第24話 元カノと牡蠣の卵雑炊②

 智香の実家は鮮魚店で、近隣でチェーン展開をする大きな会社だ。祖父母の代から取り引きしているため、今でも智香の実家である鮮魚店から仕入れをしている。智香と別れたあと、それを申し訳なく思った親父さんは、度々サービスをしてくれるようになった。店としては嬉しい限りだが、逆に申し訳なくなってしまう。


 先ほどの恋愛エピソードを気に入ってしまった玉藻さんとてっちゃんは、興味津々で智香に話しかけていた。恋バナが大好きな玉藻さんにとって、多国籍恋愛経験が豊富な智香の話はドンピシャなのだろう。


「ねぇねぇ、他にはどんな国でどんな恋をしてきたの?」

「そうですねぇ、40カ国は回ったので、その土地で様々な出会いがあったんですけど……。とある国に行った時は真冬の真っ只中で、パブで知り合った男性がいたんですよ。意気投合して付き合うことになったんですけど、犬ぞりでデートするのが定番だったんです。料理が得意な彼は体を冷やしたらいけないと言って、よくボルシチを振る舞ってくれたんですよね。それがまた美味しくて……」

「犬ぞり、ボルシチ……わかりました! ロシアですね?」

「正解!」

「はあ。広大な雪原で犬ぞりデートかぁ。なんだかロマンチックよねぇ。憧れちゃう」


 どうしても話の内容が気になってしまい、聞き耳を立てながら牡蠣の殻をむいていた。智香とはもう別れたのだから俺には関係のないことだが、少しだけモヤモヤしてしまう。


「冬のロシアもすごくよかったんですけど、暑い国にも行きましたよ。あれは3年前だったかな……。とある村に着いた時、日本人が珍しかったみたいですごく歓迎されたんです。ジャンプダンスっていう歓迎の踊りで、男性は女性に身体能力をアピールするチャンスでもあるんですよね。そんな中、熱烈なジャンプでアピールしてきた彼と付き合うことになったんですけど、彼は村一番の戦士だったんです」

「ジャンプダンスに戦士……あ、もしかしてケニアのマサイ族ですか?」

「正解です! その彼は狩りで得意で、ライオンも仕留めるほどの腕前なんです。そんな彼のお母さんが作ってくれた豆のスープ、あれも素朴な味わいで美味しかったなぁ」

「狩りのできる逞しいオトコって素敵よね。アタシも熱烈なジャンプで歓迎されてみたいわぁ。ていうか、最終的に食べ物に行きつくのね」


「ふふっ。そういえばそうですね。私、食べることが大好きなので。私が海外に行ったのは、全部占い師さんの受け売りだったんです。引っ込み思案な性格を変えたくて相談したら、『あなたはこんな狭い世界に留まっていたらダメ。自分の精神世界を築き上げて、いろんな恋をして経験を積むと、必ず石油王と結婚できる』って言われたんです。大史くんには申し訳ないなと思いながら、どうしても石油王に目がくらんでしまって……」

「そ、そう。素直で正直なのね」


 まさか占い師の助言で突飛な行動をしていたとは初耳だった。さすがに俺も石油王が相手なら敵うはずもない。確かに昔は引っ込み思案な性格だったが、それを行動に移す時点でもはや引っ込み思案ではなくなっている気がする。石油王と結婚寸前までこぎつけたのだから、占い師の助言もあながち間違ってはいない。


 俺も今度、その占い師を紹介してもらおうかな。

 

「だけど、またこうやって戻ってきたじゃない? 日本が恋しくなっちゃった?」

「そうですね。長く海外にいると、どうしても日本食が食べたくなっちゃって。特に、大史くんが作ってくれた牡蠣の卵雑炊が。付き合っていた頃、風邪で寝込んでいた私のために、冷蔵庫の有りもので作ってくれたんですよ。牡蠣が大好きなので、牡蠣だけは冷蔵庫に大量常備してたんです」

「牡蠣を常備してる女の子なんて初めて聞いたわ」

「実家が鮮魚店をやっているんですけど、父が私のために大量に牡蠣を仕入れてくれるんですよ。あの時、大史くんの料理を食べたら不思議とすぐに元気になったんです。だから今でも大好きで思い出の味です」

