第23話 元カノと牡蠣の卵雑炊①
蕎麦事件以来、忙しい日々を送っていた。
団三郎さんの店舗を再開すべく、彼と共に蕎麦メニューの開発をおこないながら、ご先祖様秘伝の蕎麦打ちを徹底的に教えた。以前までは調理全般を従業員に任せきりだったが、気持ちを入れ替えた団三郎さんも調理に携わることとなった。従業員たちも彼のおこないや謝罪を受け入れた上で、再び共に働いてくれることになったらしい。
暖簾分けなんてたいそうなことではないが、ご先祖様の料理帖レシピを継いでくれるなら、俺に出来ることはなんだってする。
うちの店では料理帖にあった鍋レシピを復刻販売することになり、新たにメニューとして書き加えると、意外にも注文をしてくれるお客が多くいることに驚いた。春先であっても外はまだ冷えるので、身も心も温めてくれる鍋はこの時期に始めてよかったのかもしれない。
そんなある日のこと。
この日は週末で、夜営業は酒の注文が絶え間なかった。俺は厨房で調理に専念し、虎之介に酒の提供とホールを任せていると、見知った声が聞こえて顔を出す。
「こんばんはー。あら、なんだか今夜はすごく混んでいるのね」
「わぁ、ほんとですね」
「あ、玉藻さんとてっちゃん。いらっしゃい。近所の公園で夜桜のライトアップが始まっただろ? だから今日はお花見帰りのお客さんが多いんだ。もしかしてだけど、2人もお花見帰りだったの?」
「はい! 玉藻さんとお花見デートしてきました!」
「やだもう、てっちゃんったら! そんな大きな声でデートだなんて」
「え、2人って付き合ってるの?」
「そんなんじゃないわよ。ただ仲良しな関係ってだけ。ね、てっちゃん?」
「はい! もはや玉藻さんとはただならぬ関係です!」
「……ちょっと誤解されかねない発言だね。カウンター席なら空いてるよ」
いつの間にか仲良くなっていた2人は、まだ恋仲というわけではないらしい。てっちゃんは以前とは見違えた雰囲気で、小花柄のワンピースに身を包み、うっすらメイクもしているようだった。まさかとは思うが、てっちゃんはもしかして……いや、そんな野暮なことは聞けない。
「大史さん、鍋のメニューを増やしたんですか?」
「うん。先祖代々のレシピノートを発見して、それを元にメニューを増やしたんだ」
「そういえば、この前いただいた豆乳鍋もすごく美味しかったです!」
「気に入ってもらえてよかったよ。それなら、今日はチーズ豆乳鍋なんてどう? トマトにキャベツ、鶏肉としめじが入っている洋風鍋なんだ」
「へえ、美味しそうですね! 玉藻さん、どうします?」
「てっちゃんが食べたいもの選んでいいよ。てっちゃんが好きなものはアタシも好きだから」
「そ、そうですか? じゃあチーズ豆乳鍋2人前とビールをお願いします!」
「はいよ」
この雰囲気で付き合っていないとは、不思議な関係もあるものだ。しかし、楽しそうに話している2人を見ていると、これはこれで成立しているのかもしれない。
「ほれ、瓶ビールグラスな。なにがあったか知らねえが、あんたも意外と男らしいとこあるじゃねぇか。やる時はやるんだな」
「や、やだ、もう虎ちゃんったら! そんなハレンチなこと言わないでよ」
「言ってねえよ。てっちゃんは酒飲めたのか?」
「はい! こう見えても毎晩、父の晩酌に付き合っているんですよ。父のほうが先に潰れてしまいますが、わたしはお酒を飲んでも酔わないタチなので!」
「はわわ……見かけによらずザルなてっちゃん……そのギャップがたまらなく尊い」
「えへへ。そ、そうですか?」
「ずいぶんと仲のいいことで」
呆れながら2人の対応をしていた虎之介がため息をつくと、再び店の戸が開いた。今日はもう満席に近いので、2人以上のお客は入れないようにして欲しいのだが、店に入ってきたお客は予想外の人だった。
