第40話 冷やし中華とデミオムライス
「はーちゃんよ、大人げない虎を許せ。ジュースでも飲むか?」
「……飲む」
龍さんの一言で攻撃を止めたはーちゃんは虎之介から降り、おとなしくカウンター席の椅子に座った。グラスに注がれた瓶のオレンジジュースを一口飲むと、「ぷはぁ」と美味しそうに笑みをこぼす。
「まったく、老体に鞭を打つなんて野蛮な鬼だ」
「野蛮なのはお前だろう。ボコスカ殴りやがって、元気なばーさんだな」
「ばーさんじゃない、はーちゃんだ」
一方的に顔面を叩かれまくって赤ら顔の虎之介は納得がいなかい様子だが、もし相手が万次丸さんだったら躊躇することなく反撃していたことだろう。どうやら鬼というのは、妖怪であっても女性と子供には優しいらしい。
そんな中、雪子さんは思い出したかのように口を開く。
「あ、ここに来た目的を忘れていました。うちの所長が以前こちらで食べたチキンチーズカーツを気に入ったらしく、テイクアウトのお願いに参ったのです」
「所長、チキンチーズカツ……あ、もしかして
「ええ。申し遅れましたが、私は探偵事務所兼妖怪管理協会で滑さんの補佐をやっています。こちらのはーちゃんも同じく、滑さんの元で働いているんです」
「そ、そうだったんですか。万次丸さんが掛け持ちで仕事をやっている、と言っていたのはこういうことだったのか。もちろん、テイクアウトできますよ。せっかくなのでお2人もなにか食べて行きませんか?」
「よろしいんですか?」
「はい。店もこの通り、閑古鳥が鳴いているもので……」
誰もいない店内を見回した雪子さんは、申し訳なさそうに状況を察した。
「私が雪を降らせてしまったばかりに……申し訳ありません。営業妨害してしまったお詫びとして、食べれるだけ食べて行きます」
「いえ! お詫びとかはいいんです! 食べたいものがあったら何でも作りますんで」
「はーちゃんはね、オムライス!」
「私は、そうですね……冷やし中華、できますか?」
「えっ。こんな寒い日に冷やし中華ですか? できますけど、温かいものじゃなくていいんですか?」
「はい。私、冷たい食べ物が好物なんです。真冬でもかき氷が食べたい派なので、以前夕飯にかき氷を出した時、夫と銀之丞は唇を真紫にして震えながら喜んでくれましてね。やはり寒い日には冷たい料理に限ります」
「な、なるほど。喜んでくれてよかったですね」
雪子さんと傷つけまいとする2人の優しさには感服する。彼らが料理を覚えたいと言った理由の裏には、今までの計り知れない苦悩があったのだろう。雪子さんには申し訳ないが、今後はぜひとも彼らに頼って欲しい。
「冷やし中華なら、洋風冷やし中華もできますよ。タレはオリーブオイルやレモン汁、トッピングには生ハムやバジルを使うので、イタリアン風なさっぱりした味わいが楽しめます」
「わあ、それは美味しそうですね。では、私にはそれを」
「はーちゃんもそれ食べたいな……でもオムライスも……」
「じゃあ、分け合ってシェアしようね」
「うん!」
「はいよ、少々お待ちを。虎之介、材料と麺の準備を頼む」
「任せろ!」
見た目は親子のようだが、雪子さんとはーちゃんはただの同僚であり、恐らくはーちゃんのほうが年上。頭では理解しているつもりでも、ちょっと混乱してしまう。とはいえ、うちには年齢不詳の龍さんもいるので、子供だと思って接するほかない。双方とも、長年の人生経験で子供姿のほうが得だという考えに行き着いたのはさすがである。
うちのオムライスはケチャップライスにふわとろ卵を乗せ、デミグラスソースをかけたデミオムライス。虎之介に冷やし中華の準備をしてもらっている間、ケチャップライスを作ることにした。具材は細かく切った鶏肉と玉ねぎのみ。具材を炒めてからトマトケチャップ、隠し味に少しだけウスターソースを加えてご飯を投入。酸味と甘みが合わさった香ばしい匂いが漂う中、龍さんたちの会話に耳を傾けた。
「ところで、下級妖怪を討伐してから様子はどうだ」
「えっと……
「我は妖怪好きで絶賛不登校中のただの子供だ。先日の討伐も参加したのだぞ! 大史がタマタマを出してな、我も一緒に手伝ったのだ!」
「うわぁ、変態のお世話も大変だね」
「タマタマだけに、たまたま出してしまったんですね。通報されなくて何よりです。ふふっ、んふふっ……」
ドン引きするはーちゃんと、うまいことを言ったようで言っていない雪子さんの笑い声が聞こえ、慌てて厨房から顔を出した。
「俺は変態じゃありませんし、出してませんッ! 勘違いしているようですけど、鉛玉のことですからね! 龍さん、頼むからその話はもうやめてくれ」