「なるほどね。その気持ち分かるわぁ。大史ちゃんが作る料理って、なぜだか力が湧いてくるのよね。食べた直後なら、ボクシングのヘビー級王者にもワンパンで勝てる気がするもん」

「わあ、そんな男らしい玉藻さんも見てみたいです!」

「えっ。じゃ、じゃあ、ちょっと今から殴り込みに行こうかしら……」


「行かなくていいよ」


 席から立ち上がろうとする玉藻さんを制した。妖怪である玉藻さんなら、素手で勝負しなくても念力だけで倒せそうな気もするけど、『男らしい』というワードにどうも敏感らしい。


「お待ちどうさま。牡蠣の卵雑炊ね。今日、たまたま智香の親父さんから牡蠣を大量に仕入れていたんだ。安くするって言うから、つい」

「そうだったの? 多分、お父さんは私が大史くんの店に行くこと知ってたのかもしれないね。はあ、この和風だしの香り……美味しそう」

「熱いからゆっくり食べな」

「うん。いただきます」


 小振りの土鍋で提供した卵雑炊には牡蠣がたっぷりと入り、仕上げに三つ葉を散らした。味のアクセントに生姜を加え、肌寒い時期には体も温まる栄養満点雑炊だ。


 とんすいに一人前の雑炊を盛り付け、牡蠣と共にレンゲですくったそれを、智香は息を吹きかけながら湯気を冷ます。口に運ぶと少々熱かったのか眉間にシワを寄せるが、次の瞬間には目尻が垂れさがっていた。


「おいひい……牡蠣の旨味と優しい卵の風味が口に広がって、ほっとする味わい。それに出汁の染み込んだご飯も、舌の上でほどけていく……雑炊は飲み物だったのね」

「飲み物ではないかな」


 そんな智香の様子を見つめていたのは、すでにチーズ豆乳鍋を食べ終えた玉藻さんとてっちゃんだった。ガン見されると食べずらいものだが、智香は気にすことなくどんどん食べ進める。


「美味しそうねぇ……さっきのチーズ豆乳鍋は3人前食べちゃったけど、なんだかお腹空いてきちゃった」

「わたしもです。牡蠣、いいですねぇ……」


 チラッとこちらを見てくる2人の考えていることは、思考せずともお見通しだ。


「牡蠣、食べる? 生でもいけるけど、網焼きにすると旨味が凝縮されてもっと美味しくなるよ。シンプルにレモンやポン酢をかけてもいいけど、ネギ塩ダレやサルサソースもよく合うんだ」

「食べる!」

「わ、わたしも!」


 2人が大声で返事をするものだから、他のお客も牡蠣の存在に気付き始め、「こっちにも牡蠣を!」と次々に注文が入ってきた。すると、虎之介はお客たちにこんな言葉を投げかける。


「おい、あんたら。牡蠣を注文するのはいいが、酒が足りてないんじゃないか? せっかく美味い牡蠣が食えるんだから、空いたグラスじゃ野暮ってもんだぞ」

「確かに……じゃあ、ビール追加で!」

「こっちには冷酒を2本!」

「アタシたちにも熱燗ちょーだい!」

「そうこなくっちゃな。毎度あり」


 さすがだぞ、虎之介!

 ほろ酔いだったお客たちは牡蠣のおかげでテンションが上がり、ひっきりなしに酒の注文が入る。酒は利益率が高いので、どんどん注文してもらいたい。本当は牡蠣の殻をむくのが面倒で網焼きを提案したが、これだけ注文が入れば大正解だったかもしれない。


「大史くん、ごめんね」

「なんだよ、急に。智香も焼き牡蠣食べる?」

「もちろん食べるよ。ほら、あの時は大史くんの言葉もちゃんと聞かずに自分勝手な行動しちゃって、ずっと後悔してたんだ」

「そんな昔のことなんて気にしないでいいよ。智香だって、海外に行ったからいろんな人生経験が出来たわけだし、こうやって楽しい土産話もあるじゃん。元気だったならそれでいい」

「うん……ありがとう。やっぱり大史くんは優しいね。そんなこと言われると、またわがままを言いたくなっちゃう」

「ほどほどなら、いつでも言ってくれて構わないよ」

「それってさ……やっぱなんでもない。私にもビールをもらえるかな」

「……はいよ」


 賑やかな夜のせいかもしれないが、少しだけ浮き足だっている自分がいた。

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