第25話 紳士とベーコンエッグドリア

「龍さん。つまみ食いはよくないぞ。すぐまかないを作るから、おとなしく待っていてくれ」

「むむ。ぬしは最近惚けているせいか、我のまかないを忘れているではないか」

「それはごめん。別に惚けているわけじゃ……」

「ああ、この前の“もとかの”っていう女のせいか。確かに、あれ以来様子が変だよな。たまに1人でニヤけてるし、本当に気持ちが悪い」

「それは言い過ぎだと思います」


 昼営業が終わる間際。

 またしてもまかないの準備を忘れていたため、店に下りてきた龍さんは厨房に立ち入り、カリカリに焼いたベーコンをつまんでいた。今日はベーコンエッグドリアを作ろうと思っていたが、龍さんのドリアはベーコン抜きにしておこう。ついでに誹謗中傷をしてきた虎之介も同罪だ。


 先日、元カノである智香が店に訪れてからというもの、なにをするにもうわの空になってしまっていた。もしかしたら、智香とまたやり直せるかもしれない。そんな淡い期待を抱き始め、浮足立つ気持ちを抑えきれずにいた。


 しかし、まだ時期早々。再会したばかりなのに、よりを戻したいなんて言えるわけがない。言うにしてもどのタイミングがいいのか。ここは智香に教えてもらった占い師に相談するしかない。


 まかないのドリアが完成したところで、店の戸が開く。


 ——— ガラガラ


「おや、もう営業は終わってしまったのかね?」

「いらっしゃい。いえ、まだ大丈夫ですよ。お好きな席へどうぞ」

「ありがとう」


 営業時間内ギリギリに来店したお客は、なんともお洒落な初老の男性だった。こげ茶の着流しに、袖なしの外套がいとうを羽織り、黒のハットを被っている。丸メガネがよく似合い、まるで明治から大正時代の紳士のようだ。


 男性はカウンター席に腰を下ろし、ハットを脱いでテーブルの上に置いた。


「この店は、なにがおすすめなんだい?」

「うちは全部おすすめですよ。メニューもたくさんありますんで、食べたいものがあれば言ってください」

「食べたいものか……この香ばしい匂いはなんだろうか?」

「あぁ、まかない用に作ったドリアです。半熟卵とカリカリに焼いたベーコンが乗ったもので……よかったら食べます?」

「いいのかい? ではそれをいただこうかな。まさかこのような店になっていたとはね。嬉しい限りだ」

「え?」

「すまない、独り言だ」


 懐かしむように店内を見渡す男性は、昔の常連客なのだろうか。不思議な雰囲気だが妖怪の匂いは感じられず、ただの人であると認識した。


 出来上がったばかりのドリアをお客の目の前に差し出すと、初めて目にするかのように驚いていた。


「これがドリアというものか。表面の白いものはなんだい?」

「ホワイトソースとチーズです。中にはご飯が隠れていて、真ん中の卵を潰しながら召し上がってみてください。あ、まだ熱いので気を付けてくださいね」

「ほわいとそーす……外国の料理か。初めて食べるなぁ。では、いただきます」


 男性をスプーンで半熟の卵を潰し、一口分をすくって冷ましながら口に運ぶ。無表情だったので口に合うかどうか不安だったが、食べ進める様子を見てほっと一安心。


 その男性の隣にはいつの間にか龍さんがちょこんと座り、物珍しそうに男性を見つめていたのだ。


「あ、こら龍さん! 龍さんの分はこっちにあるから」

「おや、可愛らしいお客さんもいるもんだ。キミはもしかして……あの神棚に祀られているんじゃないか? こうやってお目にかかることが出来るなんて、なんとも光栄だよ」

「お、やはりぬしは只者ではないな。そんなぬしこそ、この世の者ではないな」

「ははっ。よく分かったね」


「え。待って、状況が把握できない」


 男性は龍さんの存在をあたかも知っているような口ぶりで、尚且つ龍さんも男性は『この世の者ではない』と言う。妖怪ではないとするなら、この人は一体……。


「いやあ、美味しかった。この白いそーすとやらは、濃厚で食べたことのない味だった。それに、上に乗せられたべーこんという薄く香ばしい肉も、塩気と食感がいい塩梅だったよ。昔と違って、現代では外国の料理も普及しているんだね」

「あ、ありがとうございます。あの、あなたは……」

「いやいや、ただの通りすがりだよ。美味しい食事をありがとう。払いはこれで足りるだろうか。現代の紙幣は持ち合わせていなくてね」


 そう言って目の前に差し出されたのは、『百圓』と印字された見たことのない紙幣だった。日本の紙幣であることは確かだが、かなり昔のものではないかと推測する。


「あ、はい。多分。でもなんだか貴重なもののような……」

「釣りはいらないよ。またこちらに来れることがあったら、ぜひお邪魔しよう。神様、これからもこの店と私の子孫をよろしく頼む。それと、虎之介によろしく伝えておいてくれ」

「うむ。達者でな」

「えっ、あ、あの……!」


 優しく微笑んだ初老の男性は、一瞬の瞬きの隙に消えてしまう。


 男性が座っていた席には神棚に閉まっておいたはずの料理帖が置かれ、とあるページが開かれていた。


「……もしかして」


 そんな出来事をがあったとはつゆ知らず、まかないを食べずに待っていた虎之介は、痺れを切らして厨房から顔を出す。


「おい、先に食べてもいいか? なんだ、客はもう帰ったのか」

「……ああ、虎之介によろしく伝えてくれってさ」

「オレに? 一体誰が」


 開かれたページの落書きを指差すと、驚いた顔をしながらも一時の間を置いて、「そうか」と静かに呟いた。


「紳士でいい人だったよ」

「……あいつは寿命をまっとうしたようだな。まったく、なにしに来たんだか」

「そんなに寂しそうな顔をするなって。また来るって言ってたぞ」


「……別に寂しくなんかねぇ。それより、腹が減った」

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