第41話 風邪っぴきと愛情メシ

 ——— 『38.7℃』

 表示された体温計の温度を見て溜息を漏らす。


 昨日、突然倒れてしまった俺は力が抜けたように意識が遠のき、気付くと自室の布団に寝かされていた。どうやら急な寒暖差で風邪を引いてしまったらしく、仕方なく夜営業は臨時休業することに。この日も熱が下がらず店は休業し、虎之介に連れられて病院へ行ってきたばかりだ。病人だというのに虎之介は俺を米俵のように担いだまま院内に入ると、看護師さんにこっぴどく怒られていた。


 ただの風邪なので薬を飲んで寝ていれば直るのだが、虎之介と龍さんは落ち着かない様子で、何度も様子を見に来ていた。


「大史、治ったか?」

「いや、龍さん。そんなすぐには治らないよ。熱もまだ下がらないし」

「そうか。我が雪だるまを作ろうと誘ったばかりに……」

「いや、オレの責任でもある。オレたちと違って人間は体が弱いってのに、すっかり忘れていた。すまねぇ」

「2人ともそんなに気にするな。元はと言えば、雪子さんを怒らせた万次丸さんが悪いんだから」

「それもそうだな。よし、今からあいつをシメてくる」

「我もあいつをボコってくる」

「物騒な言葉を使うんじゃないよ。行かなくていいから」


 心配してくれるのは嬉しいが、万次丸さんも真実を知った雪子さんに怒られているだろうから、そっとしておいてあげて欲しい。


「昼メシは好きなもの食べてくれ。俺は食欲がないからパス」

「食べないとダメだぞ。我がお粥を作ってやるから、待っておれ!」

「いや、ちょっ……」


 料理なんて一度も作ったことがないというのに、鼻息荒くキッチンへと向かった龍さん。


「龍の言う通り、メシを食わないと治るもんも治らねぇよ。オレがあいつの様子を見てるから、心配するな」

「まぁ、それなら……」


  龍さんの後を追ってキッチンに向かった虎之介を見届け、起こしていた体を横にする。やはりまだ怠さが抜けきらず、ぼんやりする頭を休めることにした。風邪を引くとなぜだか心細くなるものだが、幸いにも今の俺はそういった感情とは無縁である。むしろ賑やかすぎるくらいだが、孤独感を紛らわせてくれるので虎之介と龍さんには感謝したい。


 それから1時間ほど経った頃。

 

 ——— スパーンッ

 勢いよく自室の襖が開けられ、龍さんは1人前の土鍋と器を乗せたおぼんを持って部屋に入ってきた。背後から「もっと静かに開けろ」と注意をする虎之介だが、そんなことはお構いなしに枕元におぼんをどんっと置く。


「大史! 風邪は治ったか?」

「龍さん、1時間じゃ風邪は治らないかな」

「そうか。ならば、我が作ったお粥を食べて風邪を治せ! 虎がごちゃごちゃと口を挟んできたが、我が1人で作ったのだぞ!」

「こいつが言うこと聞かなかったからよ、味の保障はできないが食べてやってくれ」

「龍さんが1人で……そっか、ありがとう。じゃあ、いただこうかな」


 土鍋の蓋を開けると、白いお粥の上には赤と薄黄色の野菜らしきトッピングが散りばめられていた。 茶碗によそうと、土鍋で丁寧に炊かれた米は水分を残してちょうどいい柔らかさ。レンゲに謎のトッピングと共にお粥をすくい、冷ましながら口に運んだ。


「……あ、これ梅干しと生姜だったのか」

「そうだぞ。体にいいからな、いっぱい入れたのだ! 美味いだろう?」

「う……うん。美味いよ」

「ふふんっ! 我も料理は出来るのだ! 見たか、虎よ」

「おい、大史。無理するんじゃねぇぞ」

「いや、無理なんてしてないぞ。生姜の効果か、なんだか体が温まってきたような……ははっ」


 正直に言うと、とてつもなく辛くてしょっぱい。

 生姜を入れすぎなのと、梅干しの塩気とは別に、恐らく塩も足したのだろう。刺激的な味に体が驚いたせいか、妙な汗が噴き出てくる。しかし、これはこれでなんだか風邪が早く治りそうなので食べ進めていると、虎之介はおたまでお粥をすくって自らの口に運んだ。


「お、おい、虎之介……」

「んぐっ……こ、これは」

「どうだ、虎! 美味いか?」


 顔をしかめながら何とか飲み込んだ虎之介は少し考えたあと、ぽつりと呟いた。


「……美味い」


 その言葉を聞いた龍さんは、目を輝かせながら満面の笑みで喜んだ。


 虎之介のことだからてっきり「不味い」と言うのかと思いきや、初めて料理を作った龍さんの気持ちを汲んで、お世辞を言うとは驚きだ。そんな俺も同じ思いだった。慣れない料理を一生懸命作ってくれたなので、味なんかよりもその気持ちがなによりも嬉しいことを、きっと虎之介も理解している。


