第21話 いにしえれしぴのーと④

 この店に入店してからというもの、お客はこちらに興味も示さず、蕎麦をすする音だけが店内に響き渡っていた。人間の従業員も目が虚ろで、明らかに普通の状態ではない。


 恐らく、先ほど和服妖怪がふかした煙が原因なのだと思う。煙管の中身は煙草ではなく、薬草のような匂いでひどく甘ったるいものだった。ほんの少し煙を吸っただけで眩暈を感じ、身の危険を感じるほど。常習的にあの煙を吸っていると自我がなくなり、操り人形のようになってしまうのかもしれない。


団三郎だんざぶろう様、準備が整いました」


 従業員の女性は和服妖怪を団三郎と呼び、指示された準備を終えると無表情で去っていく。なんとも不気味な光景に、若干の恐怖を覚えた。


「団三郎……もしや、団三郎狸だんざぶろうだぬきと呼ばれる化け狸ではないだろうか」

「え、狸なんですか? もっとこう、ヤバい妖怪なのかと思ってました」

「狸といえど、団三郎狸はその類いでは総大将にあたる妖怪だよ。一説によると、お金に困っている人間がいれば、人に化けてお金を稼いで貸していたそうだ。人間が大好きで人情味のある妖怪だと聞いていたのだが……ずいぶんと様子が違うようだね。かつては人々に祀られる神のような存在だったというのに」


「よくご存じですねぇ。いかにも、わたしは団三郎狸と申します。わたしは人間と仲良くなりたい一心で、困っている者がいれば身を粉にして尽くして参りました。金を貸すというていでしたが、返してもらう気など毛頭ありませんでしたし、それはもう神のように崇められた存在でしたよ。しかし次第に信仰が無くなり、わたしは必要とされなくなったんです。恩を仇で返すような人間など、もはや大嫌いなんですよ。ですから、このようにして愚かな人間から金を巻き上げているのです。今までの分も、きっちり耳を揃えて返してもらわなければ」

「要するに、闇落ちしちゃったわけね……かわいそうに」

「そうだな、現代で言う『めんへら』ってやつだな。かわいそうに」

「ど、同情はやめてください。さっさと勝負を始めますよ」


 厨房には蕎麦を打つための材料が用意されている。材料といっても、蕎麦粉と水のみ。この店も十割蕎麦を出しているようで、シンプルな材料だからこそ打つのが難しく、水加減や蕎麦の切り方で食感や味が変わってくる。


「うちはいつものやり方でさせていただきますが、いいですよね?」

「ああ、好きにしろ」

「ずいぶんな自信ですね。では、皆さん。あとはよろしくお願いしますね」

『御意!』


 狸の一声で、従業員は仕事を分担してテキパキと動き始める。蕎麦粉と水の他に、乾燥した薬草が用意されていた。あれが例の妖祷草というものらしい。薬草を粉末状にしたあと、蕎麦粉と共に混ぜ合わせていた。こんなにも堂々と不正の現場を晒すとは、狸もよっぽど自信があるのだろう。


「よし、虎之介。料理帖通りに指示をくれ」

「任せろ。大史、お前なら絶対に勝てるから自信を持て」

「おう」


 水加減が重要な十割蕎麦は、初めに7割の水を入れて撹拌かくはんする。均一になったところで残りの水を入れ、丁寧に作業を続けると大きな粒状になってくるので、生地の硬さを確認しながらレシピ通りの水分量を少しずつ追加。そこから空気を抜きなが練り上げていくと、ようやく生地が完成する。打ち粉をまぶして生地を伸ばしたところで、虎之介はこんな提案をした。


「切る作業はオレに任せてくれないか? 昔、その工程だけはおやっさんから任されていたからな。その間に蕎麦つゆを頼む。れしぴ通りに材料は用意してあるから、あとは大史に任せる」

「わかった。これでも俺は“おやっさん”の子孫だからな」


 通常の蕎麦つゆは、かつお節で出汁を取り、醤油、みりんなどを合わせるだけだが、用意されていたのは鶏肉を筆頭にした鍋の具材だった。白菜にしめじ、小松菜、ねぎ。


「なるほど。おやっさんも代々引き継いできたレシピを大事にしてたんだな」


 かつお節で出汁を取った醤油味がベースとなり、そこに具材を投入して煮込むと、鶏の旨味や野菜の甘味が加わった『三守屋』秘伝の蕎麦つゆが完成する。蕎麦の風味が引き立つよう、“もりそば”で提供するのがご先祖様の流儀らしい。


 両者の蕎麦が完成したところで、外で待っていたお客たちが中へ招かれた。


「お客様、お待たせいたしました。どうぞお席へ」


「最近人気のお店だったから、一度ここの蕎麦を食べてみたかったんだよねー」

「そうそう、口コミ評価もすごく高かったし」

「並ぶほど美味いというが、一体どのような蕎麦なんだろうか」

「楽しみねぇ」


 見たところ初めて来店するお客のようで、術にはかかっていないようだ。せめてもの情けかもしれないが、狸は既に勝ち誇ったような顔をしていた。


「本日は当店の特別企画としまして、お客様には2種の蕎麦を味わっていただきたいのです。どちらが美味しかったか、ぜひとも感想をお聞かせください。もちろん、参加していただいた方のお代はいただきません」

