第29話 我の優雅な日常、時々鬼
我が人間界にやってきてからというもの、悠々自適な生活を送っている。
代々メシ屋を営む大史と、小言の多い赤鬼が毎日せかせかと働く中、我の日課といえばテレビ鑑賞である。この世には未知の食べ物が多く存在し、テレビを通じて食への好奇心は高まるばかり。
先日は『ろーすとたーきー』が食べたいと大史に伝えたところ、この辺りで七面鳥を売っている店はないと却下されてしまう。しかし、しょんぼりする我の可愛さに屈したのか、大史は少し考え込んだあと『ろーすとちきん』なら作れると提案をしてきた。七面鳥よりも一回り小さい鶏の姿肉であったが、テレビで見た丸焼きを作ってくれたのだ。
虎は大史を困らせるなと言うが、困らせたいわけではない。
我の食欲が収まらぬだけなのだ!
テレビを観て過ごす日々にも少しばかり飽きてきてしまった頃。営業時間になり、人の声で賑わう店の様子をこっそり見に行くと、人間たちは美味そうなメシを楽しそうに食べていた。大史と虎も生き生きと働き、活気溢れるその場所に我も加わりたいと思うようになった。
決して寂しいなどとは思っていない!
そんなある日のことだった。
大史は占いとやらに出かけ、昼メシは好きに食べろと言われたため、虎はこんな提案をしてきた。
「団三郎の店に蕎麦でも食いに行くか」
「 行く! 外看板にあった蕎麦アイスとやらが食べたいのだ! 10皿食べる!」
「そんなに食ったら腹を壊すだろ、2皿までだ。そもそもオレの金で食いに行くんだから、少しは遠慮しろ」
「むむ。けちん坊め」
「しかしだな、1つ問題がある」
虎は我を抱え上げ、まじまじと見つめる。どうせまた「肥えすぎだ」などと、説教を垂れる気なのだろう。確かに、最近は体が重くなり歩くのも億劫である。しかし、こんなわがままぼでーの我を、大史は可愛いと言う。家主がそう言うのだから、痩せる気など毛頭ないのだ。
「我にダイエットをしろと言っても無駄だぞ」
「そうじゃなくてよ、お前は人の姿になれるんだろう? 飲食店ってのはペット禁止の店もあるから、外にメシを食いに行く時くらいは人の姿になったらどうだ」
「うむ……それもそうだな」
愛らしい犬の姿だとペットだと思われてしまうため、買い物に行ってもいつも外で待たされる。人の姿になるとしばらくは元の姿に戻れないので面倒であったが、外食のためならば致し方ない。
虎から下りた我は霊力を解放し、金色の光を放ちながら人の姿へと成り変わる。
「ふふん。どうだ!」
「なんで子供の姿なんだよ」
「この姿のほうが便利なのだ。可愛らしいほうが大史も甘やかしてくれるし、動きたくない時には虎が抱えてくれるからな」
「お前ってヤツは……」
虎は呆れながらも、我の頭をわしゃわしゃと力強く撫でる。小言の多い虎だが、何だかんだで世話焼きの
「早く蕎麦屋に行くぞ! アイスが売り切れてしまう」
「はいはい」
ここからはす向かいに、狸の蕎麦屋がある。
あの事件以来、心を入れ替えた団三郎という狸は、大史の先祖がやっていた『みかみそば』を受け継ぐこととなった。3日前に新装開店したばかりで、連日客入りが良いようだ。
虎と共に店へ入ると、狸は驚いた顔をしながらこちらに駆け寄ってきた。
「これはこれは、いらっしゃいませ。虎之介さん、そちらのお子さんは? もしやあなたの……」
「違う。断じて違う。こいつは龍だ」
「狸よ、ぬしは心を入れ替えて励んでいるようだな」
「なんと、龍さんでしたか。愛くるしい姿は相変わらずですねぇ。いらっしゃってくれて嬉しいです。お席へご案内しますね」
我の可愛らしい人の姿を褒めるとは。見る目があるな、狸よ。
店内はほぼ女性客で埋め尽くされ、なぜこんなにも流行っているのか謎である。この店の売りは蕎麦だが、蕎麦以外にも蕎麦粉を使った多種多様な料理を出しているらしい。新しいもの好きの女人というのは、どの時代も変わらぬものよ。
席に案内されると、虎はもりそばを、我は蕎麦アイスを10人前注文。しかしながら当然却下されたので、仕方なく2人前で折れてやった。
運ばれてきた蕎麦アイスはガラスの容器に入り、アイスの上には黒蜜ときな粉、白玉が添えられている。一口食べると蕎麦の風味と黒蜜の甘さが口に広がり、香ばしいきな粉が合わさることで絶妙な味わいとなる。もちもちした白玉も、冷たいアイスとの組み合わせは最高に美味だ。
「ふふん♪」
「美味そうに食べるなぁ、お前は」
「虎こそ、蕎麦の味はどうなのだ」
「まぁまぁだな。おやっさんの味には及ばねぇよ」
そんなことを言いながらも、虎は3人前のもりそばを数分で平らげていた。素直に美味いと言えばいいものを、こやつは元主の蕎麦がよっぽど好きだったのだろう。