「龍さん、ちょっと喉が渇いちゃったから水を持ってきてくれるかな」

「あいわかった!」


 龍さんが再びキッチンに向かうと、虎之介は大きく溜息をつく。


「お人好しめ」

「虎之介こそ」

「龍が大史の風邪を治すって張り切ってたからよ、その気持ちに水を差すわけにはいかないだろ。お前がいないと店の営業も出来ないし、オレたちは暇を持て余すだけだからな。薬を飲んだらとっとと寝ろよ」

「わかってるよ、ありがとな」

「……おう」


 頭をぽりぽりと掻きながら、虎之介は部屋から退室した。感謝を伝えると照れる癖は相変わらずで、その様子は見慣れたものだ。


 龍さんが持ってきてくれた水で薬を飲むと、タイミングよく眠気が襲ってきたのでそのまま眠りにつく。たまには甘やかされて優しくされるのも悪くない。


 ……

 ……

 ——— ガタンッ、バタンッ


 物音で目が覚めて時計を確認すると、午後7時半。

 虎之介と龍さんは夕飯を食べたのだろうか。


 ぐっすり眠れたおかげか体も楽になり、熱も引いたような感覚だった。上半身を起こしたところで、ドタドタとこちらに向かって来る足音が聞こえ、部屋の襖がスパーンッと勢いよく開く。


「静かに開けろと言ったのは誰だっけ」

「す、すまん。そんなことより、見ろよこれ!」

「……なにそれ、どうしたの?」


 虎之介が抱えている段ボールの中には、アスパラやトマト、キャベツ、きゅうりなどの野菜、料理が入った鍋やタッパー、保冷バッグ、酒の一升瓶、丸鶏が2羽……。それぞれにメモらしき紙が貼られている。


「夕飯の買い出しに行こうとしたら、店の入り口に段ボールが置かれててよ。誰の仕業だが知らないが、全部お前宛てだ」

「え、俺?」


 メモを詳しく見てみると、こんなことが書かれていた。


『風邪の時は水分補給が必要だと同僚から聞きました。きゅうりを差し上げるのは惜しいですが、どうぞお体をお大事に』


 これは河合さんか。大好きなきゅうりをくれるなんて優しいな。


『ワシのせいで風邪を引かせてしもうて、ほんまにすまんかった! お詫びに肉じゃがときんぴらごぼう、おいなりさんを作ったさかい、みんなで食べや』


 いつの間にか家庭料理をマスターしていた万次丸さん、さすがだ。


『てっちゃんとゼリーを作りました。早く風邪が治るといいね』


 保冷バッグの中身はプラ容器に入った果物入りゼリー。きっとヤマさんだ。


『風邪を引いた時は酒! 酒を飲めば万事解決よ!』


 達筆に書かれた文字は恐らく美影さん。彼女の体内の水分はほぼ酒らしい。


『手塩に掛けて育てた鶏です』


 え、誰?


 鶏を飼育している知り合いなんていただろうか。肉屋の松さんは絶対に違うし、鶏に由縁のある人といえば、から揚げ好きの……いや、まさか、そんなはずは。恐らく、風邪に効くと言われている参鶏湯サムゲタンでも作って食べろということだろう。


「ところで、なんでみんなは俺が風邪だってこと知ってるんだ?」

「休業するっていうから、張り紙を作ったんだ。龍が」

「龍さんが?」

「おう。これだ」


 虎之介が渡してきたはA4サイズの紙には、慣れない字で書かれた平仮名文字が。

 ——— かぜをひいた。やすむ。

 その下には俺の似顔絵らしきものが描かれていて、これを見たみんなが心配してくれたのかもしれない。ここまでしてくれるなんて想定外だったが、常連客の温かさが身に染みる。それに龍さんも。


「龍さんは?」

「さっきまで自分が夕飯を作るって聞かなくてな。散々言い合いした挙句、疲れて居間で寝てる」

「そうか。龍さんも今日は頑張ってくれたし、せっかくだからこれみんなで食べよう。熱も下がったみたいだし、体調もいいから」

「そりゃよかった。あいつも喜ぶぞ」


 俺の周りは優しい人や優しい妖怪ばかりだ。

 身内がいない俺にとって、この店の存在こそ心の拠り所であり、俺自身の存在意義を認識させてくれるもの。もし1人で孤独に生きていたなら、人として大事な本分に気付かずにいたことだろう。


 心から『ありがとう』と思えるこの日々が特別であることを。

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