第38話 料理指南と苦い過去
「はあ……食べ終わってしもた。なにもないこの皿さえも愛おしく感じてしまうほど、ワシは未練たらたらや。なぁ、もういっぺんやり直さへんか? お前のためならなんだってする! せやから、そないな顔で別れたいなんて言わんでくれ!」
「なにやってんスか?」
「おい、虎。お前は毎日こんな美味いメシを食うてんのか」
「まぁな。食うだけじゃなくて朝メシは毎日オレが作ってるし、最近ではまかないも任せてもらってる。ここで世話になり始めてから、料理も出来るようになったんだ」
「さすが虎の兄貴! 料理が出来る男はカッコいいっス!」
「ぐぬぬ……ワシかてカップラーメンくらいは作れる」
「お湯を注ぐだけっスもんね」
「……あ、せや」
なにか思いついたように椅子から立ち上がった万次丸さんは、こちらを見据えて勢いよく頭を下げた。
「え!? な、なに」
「あんちゃん、ワシに料理を教えてくれ!」
「じゃ、じゃあ、自分も!」
続けて銀之丞くんも頭を下げ、料理指南を仰ぐ2人に戸惑ってしまう。
「もしかして、虎之介に対抗して?」
「まぁ、それもあんねんけどな。ワシと銀はまったく料理が出来へんから、いつも嫁の雪子に任せっきりなんや。けど雪子も料理は苦手やさかい、作ってくれてる手前、不味くても文句は言えへん。せやけど、ワシらが料理を作れるようになれば雪子の負担も減ると思ってな」
「へえ。万次丸さんは奥さん想いなんだね」
「んふっ。せやろ? まぁ、ほんまは美味いメシが食いたいだけなんやけど」
「同感っス。
「なるほどね。それなら、簡単にできる料理を教えるよ。夜営業まで時間もあるし」
「おお! おおきに!」
「ありがとうございますッ!」
意外と優しい万次丸さんと、見た目通りの銀之丞くん。
しかしながら、雪子さんは仕事を掛け持ちしていると言っていたが、もしかしてこの2人は無職なのだろうか。他人の家庭事情に口を出すつもりはないが、ちょっとだけ複雑な気分だ。もし彼らに料理スキルが身に着けば、それだけでも雪子さんの負担は軽減する。ここは雪子さんのため、気合を入れて教えてあげよう。
てっちゃんからもらったクマさんエプロンを彼らに手渡し、厨房に案内して早速料理指南を始めた。一番簡単に作れるのは市販の固形ルウを使ったカレー、その材料を応用してめんつゆだけで作れる肉じゃが、きのこと調味料であえるだけの和風パスタ。味付けや材料の基本さえ覚えておけば、アレンジ次第でいろんな料理が可能なので、あとは2人のセンスに委ねようと思う。
じゃがいもや人参、玉ねぎを指示通りに切る万次丸さんの包丁捌きは器用なもので、大きさはまちまちだが一瞬のうちに具材の山が出来る。かたや銀之丞くんはゆっくりながらも均等に材料を切り、それぞれの性格が表れている。2人とも包丁を握るのは初めてらしいが、物覚えが早く順応性も高い。
「市販のカレールウはパッケージの裏面に作り方書いてあるから、それ通りに作れば問題なし。肉じゃがはカレーと同じ具材で、火が通るまで炒めたらめんつゆを入れて煮込むだけ。お好みで絹さやとしらたきを入れると、より肉じゃがっぽくはなるかな。和風パスタもめんつゆとバターで味付けするだけだから、めんつゆさえあれば応用が利くんだ」
「へえ、意外と簡単なもんやな。料理ってもっとこう、複雑で難しいもんだと思ってたわ」
「ほんとっスね。これなら自分も出来そうです!」
「まぁ、本格的に作ろうとすると難しいかもしれないけど、毎日の家庭料理なら市販の調味料を駆使すれば誰でも簡単に作れるよ。一通り教えたから、ここから先は2人にお任せするよ」
「合点承知!」
万次丸さんはひとつの鍋でカレー用と肉じゃが用の具材を炒める一方で、銀之丞くんはパスタを茹で始める。パスタの具材はしめじ、エリンギ、椎茸。刻んだにんにくと共にバターで炒め、めんつゆと茹で汁を少々加えた後にパスタを投入し、追いバターを加えれば完成だ。そんな作業の中、どうしても気になっていたことを彼らに聞いてみた。
「あ、あのさ、2人は無職なの?」
「なんでそうなるんや。ちゃんと働いとるで。もしかして、ヒモやと思ってるんか?」
「自分は引っ越し屋のバイトやってるっス」
「そ、そうなんだ。ちょっと安心。銀之丞くんは健全な仕事だとして、万次丸さんはなんの仕事やってるの? 取り立て?」
「あのな、ワシの仕事は保育士や」
「ほ、ほいく……」
「保育士や」
カウンターから2人の料理特訓を見守っていた虎之介と龍さんは予想外の回答に吹き出し、俺は驚きのあまり万次丸さんの顔を凝視した。このチンピラのような風貌で保育士だなんて、子供が怖がったりしないか非常に心配である。
「そういえば、デコは昔から子供が好きだったな」
「おい、『助』はどこにいったんや」
「ほう。見かけによらず、まともな仕事をしているというわけか。見直したぞ、デコ」
