第22話 狸と蕎麦粉のガレット
「あんたに聞きたいことがある」
そう言って、虎之介は団三郎さんをうちの店に連れてきた。先ほどまでの威勢はどこへやら、彼はしおれた小松菜のような顔をしている。
「どれ、我が茶を淹れてやろう」
「器用に前足で茶を淹れながら喋る犬がいるとは……この世には、まだわたしの知らないことが多いのですね」
「ははっ。長く生きている妖怪といえど、このような生き物を見るのは初めてか。まぁ、この龍殿は特別なのだよ」
「妖怪の存在を認識している人間にも初めて会いましたし、そんな人間に仕える不思議な生き物がいても……まぁ、おかしくはないですね」
「我は仕えているわけではない。ただの居候なのだ!」
「それもそれで意味が分かりませんねぇ……あ、お茶いただきます」
確かに意味が分からない。人間と妖怪、神様が共存、いや、同居している世界線なんてこの家くらいだろう。改めて俺がいる環境だけ特殊なのだと実感した。
虎之介も先ほどまでの威勢はなくなり、少々考え込むようにして口を開いた。
「団三郎、といったか。あんたの顔を見ていたら思い出したんだが、おやっさんの店に来たことがあるだろう。1度だけでなく、何度も蕎麦を食べに来ていたな」
「……ええ、よく覚えていますねぇ。わたしは佐渡ヶ島の出身でして、当時は田舎から出てきたばかりだったのです。身の心も荒みきっていた時、偶然にもこの蕎麦屋を見つけました。元気のいい大将に圧倒されつつも、出された蕎麦を口にすると、その温かみのある味に心が解れていったのです。初めて『美味しい』と思える料理を口にした時、『これだ!』と思ったわたしは、蕎麦屋を始めようとしたのですが……蕎麦を打てる職人が見つからず、仕方なく団子屋を始めました」
「仕方なくにしては、その団子屋もずいぶん繁盛してたじゃねぇか」
「あなたもご存じの通り、妖祷草のおかげですよ。店をやるからには繁盛させたいと思いまして、商売人らしからぬ禁忌を冒してしまいました。そこから金に執着するようになり、今世でもひと稼ぎしようと思った次第です。ただひとつ言っておきたいのは、三上屋さんを廃業させたかったわけではありません。わたしはあの店の蕎麦が大好きでしたから……それだけは信じてください」
「意図的に廃業に追い込んでいないのなら、オレはあんたを信じる。おやっさんの蕎麦、美味かったよな」
「……はい、とても」
ずる賢いことをしたとはいえ、ことの発端はご先祖様の蕎麦がキッカケだった。そんなに美味い蕎麦なら、俺も一度は食べてみたかった。この料理帖があればご先祖様の味がいつでも再現できるのだが、作り手によってやはり多少味が変わってしまう。
先ほどの店から秘かに蕎麦粉を持ち帰ってきた俺は、虎之介たちの話を聞きながらあるものを作っていた。蕎麦粉を水で溶いた生地を薄く伸ばし、あらかじめ炒めておいたベーコンとアスパラ、トマト、チーズを生地にのせる。真ん中には卵を落とし、塩胡椒とパセリをトッピング。生地の端を内側に折り込んで正方形に形作れば、軽食にぴったりな一皿が完成だ。
「団三郎さんの店で少しばかり蕎麦粉を拝借しちゃったんだけどさ、蕎麦粉のガレットを作ってみたんだ。食べてみてよ」
「ガレットですか? クレープというものに似ていますねぇ」
「クレープもガレットも似たようなもので、要は生地が違うだけなんだ。クレープは小麦粉や牛乳、卵などを使った甘い生地で、これは蕎麦粉で作ったからガレット。お腹空いてるかなぁって思って‥…」
「食う!」
「我も! 我も食べるぞ!」
虎之介は目を輝かせながら今にも涎を垂らしそうな勢いで、龍さんはピョンピョンと跳ねながらアピールをしている。まるで飼い主からメシをせがんでいる犬のようだ。本来ならばナイフで切り分けながらフォークで食べるものだが、慣れていないだろうから、あらかじめ切り分けておいた。
「これは……! もちもちとした蕎麦粉の生地が、塩気の効いた具材とよく合っていますねぇ。蕎麦粉にはこんな使い方があるとは」
「そうだね。ほのかな蕎麦の風味も残りながら、生地の香ばしさが食欲をそそる」
「美味い! こりゃアレみたいだな! えーっと、ぴざだったか?」
「うむ。大史に内緒で頼んだぴざとやらに似ている!」
「え、ピザ頼んだの? なんで黙ってたの?」
「大史が怒るかと思って」
「ぶはっ。別に怒らないよ。ていうか、俺も食べたかったんだけど」
デリバリーを覚えた
「大史さん。蕎麦粉を使った料理は他にどんなものがありますか?」
「使い方でいろんな料理が出来るけど……蕎麦がきや蕎麦豆腐、天ぷらの衣としても使えるし、あとはパンケーキにアイス、スイーツやパンにも応用出来るよ」
「ほう。蕎麦粉は蕎麦だけだと思ってましたが、アレンジ次第で何通りもの料理が出来るのですね……。大史さん、こんなことを言うのは大変忍びないのですが、折り入ってお願いがあるのです」
「な、なんでしょう」