「本当ですか? ぜひ参加したいです」

「では、私たちも」

「ありがとうございます。まずは、こちらの蕎麦からお召し上がりください」


 先攻は俺たちが作った蕎麦だ。「どうせうちの蕎麦を食べれば勝ったも同然」と言わんばかりの余裕さで、わざと後出しをするつもりだ。なんとも癪に障る。


「こちらは『みかみそば』です。まずは蕎麦をそのまま召し上がっていただいて、それから具沢山の蕎麦つゆに付けてお召し上がりください」


 お客たちは俺の言葉に頷き、蕎麦を口に運ぶ。


「お、美味しい……! 蕎麦ってこんなに香りがあったんだ」

「それにほどよい食感が残っていて、噛む度に香りが鼻から抜けていく」

「蕎麦本来の味をこんなにも感じられたのは初めてだ……」


 その反応を見て、虎之介は満足そうに頷いていた。十割蕎麦は切る幅によって、食感や風味に違いが出る。茹で時間も重要で、つなぎが入っていない分、蕎麦が切れてしまうこともある。しかし、そこはレシピ通りにおこなったため、完璧な仕上がりとなった。


「この蕎麦つゆに付けるともっと美味しい! 鶏肉や野菜の旨味が蕎麦によく合う」

「まるで鍋のようなつゆだね。満足感がありながら、心がほっとするような味わい。初めて食べる組み合わせなのに、不思議なものだ。いくらでも食べられる」


 美味しそうに食べるお客を見た狸は、眉間にシワを寄せながらこちらを睨む。睨まれたところで、これがお客の本意なのだから仕方ない。


「で、では、お客様。次はこちらの蕎麦をお召し上がりください。こちらは当店自慢の蕎麦でして、ヤミツキになること間違いナシです!」


 自信満々に蕎麦を提供した狸は、食べ始めるお客の様子を満面の笑みで見つめる。ヤミツキなんて言っていたが、それは妖祷草の効力だ。先攻で蕎麦を提供したことを今更ながら悔いていたが、お客の反応は意外なものだった。


「……うえっ。なにこれ、まっず。これって蕎麦なの?」

「なんか苦いし、草の味がする」

「これが店自慢の蕎麦だと? おい、あんた。客をなめてるのか!?」


「え!? そ、そんなはずは……もっと召し上がってみてください! 食べているうちに、だんだんとヤミツキになってきますよ!?」


「私はもういいかな……」

「食べれないわよ、こんなもの。蕎麦なのかどうかも怪しいわ」

「こんな不味いものを出して、よく商売なんてやっていられるもんだ!」


「な、なぜだ……なぜ妖祷草の効き目がないんだ」


 怒り出すお客と、うろたえる狸。なぜ妖祷草の効き目がないのか俺にも分からず、目の前の状況に困惑していると、虎之介は狸の前に立ちはだかった。


「オレたちの勝ちだな」

「どういうことだ!? 貴様、おかしな術を使ったな!」

「そんなもん使ってねぇよ。お前が勉強不足なだけだ。空腹の状態で妖祷草を含んだ料理を食べれば依存の効力を発揮するが、直前に食事をすればその効力は激減する。そんなことも知らずに提供していたとは。オレたちを先攻にしたのが間違いだったな」

「馬鹿な! そんな、そんなはずは……クソッ……」


 虎之介が言った効力無効の話は初耳だった。すべて知った上で勝負に挑んでいたなら、最初から言っておいて欲しいものだ。それならば、あの根拠のない自信の理由も説明がつく。


「大史、ここにいる他の客と従業員にも、お前が作った蕎麦を振る舞ってくれ。術から解放されるかもしれない」

「いや、でもさっきの理論だと……」

「大丈夫だ。オレが保障する」

「お、おう」


 才雲さんに手伝ってもらいながら、店にいるお客や従業員に俺の蕎麦を振る舞うことにした。言われるがまま蕎麦を食べた人たちは、目が覚めたように自我を取り戻す。


「ハッ……なんだか夢を見ていたような感覚だ。なにがどうなってるのか分からんが、出されたこの蕎麦は美味い」

「本当に美味しいわ。さっきまで、ものすごく不味いものを食べていたような……」

「あぁ、ほっとする味だ」


 従業員も同様に自我を取り戻すと、自分がなぜここにいるのかさえ分かっていない人ばかりだった。そんな俺も、なぜこのようなことになっているのか理解出来ずにいた。


「勝負はついた。約束通り、店を撤退しろ。二度と人間相手にこんな真似するんじゃねぇぞ」

「……な、なんで」

「わかったな?」

「は、はい……」


「ふむ。一件落着だな」

「いやぁ、一時はどうなることかと思ったけど、虎之介の策略だったわけか」

「……しかし虎のヤツめ、大史に妙な嘘をつきおって」

「嘘? どういうことだい?」


 すべての真相は虎之介が発端だったことを、この時の俺は知る由もなかった。

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