「えらい上から目線の子供やな。まぁ、子供の言うことには怒らへん。こう見えてもワシは園児たちに大人気なんやで。最近はごっこ遊びが流行っててな、桃太郎ごっこなんかは最後に鬼退治があるやろ? 鬼役のワシが迫真の演技で桃太郎一行を襲うんやけど、いつも園児らに袋叩きにされてしまうんや。『まんじ先生のおでこ広ーい!』言うてな、チャームポイントのデコばかり狙われんねん」
「馬鹿にされてんじゃねぇか」
「されてへんわ。愛のあるいじりや。まぁ、虎には分からんやろうなぁ」
子供にいじられるのは許容範囲らしい万次丸さんは、誇らしげな顔でルウを投入したカレーの鍋をかき混ぜつつ、肉じゃがの味の染み具合を確認する様子は初めてとは思えないほど手馴れている。話に加わらず料理に集中していた銀之丞くんも、パスタと具材を合わせたフライパンを器用に振り、香ばしいバターの香りを店内に漂わせていた。虎之介と同様、この2人も元人間なだけあって料理の才能がある。
元人間といえば……。
「虎之介。ずっと気になってたんだけど、人間だった頃なにかあったのか? 女性が苦手だってことにも関係あったりする?」
「なんだよ、藪から棒に。まぁ、黙ってても誤解されるばっかだし教えてやるよ。今から1000年前、良家に生まれたオレは、言わずもがな絶世の美少年だった」
「悪気がないことだけは認める」
「そんなオレの元に、女たちから大量の恋文が届くようになったんだ。だが、読まずに放置していたことで、女たちはどんどん過激になっていった。血文字で書かれた脅迫文や、自身の髪の毛や爪を入れた封書を送ってきたり、時には屋敷に押しかけて祝言を挙げろと喚き散らす女、不法侵入して夜這いを仕掛けてきた女もいた」
「うわぁ……そりゃトラウマにもなる」
「当時15だったオレは毎日が恐怖で、その元凶だった手紙を全部燃やしたんだ。その煙は黒く禍々しい怨念の塊となって、オレを飲み込んだ」
「えっ。そ、それでどうなったんだ?」
「自我を無くして鬼となったオレは街中で暴れまわっていたらしいが、意識がハッキリした頃には山奥いたんだ。いわゆる隠れ里だ。『キミは今日からここで暮らしなさい』ってオレをその場所に置いていったのは……あ、思い出した。
「そういえば、前に会ったことあるって言ってたもんな。そんな昔から
「まぁ、この過去の出来事がキッカケで女が苦手になった。だが、嫌いというわけではない。幸い、この店で知り合った常連の女性客のおかげで、昔よりも苦手意識はなくなったと思う」
「みんないい人たちだし、いい妖怪ばっかだもんな」
すると、万次丸さんと銀之丞くんも「そういえば……」と思い出したかのように、
虎之介も現世で暮らすようになって、昔のトラウマを克服出来ているようでなによりだ。モテるヤツにはモテるなりの悩みがあり、モテないヤツにはモテないなりの悩みもある。つまり、後者は俺のことだ。悔しい。
そんな話をしている合間に2人の料理は完成し、味見をすると非の打ち所がないほど完璧。2人この料理は雪子さんに食べさせたいと言うもので、それぞれタッパーに詰めて渡すことにした。
「雪子さん、喜んでくれるといいね。今度お店にも連れてきてよ」
「もちろん! ほんまにありがとな、あんちゃん。この恩は一生忘れへん!」
「自分、料理の楽しさに目覚めちゃいました。明日から毎日作ります!」
「それはよかった」
「おい、虎。お前はこんなにいい人間と巡り合えて、ほんまに幸せモンやな」
「ま、まぁ……そうだな」
「なに照れてんねん、きっしょ」
「あぁ? 照れてねぇし。さっさと帰れデコ助野郎」
「言われんでも帰るわ! これからは毎週店に来たるから、首洗って待っとけよ!」
「上等だコラ。徹底的におもてなししてやんよ!」
「はあ。相変わらずだなぁ。大史さん、本当にお世話になりました。タッパー、ちゃんと洗って返しますんで!」
銀之丞くんは虎之介と睨み合う万次丸さんを引き離し、腕を引っ張りながら会釈をして店を後にした。ちょっと疲れてしまったが楽しい時間でもあったので、新しい出会いに感謝だ。昔馴染みに再会した虎之介もやはり嬉しかったらしく、2人が帰った後もいつもに増して機嫌がよかった。
「よかったな、虎之介。友達と再会できて」
「べ、別に友達なんかじゃねぇよ。ただの腐れ縁だ」
「ぷぷっ。そのニヤけたツラでは説得力がないぞ……いひゃひゃっ、やえんは!」
虎之介は無言で龍さんのほっぺを両手でつまむ。
龍さんはいつも虎之介をからかうが、体格差で逆にいじり倒されるのが常だ。
それすらも楽しくてやっているので、なんとも平和な世界。
「急いで仕込みの準備するから、夜営業もよろしく頼むぞ」
「オレも手伝う。あいつらのせいで手間を取らせちまったからな」
「我も!」
相変わらず優しいね、キミたちは。
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