「ところで、虎よ。この姿なら我も大史の役に立てるだろうか」
「お? お前がそんなことを言うなんて珍しいな。店の手伝いがしたいのか?」
「まぁ、そんなところだ」
「皿洗いとか、簡単な仕事なら出来るだろうな」
「そうか。ならば、しばらくこの姿でいるとしよう」
「大史のヤツ、帰ってきたら驚くんじゃねぇか?」
確かに、突然人の姿になった我を見て驚かないはずがない。しかも、こんなにも可愛らしい。大史が帰ってきたら、この姿を存分に自慢してやろう。
家に戻るとまだ大史の姿はなく、店で帰りを待つことにした。だが、いくら待っても帰ってくる気配はなく、暇を持て余していると虎はオレンジジュースを出してくれた。店で飲むジュースの味はなぜか格別で、何度もおかわりを要求。虎は「夜中におねしょするなよ?」なんて言っていたが、我はそのような粗相はしない。
そんな会話をしていると、入り口の戸が静かに開く。
そこに目線を向けると、大史はなぜか青白い顔でこちらで見つめていた。どうやら我であることを認識していないらしい。震える声で誰かと問うてきたので、正体をバラそうと思った時……。
——— バタンッ
大史はその場に倒れ込んでしまった。
「ど、どうしたのだ!」
「大史!?」
慌てて駆け寄ると、血の気のない顔で白目を剥いている大史。しかし、呼吸があり心臓も動いていたので、ただの気絶らしい。
具合が悪かったのか、はたまた我の可愛さに恐れをなしたのか。
虎は大史を抱えて2階の居間に運び、しばらく様子を見ることにした。このまま目を覚まさなければ、病院とやらに連れて行くと言っていたのだが……。
試しに大史の頬をペチペチと叩いてみると、眉間にシワを寄せ始めた。
「……ん?」
「お、目が覚めたか!」
大史の顔を覗き込むと、目が合った瞬間にヤツは絶叫した。
「ハッ! わあぁーーーーーっ!」
「大史よ、落ち着け。我だというのがわからんのか」
「……その声は龍さん? 龍さんなのか? よ、よかったぁ…その金色の瞳、どおりで見覚えがあると思った」
我だと認識すると、大史は安堵したかのように盛大に溜息をもらす。なにがあったのか聞いてみると、なんとも珍妙な事情だったことに呆れてしまう。
「ぶふっ。要するに、大史は龍の姿を見て自分の子供だと思ったわけか」
「笑うな」
「そこまで動揺するとは。さては昔、なにか思い当たることでもあったのだな?」
「え……それがよく覚えてないんだよ。あの時は酔い潰れてホテルの前にいたんだけど、知らない女性と一緒にいた記憶があって……」
「ふむ。ならば、ぬしの過去の記憶を見てみよう」
「そ、そんなこと出来るの!?」
「我を誰だと思っておる。神だぞ」
大史の額に手を当て過去の記憶を遡り、対象となる10年前の出来事に焦点を絞る。すると、結婚式とやらで周囲の人間と盛り上がっている記憶に行きついた。
「この当時はかなり酒を飲んでいるな。会場から出てきた大史は、ふらついた足で帰宅しようとしているようだが……道路のど真ん中で寝てしまっている」
「えっ、嘘、ほんと?」
「しかし、偶然通りかかった女人が大史を引きずり、ホテルの前まで移動をさせた。ぬしはその女人に礼まで言っているのに、覚えていないとは」
「ということは、その女性とはそれっきり何もなかった……?」
「ないな。面白いものが見れると思ったのに、つまらん」
「よかったぁ……っていうか、これ以上はなんか恥ずかしいから見ないで!」
大史は我の手を退けると、先ほどまで顔面蒼白だったくせに今度は赤面している。
まったく、忙しいヤツよ。
「ところでさ、なんで龍さんは人の姿になってるの?」
「外食行くのに不便だと思ってよ、人の姿になってもらんだ。それと、龍は店を手伝いたいらしいぜ。大史の役に立ちたいんだとよ」
「え、龍さんが……?」
「な、なんだその阿呆面は。我もここで世話になっているからな。簡単な仕事くらいは出来る」
すると、感極まった大史は我を力強く抱きしめた。息が苦しくなるほど締め上げられ、今にも内臓が飛び出そうになる。我が生身の人間であれば、とっくに潰れているだろう。
「龍さぁぁぁん! ありがとう! 我が子の成長がこんなにも嬉しいなんて……!」
「く、苦しい……ぬしは何を言っているのだ。我は子供ではないぞ」
「これが親心というものか……尊い」
大史のヤツめ、気でも触れたのだろうか。
しかし、これもこれで悪くない。
人の温かさに触れるのは心地いいので、いっそのこと本当に大史の子供として過ごしてみるのも楽しそうだ。大史の願いを叶えてやる最後の日まで、我はこの日常を謳歌することにしよう。
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