「いらっしゃい。」
「あの、大史くんはいますか?」
「あ、あぁ、いるけどよ……どちらさんで?」
「私、大史くんの元カノです!」
女性は店内中に響き渡る声で元気よく挨拶をすると、ガヤガヤとしていた店内は一瞬のうちに静寂に包まれる。その視線は次第に俺へと集まり、各々ニヤニヤしながらグラスを傾ける。この状況をつまみにされるとは、なんとも恥ずかしい。
状況を把握した虎之介は空いている席を確認すると、カウンター席から手を伸ばしたてっちゃんはすかさず声をかけた。
「わたしの隣、空いてますよ!」
「いいんですか? じゃあ、お邪魔しますね」
5年前に別れて海外へ行った智香が、なぜ俺を訪ねてきたのか不思議で仕方ない。
あの時、彼女はきっぱり俺にこう言った。
『私、自分探しの旅に出ようと思う。自分自身の眠っているチャクラを解放して、高次元の存在と繋がりたい。エネルギーが満ち溢れた私は、きっと魅力的な女性になって石油王と結婚できる気がするの。だから、私と別れて』
『え……う、うん……』
終始なにを言っているのかさっぱり分からなかったが、石油王と結婚したいという確固たる意志が感じられたので、その言葉に承諾した。以前まではおとなしい女の子だった智香が、ある日から占いやスピリチュアルにハマり、恐らくその類いの内容を言っていたのだと思う。
「ひ、久し振り。急に店に来るから驚いたよ」
「突然ごめんね。実は昨日、地元に帰ってきたんだ。だから大史くんの顔が見たくて。元気にしてた?」
「うん、まぁね。智香は……石油王と結婚しに行ったんじゃないのか?」
「いろんな国を旅しているうちに石油王には会えたんだけどね、あっちの国は一夫多妻制でしょ? だから、求婚されたけど断っちゃった」
「え、会えた上に求婚されたの? すげえな……」
行動力がとんでもない。これもチャクラとやらが解放されたおかげなのだろうか。
「久し振りに大史くんの作った料理が食べたいな。昔、パエリア作ってくれたじゃない? あの時は情熱的なフラメンコを踊りながら作ってくれて、あれには感動しちゃったなぁ」
「それ、絶対俺じゃないよね……」
「え、そうだっけ? あ、思い出した。確か、デートの時は自家用トゥクトゥクで迎えに来てくれたよね。2人で寺院巡りしたあと、大史くんの家で一緒に作ったカオマンガイ。あれ美味しかったなぁ」
「俺、トゥクトゥク持ってない……それ、タイの記憶?」
「あれ、これも違った? いろんな国を旅してきたからごっちゃになっちゃって。えっと……あ、ビリヤニだ! ビリヤニ作ってくれたよね? あの時は真っ黒に日焼けしててさ、いつも決まった時間に出かけてたよね。『どこに行ってたの?』って聞くと『ガンジス川で礼拝だよ』って誇らしげに言ってる大史くんがカッコ良くて。懐かしいなぁ」
「もはや俺の面影すらないただのインド人だよね」
記憶違いにもほどがある。その豊富なエピソードを、逆にもっと聞いてみたくなってしまった。隣で話を聞いていたてっちゃんと玉藻さんも、笑いを堪えすぎて身悶えしていた。結局のところ、俺との思い出はさほど残っていないようだ。
「要するに、いろんな国でいろんな恋をしながら美味しいものを食べてきたわけね」
「まぁ、そういうことになっちゃうか。なんかごめんね。」
「気を遣わなくていいよ。食べたいものがあったら、なんでも作るから」
「……じゃあ、牡蠣の卵雑炊」
思い出の料理をちゃんと覚えてるくせに、なんで最初から言わなかったんだ。
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