団三郎さんは丁寧な口調でこちらに向き直り、真剣な眼差しを向けて予想外の言葉を投げた。
「わたしに『みかみそば』を継がせてください」
「……え? ほ、本気で言ってます?」
「もちろん本気です。差し支えなければ、料理帖のレシピを伝授していただきたいのです。先代の蕎麦の味は、わたしにとって思い出の味であり、同時に廃業に追い込んでしまったことに責任を感じています。店では秘伝の蕎麦だけでなく、蕎麦粉を使ったさまざまな料理を提供したいと思っております。暖簾分けをさせていただくわけですから、売り上げの半分は献上しましょう」
「いや、売り上げは別にいらないんだけど……そうだなぁ。うちでは蕎麦を提供しようにもメニューの仕込みもあるから、蕎麦を打ってる時間もないし……かと言って、せっかく見つけた料理帖のレシピも活かしたい。よし、それならこうしよう。うちの店ではレシピに載っている鍋料理を、団三郎さんの店では『みかみそば』をはじめとする蕎麦料理を提供するってのはどうだろう。蕎麦料理のレシピは俺も考案に協力するよ。ご先祖様の蕎麦を受け継いでくれるなら、俺も賛成だ」
「本当ですか!? ありがとうございます……! この団三郎、大史さんのご先祖に恥じぬよう、誠心誠意努めて参ります」
思いもよらない展開となったが、秘伝の料理帖レシピはどうしても活かしたかった。神棚に祀られていたくらい貴重なものなのだろうけど、このタイミングで見つけられたのは、きっとなにかの縁だ。
そんな団三郎さんは、思い出したかのように虎之介を見つめる。
「それにしても、先ほど疑問に思ったことがあるのですか」
「なんだ?」
「妖祷草の効力のことです。空腹状態だと効力を発揮し、満腹状態だと効力が激減すると言っていましたよね?」
「ギクッ……そ、そんなことも言ったような、言ってないような」
「あれ、嘘ですよね? わたしのことを勉強不足だなんて言い放って……」
「え! う、嘘だったの? どういうこと?」
確か、団三郎さんの店の蕎麦を食べたお客は妖祷草の効き目がなかった。虎之介は自信満々に妖祷草の効力だと言い放っていたが、嘘となれば話が違ってくる。それに、術にかっかっていたお客や従業員が自我を取り戻した理由も、未だによく分かっていなかった。
「あれは、まぁ、アレだ。狸を打ち負かすための嘘だ。本当のところ、あれは大史自身の力なんだ」
「え、俺の力? やだ、怖いんだけど」
「料理帖を読んでいて、思い出したことがある。おやっさんの店をたたむことになった最後の日、その時に初めてオレは自らを妖怪だと告げたんだ。そしたら『そんなこと最初から分かってた』って言うもんだから拍子抜けよ。どうやらおやっさんは、妖怪が視える人だったらしい」
「素性が分かった上で、虎之介を雇ってたわけか。懐が広い人だ」
「ああ。そんなおやっさんに感謝の気持ちとして特別な力を与えようとしたんだが、『それなら小太郎に』って
「特別な力ってどんな?」
「厄除けのようなものだ。災難が降りかかろうとも、それが契機として良い方向に転ぶように。それと、オレを受け入れてくれたおやっさんのように、小太郎にも妖怪を受け入れて欲しいし、困っている妖怪がいたら助けてやって欲しいと思ったんだ。そんな願いを込めて、オレの霊力を与えた」
「つまり、妖怪が視える能力は代々虎之介から授かったもので、妖祷草の効力を無効化したのは厄除けの作用が働いたってこと?」
「そういうことだ。大史の作ったメシを食うと、力が漲るって言う妖怪が多いだろう? それはオレの霊力が影響しているからだと思う」
虎之介と出会った頃、メシを作ってやったら力が湧いてくると言って『変な粉』を入れてるんじゃないかと疑いをかけられたものだが、まさか虎之介自身の霊力の影響だったとは。そんな重要なことを今更思い出すなんて、とんだおっちょこちょいだな。
「我は最初から気付いていたぞ。大史からは虎の霊力が感じられるからな」
「ねぇ、なんで言ってくれなかったの?」
「ぬしらの茶番は見ていて飽きないからな。真実を知った時、どんな反応をするのか見たかったのだ。ふふっ。なかなかに面白いものだったぞ」
「性格の悪い神様だな」
「ははっ。私は驚くことばかりだったが、
「大史さんは不思議な人間だと思ってましたが、まさか鬼の霊力の持ち主だったとは驚きですねぇ。このような主人に仕えることができるとは、長生きしてよかったです」
愉快とばかりに笑う才雲さんと団三郎さん、そして自慢気に胸を張る虎之介。
じいちゃんとばあちゃんは、こうなることを知っていたのだろうか。『お役目があるんだね』という言葉が、今になって実感が沸いてきたような気がする。
ひょんなことから住所不定無職の鬼に助けられ、店で雇うことになったのは、才雲さんが言うように
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