいたの?」
「えっと……それは」
カウンター内で調理の補佐をしている虎之介をチラッと見た雪子さん。
みんなの視線が虎之介に集中する中、俺もヤツの顔を凝視した。
お前ってヤツは罪な男だな!
「おい、なに見てんだよ」
「べっつにぃ! なんでもねぇよ!」
「なんで怒ってるんだ。そんなことより、こっちは準備できたぞ」
「わかってんよぉ!」
準備していた食材を奪い取ると、ポカンとする虎之介。
顔のいい男はその表情さえも絵になるから苛立たしい。
あんな美人を放っておくなんて、鈍感にもほどがある。
「えーっ!! ってことは、さっきの話、割とガチな妄想だったってこと!?」
「あらあら、雪子ちゃんってばそういうことだったのねぇ」
「あ、でも向こうは私に興味を示さなかったんですよ。だから、好きでいてくれる人を大切にしようって思ったんです。今はもう夫一筋なので、なんとも思ってないですけどね」
「なんか分かる! 虎ちゃんにいくらアピールしても、全然振り向いてもらえないんだよねぇ。どんなタイプが好みなかのかなぁ」
「わたしが思うに、虎之介さんは姐御肌の女性のほうが合うと思うんですよね! 優しい性格なので、女性を立てながら尻に敷かれるタイプかもしれません!」
「確かに。 姐御肌っていうと、私のことかしら? うふふ」
「はーちゃんも姐御肌だよ」
「いやいや、どう考えてもあたしでしょ! あたしも虎ちゃんを尻に敷きたい!」
立ち上がりながら力説する玲子さんの背後から、ぬっと姿を現す虎之介。
「お前の重たい尻に敷かれるのはごめんだ」
「ちょっ……重くないもん!」
「おい、お前たち。さっきからなにごちゃごちゃ言ってんだよ。シメはいらねぇのか?」
『いるッ!』
虎之介がテーブルに運んだのは手まり寿司。
一口サイズの丸いシャリには、マグロやホタテ、エビ、サーモン、錦糸卵のネタの上にいくらをトッピングし、見た目も可愛い一品である。
歓喜の声を聞いて満足していると、玲子さんはこんなことを言った。
「ねえ、記念にみんなで写真撮ろうよ! 大ちゃんと虎ちゃんも一緒に」
「え、俺たちも?」
「うん。こんな楽しい時間を記憶だけに留めておくのもったいないでしょ」
「いいですね! 撮りましょう!」
自撮り棒を取り出した玲子さんはスマホをセットして、画角に収まるようおしくらまんじゅう状態の中、しれっと虎之介の横を陣取る玲子さんだったが……。
「虎之介、抱っこしろ。はーちゃんは小さいから見えない」
「は? しょうがねぇな」
「……ふっ」
虎之介がはーちゃんを片腕で持ち上げると、勝ち誇ったかのような笑みで玲子さんを煽るはーちゃん。悔しそうな顔をした玲子さんだが、シャッター音が聞こえた瞬間には満面の笑みとなり、プロ意識の高さが伺える。
「その写真、俺にも送ってよ」
「もちろん。みんなにも送るからさ、連絡先交換しようよ」
「ぜひ! こんなに楽しい女子会は初めてです。またみんなで集まりましょうね」
「うんうん。今日はこのまま朝まで語り尽くしたいくらいだわ」
「一応、夜は9時までの営業だけど、もうとっくに過ぎちゃってるし今日は特別。好きにしていいよ」
「やだ、いいの!? ありがと!」
「大史ちゃんカッコいいー!」
「結婚してー!」
「あのね、露骨なお世辞ほど傷つくものはないよ」
この日は酒類もたくさん出たし、彼女たちだけで5日分ほどの利益が出たのでこちらとしても嬉しい限りだ。ものの数時間で、瓶ビール30本と900mlの焼酎ボトル10本、日本酒一升瓶3本を飲み干した彼女たちは、とんでもなく酒が強い。
下戸だと思っていた雪子さんも飲めば飲むほど饒舌になり、いつの間にか輪の中心となっていた。下戸とは一体なんなのか。
話が尽きない女子会は、その後も雪子さんを迎えに来た万次丸さんと銀之丞くんをも巻き込み、朝4時まで静まることはなかった。
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