第35話 マダムたちの団三郎ファンクラブ

 今にも捕食されそうな威圧感に硬直していると、すかさず間に入り込んだのは龍さんだった。俺を守ってくれるなんて、なんて優しい子なんだ。


「おい、お姉さんたち! 我は大史の子供ではないぞ。なんせ、こやつは意気地なしであるからそのような行為など」

「それ以上はやめて」


 前言撤回したい。

 慌てて龍さんの口を塞ぐと、マダムたちは「あら」「まあ」といった感嘆詞を上げながら、お上品に笑い始めた。


「まだ若いんだから、いくらだってチャンスがあるわよ」

「私があと20歳若かったらねぇ、んふふっ」

「やだもう、田中さんったら。それセクハラってやつよ」

「大史くんはウブなんだから、そんなにイジメないであげて」

「あら、お兄さんそういった経験ないの? 可愛らしいわね」


「いや、そ、そ……そこそこありまぁす!」


 俺は一体、なにを言っているのだろうか。

 顔が真っ赤になっているのが自分でも分かるほど、この状況が恥ずかしすぎて全身から汗が噴き出てくる。なぜ俺がこんなにも被害を被っているのか分からない。


 そんな俺の背後から顔を出した俊彦さんは、和恵さんの姿を見て安堵しているようで、大きなため息を吐いた。


「和恵、なにをやっているのかと思えば……」

「あら、あなた。なんでここにいるのよ」

「あぁ……えーっと、事情を説明するとね、俊彦さんは和恵さんの浮気を疑っていたんだよ。団三郎さんとの浮気を」

「え! やだ、なに言ってるのよ。私が団三郎様と浮気だなんて」


 和恵さんの言葉を皮切りに爆笑するマダムたち。なにがそんなに面白いのか分からず、俺も俊彦さんも困惑してしまう。その様子を見ていた団三郎さんは申し訳なさそうにしながら、俊彦さんに向き直った。


「ご主人、あらぬ誤解を与えてしまって申し訳ございません。和恵さんを含め、こちらのマダムたちは、わたしのファンクラブの会員さんなんですよ。わたしとしては、このようなことは恥ずかしいので止めて欲しいと申したのですが……ファンクラブの会長である猫屋敷さんの強い要望で設立した次第です。週一回はこのようにみなさんで集まり、店の料理を食べていただきながら、チェキ会とハグ会をおこなっております。今度、スーパー銭湯の宴会場を貸し切って、わたしの歌謡ショーをやることになりましてね。いやあ、困っちゃいました」


 謙遜しながらも、本格的なファンクラブ特典。スーパー銭湯で歌謡ショーだなんて、なかなかに中年女性の好みを得たイベントだ。店では料理を注文してもらえるので、団三郎さん的にもまんざらではない様子。やはりりこの狸、やり手である。


「というか、猫屋敷さん会長なんですね」

「ええ、そうよ。団三郎様が店を出す時、うちの店に相談に来たの。彼の実直な思いに胸を打たれてね、心から応援したくなったのよ。それに、とても男前でしょう? だから同志を集めて、ファンクラブを結成したの。和恵さんのご主人も、よかったら会員にならない? 奥さんが浮気をしないか、お目付け役が必要でしょ」

「やぁだ、もうサマちゃんったらぁ!」

「サ、サマちゃん……」

 

 再び爆笑するマダムたち。

 独特なノリについていけないでいると、団三郎さんは困惑する俊彦さんの手を取り、真剣な眼差しでこう言った。


「和恵さんのご主人、お名前は?」

「と、俊彦ですけど」

「俊彦さん、素敵なお名前ですね。これもなにかの縁。わたしは一目であなたに惹かれてしまいました、俊彦さん」

「えっ」

「わたしたちと一緒に楽しいひと時を過ごしてみませんか? 年会費は5000円ですが、それ以上に至福の時間を提供します。俊彦さん、あなたは奥さん思いでとても素敵な人です。ですが、少しばかり嫉妬してしまいますね。ほんの一瞬でも、その思いをわたしに向けてはくれませんか? わたしはあなたの太陽になりたい」

「わぁ……こんな色男に口説かれるの初めてだぁ……」

「俊彦さん?」


 色めき立つ周囲の絶叫の中、完全に落ちてしまった俊彦さんは、乙女のようなキラキラとした眼差しで団三郎さんを見つめている。どこでそのようなテクニックを学んだのか、団三郎さんはいつの間にか人たらしになっていた。


「おれ、ファンクラブ入るよ。あんたのために」

「ありがとうございます、俊彦さん。今日は新しい会員さんが入ってくれたので、お礼として皆さんに特別ドルチェをご用意しますね。蕎麦粉を使ったパンケーキやアイス、シフォンケーキの盛り合わせです。俊彦さんもぜひ食べて行ってくださいね」

「おお、もちろん!」

「我も!我も会員になるから、どるちぇなるものを食べさせろ!」

「おや、龍さんも会員になってくれるとは嬉しいですねぇ」


「……」


 盛り上がる輪の中で1人だけ取り残されてしまった。

 俺、なにしに来たんだっけ。


 ただ恥をかかされただけの俺はひっそりと店に戻り、溢れ出そうになる涙を必死に堪えていたが、虎之介の顔を見た途端に決壊する。


「おかえり……って、おい、なにがあった!」

「虎之介ぇ、お、おでぇ、なんか知らないけど笑い者にされでぇ、なんかぁ、虚勢を張った自分が恥ずかしくでぇ、ずびっ」

「よく分からねえが、まぁ落ち着けよ。まかないでそばメシを作ったんだが、食べるか? 今回は上手く卵が割れたからよ、トッピングに目玉焼きを乗せてみたんだが」

「食べるに決まっでるだろぉ!」

「お、おう」


 虎之介が作ったそばメシは、なぜだかとてもしょっぱかった。しかし、どこか懐かしく素朴な味わいの手料理は、傷つけれた自尊心を癒していってくれたのだ。

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