第39話 季節外れの雪と珍客

 昨日まで初夏の暑い日が続いていたというのに、急激な寒さで目が覚める。

 時刻は午前5時半。窓から外を眺めると綿のような雪がちらついていた。


 夢でも見てるのかと思って呆然としていると、いつの間にか外に出ていた龍さんと虎之介は、窓辺に立つ俺を見上げながら手を振っていた。2人とも半袖姿で、見ているだけで鳥肌が立ってくる。窓を開けると、ひんやりとした空気が肌をかすめ、眠気もすっかり覚めてしまった。


「ねぇ、朝っぱらからなにしてるの? 寒くないの?」


 外にいる2人に声をかける。


「寒いぞ! 風邪を引きそうだ!」

「えぇ、中に入りなよ」

「大史、お前も外に出てこい。雪だるま作るぞ!」

「やだよ。寒い」

「軟弱者だな! だからモテないのだぞ。虎を見習え!」

「……くっ」


 まんまと龍さんの口車に乗せられた俺は、寝間着のまま外に飛び出した。素足にサンダルだったため、あまりの冷たさに身震いをしながらも共同作業で雪だるまを作る。積もっていた雪は3センチほどだったので、辺りの雪をかき集めて直径約20センチ台の雪玉を重ね、顔のパーツにはカットした昆布を、頭には龍さんお気に入りのを乗せた。どうしても河童のあの人が頭をチラつき、ついでに刻み海苔でメガネフレームを作ってあげた。


「んふっ。そっくりじゃん」

「なんせ、ヤツの分身が頭に乗ってるからな」

「これをすまほとやらでヤツに送ってやれ!」

「え、本人嫌がるんじゃない?」


 ——— パシャッ

 とは言いつつもスマホで雪だるまの写真を撮り、友達リストから河童のアイコンをタップして写真を送信する。すると、すぐに既読が付き『うれしい』という文字付きのスタンプが連投で送られてきた。なんだか朝からいいことをした気分だ。


「それにしても、なんで雪なんか降ってるんだ?」

「ふむ。妖怪の仕業だろう」

「えぇ、天候を操れるとかヤバくない? どんな妖怪なんだろ」

「……」

「虎之介、心当たりがあるのか?」

「まぁな。きっとあいつらが何かやらかしたんだろう」

「あいつら?」

 

 それ以上は言葉にするのもおぞましいのか、気まずそうに口をつぐんでしまった。虎之介がこのような反応になるのは珍しいので、よっぽど恐ろしい存在の妖怪がいるのだろう。俺としてもそのような妖怪とは対峙したくないが、虎之介たちがいてくれれば安心安全である。


 この日は案の定、お客が来ない。

 テレビのニュースでは朝から雪のニュースばかり。この時期に雪が降ることは異例なので、専門家も原因を調査中とのこと。そりゃそうだろう。妖怪の仕業なのだから、妖怪の存在を知らない人間に真相解明は難しい。


 暇を持て余した龍さんはお絵描きを始め、虎之介はしきりに店の入り口を気にしていた。


「どうした?」

「いや、ヤツが来そうな気がするんだ。なんかこう、背筋がゾクッとする」

「ヤツって誰……」


 ——— ガラガラガラ


 その時、冷たい空気と共に店に入ってきたのは、グレーのスーツを身に纏ったスラッとした黒髪美人の女性。そしてその背後からひょこっと顔を出したのは、龍さんの見た目と同じくらいの女の子。一目で妖怪だと分かり、女性は虎之介を見ると目を細めて微笑んだ。


「お久し振りです。虎之介さん」

「おう、久しいな。どおりで気配が近いと思ったぜ」

「え? し、知り合い?」

「ああ。こいつはデコ助野郎の嫁だ」

「もしかして、ゆ、雪子さん?」

「はい。初めまして。先日は夫のデコ……いえ、万次丸と銀之丞が大変お世話になりました」

「な、な、な……」


 なんだとおぉぉぉッ!

 こんな美人があの万次郎さんの奥さんだなんて、世の中不公平すぎる。なにがどうなってこの2人が夫婦になったのか、非常に気になるところだ。連れの女の子はというと、いつの間にかカウンター席でお絵かきをしていた龍さんの隣にちょこんと座っていた。


「なに描いてるの?」

「オムライスだぞ。昨日のまかないで食べたのだ」

「へえ、上手だねぇ。はーちゃんもオムライス食べたいなぁ」

「大史が作るオムライスは、卵がふわふわでとろとろで美味いのだぞ!食べていくがいい!」

「うん!」


 子供同士の微笑ましい光景だが、この子も妖怪。もしかして……。


「あの、雪子さん。この子は、もしかして雪子さんのお子さんですか?」

「いえ、違いますよ。店主さんは妖怪が視える方なんですよね? でしたら正体をお話しても問題ないでしょう。ちなみに私は雪女、この子は子供の見た目をしていますが、本来の姿は山姥やまんばです。ね、はーちゃん?」