「なぜだ? ひと笑い取れたではないか」
「俺を笑いのだしにするんじゃないよ。というか、お嬢さん方にそういう話はしちゃいけません! ほら、もうすぐ料理できるから龍さんも手伝って!」
「あいわかった!」
話を聞いていた虎之介も腹を抱えながら笑う。あの時は軽蔑した目で俺を見てたくせに、今では龍さんがよくネタにしてくるので、その都度涙を流しながら爆笑する様子から気に入っているらしい。妖怪最強の酒呑童子が、小学生レベルの下ネタが大好物だという弱みを握っている俺こそ最強なのかもしれない。
「ふっ。虎之介はまだまだお子さまだな」
「なに言ってんだ? お前より何百歳も年上だが。そんなことより、材料の準備と麺も氷水で冷やしておいたぞ」
「作業が早いな、ありがとう」
仕上げにオリーブオイルやレモン汁、砂糖、塩、胡椒を混ぜ合わせたタレを麺に絡ませ、トマトと生ハム、バジルを乗せれば洋風冷やし中華の完成。そして、スクランブルエッグ状態の半熟卵をケチャップライスに乗せ、トマトピューレとウスターソース、赤ワインをベースにしたデミグラスソースをかければオムライスも出来上がり。
シェアしたいと言っていたので、取り皿と共に龍さんに配膳を任せた。
「待たせたな! ふわとろデミオムライスと洋風冷やし中華だぞ!」
「美味しそう!」
「わあ、定食屋らしからぬお洒落な盛り付けですね。見た目から美味しそうなのが伝わってきます。さすが店主さん。うちの夫と銀之丞が尊敬するわけです」
「いや、そんな、んふっ」
美人に褒められると思わず顔がニヤけてしまう。
そんな俺を龍さんは怪訝な顔で見つめ、虎之介は険しい顔をしながら小声でこんなことを言ってきた。
「大史、バカなことは考えるな。デコ助野郎は癇癪を起すとなにしでかすか分からねぇ。寝取たれたって知られれば……」
「おい、待て。褒められて喜んだだけなのに話が飛躍しすぎだ。まだ何もしてないし、する気もないからな!」
龍さんも俺の背中によじ登り、背後からぬっと顔を出す。
「人妻はやめておけ」
「いや、だから……」
こいつらは俺を一体なんだと思っているのか。女性と縁がないばかりに、勘違いをして不貞行為に走るとでも思っているのだろうか。誠に遺憾であります。
そんなやり取りをしているとはつゆ知らず、雪子さんとはーちゃんは夢中になって料理を食べ進めていた。
「オムライス美味しー! ふわふわでとろとろで、このソースもケチャップのご飯とよく合う!」
「そうだね。この冷やし中華も生ハムの塩気とレモンの風味が相まって、冷製パスタを食べているような感覚だわ。どっちも美味しいね」
「うん! はーちゃんもね、どっちも好き!」
「こんなに美味しい料理を家でも作れたらいいのに」
「雪ちゃんはお仕事が忙しいから、あの鬼共に任せればいいよ。どうせ暇してるんだから」
「そうだね! 今度リクエストしてみようかな」
はーちゃんは鬼に恨みでもあるのだろうか。先ほどの虎之介と同様、なにか失礼なことを口にしたのかもしれない。なにも考えずに発言するタイプの万次丸さんだったら十分にあり得る。
2人が食べ終わった頃にテイクアウト用のチキンチーズカツも揚げ終え、ビニール袋に入れて雪子さんに手渡した。
「滑さんにもよろしくお伝えください」
「ええ、もちろんです。本当に美味しかったです。また来ますね」
「はーちゃんもまたオムライス食べに来る! 龍ちゃん、またね」
「うむ。いつでも来るがよい!」
見送ったあとに外に出てみると辺りの雪はすっかり溶けていた。朝作った雪だるまはもはや形を成しておらず、ただの水たまりと化して河童の化身だけがぽつんとそこにある。それを手に取ると水が滴り落ち、雪解けの儚さを物語っていた。
「龍さんの宝物、びしょびしょになっちゃったね……しっかり乾かしてからしまっておくんだぞ」
「うむ、わかった!」
「しかし綺麗な人だったな、雪子さん。万次丸さんにどうやって夫婦になったのか今度聞いて……はっ、ぶえっくしょいッ!」
「おい、大丈夫か? 風邪を引いたのではないだろうな?」
「大丈夫、大丈夫! ちょっとぼーっとするけど、このくらいなんてこと……」
——— バシャン
ふらついて足元がもつれた俺は、雪だるまが溶けた水溜りに顔から突っ込んでしまう。遠くから聞こえる虎之介と龍さんの声が途切れた時には、目の前が真っ暗になっていた。
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