「えっ。うそ、こんなに可愛らしい見た目で山姥……にわかに信じ難い」


 女の子は俺の前に立つと、上目遣いで微笑んだ。


「はーちゃんはね、山姥だからはーちゃんなんだよ」

「ほ、本当に山姥なの?」

「うん。こう見えても850歳だよ。可愛いでしょ?」

「年齢は可愛くないけど……うん、可愛いよ」

「えへへ」


「いや、おかしいだろ。山姥なんだから、『はーちゃん』じゃなくて『ばーちゃん』だろ……ぐっ、いってぇ!」


 虎之介のデリカシーのない言葉に怒ったはーちゃんは、虎之介のすねを力強く蹴った。さすがの鬼でも弁慶の泣き所は痛いらしい。そんなはーちゃんをひょいっと抱き上げた虎之介に対して、はーちゃんは「ふんっ」を鼻を鳴らした。


「おい。いてぇだろ。謝れ」

「お前が謝れ。はーちゃんははーちゃんだ。可愛いねって言え」

「誰が言うかよ。いい年こいて子供ごっこか?」

「……」


 はーちゃんは再び挑発する虎之介の顔面を、容赦なく叩きまくる。必死に抵抗しようとするも、両手が塞がっていて為す術もない虎之介。これは自業自得。


「『はーちゃん』じゃなくて『ばーちゃん』……ふふっ、ふふふっ。さすが虎之介さん。うちの夫よりも笑いのセンスがありますね」

「雪子さんって笑いのツボ浅い人? ……ところで勘違いだったら申し訳ないんですが、この季節外れの雪は、もしかして雪子さんが」

「あ……はい。お恥ずかしながら。実は昨夜、夫はどこに行ってたのか、シャツに口紅をつけて帰ってきたんです。本人はケチャップだと言い張るのですが、どう見ても女性の口紅。浮気を問い詰める中、ヒートアップしてしいまして、感情の制御ができなくなりこのような事態に……」

「あ、あぁ、それなんですけど……ケチャップです」

「え?」


 昨日、万次丸さんと銀之助くんは店に来ていた。ナポリタンを食べていた万次丸さんは銀之丞くんとの話に夢中になり、胸元にケチャップを付けてしまったのだ。


『あ、兄貴! それ早く洗わないとシミになっちゃいますよ』

『……いや、これはこれでええ』

『え、なんでですか?』

『んふっ。雪子のやつ、これを見たら口紅だと勘違いして嫉妬するんやないかと思ってな。ヤキモチを焼く雪子の姿が見たいんや。んふふ』

『そんな古典的な方法に引っ掛かりますかねぇ』


 見事に引っ掛かってしまったようだ。

 しかしその代償は大きなもので、万次丸さんがガチへこみしている姿が目に浮かぶ。ちょっとかわいそうだが、雪子さんを侮ってしまった結果である。


「そ、そんなことがあったんですね……私ったら、とんでもない勘違いを」

「万次丸さんが調子に乗った結果なんで、気にすることはないと思います。あ、2人が作った料理、どうでしたか?」

「とっても美味しかったですよ! 私は料理が苦手なのですが、それでも2人は『美味しい』と文句も言わず食べてくれてたんです。私からしてもとんでもなく不味いのに、なんだか申し訳なくて。でもこちらで料理を教わってからというもの、毎日張り切って作ってくれるんです。私も助かってますし、なにより美味しいご飯を食べるとこんなにも心が満たされるとは知りませんでした。本当にありがとうございます」

「あ、いえ、そんな……」

「ちなみに、あの時のお店での会話は聞こえていました。私の作ったカレーが不味いだの……地獄耳なので、悪口を言われている時はどこであろうと耳に入ってくるんです。私だって気にしているのに、人様がいる前であのような侮辱を……この件については本人たちを問い詰めて謝罪させました」

「悪口限定の地獄耳なんですね」

「世間的には鬼嫁と言われてしまいますが、鬼は私の夫。鬼を尻に敷く私は閻魔のごとく。おあとがよろしいようで……ふふっ、ふふふっ」

「いや、よろしくないよ」


 自分で言った言葉がよっぽど面白かったのか、肩を震わせながら笑う雪子さん。

 そして、未だに虎之介を叩き続け敵意剥き出しのはーちゃん。


 様子のおかしい美人と元気なおばあちゃんは、一体なにしに来たのだろうか。

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